000 第三巻刊行応援SS 公布式前夜(前半)
今回は前話「勤労感謝の日(=公布式)」の裏話になります。ちょっとした閑話というやつですね。
公布式前日の晩、魔王城一階の北棟にあるルーシーの旧寝室に、人狼メイドたちは集まっていた。
もちろん、この時間帯でも幾人かの人狼メイドは奉仕しているので全員ではないものの、主だった者はすでに揃っている――
メイド長のチェトリエ、掃除担当のドバー、裁縫担当のトリー、それに加えておやつ研専属のストーなどだ。
それぞれが中央にある円卓に座って、担当部署の報告、来週以降の予定の確認や最近の問題点などを話し合って、議事録にまとめ、夜遅くに執事のアジーンに手渡される。
そして、アジーンがその中から重要なものを抽出して、翌日、セロやルーシーに伝えるといった段取りだ。
ちなみに、ルーシーは東棟のセロの寝室に移って、そこに棺とファンシーグッズを持ち込んだので、こちらの寝室は以降、人狼メイドたちの為の部屋となった。
もともとすぐそばに真相直系三姉妹の為の待機所があったので、休憩時はそちらで、食事や集会時はこちらでといったふうに今は使い分けている。
さて、人狼メイドたちは急遽決まった公布式の段取りを話し終えてから、皆で「ふう」と息をついて、一番年下のストーが「どぞどぞ」とお茶を給仕し、それを「ずずず」と飲んだ。
「おや? この茶は? 見た目は……濃い麦茶に似ているようですが?」
メイド長のチェトリエが疑問を口にすると、ストーではなく、調理担当の人狼メイドが立ち上がった。
「はい。新たに王国から取り寄せた、タンポポ茶になります」
「ふうん。コーヒーのような渋さがありますね。体がぽかぽかとよく温まってくる感じです」
メイド長のチェトリエはそう言って、座りながら器用にふさふさの尻尾を横に振った。
その様子を見て、調理担当の者もいかにも自慢げに「うぉん」と小さく鳴いて、「ふんす」と胸を張る。
「ところで……急になぜ、このお茶を?」
「巨大蛸クラーケン様が身籠られて以降、お飲み物は水か、血反吐だったのですが、最近、無性にコーヒーが飲みたいと仰っていて……何でも島嶼国の特産品なのだそうです」
「なるほど。妊娠時にカフェインの摂取はなるべく控えたいから、このお茶で代用しようというわけですね?」
調理担当の人狼メイドはこくりと肯いて、円卓の皆を見回した。
さっきまでは胸を張っていたが、今は尻尾がぴんと立っていて、やや緊張の面持ちだ。
そんな人狼メイドを横目に他の者たちもチェトリエに倣って次々と意見を出す。
「コーヒーより雑味がない?」
「私はこちらの方がむしろ好きよ」
「香りはコーヒーに負けるかな。濃い麦茶を飲んでいるような感じ」
「独特なお茶として提供すればいいかもね」
何にせよ、皆の感触は悪くなさそうだ。
ただ、蛸の妊娠時に何を飲み食いしてはいけないのか――さすがの人狼メイドたちもよく知らなかったので、
「とりあえず、クラーケン様にお出ししてみましょうか。母体に影響あるかどうかは、人造人間エメス様に調査していただきましょう」
と、メイド長のチェトリエが締め括って、この話題をいったん終えた。
そんな渋みのあるタンポポ茶を気に入ったのか、ちろちろと舌で舐めながら、「そういえば――」と、裁縫担当のトリーが目を光らせる。
その視線はゆっくりと、おやつ研専属のストーに向けられた。
「最近、おやつの本格的な研究が始まったそうね?」
先ほどまで給仕をしていたストーは無言のまま、「ごくり」と唾を飲み込んだ。
もっとも、こんなふうに返事に窮するのは仕方のないことだろう……
というのも、これまで調理と言えば、料理長こと屍喰鬼のフィーアか、メイド長のチェトリエが主導してきた。
それが主食ではなく、あくまでもおやつとはいえ、闇魔術研究所の所長であるモタが前面に出てきたのだから、ちょっとした越権行為とも言える。
実際に、ストーが周囲を見回してみると、他のメイドたちは澄まし顔な一方で、しっかりと聞き耳をぴょんと立てている。
「は……はい。夢魔のリリン様らと共に、ほぼ毎日、研究所内の調理場でおやつ講習会を開いております」
ストーもそんな空気を感じ取って、とりあえず差し障りのない返事をした。
ただし、ストーはすぐさま探るようにくんかくんかと嗅いだ。どこまでバレているのか――見極める為だ。
なぜなら、ストーもそのおやつのご相伴にあずかっていたからだ。
魔王城から離れたおやつ研内での出来事なので、甘い物好きな人狼メイドたちには早々バレやしないだろうと高を括っていただけに――
今のぴりぴりとした空気感に、ストーは冷や汗が止まらなくなった。
とはいえ、質問をした裁縫担当のトリーはストーをそれ以上責めなかった。
そもそも、魔王城内にいるメイドたちだって、こっそりとアジーンの燻製肉コレクションをいただいているのだ。
むしろ、トリーの関心事は別にあった――
「もしかして、モタってば……また肥った?」
トリーがそう尋ねると、人狼メイドたちは一斉に「ああ」とため息をついた。尻尾がしゅんとしな垂れている……
実は、モタが肥ったのはこれが初めてではない。『火の国』からドワーフたちが引っ越してきて、麦酒をたくさん持ち込んだときに一度たぷたぷのビール腹になりかけている。
その際にはモタも危機感を持ったのか、『飛行』魔術の実験などを通じて、何とかもとの体型に戻したわけだが……
「モタって……普段は魔女の黒マントを纏っているから、体形が分かりづらいんですよねえ」
トリーがやれやれと結論付けると、人狼メイドたちは「うんうん」と首肯した。
もちろん、モタのそばにいたのに全く気づけなかった若輩者のストーとしては反省しきりである。
そういえば最近、モタからやたらと「これも美味しいよ。あれもいいよ」と勧められたのは――もしやごまかす為だったのだろうか?
ストーは「うううっ」と牙をみせて悔しがりつつも、恐る恐るとトリーに目を向けた。
そんなトリーがため息混じりに意見を言った。
「肥ってしまったのは仕方ないですね。明日の公布式のドレスはどうしましょうか、メイド長?」
すると、メイド長のチェトリエは「うーん」と腕を組んで、裁縫担当のトリーではなく、今度は衣装部屋担当の人狼メイドに尋ねる。
「そういえば……モタのドレスってどれだけしつらえてあったのかしら?」
「ほとんどありません。モタは公式行事をよくサボりますし、セロ様も、ルーシー様も、何なら幹部の皆様も、モタなら仕方ない、むしろやらかさないだけマシ、と言って欠席を許してしまうので、衣装部屋に保管してあるのはかつて勇者パーティー時代に仕立てたとかいう古い物ばかりです」
「それって、まだ着られそうなの?」
「いえ。無理です」
衣裳部屋担当の人狼メイドの即答に、皆は「くうーん」と項垂れた。
式典前日だというのにこれはまさに大失態だ。もちろん、モタとおやつのせいなのだが、第六魔王国に仕える人々の健康管理は人狼メイドたちの職分だと自負している。
それだけにメイド長のチェトリエはこつこつと指先で眉間のあたりを叩いて、「がるる」と目を煌かせながら、再度、裁縫担当のトリーに問い直した。
「ドゥ様とディン様のドレスは余分に作ってあったはずよね?」
「はい。お二人はまだお若いとはいえ、よく成長なさっていますから、サイズも幾つか、それに仕立て直しやすい意匠にしています」
「膨張色の黒のものはあるかしら?」
「もちろんございます」
「それでいきましょう。何とか直すだけの時間は取れる?」
だが、トリーは頭と尻尾をふるふると横に振った。
そんな様子に全員が頭を抱えた。中にはいかにも無念そうに月明りに向けて、「わおーん」と吠えている人狼メイドさえいる。
とはいえ、さすがにモタのやらかし以外の何物でもないので、セロもメイドたちを叱責しないだろうが……そうはいっても、職業メイドとしての誇りはズタ襤褸だ。
すると、普段は無口な掃除担当のドバーが珍しく報告以外で口を開いた。
「魔物と戦う?」
短い問い掛けだったが、皆が「はっ」となった。ぴんと尻尾がまた張っている。
というのも、最近、第六魔王国に所属する者たちは一つの問題を抱えていたからだ。それはモタ同様に――肥満である。
これまで『迷いの森』で食料に困窮していたダークエルフに加えて、普段は食事をとらない魔族たちも、屍喰鬼のフィーアがやって来て以降、食事の素晴らしさに舌鼓を打つようになって、しだいにぶくぶくと肥ってきた。
一方で、そんな現状にもかかわらず、全く肥らない種族がいた――吸血鬼である。
理由は単純だった。ルーシーの軍事訓練があまりに過酷だったせいだ。当初はルーシーが直接「えい!」と凹っていたのだが、最近はめきめきと頭角を現す者たちも出てきて、ヤモリ、イモリやコウモリたちが相手をするようになった。
そんな苛烈なブートキャンプだったこともあって――肥満に対する効果はてきめん。
結果として、ダークエルフを含めて他の亜人族、また魔族たちすら参加するようになった。つまり、ドバーはそのことを示唆したわけだ。
しかも、ちょうどいいことにメイドたちの集まるルーシーの旧寝室には今もヤモリが幾匹か張り付いていた。
「キュイ?」
こうして夜分、モタのもとにトリーとヤモリは急行したのだった。
―――――
前後半と銘打っていますが、これにて人狼メイドたちの閑話はお終いです。次の話は別の人物に焦点が当たります。