178 そこはトマト畑だ
「それならここで私に魔核を潰されてちょうだい?」
真祖カミラがそう言うと、セロは無言のまま、小さく笑みを浮かべた。
当然だろう。状況的には圧倒的にカミラに不利だ。セロはいまだに玉座に悠々と腰を下ろしていて、そのそばを固めるのは――第一妃のルーシー、近衛長エーク、執事のアジーンに外交官のリリンもいる。
もちろん、人造人間エメスも最下層の司令室で注視しているはずだし、何ならヒュスタトン会戦で反体制側を手助けした高潔の元勇者ノーブル、巴術士ジージやエルフの森林群に残っているドルイドのヌフたち幹部もすぐに駆けつけてくるはずだ。
他にも玉座の間にはダークエルフや吸血鬼の精鋭たちも警護している。たしかに真祖カミラは古の魔王級の力を有しているが、さすがにこれでは多勢に無勢だ。
こうして剣先をセロに突き付けていること自体が無謀に過ぎる。
そのことが分からないカミラではないはずだが……それでも、カミラは挑発的な視線をセロに向け続けた。魔王と元魔王同士なのだから、いかにもタイマンでけりをつけようといったふうだ。
だが、今度はセロが「ふう」と息をつくと、
「仕方ありません。誰か! 逆賊カミラを拘束せよ!」
そう力強く言った。
もっとも、カミラを逆賊と言い切ったことに対して、すぐ隣にいたルーシーはやや驚いたようだったが、すぐに「ふむん」と肯いてみせて、
「妾からも命じる。母上様はご乱心だ。至急、捕えて差し上げろ!」
すると、リリンが数歩だけ前に進み出て、セロとルーシーに追従した。
「母上様。どういう心情かは分かりかねますが……元第六魔王で私たちの母だとしても、その言動は許せません。私も、姉上も、今ではセロ様の臣民です。貴女の下には付けない」
とはいえ、一番動揺したのはどうやら人狼の執事アジーンのようだった。
「い、いや、ちょっとお待ちください!」
そう言って、急いでカミラの前に歩んで、拘束しようとする精鋭たちに対して立ち塞がると、
「これはきっと……何かの戯れのはずです。そうでしょう? カミラ様?」
「いいえ。戯れなどではないわ。今、ここで私は愚者セロを討伐します」
「理由をお聞かせください! 手前たち人狼はカミラ様に返し切れないほどの御恩があります。正統な理由があるなら、仰ってくだされば、セロ様に上奏して善処いたします!」
「あら、うれしいことを言ってくれるじゃない。でも、ダメよ。アジーン。今はセロの臣下なのでしょう? それなのに、私に味方してくれるなんて堂々と言っちゃ」
「ですが!」
「このままだと、貴方……反逆罪で最下層にぶちこまれてしまうわ」
カミラがそう言ったとたん、それもそれで悪くはないかなと、アジーンはやや思案顔になった。
その場にいた誰もがそんなアジーンの機微を見逃さなかった。性癖とはこれほどまでに人を歪めるものなのかと、皆は白々とするしかなかった。
ちなみに、もう一人――ぶちこまれたいと思ってしまった者がいた。
最早、説明する必要もないだろう。近衛長エークだ。もっとも、こちらはさすがに立場が邪魔をして、あるいはカミラとはそれほど深い付き合いではないこともあってか、さすがにセロのそばを離れなかった。
ただ、アジーンのことを羨望の眼差しで見つめていたことに、その場にいた誰もが気づいた。もしかしたら、第六魔王国はこのどうしようもない性癖のせいで、近い将来、崩壊するかもしれないと、結構本気で危惧する者も出てきたほどだ。
それはさておき、カミラのそばにはアジーンとリリンが来たわけだが、ここでついにルーシーが立ち上がった。
「皆よ、どけ。妾が成敗する」
「あら、ルーシー。貴女如きが勝てると思っているの」
「もちろん、そう考えています。そもそも、現時点でとうに詰みです」
「あら、嫌だ。それは王に対して使う言葉よ。私は今では女王でもないわ。そんなふうに浅はかな言葉を使うように教えたはずはないのだけれど」
「戯れと言うならば――それこそただの戯言ではないですか」
ルーシーはカミラの返答を切って捨てた。
そして、左手の爪で右手首を掻き切ると、血の多形術によって、魔剣を作った。その剣先をカミラのものと交わらせて、キンと音を鳴らす。それはまさしく決闘の合図だった。
が。
ルーシーはくるりと振り返ると、無防備な背中をカミラに晒した。
「ん? どうしたのさ、ルーシー?」
セロがそう問いかけるや否や、カミラはルーシーの背中に躊躇なく剣を突き刺した。
血飛沫が一気に上がって、玉座の間を悉く赤く染めた。しかも、カミラの剣先はルーシーの魔核を貫いていた。刹那、ルーシーは別れの言葉も残せずに、大量の血だけ残して消失した。
「……な、なに?」
セロは驚愕で真っ青になった。
考えられ得るのは、『魅了』によってルーシーを操ったということだ。ただ、カミラは古の時代の勇者の力をすでに持っていない。魔族に転じたことで、創世の理から外れてしまった。
今では、ルーシーやエメスよりも経験値の差でやや強いぐらいかとセロは踏んでいた。ノーブルのような剣技を持ち、ジージのように魔術や法術にも長け、さらにルーシー同様に吸血鬼としての特性も有している――
かなりオールラウンダーな実力者だが、それでもセロの『救い手』の支援を受けているルーシーに手こずるか、はたまた勝てないかのどちらかだとセロは考えていた。
だから、ルーシーが一瞬でやられたのはセロにとって意外だったし、そんな驚きを何とか隠しつつもカミラの力を推し量っていた間に、
「あら? 大切な同伴者が殺されたのに、怒りも、逆上もしないのかしら?」
カミラにそう指摘されて、セロは「はっ」となった。
たしかにその通りだ。これにはセロも口の端を歪めてみせたが、たとえルーシーがやられたとしても、セロの優位は揺るがなかった。このまま数で押し切って、カミラを捕らえることを優先すべきだ。
だから、セロが配下にそう命じようとしたときだ。
「失礼いたします」
と、ふいに玉座の間に断りもせずに入って来る者たちがいたのだ――それは人狼メイドたちだった。執事のアジーン同様に、カミラの下につくべく急いで駆けつけてきたのかと思いきや、
「そのう……カミラ様。この茶番はまだ終わらないのでしょうか?」
そんなことを言ってきた。
「あら、御免なさい。夕食の支度かしら?」
「はい。幾つか真祖トマトを取っていきたいのですが?」
「構わないわよ。じゃあ、こちらとしても、そろそろ種明かしといきましょうか」
カミラはそう言うと、セロにウィンクしてみせてからパチンと指を鳴らした。
すると、玉座の間とルーシーの血飛沫はもやと共に掻き消えて、周囲は一見するとどこにでもある温室となった。セロはその畝間に置いてあった椅子に座していたのだ。
「こ、ここは……いったい、どこだ!」
セロが三度、驚きの声を上げると、カミラはやれやれと肩をすくめてみせた。
「見れば分かるわ。トマト畑に決まっているじゃない」
「だから! ここがどこだと聞いている!」
「貴方……セロのつもりなのでしょう。化けていたのでしょう? この場所を知らないってどういうことよ」
「ということは、浮遊城の中か?」
「そうよ。正確に言えば、玉座の間のちょうど真下にある一階の温室ね。浮遊城で長らくどこかに移動したとしても、真祖トマトなど野菜が新鮮に取れるようにと、最近、作った施設だそうよ」
「謀ったのか?」
「むしろ、最初に謀ったのはそっちでしょう。ねえ?」
「…………」
「貴方って、もしかしてあのときよりもよほど賢くなくなったのかしら。まあ、愚者だものね。仕方がないことだわ」
カミラはそう言って、周囲にいるリリン、アジーンや精鋭たちに目配せした。
「セロに扮して、私たちを陥れて、第六魔王国も内部から潰していくつもりだったわけね。冥王ハデスってルシファーといい、貴方と言い、ろくな配下を持たないわよね。たかが知れているわ」
そして、カミラは再度、セロに成り代わっていた者に剣先を向けたのだった。
「さあ、今度こそ決着をつけましょう。魔王こと愚者ロキ――この世界に仇名す、混沌と動乱を愉しむ最悪の第ゼロ魔王よ!」
ロキがセロに入れ替わったタイミングとか、その回想とか、今セロとルーシーがどこにいるのかとか、エメスとか、ルシファーとか、もうちょっと細かくシチュエーションを入れたかったのですが、ここ最近はちょいと仕事で忙しかったこともあって、今話内にはきれいに入れられませんでした。若干、分かりづらいというか、もやもやする展開になってしまったかもしれません。何にせよ、次話以降に持ち越しです。