&70 外伝 おやつ研(序盤)
ここは魔王城裏の岩山を超えた峰――人族の地図では人跡未踏の地とされている場所だ。
もう少しだけ地理的に詳しく説明すると、かつてルーシーが吸血鬼たちをどこぞの軍曹張りに叱咤激励して鍛え上げた平原には、今では立派な温泉パークが出来上がったが、そこから北の街道をさらに進めば第二真祖こと吸血鬼モルモの住む古塔にたどり着く。
一方で、その街道を北上せずに東に行けば『火の国』の山々に向かうし、逆に西に行けば岩山が連なって、そのふもとに森が広がっている。
そんな岩山の峰に現在――
温泉宿泊施設に匹敵する規模の洋館が建っていた。
魔女のモタが女豹杯で一儲けしたお金でもってセロと掛け合って、温泉パークとほぼ同時期に着工したモタ専用の研究所こと『おけつ破壊闇魔術研究所』、略しておやつ研だ……
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もちろん、おやつなど料理を研究する為の建物ではなく、一応これでも第六魔王国唯一の魔術研究所となっている。
モタの構想的には王国の魔術師協会のように、第六魔王国でも亜人族や魔族の魔術師を育成すべく、モタ自身が所長となって旗を振るつもりだった……
しかも、その記念すべき弟子第一号だって出来た……資金も潤沢にあった……まさに順風満帆なスタートを切った……はずだった。
だが、そんな愛弟子ことダークエルフの子供チャルが第一回渓流杯で優勝してから早半年ほど――
今、このおやつ研の一室では三人が困り顔をしていた。
その代表たるモタがまず声を上げる。
「マズい。マズいよ。本当にマズい……このままじゃあ、わたしたち……食いっぱぐれちゃうよ!」
「ど、どうするんですか……ししょー?」
悲鳴を上げたのは弟子のチャルだ。
渓流杯でセロにお願いするまでもなく、正式にモタの弟子として認められたチャルはというと、『迷いの森』の集落を出て、いかにも健気に弟子らしく、ここでモタと共に生活していた。
もちろん、幾らチャルがしっかり者とはいっても、自堕落の天才たるモタに小さな子供を一人だけつけるわけにもいかず、またモタのことだから洋館の維持などろくにしないだろうと見立てたセロは、ここに一人のプロフェッショナルを派遣した――人狼メイドの末妹ことストーだ。
他の人狼メイドたちとは違って、ホッキョクオオカミのように毛並みが真っ白で、顔にそばかすがまだ残った愛嬌のある顔立ちをしている。
人狼といえば、皆が手練れの使用人だが、このストーは年齢が最も若いとあって、他の人狼たちからずっと可愛がられてきた。
もちろん、真祖カミラのもとで長年働いてきたから一通りの仕事は出来るものの、性格的にはモタに似て、天真爛漫かつおっちょこちょいなので、洋館を一人で切り盛りするにはいささか心許ない……
ただ、メイド長のチェトリエからすれば、ここらでしっかりと独り立ちしてほしいと願って送り込んだはずだったのだが――
「まあ、ここが潰れても、わちきは魔王城に戻るだけですから何も問題ないんですけどね」
そんなふうに人狼メイドのストーはけろっと言ってのける。
ただ、モタも、チャルも、それを聞いてかちんとこないのは、やはり末妹として育まれてきた愛嬌によるところが大きいのだろう。
実際に、チャルの方がよほど年下なのに、今ではストーもそのチャルにすら甘える始末である……
それはさておき、モタは「うー」と呻ってから頭を抱えた。
「働かざる者、食うべからず――ついにセロから最後通告を突き付けられちった。このままだと食後のおやつ抜きになっちゃうよー」
「だったら、はたらけばいいのですよ、ししょー」
「嫌だ。働きたくない。まじめに働くなら……死んだ方がマシだあああ」
「ししょーおおお……」
チャルが悲壮な声を上げる。
こんなダメダメな師匠など、早々に見切りをつければいいのだが、チャルにはなかなかそれが出来なかった。
というのも、この師匠が超が付くほどの大天才なのは間違いないからだ。
天才と言えば、ダークエルフの双子ディンやドルイドのヌフだって十分に天才なのだが、モタの天稟はその二人を遥かに超えている。天才以上の天災級だ。
逆に言うと、もしモタが真面目に魔術を研究しだしたら、いっそ世界の危機と言ってもいい。
だからこそ、弟子たる自分がそばに付いていなければダメなのだと、チャルは小さいながらにこの師匠を一生支えていこうと無駄に自覚してしまった……
そんなチャルは悲痛な顔つきでもって師匠のモタに訴えかける。
「お金がつきたのならば……いいでしょう! このチャルめが身を売ってでもかせいでみせます!」
「チャルううううう」
弟子にそこまで言わせたことで、モタもさすがに重い腰を上げた。
ちなみに、チャルが身を売って稼ぐと言ったのは、つい先日、夢魔のセクシー(※源氏名)たちに誘われたからだ。
もちろん、セクシーたちからすれば魔性の酒場で客商売をさせるつもりなど毛頭なく、いわば体のいい小間使いが欲しかっただけだ。
何せ、温泉宿の一角を渡航禁止にさせた、あのモタと半年も暮らしているのである。よほど出来ている人物でなければモタの弟子など務まるはずがない……
そんなこんなで、チャルの訴えを聞いたモタがついにがたっと立ち上がって、二人に対して宣言した。
「こうなったら……月一回に減らしていた温泉宿の女将業を半月に一回にする!」
「ししょー! さすがです!」
チャルは精一杯に持ち上げたが、当然のことながら隔週一回ではろくな給金になるはずもなかった……
ただ、チャルからすれば、モタのせっかくの決意に水を差したくなかっただけだ。
女将業での給金が足りないと分かれば、モタだって渋々、以前のように週二回で働いてくれるかもしれない……
そんなふうにこの師匠を上手く乗せていければと、チャルは一縷の望みを抱いたわけだ。
が。
「半月に一回の女将業ではおやつには足りません。せいぜい食後に血反吐ジュースが付くかどうかですよ」
人狼メイドのストーはこれまたけろっと言いきった。
そこらへんの空気の読まなさ加減は、末妹として甘やかされてきたせいなのだが……何にしても、モタは即座にしゅんとなって、「やっぱ働くのやめるかー」と挫折しかけた。
ついでに言うと、第六魔王国では水よりも土竜ゴライアス様の血反吐の方が遥かに安い。最早、欠かせないインフラである。
まあ、それはともかくとして――ストーに対してチャルがいかにも抗議するかのように両手をぷんぷんと振って、ぽかぽかと腰のあたりを叩きながら、
「ひどい! ストー! そんなこと言っちゃダメでしょー!」
そう怒ってみせるも、ストーはチャルの攻撃をひょいと難なくかわした。
ここらへんはさすがに人狼の身体能力で、チャルは「むー」と両頬を膨らませるしかなかった。
とはいえ、ストーも考えなしに苦言を呈したわけではなかった。
ストーだって現状の財政難をよく熟知していたのだ。そして、それを打開すべく、とある人物をこっそりと連れて来ていた。
その人物はというと、ここにきて認識阻害を解いて姿を現すと、部屋の壁にもたれながら「はあ」と、これみよがしにため息をついてみせる。
「モタがまたやらかす可能性が高いと聞いてやって来た。お金が欲しいが働きたくはない――そんなのは土台無理な話だ。ただし、働き方については考慮の余地がある。つまり、定期的に働くか、もしくは一回こっきりでがつんといくかだ」
闇魔術が得意なモタやチャルに気づかせずに潜んでいたわけだから、当然のことながら精神作用系の専門家がそこにはいた――モタはその姿を見るや否や、涙声で抱きついた。
「リリンんんんんん! たぢげでー!」
そう。モタに救いの手を差しのべたのは、親友かつ盟友の夢魔リリンだったのだ。