186 吸血鬼ルーシーと海竜ラハブ(序盤)
第六魔王国最強の女性の座をかけて、二人の戦いが始まる前に、ルーシーはいったん送り出していたセロのもとに急いで駆けつけると、
「セロよ。ちょっと待ってくれるか」
「どうしたのさ、ルーシー?」
「うむ。気をつけて。いってらっしゃい」
「はい。いってきます。でも、まあ、すぐに戻ってくるよ」
二人はそう声をかけ合って、しばらくの間、じっと見つめ合った。
「本当に気をつけるんだぞ。セロは時折、魔族として常識に欠けるところがあるからな」
「仕方ないじゃないか。魔族になってまだ半年なんだし。そりゃあルーシーからすればまだひよっ子みたいなものだよ」
「だが、そんなひよっ子が今では大陸の覇者だ」
「『神の座』とかに着けとまで言われているしね」
「だからこそ、十分に気を張って、冥王ハデスにいらぬ言質を取られぬようにしなくてはいけないぞ」
「そういう舌戦は得意じゃないんだよなあ……やっぱりルーシーには隣にいてほしいよ」
「なあに、妾もラハブなぞすぐに打ちのめして、追いかけるから安心するがいい」
「ふふ。じゃあ、むしろ競争かもね。僕が冥王ハデスや人工知能『深淵』とケリをつけるのが先か、あるいはルーシーが駆けつけて来てくれるのが先か」
「そんなの、妾の方が早いに決まっているではないか」
「何にしても、ルーシーも一人きりじゃないんだ。その体には大事な僕たちの子供もいるんだからね」
「分かっているさ。だが、かえって子供からも力を得られるというものだ。二人力というやつだな」
「ルーシーこそ、気をつけて。じゃあ、本当にいってくるよ」
「ああ……そうだ。セロよ。ちょっと待ってくれるか」
「ん? どうしたのさ、ルーシー?」
というところで、さすがに海竜ラハブもしびれを切らしたのか、「もしもーし」と、ルーシーに声をかけてきた。
「さっきからそこで延々と夫婦漫才みたいに、いってきます、いってらっしゃい――を繰り返している新婚ほやほやのお二人さーん?」
そこまで言うと、ラハブは恒例となった地団太をまた踏み出した。
「いいから、セロ様は早く行ってください! あと、ルーシーはいちいち引き留めるな! 今生の別れじゃあるまいし、終わらないったらありゃしない!」
ラハブもセロのもとに駆けていくと、その背中をぐいぐいと押し出して、さっさと軌道エレベーターの中に放り込んだ。そのとたん、斜めに傾いた塔が輝きだして、その光が螺旋状に天へと昇っていく――
つまり、これにてセロが一人で天界へと向かったわけだ。
天界を代表する『深淵』、冥界を代表する冥王ハデス、それに加えて大陸を代表する第六魔王こと愚者セロの間で、果たしてどのような話し合いがもたれるか。真の意味での『万魔節』が開催されることになるわけだが――その前にルーシーにはやるべきことが出来た。
「さて、ラハブよ。今度こそ、覚悟するがいい」
そう淡々と言って、ルーシーは自らの両手首を爪で切りつけて、血の双剣を作り出した。
もっとも、肝心の相手のラハブはというと、どこかやれやれといったふうに呆れかえった表情をしていた。さっきまでのセロとの仲睦まじいやり取りがよほど感に堪えかねたのだろうか。
ルーシーがそう思って、しばし眉をひそめていると、
「なあ、ルーシー。貴様はそこまで腑抜けだったのか?」
「何だと?」
「いいか。よく聞け。貴様の腹の中にいるのは誰だ?」
「……子供だ」
「その通りだ。セロ様と貴様の第一子だ。男か、女かはまだ分からない。だが、かけがえのない第六魔王国の後継ぎだ。間違いないよな?」
「間違いなどあってたまるか」
「だったら尚更だ。今、貴様がセロ様と天界に行って、もし二人とも――いや、三人とも失われてしまったらどうするつもりだったのだ?」
「…………」
ルーシーは言葉が出なかった。
たしかにラハブの言う通りだ。ついセロの強さを過信して、大陸の覇者どころか、世界を統べる神にセロがなったような気分でいたが、相手は長らく偽神の座に着いていた『深淵』と、同じく長らく魔族の頂点に立っていた冥王ハデスだ。
話し合いになるのか、狐や狸も真っ青の化かし合いになるのか、はたまた歴史に残る壮絶な殴り合いになるのかは分からないが、今度ばかりはセロとて危ないかもしれない……
そう思うと、居ても立っても居られなれなくなった。ルーシーは軌道エレベーターに駆けつけようとするも、
「このあほんだらがあああ!」
その横面をラハブに思い切り殴られた。
「今の貴様の様を見ると、愛は盲目とはよく言ったものだな」
「…………」
「さっきまでの余の話を聞いていたのか? 貴様はむしろ天界に行ってはいけないのだ」
「堪えろと言うのか。愛した男がその頂きに手をかける瞬間を見ずに、ここで座して待てとでも言うつもりか?」
「そうだ。全くもってその通りだ。貴様の体は、最早貴様だけのものではないのだからな」
「くっ……」
「ついでに言うと、そもそもこれは余の発案じゃない」
「人造人間のエメスあたりに言い含められたか?」
「他にも、エーク、アジーンやノーブルに加えて、ドゥやディン、それに意外なところだと、モタや人族の妖怪爺さんからも懇願された」
「ジージか。まあ、あれはセロを神聖視しているからな。子供に対しても祀りそうな勢いだが……揃いも揃って世話を焼きすぎだ」
「何にせよ、奴らの総意と思え。第六魔王国はそれほど強大な国家になったのだ。地上世界だけでなく、地下世界にまで睨みを利かせられるほどにな」
「始まりは……セロと妾だけだったのだがな」
「もう違うのだと、いい加減に認識しろ。貴様には決して、この先には行かせない」
ラハブはそう言い切って、軌道エレベーターの前に立ち塞がった。
ルーシーはひりひりと痛む片頬をさすりつつも、「ふん」と鼻で息をついた。
「ところで、今、貴女は言ったな――奴らの《・・・》総意だと」
「ああ、たしかに言ったな」
「では、改めて聞こう。貴女自身の意見はどうなのだ?」
すると、ラハブも「ふん」と鼻で笑ってみせた。
「決まっている。そんなの知ったこっちゃない。むしろ、貴様をここで倒して、余こそ、セロ様が着く神の座とやらのすぐ隣に座ってみせる!」
「よくぞ言った、ラハブよ。それでこそ妾の好敵手だ」
「ここで勝った者が天に上る。セロ様のもとに行く。それでいいな、ルーシーよ」
「それこそ、こちらの台詞だ。負けた後で泣き言なぞ言うなよ?」
こうしてルーシーとラハブは激突したのだった。
あれれー? 前話からほとんど動いていないよー。
と、小さな名探偵ならずとも気づいてしまうわけですが、実は前話にまとめようか迷ったんですよね。ただ、前話はコメディ色が強かったので、あえて分けました。何にしても、この二人のバトルについては、次の後編できちんとけりがつきます。よろしくお願いいたします。