&84 外伝 竜の眷属たち
「いやあ、解説のモタさん……まさかまさか、ピュトン選手の大逆転勝利ですよ!」
「ほいな。まあ、泥人形をいっぱい立ち上げたときになーんか仕込んでそうだなーと思ったら、案の定、自爆攻撃ですよ」
「やはり正攻法では勝てないと踏んだのですかね?」
「そうっスねー。ピュトンのことだからきっと、最初から石畳を全部壊して、『飛行』で勝負をつけるつもりだったんだと思いますよー。そもそも、ルール聞いたときから飛べない蜥蜴人のリザには不利だなあー、ってわたしだって首を傾げたくらいですから」
「つまり、ルール制定の時点で誰かしらの思惑が動いたと疑っているわけですか?」
「だってだってえ、モンクのパーンチが興行主ですよー。絶対に怪しいっスよ。無理やり二人をくっつけようと考えたに違いないし……何だったらセロだってグルっスよ」
「な、なるほど……二人と付き合いが長いモタさんだから気づいたとも言えますね。そうなると一つ疑問が浮かぶのですが――なぜ、ピュトン選手はあそこまで追い込まれたように見せかけたのでしょうか?」
「単に……最後にちゅーしたかっただけじゃないっスかね」
モタが身も蓋もないことを言うと、人狼のアジーンはさすがに「あ、はは」と乾いた笑みを浮かべた。
「おや? リザ選手がやっと立ち上がりましたよ」
「ほいな。審判のノーブルと泥竜ピュトンのもとに歩み寄っていますねえ。もしやクレームでしょうか? 何だか面白いことになてきましたよー」
「現在、半壊したリング上では審判を務めていた高潔の元勇者ノーブル様の法術によって、魔核に深い傷を負ったピュトン選手を治療している最中なわけですが……どうやらまだ一波乱ありそうな予感がひしひしとしますね」
「アジーンが、『本日の天気は晴朗なれど温水プールの波高し』なんて言うからですよー。とりあえず、ぐぐいっと、かかしファンネルのカメラを近づけてみましょうか。どれどれ――」
蜥蜴人リザはぼんやりとしたまま、ゆっくりと歩を前に進めた。
今さら結果に不服を言うつもりはなかったし、泥竜ピュトンの力を認めようと内心では努めていた。
たしかに正攻法ではなく、姦計では敗れたわけだが――負けは負けだ。敗者は潔くあるべきだ。
ただ、どこかもやもやしたものはどうしても心中に残った。戦闘中ですら凪のように静かだった心の水面が……今となっては石でも投げこまれたかのように――
ドクン、ドクン、と。
怒号のように波立っているのだ。
実況のアジーンの言葉ではないが、まさに波高しだろうか。
この不可解な高揚感の正体がいったい何なのか? リザはまだよく分かずにいた。
魔族は魔眼によってその生涯の好敵手を見定めるらしいが……もしや、リザにとってピュトンこそが永遠の敵なのだろうか?
だとしたら、それを明確にする為にも再戦してみたい。リザは前に進みながらその拳をギュッと固めた。
すると、そんなタイミングでモンクの――もとい興行主のパーンチがそばに駆けつけて来た。
「さあ、リザよ。そろそろ、そこに倒れているピュトンに言いたいことがあるはずだろ?」
パーンチとしては、倒れている泥竜ピュトンをリザがフォローしてあげる形で、二人の間に良い関係性が生じればいいなと目論んでいた。
いわゆるアンダードッグ効果、もしくは今日の敵は明日の友、いや恋人効果である。
が。
当のリザはというと――
「完敗だ。俺は……これから武者修行の旅に出る」
そんなことを言い出した。
どうやら泥竜ピュトンに見合う強さを得る為に旅立とうと考えたわけだ。
当然、パーンチは「はあ?」と眉をひそめたし、また横になっていたピュトンは魔核のある箇所を片手で押さえつつも、
「い、いったい……どこに行かれるのですか?」
「まだ分からん。だが、強者のいる場所に赴きたい」
「それならば、この第六魔王国でも十分なのではありませんか?」
「ふむん。一理ある。しかしながら、ここでは甘えが生じる。だからこそ、一人きりで己を高めていきたい」
蜥蜴人リザはいまだに高鳴る心を押さえながらそう断言した。
「一人きり? ということは、私を連れていってはいただけないのですか?」
「それは出来ない相談だ。俺は貴女に勝つ為に切磋琢磨したいのだ。むしろ、貴女の同行はかえって邪魔になる」
「そ、そんな……私が邪魔……」
泥竜ピュトンは魔核を貫かれたときよりもよほどダメージを受けたようだ。最早、瀕死の重傷と言ってもいい。
一方でモンクのパーンチは「この馬鹿野郎!」と、蜥蜴人リザの後頭部をどつきたかったが……
この誇りばかり高い四大亜人族の族長が一度言ったことを容易に取り下げないことを同じ職場の仲間としてよく知っていたので、はてさてどうすべきかと頭を抱えた。
また、審判のノーブルとて、法術での回復に集中していたこともあって、事態の収拾についてはパーンチに一任するしかなかった。
むしろ、今の状況を収めるのに最適な人物は――観戦していたセロだったのだが、こちらは賓客の毒竜たちと戦闘談議に花を咲かせていて、今の一悶着にはまだ気づいていないようだ。
もちろん、実況のモタは「どひゃー」と、あたふたするばかりで役に立ちそうになかったし、解説のアジーンとて他人の恋愛ごとには積極的に絡むタイプではなかったので、「ううむ」と渋い表情を浮かべていた。
つまり、今回の格闘戦の結末はというと――
「それでは、俺はこれから遠くに行く。どうか探さないでほしい」
などと、蜥蜴人リザは淡々と告げて、温水プールから寂しく出ていこうとした。
……
…………
……………………
そのときだ。
「とうっ!」
と、上空の温水プールを流れていた者が急に飛び降りてきた。
しかも、「せいや!」と、立ち去ろうとしていた蜥蜴人リザの頭上に踵落としを仕掛けてくる。
「くうっ!」
もちろん、リザはすぐさま反応して、手にしていた槍で相手の左踵を受け止めたものの……圧倒的な脚力に耐え切れずにリザの両足は膝丈くらいまで地面にめり込んだ。
「ほう! よくぞ止めたな、リザよ!」
「ま、まさか……姫様!」
そう。突然、闖入してきたのは――
よりにもよって海竜ラハブだった。
そのラハブはいうと、動けなくなったリザに対して今度は容赦なく、右踵で回し蹴りを喰らわせる。
「ぶぐおおおっ!」
蜥蜴人リザは一気に泥竜ピュトンのもとへとぶっ飛ばされた。
「余の言葉をよーく聞け、リザよ……ありゃ?」
もっとも、リザは半目で泡を吹いて倒れ込んでいる。
仕方がないので泥竜ピュトンを回復していたノーブルが慌てて、リザにも法術をかけてやった。そうこうして数分後、何とか意識を取り戻したリザは海竜ラハブに平伏した。
「い、いったい……何事でしょうか、姫様?」
「うむ。まず、貴様がこの地を去ること――余は許さん!」
「し、しかしながら……俺には強くなる為の修行が必要なのです」
「ならば、そこにいる土竜の叔父貴の眷属と修行をつければいい。そもそも、貴様はこやつに負けたのであろう? おめおめと逃げるつもりか?」
「滅相もございません。勝つ為にこそ武者修行に出るのです」
「ふむん。それならば余計に話が早い。ここに残って、水竜の眷属として、土竜の眷属と共に切磋琢磨するといい。これは余の神託だ!」
「…………」
ラハブはあえて海竜の眷属とは言わなかった。島嶼国時代から蜥蜴人たちに神のように崇められることに辟易していたからだ。
とはいえ、立っている者は親でも使えではないが、ラハブはちょうどよいとばかりに、その片眼を煌かせると、
「今、余の竜眼はよくよく見抜いたぞ――水と土の両眷族が並び立って、竜族の未来を支えていく姿が! リザよ。よいか! この者と共に歩み、いつか余さえも水滴石穿するがいい!」
「姫様をも打ち倒せと?」
「そうだ。お前たちなら出来る!」
「無理です。これほどにも心に迷いのある俺には……到底能わないことです!」
「む? 迷いがあるだと?」
海竜ラハブが眉をひそめると、蜥蜴人リザはその心に片手を当てた。
「これほどの惑い……いや、苦しみを俺は制御出来ません」
「ふむん。それは当然だ。恋なのだからな」
「……………………は?」
「だからそれは恋心だと言っている」
「…………」
「戦いでは百戦錬磨でも、所詮、恋では童貞よな。その勝負にもきちんと決着をつけてみせよ」
海竜ラハブがまた片目を煌めかせて、いかにも神妙そうな面持ちで言うと、
「は、ははあああああ!」
蜥蜴人リザは額を地に突けて、その神託を素直に受け入れた。
そもそも蜥蜴人たちにとって、ラハブの言葉は絶対なのだ。たとえ同性のノーブルが恋人と言われても信じるほどに――
「さあ、そうと決まれば、貴様はまずやることがあるだろう?」
「姫様のお召し物を持ってくることでしょうか?」
「ちっがーう! さっさと法術に長けた者を呼んでくるのだ。いつまでノーブルに手間をかけさせる気だ。このばかちんめ!」
「か、か、畏まりましたあああ!」
海竜ラハブに一喝されて、リザは駆け出していった。
おそらくドルイドのヌフか、もしくは第六魔王国に滞在しているエルフあたりを呼びに行ったはずだが……何にせよ、ラハブは横になっている泥竜ピュトンに向いた。
「これで貸し一つだぞ」
「ありがとう……ございます。この御恩、いつか必ず――」
「構わん。そもそも、あのリザは蜥蜴人の代表を務めるだけあって、いつも余のことを姫様とか何とかと持ち上げてしつこかったのだ。伴侶を得れば、少しは変わってくれるだろう」
「……は、伴侶」
「うむ。それに恩に感じたと言うのならば、むしろヤモリ、イモリやコウモリたちに返してやれ」
「それはいったい……なぜでしょうか?」
「余がここに来たのは偶然ではない。必然だったということだ」
海竜ラハブはそれだけ言って、観客席にいるセロを目敏く見つけたとたん、「あ、セロ様あああ!」と、はしゃいで去っていった。
ああいう真っ直ぐさは素直に見習うべきものかなと、泥竜ピュトンも思ったものだが――何はともあれ、今も地下監獄で帰りを待ってくれているヤモリたちに改めて感謝の言葉を呟いた。
「何度も助けてくれてありがとう。今度、美味しい餌をたくさん持っていくわね」
その後、ピュトンは無事に獄中結婚を果たして、第六魔王国の温水プールで結婚式を挙げ、さらには獄中出産までして名実ともに第六魔王国の母になるのだが……それはもう少し先の話である。
やっと長かったエピソードも終えて、次回はこの裏で起きていた話――やっと本筋に絡んだものとなります。