&71 外伝 おやつ研(中盤)
ここで少しだけ時間は遡る――
人狼メイドのストーは『おけつ破壊闇魔術研究所』こと、略しておやつ研の財政難に直面して頭を悩ませていた。
ストーにとって、ここはとても過ごしやすい場所だ。何が良いかといったら、人狼の執事アジーンやメイド長のチェトリエにあれこれと五月蝿く言われずに済むことに尽きる。
というのも、他の人狼メイドたちはストーを末妹とみなして甘やかせてくれるのだが、この二人だけは別なのだ。
実際に、まるで両親みたいにがみがみと、「勉強しなさい!」とか、「早く寝なさい!」とかと、いちいち小言をいってくる……
もちろん、若いストーを思っての叱責なのだと頭では理解している。だが、とっくに独り立ちしているつもりのストーにとっては馬耳東風だ。
そういう意味では、おやつ研の専属メイドの話はストーにとって渡りに船だった。
ついに実力を証明する機会がやって来たのだと、ストーは当然のように「はい!」と真っ先に手を挙げた。アジーンやチェトリエを見返してやると、「ふんす」と息巻いてさえいた。
それなのに、財政難でわずか半年で潰れたとなってはストーの人狼メイドとしての沽券に関わる大問題だ……
「こうなったら……わちきが何とかしなくては!」
モタが頭を抱える前にストーはすでに動き出していた。ただ、助けを求める相手は限られてくる――
まず、セロは無理だろう。「働かざる者、食うべからず」とモタを突き放したのはセロだ。今回ばかりは泣きついても助けてくれそうにない……
次に、モタの師匠の巴術士ジージなら弟子の不始末ということで少しは目をかけてくれる可能性があった。
だが、ジージは現在、大陸中を駆け回って何かを布教中ということで連絡が取れない。そもそも、ストーはジージとあまり言葉を交わしたことがない……
さらに、人狼の執事アジーンは温泉宿泊施設でモタとは大将と女将の関係で、しかも女豹杯や渓流杯でも相性の良いコンビを見せたこともあって、お願いすれば何とかしてくれるであろうものの……
ストーとしては見返したい気持ちが勝ってどうしても頭を下げたくなかった。
「ふむう。こうなったらカミラ様に相談してみるかなあ……けど、無理だよなあ」
と、とぼとぼと尻尾を下げて、魔王城の廊下を歩いていたら、ふいに背後から声をかけられた。
「なあ、ストーよ」
「は、はい……ええと、リリン様。如何しましたか?」
「モタのやつはおやつ研できちんとやっているか?」
「きちんと……と仰いますと?」
「どうせ部屋に引きこもって、ぐーすかぴーと寝ているか、麦酒を呷っているか、部屋に魔術書を散らかしているか……何にしても、ろくでもない生活を送っているのではないか?」
まるで見てきたかのような話ぶりに、「まさしくその通りです」とは、さすがにストーも答えづらかった。
とはいえ、夢魔のリリンからすればとっくに通ってきた道だ。モタに媚薬を作ってほしいと、かつて温泉宿の一室を訪ねたときのを様子をリリンは昨日のことのようにまざまざと思い出していた。
そのことをリリンが説明してあげると、ストーはやっと首肯した。ついに相談事の出来る良き理解者が現れたと、藁をもすがる思いになった。
「はい。その通りなのです。リリン様。おやつ研の現状なのですが、実は……」
こうしてストーに伴って、夢魔のリリンは白馬の騎士よろしく、魔女モタや弟子のチャルの前に登場したわけなのだが――
「リリンんんんんん! たぢげでー」
と、泣きついてきたモタを簡単にいなして、リリンはその額にぽこんと手刀を入れる。
「あ、痛っ! 何するのさー、リリン?」
「想像していた通りの自堕落な生活じゃないか。研究施設自体は弟子のチャルやメイドのストーがきれいにしているようだけど、肝心のモタはこれまでいったい何をやってきたのさ?」
「え、ええと……チャルに一応、修行をつけてあげてたよ」
「本当か?」
リリンがチャルに胡乱な視線をやると、チャルは一瞬だけ間をおいてから、「は、はい」と健気に答えた。
だが、リリンは目を細めて「ふうん」と、いかにも訝しげな表情を作ってみせると、チャルに対して別の角度から質問をした。
「このモタは何をどんなふうに教えてくれたんだ?」
「え、ええと……やみまじゅつのむずかしーにんしきしょがいで……がーんとやって、ぼーんって感じで、ぱぱんって消えるって……ていねいに、教えて、くれ、まし、た」
最後の言葉を濁したことから察するに、チャルはろくに理解出来ていないらしい……
リリンは「はあ」とため息をつくと、やれやれと頭を横に振った。元第六魔王の真祖カミラもそうだったが、得てして天才とは教えるのが下手糞らしい。
はてさて、才能の塊のようなチャルをモタに預けて本当に良いものかと、リリンもわずかに悩んだものだが……
何にせよ本人が弟子入りしたいと強く望んだわけだし、まだ口出しするべきではないかなと、とにもかくにも、本題に入ることにした。
そもそも、リリンがモタのところにやって来たのは友人としての人情からではない。
実のところ、王国のシュペル・ヴァンディス侯爵もとい新国王と外交中に人的交流の話が出て、互いに聖職者や魔術師を派遣し合おうとなった。
より正確には、シュペルから元聖職者の魔王セロ、巴術士ジージや魔女モタに対して、王国統治の手助けをしてほしいと泣きが入ったわけだ……
そこでモタが新設したおやつ研に白羽の矢が立った。
まずは王国には魔術師協会と、第六魔王国のおやつ研で交流して、人の流れを作るという方向性で話がまとまったものの……
はてさて、肝心の研究所はどうなっているのかと、リリンが探りを入れてみたら、案の定、こんな事態になっていた――
「それで……モタ?」
「ひゃい」
「チャルに教える以外には何をしていた? 具体的に五十字以内で述べなさい」
「ええと、朝遅く起きて……二度寝して……お昼を食べに行って……三度寝して……麦酒を飲んで……酔っ払いながらヤモリさんたちと遊んで……疲れたら寝て……」
「つまり、何一つとしてろくに成果を上げてこなかったんだな?」
「ひゃい」
「はあ。巴術士ジージ殿が不在で本当に良かったな」
リリンはやれやれと方をすくめたが、師匠の名前が出たとたん、モタの額からは脂汗がだらだらと出てきた。
「ね、ねえ。リリンさんや? いや、リリンさま?」
「様付けとは気持ち悪いな。いったい何だ?」
「このこと……ジジイには内緒にしてくれるよね?」
「…………」
「じゃないと……ここでリリンのおけつを破壊して……二度とこの研究所から出られなくしちゃうよ。え、へへ。うひひひ」
そう言って、モタはアイテムボックスから杖を取り出した。やや胡乱な目つきにさえなっていた。
「ししょー! ごらんしんなのです!」
「モタ様! ダメですよ! リリン様はご厚意でやって来てくれたのですから!」
ともあれ、弟子のチャルと人狼メイドのストーに羽交い絞めにされて、モタは何とかおけつ破壊未遂に留まった。
そんなモタに対してまた「はあ」とため息をつきながらも、リリンは落ち着いた口ぶりで言った。
「安心しろ、モタ。ジージ殿に告げ口するかどうかは、これからのモタ次第だ」
「……どゆこと?」
「モタとしては、ジージ殿にバレずに、なおかつここを維持出来るだけの給金が欲しい。間違いないな?」
「ひゃい」
「ならば、依頼を受けろ。これは人造人間エメス様が発案して、セロ様も承認した正式な依頼に当たる」
リリンはそこまで言って、アイテムボックスから羊皮紙を一枚取り出した。
「内容は、まあ、何てことはない――北の魔族領の探索だ」