&69 外伝 第六魔王国の魔物事情(後半)
ダークエルフの双子のディンは「んんっ」と、可愛らしい声を上げてやっと目を覚した。
魔物の子犬ことみけたまが時間通りにぺろぺろとその頬を舐めたからだ。
ディンはぱちりと目を開けると、すくっと上体を起こして、
「おはよう、みけたま」
と、頭を撫でてあげた。
屍喰鬼の子猫ことぽちたろうと同様に、双子の片割れドゥによって保護されたみけたまだったが、今ではディンに懐いている。
というのも、子猫のぽちたろうが「ふしゅー!」と威嚇して、いかにも「このご主人は渡しませんぞ!」と主張してきたからだ。
たしかに超越種がうろつく第六魔王国で、いかにも心許ない幼体に憑依して、最初に保護してもらったドゥに甘えたい気持ちはよく分かるのだが……
(さすがにあれは……甘えすぎだろう)
と、みけたまこと、自己像幻視のアシエルはぽちてろうに対してため息をつくばかりだ。
もちろん、そのぽちたろうに第七魔王の不死王リッチが転移しているとは、さすがのアシエルも想像だにしていなかった。
だから、ある日、ぽちたろうが残飯を代償に特殊スキル『等価交換』を使って、亡者を召喚してみせたときには目を見張ったものだ……
ぽちたろうからすれば、ちょっとした実験のつもりだったのだろうが、まさかリッチが子猫になっていたとは……
何はともあれ、自分とて子犬になってしまったわけで、ご主人をかけて争うのは愚の骨頂と考え、結果的にみけたまはディンのもとに身を寄せた。
ともあれ、自由気ままな猫と違って、犬の幼体に憑依したせいか、どうしてもその本能に引っ張られてしまう――
「じゃあ、朝の日課ね。みけたま、お座り!」
「わん!」
「お手」
「わう!」
「ちんちん」
「はふはふ」
こんなふうにディンに言われるがままに垂直に立ち上がって、「よしよし」と抱きしめてもらうのが堪らなく誇らしい……
それがまた何とも悔しい……
いや、主人の言葉に脊髄反射してしまうこの幼体がいっそ恨めしい……
(いかんいかん……早く成長して、もとの力を取り戻さなくては――身も、心も、本当に犬になりきってしまうぞ!)
子犬のみけたまに憑依したアシエルは毎朝、そんなことを痛感するのだった。
さて、そんなみけたまはというと、子猫のぽちたろうとは違って、第六魔王国で自由気ままには過ごしていない。
新たな飼い主となったディンのそばにいて、その半歩後ろに常に付き従っている。
実際に、子猫のぽちたろうは起きてすぐに厨房に食事を求めに行くが、子犬のみけたまはディンの「よし」の声がかかるまで、食堂でその足もとに控えているほどだ。
これには当然、セロやルーシーからも、「よく躾けられているね」と感心されるわけだが……
実のところ、こんな殊勝な態度には悩ましい事情があった――
というのも、子犬のみけたまに向けられる人狼メイドたちの視線がやたらと鋭くて痛々しいのだ。
最初はヤモリたちのようにセロたちに害が及ばないように監視しているのかと考えたものだが、最近になって犬の鋭い聴覚でもって人狼メイドたちの会話を盗み聞いて、驚愕の事実を知ってしまった――
「はあ。第六魔王国が発展してとてもうれしいのですが……」
「ええ。真祖カミラ様も戻って来られて、改めて身が引き締まる思いです」
「となると、あとは人狼の復興を果たすのみ。いっそ兄妹のように育ってきたアジーンを手籠めにしてでも――」
「それよりも、実は私……とても良い相手を見つけたのだけれど?」
「あら、まさか? 貴女も?」
「そう……そのまさかよ」
というわけで、犬と狼ならば交配可能だろうと、子犬のみけたまは貞操、もとい童貞の危機に迫られていた。
もっとも、これは人狼メイドたちが執事のアジーン同様に変態性を有しているというわけではない……
というのも、人狼は満月の際に巨狼へと変じる通り、獣としての習性を強く残している。
おかげで子犬のみけたまは子猫のぽちたろうのようには人狼メイドたちに甘えられず……
結局のところ、襲われたときに守ってもらおうと、ディンやルーシーのそばから離れないといった有り様だ。
それでも、ディンは夢魔のリリンと一緒に外交の仕事を始めたこともあって、
「幾らしっかり者のわんちゃんでも……さすがに外交の場には連れていけないわ。ごめんね、みけたま」
と、ディンに言われて、みけたまもさすがに困った。
しかも、みけたまを見つめる人狼メイドたちの眼差しが今だけは身を射抜くほどに痛い……
これはマズいと感じたみけたまは仕方なく、地下階層にある元同僚のもとに転がり込んだ――泥竜ピュトンが監禁されている小部屋だ。
以前は殺伐とした監獄といった様相だったが、今ではちょっとした引きこもり部屋にグレードアップしている。
さらに不思議なことに、この部屋にはたまに子猫のぽちたろうもよく訪れる。
どうやらぽちたろうにはピュトンに何やら含むところがあるようだが……当然のことながらピュトンは一切気にしていない。
もちろん、みけたまは知っている――ぽちたろうこと不死王リッチは宰相ゴーガンに扮したピュトンに魔核を潰されたのだ。
含む以上のものがあって然るべきなのだが、
「ほら、ねこじゃらし」
「ふにゃにゃ」
「腰ぽんぽんしてあげるわ」
「なあああ」
最早、完全に子猫として篭絡されている。
果たして魔族として、いや、不死王と呼ばれた者として、その姿勢はいいのかどうか……
何にせよ、ディンが不在のときはそんな元同僚と現同僚の一人と一匹と共に過ごしていた日々に――ついに変化が訪れてしまった。
泥竜ピュトンの小部屋がいつの間にか『恋愛相談所』に変わって、そこに人狼メイドたちも訪れるようになったのだ。
おかげで逃げ場所を失った子犬のみけたまはというと、
「キュイ? (どうしたの?)」
「くうーん…… (助けて……)」
「キューイ! (いいよ、おいで)」
「わん! (ありがとう)」
こうしてヤモリウォークにこっそりと潜んで、人狼メイドたちをやり過ごす日々を送るのだった。