000 第三巻刊行応援SS クリスマスデート(序盤)
前話「近衛長のお見合い」から続く話になります。
「そ、そ、そのう……このう……あのですね、カミラ様?」
「なあに? エーク?」
「私の左腕に絡み過ぎているような気がするのですが?」
ダークエルフの近衛長エークはそう言って、「ごくり」と喉を鳴らした。
ここは北の街道を延伸して、第六魔王国の城下町の大通りへと変貌した、通称『セロ通り』。
二人でその通りを堂々と歩いているのだが……真祖カミラがしな垂れ掛かってきて、エークの腕がカミラの胸にむにゅんと当っている。
しかも、さすがに吸血鬼の真祖と謳われるだけあって、妖艶な色気を垂れ流しにしているものだから、それなりに女性の扱いに長けた――もとい塩対応に定評のあるエークといえども、どこぞの中学生男子みたいに顔が紅く上気している始末だ。
「ええと、カミラ様のお立場で日中堂々、そういったことは……さすがにちょっとどうかと思うのですが?」
「うふふ。別にいいじゃない。せっかくのデートなんだし」
「それと……いかにもいじらしく、私の頬をぷにぷにしてくるのも止めていただけませんか?」
「うふふ。別にいいじゃない。たまにはスキンシップだって必要よ」
真祖カミラはそう答えて、「あら、ここよね?」と歩を緩めた。
そんな二人の目と鼻の先には、新たに出来たばかりの建物があった――かなり豪華な新築のホテルだ。
ヒュスタトン会戦からこっち、大陸に平穏がもたらされたとあって、第六魔王国を尋ねる人族や亜人族は一気に増えた。おかげで城下町の玄関先にある温泉宿泊施設だけでは賄いきれず……今、この国では旅館などの建設ラッシュを迎えている。
エークとカミラの前に建っているのもそんなホテルの一つで、正式名称は――『赤坂プリンセスホテル』、略称は赤プリだ。新築の旅館群の中では頭一つ抜け、「王国の三ツ星級に引けを取らない」との評価をすでに得ている。
もちろん、その評は元冒険者で文豪のクライスによる情報操作の賜物なのだが、温泉宿で接客を学んだ吸血鬼たちの一部が移籍して、さらにヒトウスキー卿の元家人の屍喰鬼たちも支配人としてよく働いてくれている。
その為、接客の質に間違いはなく、また和風建築な温泉宿と比してこちらは現代的なラグジュアリーホテルとなっていて――事実、宿泊客からの評判はとても高い。
ちなみに、なぜ赤坂という地名が付いているかと言うと、ここはちょうど坂道になっていて、ホテル内のスパの為に血反吐を引き込む際に施工ミスをして、坂が真っ赤に染まってしまったからだとか何とか……
まあ、それはさておき、新築の豪華ホテルを前にして、カミラはエークの耳もとで囁いた。
「ねえねえ、エーク?」
「は、は、は、はいいい?」
「私……貴方とスキンシップをもっとしたいんだけどなあ」
「…………」
今度は片頬をつんつんされながら、エークはまた「ごくり」と唾を飲み込んだ。
いったい、どうしてこうなったのか、と。天でも仰ぎたい気分だった。
もとはと言えば、デートをするのではなく、データをとるはずで……そもそもからしてカミラに付き合ったのも、ドルイドのヌフに対する意趣返しに過ぎなかったのだ。
話は数日前に遡る――
近衛長エークの為にドルイドのヌフが見合い話を幾つか持ってきたときのことだ。
「おやあ? 机上になぜ、こんな姿絵が紛れ込んでいるんだ?」
妖魔ラナンシーがエークの執務室のテーブル上にずらっと並べられた姿絵の中に母親のものが混ざっていることを指摘すると、エークは片頬をひくひくと引きつらせた。
たしかにカミラは未亡人――というか、そもそもエルフの族長だったドスとは結ばれていなかったし、血の契約で実娘にしたルーシー、リリンやラナンシーも十分に育った上に、第六魔王の地位もセロに明け渡しているとあって、今や自由気ままな放蕩生活をしていた。
そう。どこぞの魔王よりスローライフを満喫しているのだ。
おかげで今回のようにお見合いを申し込んできたとしても、誰に咎められるわけでもない立場で、むしろセロやルーシーからすれば、誰かとさっさと結ばれて、いい加減にどこかに落ち着いてほしいとまで思われていた……
要は、セロたちからすれば、カミラはちょっとした目の上のたんこぶなのだ。
さらにエークにとってカミラは分が悪い相手でもある。何せ、古の時代から生きている奔放な夜の女王だ。生真面目なエークにとっては水と油のようなもの――いや、いっそ油と爆弾か。混ぜるな危険というやつだ。見合い相手としては相性が最悪に過ぎる。
だから、そんなカミラの姿絵の存在を指摘されたエークはというと、努めて動揺を隠しつつも、何とか「やれやれ」と肩をすくめてみせた。
「たしかに……なぜこんなところにカミラ様のものが紛れ込んでいるのですかね。いやはや……冗談にしては質が悪いですよ、ヌフ?」
エークは仲介人を買って出たドルイドのヌフを咎めつつ、その姿絵をどこかにしまおうとした。
もっとも、エークは「おや?」と眉をひそめた。というのも、当のヌフが訝しげな顔つきだったせいだ。なぜカミラの姿絵が紛れているのか、ヌフ本人も理解が覚束ないといったふうだった。
これにはエークも興味が湧いたものの……
やはり、君子危うきに近寄らずというわけで、生来の生真面目さでもって自制して、それ以上のツッコミは入れずに姿絵を捨てようと手に取った。
その瞬間だ。
「あらあら? うふふ。ついに私を選んでくれたのね。きゃあ、うれしいわ」
いきなり、エークの背後から嬌声が上がった。
よりにもよって真祖カミラ本人だ。どうやらこっそりとエークの執務室に認識阻害でもって隠れ潜んでいたらしい……
認識阻害や封印の第一人者たるヌフが全く気づけなかったくらいだから、やはりカミラは化け物だ。
おそらくラナンシーが闖入してきたどさくさに紛れたに違いないが……何にしても、驚いているヌフの表情を見るに、やはりこれはヌフの仕掛けではなさそうだ。
とにもかくにも、そんなヌフを無視して、エークはカミラに厳重抗議した。
ちなみに、セロやルーシーが前魔王かつ母親に強く出られないことから、最近、カミラに注意をするのは、もっぱらエークの役割になっている。
「カミラ様、他愛のない悪戯はお止めください」
「悪戯ではないわ。私だって、恋人の一つや二つや三つくらいは欲しいもの」
「二つ三つって……それならば、適当な者を見繕って、どこかの離れで侍らして優雅に暮らしてもいいのではないですか? カミラ様ならば誰も文句は言いませんよ」
エークはそう提案しつつも、つい先日、ルーシーがセロに嘆いている様子を思い出した。たしかこんな会話だった――
「セロよ。最近、母上がやけに突っかかってくるのだ」
「でも、ルーシーだって、以前、カミラの帝王学が懐かしいって言っていたじゃない? ちょうど良い機会なんじゃないかな。また教えてもらえば?」
「そういう話ではないのだ。あれではほとんどストーカーだ」
「どういうこと?」
「妾やリリン、あるいはラナンシーや末妹になったシエンの後を認識阻害などでこっそりと尾けて、膝かっくんや頬をぷにぷにしてくるのは……まあ、可愛いげのある方だ」
「うん」
「こないだなぞ、セロへの甘え方が足りないとか……話しかけるときは上目遣いでとか……キスはもっと情熱的にとか……下手をしたら夜の営みだってこっそりと覗いている可能性まであるんだぞ」
「え、ええ……」
「いっそ、第二真祖モルモみたいに、どこぞの離れにでも行ってもらった方がいいのではないか? そうだ。いっそ隔離しよう。セロよ、なんぞ計画でも立ててくれ」
といったふうに、早くも嫁姑問題、もといただの親子喧嘩が勃発する気配だったのだ。
いわば、存外に娘離れ出来ていないカミラにどう対応するかでセロとルーシーが腹心の前で揉めていたわけだが……そんな事情をエークはよく知っていただけに、むしろカミラこそ、お見合いでもしてどこかに引退するべきだと提案しようとしたら、
「良い男たちを侍らせるって言うんなら、私……まずは貴方が欲しいわ」
カミラはエークの背後から抱き着いて、いかにももう放さないとばかりにギュッとした。
これにはエークも「はあ」とため息をついて、ドルイドのヌフに「さっさと助け舟を出せ」と暗に含めて視線をやったものの……
肝心のヌフはというと、「あ、うあ」と言葉に詰まっていた。
もっとも、これは仕方のないことだ。
そもそも、共に古の時代から生きている者同士で、両者は何かと腐れ縁でもある。
古くは人造人間エメスの封印から始まり、近くは高潔の元勇者ノーブルを紹介したとあって、いつだってヌフが一方的にこき使われてきた間柄だ。相性的には水と油――いや、こちらはいっそ蛇に睨まれた蛙か。
そんなヌフではさすがに力不足とエークも察したのか、背後から絡んできたカミラからするりと逃れて、今度はきちんと向き合った。
いつものカミラに注意する近衛長としての表情をしっかりと作る。
「それで、本当は何の御用でいらしたのですか?」
「だからあ、言ったじゃない。貴方が欲しいって」
「私を侍らすご趣味なぞないはずでしょう? そこまで高く評価していただいていたなら、カミラ様の性格を考えれば、カミラ様の統治時に抜擢なさっていたはずだ」
エークがきっぱり言い切ると、カミラは「ふふん」と、顎を上向けた。
「いいわね。私……やっぱり貴方が好きよ。そこにいる万年引きこもりよりずっと絡みがいがあるわ」
「ちょっと待ってください。当方はもう引きこもりではありません!」
ヌフが売り言葉をわざわざ買って出て、やっと我に返ったはいいものの、カミラは「はいはい」といったふうに片手をひらひらさせるだけでヌフを制した。
「まあ、貴女なんて、実のところ、どうでもいいんだけど――」
「な!」
「それより、エーク。実は貴方の方にちょっとしたお願いがあってやって来たのよ」
「何でしょうか?」
エークがそう応じると、カミラはいかにも悪戯好きの少女みたいにしなを作ってみせた。
「今度のクリスマスイブにセロとルーシーが城下街でデートをするみたいだから、こっそりと後を尾けて、ちょっとしたデータをとりたいの。報酬は――そうね。何なら、私の、か、ら、だ、でどうかしら?」
こうしてエークはなぜか城下町デートに駆り出されたのだった。
なぜ急に赤プリ(=赤坂プリンスホテル)が出てきたのかと言うと、かつてクリスマスには赤プリに予約を取って、恋人と過ごすのがちょっとした定番というか、ステータスになっていた時代があったのです。
実際に、かつては「クリスマスの夜に赤プリに泊まると、恋人たちのあれのせいで激しい揺れを観測出来る」とまで謳われたほどでした。そんな赤プリ伝説をネタとして使わせていただいた次第です(赤プリ自体は老朽化の為、すでに解体されています)。




