189 史上最低の戦い(前半)
お待たせしました。拙作史上、最低の戦いの開幕です。
第三魔王国の『天峰』にてルーシーと海竜ラハブとの戦いの決着がついて、さらにもうひと騒ぎしていた頃……
浮遊城の玉座の間に併設されている宝物庫では、傀儡士の悪魔ことネビロスが――この場合、本体である小さな西洋人形の方だが――金銀財宝の大海の中を文字通りにすいすいと泳いでいた。
「すごいのです。ざっくざっくなのです。皆、死ねばいいのです」
どうやら相当にご機嫌のようだ。
もちろん、それらの宝物がネビロスのものになったわけでは決してないのだが、第七魔王の不死王ことリッチにしても、この傀儡士のネビロスにしても、どうやら転移や召喚系を得意とする者は大量の金銀財宝を触媒にするらしく、
「そう。全員死ねば……これはぜーんぶ……私のものなのです。死ぬ死ぬ死ぬのです!」
と、他国の宝物庫にもかかわらず、いかにも自分のものにしようと舌舐めずりしている始末だ。
もっとも、それら金銀財宝にしても、もとはリッチの墳丘墓から持ち込まれたものばかりなので、触媒にはもってこいの貴重な鉱物などが多くを占めている。
そんな事情もあったので、この場で傀儡士ネビロスを相手にするには、相当に厄介なことになるだろうと予想されたわけだが、そんなネビロスと相棒たる悪魔のベリアルに対峙していたはずの近衛長エークと人狼の執事アジーンはというと――
まさに、ドンっ、と。
そんな擬音が玉座の間に浮かび上がったかの如く、地べたにひれ伏すようにして二人とも倒れていた。
「ふん。まさかと思うが、俺様を舐めていたのか?」
玉座にいまだにふんぞり返りながら、ベリアルは「ちっ」と舌打ちをした。
「大陸の覇権を取ったとはいえ、所詮は新興国。幾らか突出した配下はいたようだが、中堅どころはせいぜい、この程度ってこったな。はあ、つまらねえ」
ベリアルはそう言って、エークとアジーンを見下したのだった。
時間は少し前に遡る――
玉座に悠々と背をもたらせている悪魔ベリアルに対して、近衛長エークは弓を構えつつも、三つの懸念材料を抱えていた。
「ネビロスは……ここにきてもまだ動かないのか?」
現状、前衛に人狼の執事アジーンがいて、座っているネビロスに向けて爪で近接格闘しつつ、その後衛としてエークは戦況をしばし見守っていた。
もちろん、傀儡士ネビロスの動向を気にしていたわけだが、当のネビロスはというと宝物庫から全く出てこなかった。いわば、エークたちは簡単にベリアルに対して数的優位を作れる状況だったのだ。
もっとも、高潔の元勇者ノーブルからネビロスは搦め手が得意だという報告をもらっていたので、気づかないうちにエークたちがスキル『傀儡』で操られないようにと、狩人の斥候系スキルでもってずいぶんと注視してきたのだが……
「事ここに至って、戦う素振りすら見せていない」
我慢強いエークですら、もう追跡するのは止めようかと思うぐらいには、ネビロスはこちらの戦いに無関心を貫いていた。
とはいえ、それは懸念とはいっても、反転して好材料となっているわけだから、さほどに思い悩むことでもなかった。
むしろ、もう一つの懸念材料としてよほど問題だったのは――
「はたして、アジーンがまともに戦えるのかどうかということだ」
エークはそう呟いて、前衛で格闘しているアジーンの背に視線をやった。
ちなみに、エークとアジーンがさしで戦ったなら、十中八九、アジーンが勝利する。これは前衛型、中・後衛型という戦闘スタイルに関係なく、単純にアジーンの方が実力で上回るからだ。
実際に、力、体力、素早さなどの身体能力のほぼ全てでエークはアジーンに劣る。
逆に唯一、器用さと、それに加えてあまり得意ではない魔術でアジーンを上回るわけだが……そもそも不死性を持った魔族としてエークの倍以上の年月を過ごしてきたアジーンは相当な戦闘経験値を有している。
そういう意味では、エークとアジーンの間には越えられない壁があると言ってもいいほどで、さすがは真祖カミラ時代から執事として仕えているだけはある、歴とした実力者なのだ。
それでも、ルーシー、人造人間エメス、高潔の元勇者ノーブルやドルイドのヌフのように古の魔王級として並び称されないのは――
「人狼は室内にいては、月の満ち欠けの影響を受けることが出来ない」
と、エークが断じたように、この玉座の間は浮遊城の最奥にある。つまり、月明りが微塵も入り込まない場所なのだ。
人狼が月の満ち欠けによって、体内の魔力が増減して、満月の際に巨狼になるということは以前にも説明済みだが――この室内では一切のバフもデバフも受けつけないことになる。
さらに、エークの最後の懸念がついに真実味を帯び始める。
というのも、いまだ座ったままのベリアルに対して、アジーンは防戦一方になってきたのだ。
「ちい! さすがは第一魔王こと地獄長の懐刀といったところか」
「ふん。真祖カミラの執事が聞いてあきれる。その程度のものなのか?」
「しゃらくさい! ならば、手前に傷の一つでもつけてみせよ」
「いいだろう。望み通りにしてやるさ」
そう言って、ベリアルは両刃鎌を取り出すと、それを櫓でも漕ぐように宙で8の字に回転させて、
「ぐあっ!」
アジーンの肉体に罰点を描くように傷つけてみせた。
同時に、アジーンは吹っ飛ばされて、玉座の前の小階段を転がり落ちていく。
もっとも、セロの自動スキルこと『救い手』を受けているので、致命傷にはなっていないし魔核も無事だ。
が。
エークは狩人の耳で聞いてしまったのだ。
「ふ……ふふ。これはなかなかのご褒美だな」
という、アジーンの囁きを……
さらには肉体の傷をさすりながら、にやりと笑みを浮かべる様を……
そう。ここにきてエークの懸念は全て当たってしまった。結局のところ、アジーンはやられたいだけなのだ。
いや、より正確に言えば、凹々にやられるのがアジーンの盾役としての戦闘スタイルだ。
事実、勇者パーティーとして攻めてきたモンクのパーンチとの一戦においても、アジーンはギリギリまでやられていたという話をエークは小耳に挟んだことがあった。
もちろん、エークとて同好の士なので、アジーンの気持ちは痛いほどによく分かった。だが、そうはいってもエークは趣味と実益をきちんと分けて考えられるだけの分別をきちんと持っている。
逆に言うと、アジーンはそれこそあれにおいて本物の紳士なのだ。
いわば、エークと違って、不死性を持つからこそ、その領域に踏み込むことが出来た、あれなる性癖の頂点に立つ男――その点においてだけは古の魔王級と言ってもいい。
そんなアジーンがいかにもわざとらしく、
「う、ぐああっ!」
と、呻き声を上げながら、再度、ベリアルの攻撃を受けて、また小階段を転げ落ちた。
どうやら階段を落ちた痛みまでがセットのようで、踊り場にて横たわると、どこか安らかな顔つきまで作ってみせる。
もっとも、さすがにベリアルも百戦錬磨の悪魔だけあって、
「何か……おかしーな」
そう呟いて、眉をひそめながらも、それでも手強いはずの人狼を難なく退けたことに一応は満足していた。
こうなっては堪らないのはエークである。本来なら中・後衛職で、前衛を支援をしながら遠距離でちくちくと攻撃するスタイルなのに、無理やり前に出て行かざるを得ない状況になったわけだ。
とはいえ、エークもやはりあれな性癖を隠し切れなかったのか、
うあっ!
……
ぐ、おおお!
…………
ぎ、やあああああ!
……………………
と、いかにも絶望的かつ悲壮な叫び……もとい、嬌声かつ愉悦の吐息を室内いっぱいに散らかした。
「何なんだろうな……この二人……ちょっとばかしおかしーんだよなあ」
当然、ベリアルは顔をしかめたわけだが……
エークもアジーン同様に、小階段の踊り場にどさりと見事に倒れ込んだ。
こうして第六魔王国が誇る近衛長と執事の二人はというと、ベリアルの前に手も足も出ずにやられたのだった。