&90 外伝 港区女子(終盤)
高潔の元勇者ノーブルはドワーフのオッタやモンクのパーンチと別れて魔王城の地下通路に入ると、いったん司令室に立ち寄った。
というのも、懐に入れていたモノリスの試作機が鳴り出して、人造人間エメスから呼び出しを受けたのだ。
「いったい、何事だね?」
ノーブルが司令室に入ると、そこには意外なことにセロとルーシーがいた。
こんなに朝早いうちから二人が司令室にいるなど、とても珍しいことだ。
というか、こうやってノーブル、エメスやドルイドのヌフと、幹部揃い踏みということもあって……
「もしや……これはかなりの面倒事かな?」
と、ノーブルは「ふう」と小さく息をついて気持ちを落ち着かせた。
すると、まずルーシーが両頬を赤らめて、指先をつんつんとさせながらセロを片肘で突いた。
「こ、こういうことは……魔王たるセロから切り出すべきことだろう?」
「まあ、たしかにそうかもしれないけどさ。やっぱり、本人から直接言ってもらった方がいいんじゃないかな?」
「その本人が面と向かっては恥ずかしいからと、こんなことを朝から仕出かしているのだぞ」
「そうは言っても……それを了承したのはカミラとルーシーなんだし……」
「仕方なかろう。珍しく本人が真剣に相談しにきたのだ」
「まあ、今となっては僕の遠戚にも当たるわけだから、解決してあげるのにやぶさかではないんだけど……」
いかにもセロが煮え切らない顔つきで言ったものだから、ルーシーはちょっとだけむすっとした。
そんな二人に対して、当然のことながらノーブルは首を傾げつつも、どうやら緊急事態というわけではなさそうだなと、ゆっくりと前に進み出た。
「繰り返すが……いったい何事なのだね?」
ノーブルが再度尋ねると、今度はエメスが「はあ」と息をつきつつ説明を始めた――
「結論から申し上げます。貴方にはこれから、この認識改変表示装置を頭に被って個室でとある行為をしてもらいます」
「認識改変……表示装置? それに個室でとある……とは?」
「いわゆる大人の仮想現実《VR》を体験してもらいます。仮想上の相手はどこぞの聖女でよろしいですか?」
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってほしい」
「いえ、待てません。どうでもいいことに割く時間はないのです。貴方は聖女フェチだと聞いてますから、とりあえずクリーンを登録しておきます」
「だ、 だから……これはいったい何の話なのだ?」
「もちろん、このかかしマイワイフ相手にしてもらうのです。終了」
そう言って、エメスはかかしを一体だけ取り出してきた。
それはやけに人型に似せたかかしで、細身でやわらかでナイスバディ――というよりも、実質的に動かない女性の人族だった。
どうやらすでに聖女クリーンの体を採寸して、それに似せて造ったようだ。顔はのっぺりとしていたが……元婚約者のセロとしてはやや複雑な気分だった。
ともあれ、ここにきて当のノーブルもやっと事態が見えてきた。
「つまり、私にその認識改変表示装置を被って、そこにいる妙ななかかしと――ヤれ、と?」
「その通りです、終了」
エメスがそう言い切ると、隣にいたドルイドのヌフは「きゃっ」と頬を赤らめた。
さっきからルーシーが指をつんつんしていたのはこれが理由かと、さすがにノーブルも主君のセロに視線を向けた。
いったいぜんたい、これはどういうことなのかと、しっかりとした説明がほしかった。
そんなタイミングで真祖カミラが司令室に入って来る。
「あら? こっちはまだ済んでなかったの?」
カミラはそれだけ言うと、ぽいっとエメスに向けて保温容器に詰められた白濁液を渡した。エメスは早速、それを凍結装置内に保管する。
「ま、まさか……」
ノーブルが天を仰ぐと、ついにセロが説明を始めた。
「実は……吸血鬼の第二真祖モルモが、子供がほしい、と言い出してね。最初は、魔眼で相手を探せばいいんじゃないか、と伝えたんだけど……どうやら相手はいらないらしくて」
「それで……白濁液だけほしいと?」
「うん。さすがに僕のだと、将来的に後継争いの禍根が生じる可能性があるからと、カミラとルーシーが相応しい人物をピックアップした結果――」
セロが言葉を切ると、そこで真祖カミラが引き継いだ。
「アジーン、エーク、オッタに加えて、貴方が選ばれたってわけよ。まあ、妥当な人選よね。ほら、少しは喜びなさい」
「…………」
ノーブルは無言になった。
第二真祖と謳われる女性の旦那候補なのだから、一応は名誉なことなのだろう。
実際に子供が生まれたら、その子の父親は第六魔王国の閨閥に加わることになる。
四人の候補共、それぞれすでにこの国で重要な役職に就く者ばかりとはいえ、これにて外戚として明確な地位も得られるはずだ。
さらに言えば、ダークエルフは近年少子化に頭を悩ませていたし……人狼はずいぶんと昔から種そのものが絶滅の危機にある。ドワーフだって隣国として第六魔王国との結びつきを強めたいはずだし……そういう意味では、ノーブルだけあまり旨味がない。
だからこそ、セロも含めて第六魔王国の幹部たちがこうして揃って、ノーブルへと説得に当たっているわけか……
と、ノーブルは思いついて、「ふう」と息をついた。
「たしかに喜ぶべき話なのだろうが……申し訳ないが、私は辞退したい」
「あら? やっぱり童貞だから? かかしマイワイフじゃ初体験の相手じゃ満足出来ないのかしら?」
真祖カミラがそう言って挑発するも、ノーブルはやれやれと頭を横に振った。
「かつて愛した人物に顔向けできなくなるからね。それだけのことさ」
ノーブルが真顔で答えると、セロは「おおー」と、ルーシーは「ふむふむ」と肯いてみせた。
もっとも、エメスやヌフは「ちい」と、せっかく用意したかかしマイワイフや個室にこっそり設けた対象自動読取装置が無駄になったと舌打ちした。
すると、そんなタイミングで肝心の当事者こと、吸血鬼モルモが認識阻害を解いて初めて現れ出てきた。
「ふうん。さすがは元勇者ねえ。本当にその称号を持つ人って……一筋縄ではいかないものだわ」
モルモはちらりと初代勇者ことカミラを見て、やれやれと肩をすくめてみせた。
そして、再度、魔眼をノーブルへと向ける。ただ、その宝石のように美しい目は――全くもって煌めかなかった。
「やっぱりダメねえ。はあ……私のお相手はいったいどこにいるのかしら?」
そう言って、モルモは片手を頬に当てた。
どうやらこれまで闇討ち同然にて白濁液を集めてきたのも、面と向かったときに魔眼が反応しなかった場合、躊躇が生まれるといった理由のようだ。
だから、モルモはまず真祖カミラに相談して、そこからセロとルーシーに話がいって、こうやって朝から一騒ぎがあった。
ともあれ、そんな白濁液集めもやっと終わりかと思いきや――
「それはそれとして、せっかく用意したのですから、貴方にはしっかりと役立ってもらいます。終了」
急に、エメスがノーブルを背後から羽交い絞めにした。
「こ、今度は何事だね?」
「認識改変表示装置とかかしマイワイフの性能実験です。精度を高めて、人族の冒険者相手に一儲けしようと考えております。第六魔王国の幹部として当然、手伝ってもらえるものと愚考いたします」
「…………」
この後、個室に拉致られたノーブルが「あーっ!」と声を上げたのは言うまでもない。
ちなみに、後年、モルモは子沢山に恵まれた。特に人狼再興の母親として「牝狼モルモ」の名が未来に伝わるわけだが――
果たして彼女の子孫はいったいどこで何をしたのやら。
そんな子孫が『おっさん』に出てきて、今ちょうど活躍中です。よろしければお読みくださいませ。
ちなみに、牝狼モルモはギリシア神話に出てくるモルモリュケーの異名に当たります。




