&91 外伝 尻に敷かれる(前半)
いかにも外伝らしい、ちょっとした閑話になります。
「なあ、セロよ。夫婦円満の秘訣って何だと思う?」
ここは温泉宿泊施設に隣接している魔性の酒場――その最奥にあるカウンターだ。
ホールの賑やかさとは一変して、ここにだけハードボイルド空間が出来上がってしまっているものだから、普段はヒトウスキー伯爵やシュペル・ヴァンディス侯爵などが居座って、ちびちびと酒を嗜んでいたのだが……
ヒュスタトン会戦が終わってからこっち、当然のことながら、新王となったシュペルの姿はここにない。
また、ヒトウスキー卿もどこかに秘湯探しに赴いたらしく、現在はセロとモンクのパーンチが並んで座っているだけである。
アルコールは筋肉の敵だ、と主張するパーンチにしては珍しい光景だ。それだけ酒と雰囲気に頼りつつ、セロに相談したいことがあったのだろう。
そのセロが円満の秘訣を聞かれて、いかにも「え?」といった表情を浮かべる。
「いやいや、だってさ。秘訣って言ったって……僕とルーシーは付き合ってまだ一年も経っていないんだよ?」
「そりゃあもちろん知っているさ。オレんとこだって、まだ半年ほどだ」
「そのわりに子沢山だけどね」
「しゃーない。全員、巨大蛸クラーケンの連れ子だったからな」
パーンチはそう言って、「はあ」とため息をついた。
その連れ子たちのほとんどはすでに北海に放流されて、今はパーンチの子供がクラーケンのお腹の中にいる。
今度もまた五千匹を優に超えるとあって、パーンチは冒険者だった頃よりもよほど仕事に勤しんでいる有り様だ。
今日だって人造人間エメスによる怪しい治験の夜勤をわざわざ断って来た。
そんなパーンチが酒の入ったグラスを片手にぶらぶらとふらつかせながら言った。
「最近、気づいたんだが……夫婦が上手くいく為には、やはり男であるオレの方から折れるしかないんだろうなってな」
「まあ、クラーケンも姉さん女房だもんね」
「セロのとこだってそうだろ?」
「仕方ないよ。だって、相手は不死性を持って僕たちよりも遥かに長く生きてきた種族なんだからさ」
実際のところ、ルーシーも、巨大蛸クラーケンも、年齢だけでなく、性格的にも姉さんなので男二人は尻に敷かれっぱなしだったわけだが……
何にせよ、セロはパーンチに話の先を促した。というか、こんなふうに互いの恋人や家庭について話せるときがくるとは思っていなかっただけに、セロにとってはとても新鮮だ。
すると、パーンチはぐいっと酒を呷って、「ぶはあ」と息を吐いてから言った。
「お前のとこは何も問題ないのか? ルーシーだって結構強気なもんだろ? 何だかんだで喧嘩することはないのか?」
「うん。今のところ、大きな喧嘩は一度もないよ。それにルーシーは、二人きりのときによく甘えてくるしね」
「マジかよ。いやあ……全く想像出来ねえなあ」
パーンチとしては温水プール近くの平原で吸血鬼たちをしごきまくっている、どこかのハートマン軍曹張りのルーシーの姿をよく見かけるだけに、これまた「はあ」と息をついた。そして、意を決したかのようについに本題を切り出す――
「実は、最近……クラーケンの束縛がひどいんだ」
「へえ。束縛かあ」
今度はセロが相槌を打って、酒の入ったグラスを呷った。
とはいえ、セロにはいまいちよく分からなかった。事実、ルーシーはセロをずいぶん自由にさせてくれている。
むしろ、姉さん気質ではあるものの、そこは割りきって、第六魔王たるセロをよく引き立てている。
もちろん、これは真祖カミラという反面教師の影響に違いない。子供の頃から帝王学とやらでがちがちに縛られてきたので、かえってルーシーはセロの好きなようにしてほしいと望んでいるらしい。
もしくは先に惚れた弱みと言ってもいいのかもしれないが……
何にせよ、セロはルーシーから「ああしろ」とか「こうしろ」とかと言われたことがほとんどない。
「なるほどな。良い嫁さんだな」
「うん。僕にはもったいないくらいだよ……ところで、そっちの束縛ってのは?」
「ああ、クラーケンの場合は、二人きりのときにいちゃついてくるというのとは……ちょっと違う気がするんだよな。何ていうか……拘束に近いんだ」
「どういう意味だい?」
「たとえば、吸盤ですいついてきたり、八本の足で巻き付いてきたり、何なら絞め殺そうとしてきたり――」
それは精神的な束縛ではなく、文字通りに物理的な拘束なのでは? というか、単なる十八禁な触手プレイなのでは?
と、セロもツッコミを入れたかったが……とにもかくにも話の先を促した。すると、パーンチはグラスをカウンターに置いて、ついに頭を抱えてしまった。
「おかげでよ。最近、オレもあれに目覚めちまいそうになっているんだ。なあ、セロよ。お前はそんなことはないか?」
セロは白々とした目つきになった……
またこんな流れかと思いつつも、セロは「まあまあ」とパーンチの肩をぽんぽんと叩いてあげる。
「だってよお。魔族のやつらってあれなのが多いだろ。根っからの戦闘種族だっていうし、やっぱり長いこと殴られたり、斬られたり、刺されたりしてると、オレもいつかはあれになっちまうのかなってさ」
パーンチは「よよよ」と嘆いた。
セロは「はあ」とため息をつくしかなかった。おそらくルーシーによる軍事訓練を見過ぎてしまったのだ。
温水プールのそばの平原で吸血鬼たちが凹々《ボコボコ》にしごかれつつも、「ルーシー様にもっとなじられたい」と恍惚とした表情を浮かべているといった話はセロも耳にしていた。
それにパーンチからすれば、人狼の執事アジーンの悪影響も大きいのだろう。よりにもよって好敵手たるアジーンが第六魔王国きってのあれなだけに、パーンチの魔族観はあれ方面に傾きがちのようだ。
というか、パーンチは魔族ではなく、人族なのだからあれになる必要もないはずなのだが……
「うーん」
セロは首を傾げた。
必要なのは助言か……はたまた法術による精神異常の治療か……
元聖職者ということもあって、駆け出し冒険者の頃からの付き合いであるパーンチの告解にセロは親身に答えたかった。
「てかよお。こうやってセロにさらけ出してる時点で、あれなプレイの一環なんじゃねえか?」
多少、酒が入っているのでパーンチもやや弱気になっているのかもしれない。
というか、もしかしたらパーンチは単純に泣き上戸なのでは? だから、これまで人前でお酒を飲まずにいたのでは?
はてさて、これはいったいどうやってパーンチを宥めてあげるべきかなと、セロもぐいっとまた酒を呷ったタイミングだった――
「おや、久しぶりに来てみたら……珍しい二人がカウンターにいるものですな」
そう言って現れたのは、何とまあ、王国の現王シュペル・ヴァンディスだったのだ。
この作品と二年以上付き合ってきて、最近やっと気づいたんですが……魔族の女性って全員、気が強いというか、主張が激しいですよね……