&64 外伝 第一回渓流杯(序盤)
いきなり渓流杯って何ぞ? と、ツッコミを受けそうですが、一応「王国の憂鬱」の続きということでシュペル卿の旅路の一環になります。つまり、温泉パークを舞台にしたお蔵出しエピソードというわけですね。
そんなふうに意外と長らく展開してきたシュペル卿の話も、ついにこの三編で決着がつきます。よろしくお願いいたします。
第六魔王国の北の街道の先にある平原に出来た、『流れる温泉』こと渓流露天風呂――全長一キロにも及ぶ温水のウォータースライダーにて、シュペル・ヴァンディス侯爵はその水面を揺蕩っていた。
これでもう十一周目だ。つまり十キロ強も流され続けたわけで、こうなると最早つるっつるの温泉卵肌の域をとっくに超えて、まるで清らかな羊水に包まれた胎児みたいに煌めいている。
おかげで後退戦略を余儀なくされた頭頂部もぴっかぴかのぴかで、心なしかどこか神々しい佇まいでさえある。
もっとも、そんな輝きとは対照的に、当のシュペル卿はというと、「うーんうーん」と曇りっぱなしだった。
「私が王になった場合、その後の展開を千手先まで読んでみたが……どうやっても詰んでしまうな」
旧門貴族による社交界での口撃、はたまた同じ釜の飯を食ってきた武門貴族の決裂、そしてセロ教の布教を許すか、はたまたこれまでと同様に大神殿と協調するのか――
何にしても、どこに良い顔をしても、「八方美人な上に優柔不断だ」と糾弾されて、国内が不安定になるのが目に見えている……
しかも、そうやって王都がざわつくだけならば、まだ目の届く範囲だからマシだ。
だが、現状はというと、東の守護家ハックド辺境伯は魔族に乗っ取られて、また北のムーホン伯爵も天族に出し抜かれたとあって、地方領政の刷新もする必要がある……
「やれやれ。私が五人いても足りない状況だな……人材不足が深刻に過ぎる」
ヒュスタトン会戦にて国を割ったのだから、仕方のないところではあったが……
ともあれ、不満ばかりを呟いて、こんなふうに第六魔王国の渓流露天風呂で流されっぱなしなのもいけないと、頭では分かっていながらも……
「はああ。何も考えずに渓流に身を任せるのは心地好いものだなあ」
シュペル卿はこうして十一週目のゴールを迎えようとしていた。
そこでシュペル卿は「ん?」と、ふいに眉をひそめた。周回していくうちに遊ぶ人も増えてきたのか、温泉パークの入口の更衣室付近がしだいに騒がしくなってきたのだ。
ちらりと視線をやると、どうやら何かしらイベントが発生しているらしい。
しかも、ちょうどそんなタイミングで、ばしゃっ、と。
水飛沫を上げて、シュペル卿に追いつけ追いこせとばかりに子供たちの声が届いた――
「いっくよー、ドゥ!」
「うん!」
ダークエルフの双子のディンとドゥだ。
どうやら相当な勢いでもって、渓流を泳いできたらしい。
もっとも、シュペルは「おやおや」と小さく息をつくだけだ。というのも、最終コーナー前のじぐざぐコースは見た目よりも傾斜があって、
「きゃあああ!」
「わー!」
流れにしっかりと身を任せていないと、このように振り落とされてしまうのだ。
ここらへんはさすがに十周もしているだけあって、シュペル卿はコースをよく把握していた。
とはいえ、この渓流露天風呂は巨大蛸クラーケンやイモリたちによってしっかりと管理されているので、たとえコースから大きく飛ばされたとしても――
「ふう。危なかったわ。まさか……下で別のコースに繋がっているなんて」
「戻っちった」
そんな双子の無事を横目でちらりと確認して、シュペル卿は「ほっ」と息をついた。
すると、そんなタイミングで入口付近からアナウンスが聞こえてきた。人狼の執事アジーンと魔女のモタだ。どうやらシュペル卿が知らないうちに、やはり何かしらのイベントが始まっていたらしい……
「こんばんは。執事のアジーンです。『女豹杯』に続きまして、本日も実況を務めさせていただきます。よろしくお願いします。さて、ゴールを目指す者たちはすでにスタートを切ったわけですが……第一回渓流杯。本日の天気は晴朗なれど波高し。波乱の予感がひしひしとします。さて、解説のモタさん――」
「ほいほい。何でしょーか?」
「よくもまあ双子と一緒に渓流の中に飛び込みませんでしたね?」
「第一声がそれっスか? わたしだって毎回、子供っぽくはしゃいでいるわけではないのです。そもそもお風呂はゆっくりと入るものでしょー?」
「たしかにそうですね。我々は温泉宿泊施設で働いている者同士。こういうふうに流れる温泉よりも、赤湯こってりでまったりする方が性に合っていますからね」
「実は、乗り遅れちっただけなんですけどねー」
「まあ、そんなこったろうと思っていました。さて、それでは解説のモタさんから、今回の渓流杯についてご説明いただけますでしょうか?」
「ほーい。ええと、ぶっちゃけると古の時代の遥か以前から伝わる遊戯ことマ○カーなるもののウォータースライダー版なのです。まあ、マリ○ーについては詳しく追及してはいけません。ただでさえ公道カートで揉めていますからね。色々と面倒なことになっちゃいます」
「なるほど。とにもかくにも、一番早くゴールに着いた者が勝ちというシンプルなルールですね」
「そういうことなのです」
モタがそう断言すると、アジーンが「ああっと!」と最終コーナー付近を指差して声を上げた。
「首位を独走していた王国のシュペル卿にやっと追いついた双子のドゥ殿とディン殿がコースを外れてしましました!」
「あちゃー。欲張りすぎましたね。体が小さいから、ちょっとしたカーブでもすぐに振り切られてしまうのですよ」
「これでシュペル卿が二位を大きく引き離しましたよ」
「まあ、もとはといえば、シュペルさんが何周もしているのを見て、楽しそうだなーってことで始まったレースですからね。もうそのシュペルさんも最終コーナーに突入しかけていますし、優勝でいいんじゃないですかね」
「しかしながら、第二集団が猛烈な追い込みを仕掛けています」
たしかにアジーンが指摘したように、シュペル卿の後ろに新たな水飛沫が上がり始めた。
しかも、その者たちは難所とされたじぐざぐのコースをあえて空へと一気に飛び越えるという荒業でもって凌ぐ――
「解説のモタさん?」
「ほいなー?」
「シュペル卿を追走する第二集団の説明をお願いします」
「ほいほい。第二集団を形成しているのは、妖精のラナンシー、海竜ラハブにモンクのパーンチってとこっすかねー」
「ラナンシー様はシュペル卿と同様にずっと周回していましたし……ラハブ様は何せ海竜、泳ぎで負けるわけにはいかないという矜持でもって爆泳してのは分かるのですが……その二人にパーンチが並んでいるというのは珍しい光景ですね」
すると、モタは渓流露天風呂の入口あたりで応援している者たちを指差した。
「ほら。パーンチの場合、ちびっこたちがめちゃ応援していますからねー。あれで燃えなければ漢じゃないですよー」
「ははは。微笑ましい光景ですね。魔王国に子供が多いのは良いことです」
「王国の孤児院からわざわざ連れてきた子供たちに加えて、千人以上に及ぶクラーケンの子供たちもいますからねー」
「…………」
「ん?」
「…………」
「急に黙って、どったの? アジーン?」
「手前たち人狼も……種族復興の為に子供がほしいです(号泣)」
「あー。えーと。アジーンが壊れちったので、急遽、わたしが実況もかねまーす」
モタがアジーンの席から実況のマイクをかっぱらうと、何はともあれ最終コーナーに突入するシュペル卿、それを追い上げる妖精ラナンシー、海竜ラハブにモンクのパーンチに視線をやって声を張り上げた。
「さあ、第一回渓流杯も始まって早々、いきなり最後の戦いに突入なのです。はてさて、勝者は誰になるのかあああ! そして、優勝賞品――『セロが一回だけお願いをかなえてくる券』は果たして誰の手に渡るのかあああああ? 次回をお楽しみにね」