200 夢魔リリンと死神レトゥス(序盤)
時間はほんの少し前に遡る――
母たる真祖カミラとその宿敵こと愚者ロキとの戦いを浮遊城一階温室の扉付近でじっと見つめながら、夢魔のリリンは万が一にもロキが逃げ出さないようにと、人狼メイドや吸血鬼たちと一緒になってバリケードを作っていた。
「まさか……ロキがここまでやるとは……」
それはリリンの偽らざる心象だった。
カミラは紛う方なく強い。リリンが逆立ちしても敵わないとみていた長女のルーシーと比しても、全ての能力において数段上なのがカミラだ。
第六魔王国には一芸に秀でた強者が数多く在籍しているが、総合力勝負ということならば、武芸、魔術や法術だけでなく、戦術眼も備えた高潔の元勇者ノーブルがすぐに挙げられるだろう。そんなノーブルをもってしても、どうやらカミラは超えられないらしく、以前――
「勇者を同じく出自にするとはいえ、あちらは私よりも千年ほども先輩だ。さすがにそれだけの時間をかけて溜め込んだ戦闘経験値には早々に追いつけんよ」
と語って、やれやれと肩をすくめてみせたことがあった。
現第六魔王の愚者セロと、前王の真祖カミラ――果たしてどちらが強いのかと問われたら、二人をよく知るルーシーでさえも首を傾げるほどで、そんなカミラと拮抗しているロキはさすが愚者と言うべきか、冥王ハデスの懐刀と捉えるべきか、何にしてもリリンは内心忸怩たる思いに駆られていた。
「今、私に出来ることは何もないのか……」
そのときだ。
懐に入れていたモノリスの試作機が振動した。着信があったのだ。相手はなぜか――人造人間エメスからだった。
「はい、リリンです」
「今、どちらにいますか?」
「浮遊城内です。一階の温室で母上様と愚者ロキとの戦いの邪魔にならないようにと、入口でバリケードを作ったところです」
「おや、想定外ですね。カミラはまだロキを倒していませんか?」
「存外に手強い相手です。そういえば、エメス様こそルシファーを倒したのですか?」
「もちろんです。雑魚でした。終了」
リリンは「おお」と呻った。
双星というぐらいだから、ルシファーも、ロキも、同等の力を持っているに違いない。それを余裕でいなしたわけだから、さすがは古の魔王級だ。
もっとも、その実態はと言えば、虎の子の強襲機動決戦兵器まで引っ張り出して強引に倒したわけだが……当然、エメスはそんな事実をおくびにも出さなかった。
「いやはや、カミラが動けないとなると、少しばかり困ったことになりましたね」
「いったい、どうしたのですか?」
「第四魔王こと死神レトゥスが裏切りました。終了」
「…………」
数瞬、リリンは押し黙った。
とはいえ、外交官を務めているリリンからしても、冥界からやって来ていた客人二人――第二魔王こと蠅王ベルゼブブと同様に、死神レトゥスもろくに信用はしていなかった。
特に、愚者ロキが浮遊城に潜入して暗躍し始めた時点で、この二人は冥王ハデスの息がいまだにかかっているとみなして、今回の総力戦の作戦立案をした。
ただ、エメスから報告を聞くに、どうやらベルゼブブはハデスに反旗を翻したらしく、モタと共につい先ほど地獄を制圧したばかりらしい……
……なぜ、モタと? 地獄に?
とは、リリンも疑問に感じたが、それよりもエメスの次の報告にリリンは言葉を失った。
「現在、死神レトゥスは『天峰』に移動して、つわりで動けなくなったルーシーのもとに現れました。ファフニールも、ラハブも、ろくに戦えない状況です。終了」
まず、つわりで動けないというのが全くもって意味不明だった。
次いで、ファフニールも、ラハブも、戦えないとはいったいどういう事態だと、リリンは眉間に深く皺を寄せた。
そんなリリンの疑念を無視して、エメスはさらに淡々と告げる。
「カミラが無理だとすると、次善はノーブルに行ってもらうべきなのですが……強襲機動特装艦はまだヒュスタトン高原上空にいて、『天峰』までは距離があります」
なぜエメスはカミラやノーブルをそれほどまでに推すのか――
リリンはいまいち事情が分からずに、さらに眉間の皺が深まるばかりだったわけだが、何にしてもエメスがわざわざリリンに連絡を取ってきた理由だけはここにきてやっと分かった。
「それでは、私が赴きましょう。教皇と第一聖女アネストを救出して以降、セロ様とお姉様を軌道エレベーターへと送る為に浮遊城は『天峰』に接近しました。つまり、現地に最も近い場所にいるのが私という認識でよろしいのですね?」
「その通りです。理解が早くて助かります」
「ただ、私には空を飛ぶ手段がありません」
「それならば、バーニア付きのリュックがあります。司令室で操縦の指揮を執っているダークエルフの精鋭に確認してください。さらにバンジージャンプを改良したロケット推進バージョンが勝手口に設えてありますので、それを利用するといいでしょう」
「い、いつの間に……そんな施設が?」
「近衛長エークの趣味です。より強度の高い拷問が欲しいということで、強襲機動決戦兵器の合体実験の片手間でこしらえました。終了」
果たして、片手間でこしらえたものをぶっつけ本番で使って大丈夫なのか?
とは、さすがにリリンも言い出せなかった。事態は一刻を争うのだ。そもそも、この総力戦で何もしていないのはリリンだけだった。
より正確には、外交官として作戦立案を主に担ってきたわけだが、それでも戦って死ぬことこそ誉れと教え込まれてきたリリンからすれば、やはり物足りないのはたしかだ。
だから、リリンはモノリスの試作機を握る手にギュっと力をこめると、
「承知しました。すぐにお姉様を救出しに向かいます」
「お願いします。それと……ドゥのペットのいぬたろうも連れて行ってください」
「いぬたろう、ですか?」
「はい。カミラもノーブルもいないので仕方がありません。最悪の場合、ある人物を利用します。その手配は小生の方で進めておきましょう。終了」
エメスにそこまで言われて、リリンもやっとピンときた。
なるほど。死神とはそういう手合いか。だとすると、リリンに出来るのは時間稼ぎ程度かもしれない。
「それでもいい。第六魔王国に戻ってきて得た、私の新たな力――今こそ見せつけるときだ」
こうして、リリンは城内でマンドレイクと戯れていたいぬたろうを捕まえると、脇に抱えて飛び出していったのだった。




