000 第三巻刊行応援SS 芸術は爆発だ(中盤)
翌日の昼過ぎ、魔王城二階の食堂もとい会議室にて――
「それでは、文化人や演者として招いた皆さんには、まず挨拶をお願い出来ますでしょうか」
セロがそう告げると、まずはテーブルの手前に座っていた者から立ち上がった。
「麻呂を呼ぶとはさすがにセロ殿はお目が高い。秘湯にまつわる芸術に関して麻呂の右に出る者はいないでおじゃるよ」
最初に挨拶をしたのは王国のヒトウスキー伯爵だ。
秘湯にまつわる芸術がいったい何なのか、セロには全く想像出来なかったが……そういったジャンルも王国にはきっとあるに違いない。
とりあえず、セロは「よろしくお願いします」と、素直に頭を下げた。
「では、次は私の番ですね。ヴァンディス侯爵家――いえ、失礼。今は王家となりましたが、幼少の頃より武芸ばかりやってきましたので、武の芸術に関しては一家言持っているつもりです。何卒、よろしくお願い申し上げます」
次に立ち上がったのは元女聖騎士、もとい現在は王女となったキャトル・ヴァンディスだ。
武の芸術というぐらいだから舞踊とか、せめて剣舞とかに詳しいのだと思いたいが……
セロとしては如何せん、ぶの字が違うような気がしてならなかった。何にせよ、セロはぺこりと肯いて、「よろしくね」と目配せした。
すると、がたっと音を立てて、とある人物が待ってましたとばかりに立ち上がった――
「ほほほ。全てはわしにお任せくだされ! 芸術とは神の領域。神とはセロ様。つまり、セロ様そのものが芸術なのですじゃ!」
そう言い切ったのは、巴術士ジージだ。
最早、宗教狂いの老害以外の何物でもなかったものの、何にしたって今年で御年百二十一歳――
王国出身の面子では一番芸術に造詣が深そうなので、呼ばなければかえって失礼に当たるし、本人が拗ねていじけるから仕方ない……
せめてセロとしては、王家の指南役時に取ったはずの杵柄に一縷の望みを託すしかなかった。
何にせよ、ジージの勢いに圧されて会議室が静まりかえったとあって、
「じゃあ、ええと、次に――」
と、セロが言いかけたとき、意外な者が立ち上がった。
その者はどこか自信なさげに頬をぽりぽりと掻きながら挨拶を始める。
「いやあ、給金《バイト代》が出るから来てはみたけどよ。オレは……そこのキャトル以上に闘ってばかりだったから、芸術なんてろくに知らんぜ。まっ、お呼ばれされた以上は頑張るけどさ」
そんなふうに挨拶したのは、モンクのパーンチだった。
セロも果たしてなぜパーンチがこの場に招かれたのか、やや眉をひそめたものの……
どうやら前衛芸術とやらで体を張ったものにはパーンチがいるだろうということで、いわば必要な犠牲のようだ。
最後に、そんな文化人とは程遠い面子に向けて、「はああ」というため息混じりでもって、
「ていうか、芸術や文化をいったい何だと思っているのよ。あんたたち、実のところ素養の欠片もないんじゃない?」
そんなふうに罵ったのは――泥竜ピュトンだった。
芸術全般にあまり関心を寄せない魔族の中でも、長い間、王国に潜伏してきたとあって、実のところ、セロとしては一番頼りにしている人物だ。何せ、直近まで宰相を務めていたほどだ。
社交界でも教養深いところをそつなく見せて、またその実家にも古今東西の物語を収めた図書室があるだけでなく、今も様々な芸術作品が所狭しと飾ってあるとのこと――
まさに今、セロにとって一番必要な人材と言えるだろう。
以上、急拵えではあったものの、ヒトウスキー伯爵や王女キャトルなどはたまたま温泉宿泊施設に滞在していたので、今回、セロの呼び掛けに応じてくれた次第だ。
セロは改めて皆に「よろしくお願いします」と頭を下げてみせた。
すると、人狼の執事アジーンが会議室に入って来る――
「それでは準備が出来ましたので、皆様、まずは絵画からということで貴賓室にお越しくださいませ」
アジーンが先導して同じ二階の貴賓室に向かうと、そこには様々な絵画が展示されていた。
「こ、これは……」
もっとも、セロは呆気に取られた。
というのも、全てがセロの人物画だったからだ。何なら裸婦画もとい裸セロ画まである始末だ……
「ほほほ。これらは全部、わしのコレクションですじゃ。先ほども申し上げました通り、芸術のモチーフとは古今東西、神そのもの。そして、神とはセロ様。そういう意味では、わしからすれば、ここに飾ってある聖画よりも、現在も目の前に顕現なさっているセロ様ご自身こそ、あまりに眩い芸術なのですじゃ」
巴術士ジージはそう言い切って、唐突に「よよよ」と泣き崩れた。
……
…………
……………………
セロは白目になりかけた。
宗教狂いとは聞いていたが、さすがに度が過ぎるのではなかろうか。
少なくとも、モタの師匠をやっていたときには、魔術師協会の重鎮としてもっとまともだった気がする。
というか、そもそも裸セロ画はやりすぎだ。その中には敬虔な信徒をベッドに誘っている構図まであって、さすがにセロもげんなりした。
そんなジージを見かねたのか、長年の好敵手だった泥竜ピュトンがセロに耳打ちする。
「ねえ、いったいあのジージに何があったのよ?」
「いや、そう言われても……」
「私が地下に拘束されている間に、完全に耄碌しちゃっているじゃない。いやあねえ、さすがに年なのかしら。あーなっちゃあ、人族もお終いよね」
「でも、モタの話だと、ここ最近は若返って、あと百年は余裕で生きるはずだと断言していたんですが……」
セロはそう呟いて、泥竜ピュトンと一緒になって「うーん」と困り顔をするしかなかった。
そのピュトンはというと、幾つかのセロの絵をちらちらと見てから、「まあ、別にいいんじゃないかしら」と言い出した。セロが「別に……とは?」と尋ねると――
「絵画に限らず芸術の価値なんて、その時々の為政者の気分次第ってことよ」
「それは……どういう意味ですか?」
「つい先日まで一銭にもならなかった絵が、王侯貴族の目に留まって評価を上げるなんてことがざらにあるってこと」
「なるほど」
「もちろん、そんな印象操作を利用して、資産価値をわざと上げることだって出来るわ。私も散々利用してきたしね。今度の王国の生誕祭での展示会だって、貴族や商人たちが鵜の目鷹の目であんたの言質を取ろうと躍起になるでしょうね」
泥竜ピュトンの言葉に、セロは「うへえ」と顔をしかめた。
「それが嫌なら、知識をつけることね」
「知識……ですか?」
「そうよ。セロは絵描きになるつもりなんてないのでしょう? だったら、美術品鑑賞に必要なのは審美眼ではないわ。むしろ知識よ。結局のところ、美のフォーク評価や解釈なんて、知識によるマウント合戦でしかないのだから」
泥竜ピュトンはどこか達観した顔つきでそう言って、「さあ、次に行きましょう」と、貴賓室から出ていった。
セロも慌てて付いていくと、先導役の執事のアジーンは大階段を下りて、魔王城の前庭に案内した。そこにはすでに幾つか彫刻などが並べられていた。
「ふふ。これぞ、麻呂のコレクションでおじゃる。説明は不要じゃろうて。ただ美しいだけでなく、実用にも優れたものでおじゃるよ」
ヒトウスキー伯爵はそう言って、突然、褌一丁になった。
そこには大小様々な秘湯芸術なるモノが並べられていた。大陸中から集められたコップ一杯の秘湯の煌めき、または利き酒ならぬ利き湯――
さらにはお湯の出し口、淵の岩や獅子落としに加えて、桶、手拭い、褌や衝立などもあって、岩肌には風景画まで飾られている。
……
…………
……………………
セロは遠い目になった。
芸術というにはあまりにもニッチに過ぎる分野だ。もちろん、目を見張るものも幾つかあるものの、さすがに王国でも規範にはなり得ないだろう……
ところが、意外なことに泥竜ピュトンは「へえ。面白いわね」と言い出した。
「ええと……どういうことですか?」
セロがそう尋ねるも、ピュトンは模様が刻まれた小岩に囲まれた足湯に浸かってから答えた。
「さっきも言ったはずでしょう。芸術品の評価なんてその時々の為政者次第だって」
「でも、ヒトウスキー卿には申し訳ありませんが……僕にはこれらの価値がいまいちよく分からないのですが?」
「分かる必要なんてないのよ」
泥竜ピュトンがそう言い切ったので、セロはつい首を傾げた。
すると、ピュトンはやれやれと肩をすくめてからセロにアドバイスしてくれた。
「第六魔王国は温泉立国としてこれからやっていくつもりなんでしょ? だったら、それにまつわる代物の価値を高めていくのも戦略の一つということよ。いいんじゃない? 温泉芸術――下手な宗教画や貴族的な様式美なんかよりも私は好きよ」
セロは思わず、ぽんと手を叩いた。
今回の文化人たちの講釈で芸術に関する基礎や素養はいまいち身につかなかったが……その一方で、ちょっとした知識は得ることが出来た。それだけでもセロにとっては価値のあるものだ。
そんなセロの感嘆の最中、女騎士もとい王女キャトルが進み出てきた。
「さて、次は文化人ではなく、演者部門ですね。セロ様、どうぞこちらにお越しください」
どうやら、ついに芸術が爆発するときが来たようだった。