190 史上最低の戦い(後半)
というわけで、史上最低の戦いの真骨頂といきます。
「ふん。まさかと思うが、俺様を舐めていたのか? 大陸の覇権を取ったとはいえ、所詮は新興国。幾らか突出した配下はいたようだが、中堅どころはせいぜい、この程度ってこったな」
悪魔のベリアルは第六魔王国の玉座にふんぞり返りながら、「はあ、つまらねえ」とため息を漏らした。
もっとも、倒れ伏してはいたが、近衛長エークにはとうにお見通しだった――
幾度か玉座に繋がる小階段を転げて、すぐ真下の踊り場から見上げたからこそ看破出来た。ベリアルは独りきりで戦っていたわけじゃない。
同僚の悪魔の傀儡士ことネビロスからしっかりと支援されていたのだ。
高潔の元勇者ノーブルの報告では以前、傀儡の糸はもやのようなものに隠されて、操り人形のように宙から吊るしていたそうだが、どうやら今回はその限りではなかったようだ。
糸は背後から――より正確に言えば玉座に隠されるようにして這い上がってきていた。
さながら腹話術の人形のように。上からではなく、下からベリアルを支えて、能力向上をかけて動かしていたのだ。
「ベリアルよ。よくもまあ好き勝手言ってくれたものだ。そんな私たち中堅どころに、そちらは二人がかりで攻撃しなくては倒せないのだから……冥界の中心にあるとかいう第一魔王国こと地獄も、どうやら大した場所ではなさそうだな」
だからこそ、エークは踊り場に這いずりながらも強がってみせた。
「何だと?」
「さっきからおかしいと思っていたのだ。どうして貴様はその玉座から動かないのか、と」
「はん! お前ら程度なら動かなくても十分だからだよ!」
「違うな。貴様はずっと操られて強化されていた。どういう仕組みかは知らんが、どうやら魔力で織られた傀儡の糸というのは縦横無尽のようだな」
エークがそう指摘すると、ベリアルは苦虫でも噛み潰したかのような表情になった。
「ちっ! バレたか。まあいいさ。どのみち、お前らじゃあ俺たちには敵わない。その事実は変わらねえぜ」
「いいや、変わってくるさ。十分な」
「いまだに床に這いつくばっている有り様なのに、いったい何が十分だってんだ?」
「これにて貴様の底が知れたという意味さ。今度はこちらの底に付き合ってもらうまでだ」
「はあ? 底だと?」
「そうさ。いわゆる沼だよ。まあ、せいぜい最期まで足掻いてくれ」
エークはそう言うと、片膝に手をやりながらよろよろと何とか立ち上がった。
傍からすると、強がりにしか見えなかった。セロの自動スキル『救い手』をもってしても、その体は最早、これ以上の戦いに耐えられるだけの強度を持ち合わせていない。
だが、エークはにやりと不敵に笑ってみせた。
「セロ様の治世で……まさかこの力を解放することになるとはな」
そうこぼすと、エークは身に纏っていた貫頭衣の上半身を肌蹴た。そこには――第二聖女クリーンも真っ青な見事な亀甲縛りがあった……
……
…………
……………………
当然のことながら、しばし沈黙が流れた。
ベリアルはエークの真なる姿をまじまじと目にして、思わず「ごくり」と唾を飲み込んだ。
ひどく嫌な予感がしたせいだ。緊縛された姿が直視に堪えられないほどに変態的に過ぎたからではない。その戒め自体があまりに異質だったのだ。
「まさか……それは能力を制限する『呪重禁戒』か?」
さすがにベリアルは長く生きる悪魔だけあって、知識はあるようだ。
もっとも、ベリアルの問いかけに対して、エークは無言のまま縄を短剣で切った。刹那、その身から禍々しいほどの魔力が解き放たれる。
「ちい! やっぱそうか!」
「さあ、いくぞ。これからは第六魔王国の近衛長としてではなく、ダークエルフの族長――いや『復讐者』として貴様と対峙させてもらう」
さらに言うと、エークの職業は狩人ではなかった。
そもそも、ダークエルフを束ねるほどの人物が中級職の狩人に留まっているのはいかにもおかしい。
上級職の狙撃手になるか、もしくはエルフのトゥレスのように斥候系のスキルなどを伸ばす為に暗殺者など、他の職に就くべきだろう。
それでもエークは自らを狩人だと偽ってきた。理由は単純だ――これまでダークエルフの族長は代々、復讐者になってきた。犬猿の仲であるエルフに文字通り復讐する為だ。
とはいえ、セロの治世になって、エルフとダークエルフは歴史的な和解を遂げた。実際に、これからは古代エルフこと正当なる王族のヌフのもと、共に歩み合っていくと誓ったばかりだ。
そういう意味では、エークの後の族長になる者は復讐者を継ぐ必要がなくなったし、エーク自身もこの上級職のスキルを他者に見せる気などさらさらなかった……
「なるほどな。『呪重禁戒』までして、復讐者であることを隠していたってわけか?」
「そうだ。残念ながら、私はそこに倒れている人狼とは違って、趣味と実益をきちんと分けていてね。これまで貴様に散々やられ続けたのも、そこに益があったからだ。獣如きと一緒にしてくれては困る」
「意味が分からねえよ。やられることに何の益があるってんだ? ただ、お前らが弱いから凹々にされていたってだけだろうが!」
「なあに簡単な話だよ。復讐者にはこれまで受けたダメージを反転して、貴様たちに返すことが出来る特殊なスキルがある」
「何……だと?」
「博識な貴様でも知らなかったか? では、早速、その身に試してみるか?」
エークはそう言って、己の心臓のあたりを掴んでみせた。
そのとたん、ベリアル――だけでなく、宝物庫でまったりしていた傀儡士のネビロスまでもがその場に崩れた。
「……ぐうっ!」
「……きゃあ!」
「さて、沼はまだまだ深いぞ。このスキルは貴様から受けたダメージだけでなく、これまでこの肉体に刻み込まれてきたものも返すことが出来る。その意味が理解出来るか?」
「ま、まさか……」
エークはさらに左胸から血が溢れるほどに強く締め付けた。同時に、ベリアルもネビロスも地を這いつくばった。
さらにエークは恨み辛みとばかりに呪詛をこぽす――
「あれはつい先日のことだった。近衛長なのだからすぐそばで仕えているセロ様の個人情報をもっと収集して来いと、エメス様から不条理に叱責された。これは……そのすぐ後に折檻された分だ!」
「ぐぼおおおっ!」
「何ならセロ様のお古となった肌着などをこっそり持って来いと、エメス様に脅迫されて折檻された分!」
「ほげえええっ!」
「そして、セロ様の入浴したての赤湯こってりを汲んで来いと、エメス様に真顔で折檻された分!」
「あべしっ!」
いわゆる呪詛返し的なものでダメージを受けているのか、はたまた聞きしに勝る第六魔王国の実態のあまりのひどさに呻いているのか……
何にしても、ベリアルとネビロスは転げ回った。
もっとも、さすがは地獄長サタンの懐刀と言われただけあって、二人とも中々にしぶとかった。
「ふん。足りねえな……その程度の沼じゃあ……俺たちはまだ溺れねえよ!」
「そうなのです。呪詛返しというのなら……それこそわたしの領域なのです。今度は……こちらの番ですよ。死ね!」
「ああ、もちろん分かっているさ。私は所詮、中・後衛職だからな。たとえ復讐者とはいっても、火力が足りていないことくらい自覚している」
その瞬間、エークは弓を構えた。
久しぶりの物理的な攻撃かと、ベリアルたちが警戒すると、その矢じりはどういう訳か、あらぬ方向に飛んでいった。
が。
パンっ、と。
玉座の真上で弾けると、まるで満月のように煌々と室内を照らした――照明弾だ。
「さあ、貴様の番だ。これでまともに戦えるだろう?」
エークが振り返ると、そこには巨狼に変じたアジーンがいた。
もちろん、アジーンにはエークのようなカウンター系の強力なスキルは持ち合わせていない。だが、エークの復讐者を見て、何かに目覚めたのか――
「ならば手前からも言わせてもらおう。同じくつい先日のことだ。モタが何かの拍子でやらかして、魔王城の地下階層を放屁のガスでいっぱいにしたのだ。それが回りまわって城内管理の不行き届きで執事のせいだと……これはそのときにエメス様に折檻された分!」
「うぐあああっ!」
「それにモタが飛行実験に失敗して、その石頭で強襲起動特装艦に傷を付けたとして、なぜか一緒に働いている大将の監督不行き届きだと、エメス様に折檻された分!」
「ひぎいいいっ!」
「そして、なぜかモタと仲睦まじく子供をもうけたとセロ様に勘違いさせてしまったと、あまりに意味不明な叱責まで受けて、エメス様に折檻された分!」
「げろんぱ!」
さすがに巨狼となったアジーンの攻撃は強力無比だったのか、ベリアルはついに大量の血反吐と共に、
「モタって誰だよ……こんちくしょう」
と、しごく当然の疑問を口にしながら玉座からさらに崩れ落ちていった。
同時に、傀儡の糸はどうやらアジーンの攻撃をそのままネビロスにも伝えたようで、金銀財宝の雪崩に巻き込まれるかのようにして、
「第六魔王国って……もしかして死ぬほどおかしい? わたし……死ぬ?」
と、これまたしごく当然の普遍的事実を口にして倒れていった。
こうして遥か彼方でエメスとモタが「はくしょん」と、くしゃみを繰り返したときには、第六魔王国史上最低の戦いと謳われた、玉座の間における決戦の幕が閉じたのだった。