&44 外伝 続・やることのない浮遊城 泥竜ピュトン
第二魔王こと蠅王ベルゼブブがぷーんと浮遊城の地下階層に入ろうとしていた頃、セロと近衛長エークは地下二階のとある一室を訪れていた――
ちなみに、地下階層は現在、改修によって三層に分けられていて、一層目は居住区や資料室で、主に最深部の司令室にて人造人間エメスやドルイドのヌフと一緒に働いている吸血鬼たちの棺桶がずらりと並べられている。
その中には階段上に寝かせているものもあったので、近衛長エークがやや弁明気味に、
「御見苦しくて申し訳ありません、セロ様。この城が浮遊する都合上、地下階層の拡張はどうしても難しいので、今はこのような場所に暫定的に棺桶を置かせています」
「上階はもう空きがないの?」
「お恥ずかしい話しながら、我々ダークエルフが入っていまして……」
「そういえば、あるときを境に迷いの森のほとんどがやって来てくれたんだっけ?」
「はい。浮遊城への改修時ですね。その後、火の国から訪れたドワーフたちも城内に幾つか部屋を持ちましたので、結果的に上階は我々、ドワーフ、それに人狼メイドたちで住み分けております」
セロは「ふうん」と相槌を打つと、今度エメスと相談して、上階の拡張も検討しないと駄目かなと考えた。
もっとも、吸血鬼たちからすると、日の当たる上階よりもじめじめして暗い地下の方が良いらしく、可能ならばこのままにしてほしいという要望も出ているそうだ。
「あれ? でも、この部屋……やけに広くない?」
セロとエークが地下二階に着くと、そこにはやけに広大な部屋と、小さなそれに分かれていた。
広大な部屋の方には大きなプレートが入口に張り付けてあって、そこには『究極至高完全合一聖魔絶対超越現人神教の総本部(仮)』とあった。
「…………」
「セロ様?」
「ここ、削っていいんじゃないかな?」
「いえいえ、とんでもございません。この部屋はセロ様を宗教的に崇める為に必要なものです」
「本当にいる?」
「当然です」
エークが「ふんす」と目の色を変えて抗議してきたので、セロもさすがにそれ以上は言えなくなった。
なお、仮ではない総本部の方は現在、西の魔族領こと湿地帯にあった墳丘墓を改修して作ろうということになっていて、つい先日、巴術士ジージが下見に行ったばかりだ。
とはいえ、セロやエークが階下に来たのは、そんな地下階層の逼迫した空き事情を確認する為ではない。また、人造人間エメスに会って、アジーンとモタとの結婚について相談するわけでもない。
そもそもエメスは今、とても忙しい。相方であるドルイドのヌフがエルフの森林群に一時的に残ったので、とある情報収集を一手に担っているからだ――それは強襲機動特装艦『かかしエターナル』の上空監視による王女プリムの捜索である。
その為、夢魔のリリンの考えとは違って、セロとエークはそんな多忙なエメスをわざわざ訪れたわけではなかった。
では、いったい何をしに来たのか?
セロとエークは地下二階層の小さな部屋の前に立った。そこにもやはりプレートが飾ってあった。
さらにドアの前にはダークエルフの精鋭が二人、厳かな顔つきで立哨していた。上司のエークが一言も発さずに「うむ」と肯くと、精鋭の一人がすぐに察してドアを乱雑にノックする。
「空いてるわよ。そのぐらい知っているでしょ?」
すると、ずいぶんとやさぐれた返事が聞こえてきた。女性の声だ。
「お邪魔します」
セロはそう丁寧に言って、エークと共に部屋の中に入った。
そこは六畳半ぐらいのワンルームになっていて、奥には台座と仏壇のようなものが置かれていた。
遺影は第五魔王こと奈落王――いや天使アバドンだった。どこの文献からくすねてきたのか、アバドンを描いた羊皮紙が切り取られて、そこに祀られていたのだ。
そう。ここは泥竜ピュトンの拘束部屋だ。
もっとも、ピュトン自身は『鈍重』の魔術付与が施された足枷をされているだけで、部屋内ならば自由に動くことが出来るようだ。
しかも、意外に家具や設備も整っていて、小さなモニタから外の世界の出来事も見られるようになっている。さながら北欧の刑務所の一室みたいだ。
ただし、入口にいるダークエルフの精鋭たちに加えて、この部屋内にも――
「キュイ?」
「キイキイ」
と、ヤモリやコウモリたちが幾匹かいるので、部屋外に行くことは出来ないし、そもそもピュトンはここから出たこともない。また、脱獄の意思も今のところはなさそうだ。
セロはそんなヤモリやコウモリたちに撫でなでしてから、エークが用意した椅子に座って、ピュトンと向き合った。エークはその斜め後ろで立哨し、ピュトンは皮張りのソファの上に身を投げている。
いかにも不遜な態度だが、セロは全く咎めなかった。
そもそも、ピュトンには世話になっていたからだ。もちろん、セロがではない。正妃のルーシーの方だ。
女豹大戦から前後して、ルーシーはピュトンにいちいち恋愛相談にやって来るようになった。その際に、せめてもの礼としてピュトンからの抗議を聞き入れてあげたわけだ――
「日々、拷問されるのは構わないわ。それだけのことを私はたしかにやって来た。今さら贖罪を拒みはしない。ただ、毎朝……毎昼……毎夕……毎晩……毎深夜……毎早朝に……エークとアジーンがひっきりなしにやって来て、勝手に磔になって、ご褒美みたいにいちいち嬌声を上げるのだけは勘弁してほしいの!」
「…………」
ルーシーはさすがに同情した。
無駄にイケメンボイスで嬌声を上げるものだから、ピュトンも何だかむらむらときて、四肢をX字型に拘束されていたこともあって、このままでは性癖的にあれになってしまうと、相当な危機感を持ったらしい。
巴術士ジージなどは「いい気味じゃわい」と言っていたようだが、それならばということでジージが管轄する地下二階層の物置小屋にピュトンを移送して、ジージの管理下に置くことにした。
もっとも、ジージはセロを神聖視していることもあって、ピュトンが天使アバドンを祀っていることに対しては、あえて異端とはみなさなかった。
「まあ、たとえ崇める神は異なっても、信じる思いは同じじゃよ」
と、ジージは初めて歩み寄りを見せて、ピュトンに役割を与えたのだ。
それが実は部屋の前のプレートにこっそりと記してあった――『恋愛・結婚相談所』だ。
ルーシーが足しげく通うものだから、ダークエルフや人狼メイドも訪れるようになって、「相談は無料じゃないわよ。王国通貨はいらないから、とにかく何か寄越しな」とささやかな対価を求めたことから、当初は仏壇とござしかなかったこの部屋には、今では家具、暇潰し用の古書、それなりの料理やちょっとしたインテリアなどまで置かれている。
しかも、最近では女豹たちの集会所にもなっているらしく、現在、第六魔王国で恋愛にまつわる情報に最も詳しいのは間違いなく、このピュトンだという有様である。
「そんなわけで、ピュトンに聞きたいんだけど――」
と、セロが早速、相談すると、
「皆まで言わずとも分かっているわ。どうせ挙式のことでしょう?」
ピュトンはそう応じて、セロの背後にいたエークにちらりと視線をやった。
エークはいかにもピュトンを信用していないのか、はたまた城内の女性陣がこぞって陥落しているのが気に入らないのか、かなり警戒して険しい視線を返してきたが、
「そりゃあ、世界最大、史上最高の挙式にしなくちゃ駄目に決まっているわ」
そう告げると、エークもまんざらではない表情に変わった。ちょろい近衛長である。
もちろん、ピュトンはルーシーから幾度も相談を受けていたので、どうせセロとルーシーとの挙式のことだろうと高を括っていた。だが、セロが聞きたいのは当然のことながら、アジーンとモタとのことだった。
だから、そこまでやらなきゃダメなのかとセロが驚いていると、
「そもそも、あんたは王国の元神官だったんじゃなかったの?」
「ええ、そうですが……」
「私は帝国の巫女を務めてきたから、過去には王侯貴族の挙式に立ち会ったことが何度もあったわ。あんただって挙式が初めてってわけじゃないでしょ?」
「いえ。そのう……実は――」
セロは王国の神学校で座学した後に、すぐ冒険者として登録し直したので、祭祀祭礼の実務はほとんどこなしたことがないと説明した。
それを聞いて、ピュトンは「あちゃー」と片手を額にやった。
というのも、結婚式というのは慣習の塊だ。特に、立場が上の者ほど、形式に則って、全てを継承していくことを領民に示さなければいけない。
そんな仕来たりと形式をきちんとイメージ出来るかどうか――その違いによって、挙式の立ち上げから運営、そして進行までの段取りに天と地ほどの差が出てくる。
たとえるならば、舞踏会で社交ダンスをこなさなくてはいけないのに、阿波踊りしかやったことがない者を即席で鍛えるようなものだ。この大陸では結婚式の形式は幾つかあれど、何にせよすぐにでもセロに叩き込まなくてはいけない。
「やれやれだわ。とりあえず、新郎が魔族なのだから、魔族式でいくってことでいいのよね?」
「え? ええと……魔族式って?」
「そこからなの?」
ピュトンは呆れかえるも、王国式なども含めた説明を丁寧にしてあげた。何だかんだで面倒見の良い姉御肌である。
「なるほど。そんなに形式があったんですね」
「何なら帝国式ってのもあるわよ。今じゃあ、ほとんど廃れてしまったけど」
「エークたちダークエルフはどうだったの? ドワーフたちみたいにご祝儀や引き出物があるのかな?」
「いえ。迷いの森での生活は厳しいものでしたから、近親の者のみが集まって、ドルイドのヌフの前で報告する程度です」
「逆にエルフなんかは見栄えを気にするのか、結構派手にやっていたはずよ。帝国の神殿でわざわざ挙式を上げた者たちもずっと昔にはいたわ」
「へえ。色々とあるんですね」
セロが出されたお茶をずずずと啜って、嘆息すると、
「――って、のんびりしている暇なんてないわよ!」
ピュトンはびしっとツッコミを入れた。出してきたのはピュトンなのに――と思いつつも、セロはその茶をエークに手渡した。
「とりあえず、魔族式でいいのよね?」
「それなのですが、挙式は人族、魔族や亜人族協調の象徴的なイベントにしたいのと、あと王国出身ということもあって、王国式とのミックスというのはどうですか?」
何ならモタにハーフリングの挙式がどんなものか聞かなくちゃいけないかなと、セロはふと思った。
もっとも、ピュトンも、エークも、セロが王国出身だからということで、そう提案してきたのだろうなと解釈した。とことん噛み合わない三人である。
「まあ、いいわ。何にせよ、帝国で鍛え上げたこのウェディングプランナーこと私に任せなさい! あんたとルーシーとの最高の挙式にしてあげるわ!」
「…………え?」
ついに、やっと、セロが訝しんだときだった。
ぷーんと侵入者がやって来た。もっとも、ヤモリやコウモリたちとは仲良くしているので咎められることはなかった。その侵入者はピュトンの鼻先にちょこんと乗ると――
「いい加減にせんか。主語を明確にしてから話さんかい。むず痒くてたまらんわ」
こうして、ろくに付き合ってすらいないアジーンとモタが退っ引きならない事情で、全世界生中継の盛大に過ぎる偽装結婚式をさせられる前に、本物の救世主が飛来したのだ。