&35 外伝 疑心と混迷の森林群
WEB版ではあまり活躍どころのないドルイドのヌフさん本気回です。
ヒュスタトン会戦を支援する為に浮遊城が王国方面へと出発すると、エルフの大森林群にはまるで凪でもやって来たかのように静寂が訪れた。
とはいっても、この森は本来とても静かな場所だ。むしろ、ここ数日が異常だったと言ってもいい。
そんな森の最奥部にある『エルフの丘』では、浮遊城が去った後も、ドルイドのヌフがナイチンゲールよろしく、呪いにかかったエルフたちの救護に当たっていた。
この森に残っているのはヌフと、ダークエルフの精鋭たちがわずかばかりだ。もちろん、元エルフの族長ことドスは人造人間エメスによって連れ去られて、今では泥竜ピュトンがいた牢獄に監禁されている。
また、本来ならば狙撃手のトゥレスが新たな族長として残るべきところだったが――
「セロ様に誠心誠意、尽くしてきなさい」
と、ヌフがはっきりと言ったことに対して、トゥレスもさすがに面喰ったようだ。
「この森に残らなくてもよろしいのか?」
「笑止。当方は古エルフですよ。たかが、エルフぐらい簡単にまとめてみせます」
「しかしながら、次兄の息のかかった供回りたちはいまだに燻っているはずです」
「貴方とてこれまで大罪人としてみなされてきたのでしょう? 貴方が一人残ったところで、状況はさして変わりませんよ。かえって悪化する可能性まであります」
「それも……そうかもしれませんが……」
「煮え切らない返事ですね。今は吸血鬼となったシエンと共に、エルフ種がセロ様に害意を一切持っていないということを示す好機です。この大陸は少なくとも、セロ様の匙加減でこれから幾らでも変わっていくのですから」
「分かりました。くれぐれも、あまりご無理をなさらないようにお願いします」
こうしてトゥレスはシエンを引き連れて、聖女パーティーの支援に向かった。
それに、死神レトゥスが憑依しているエルフの屍喰鬼ことウーノも久しぶりの故郷ということで、後ろ髪引かれる思いのようだったが、これまたヌフが背中を押してあげた。
「そもそも、ウーノは亡者です。ドスの兄とはいえ、とうの昔に亡くなったとみなされています。今さらエルフたちに受け入れられるのはさすがに難しいでしょう」
「分かっております、ヌフ様。それでも……私に何か出来ることはあるでしょうか?」
「ここでは何もありません」
「…………」
「ですが、セロ様のもとでなら幾らでもあるでしょう」
「つまり、魔族だけでなく、亡者もこの大陸で受け入れられる土壌を作れと?」
「そういうことです。この森のことは当方に任せてください。当方の故郷でもあるのです。悪いようにはいたしません」
「畏まりました。どうかよろしくお願いいたします、エルフ王家最後のお嬢様」
そう言って、ウーノはヌフの前に傅いてみせた。
こうしてエルフ種の族長直系たるウーノ、ドスとトゥレスは去って、エルフの大森林群にはヌフとわずかばかりのダークエルフが残されたわけだが……今の森には、疑心と混迷が渦巻いていた。
そのうち、混迷の方は分かりやすいだろう――
何せ、エルフの半数が呪われて魔族に変じてしまったのだ。
今も、魔力経路と魔核の同調に手間取っている呪人に対して、ヌフが魔術によってサポートをしている最中だが、その一方で森の妖精や妖樹になった者たちの反応は様々だった。
「神聖なエルフだったのに魔族になり果てるとは……」
「森と共にあるべき種族なので、精や樹木になるのは一向に構わないのだが……」
「まあ、これも『エルフ至上主義』などと言って、傲岸に振舞ってきた報いなのだろうて」
「樹木ってことは受粉出来るんですよね?」
そんなふうに我が身の冬を嘆く者ばかりだった。
もっとも、その半数近くが同朋の者に顔向け出来ないと、浮遊城に乗って、早々に第六魔王国に移住することを決めたのはかえって良かった。
第六魔王国は緑豊かな場所だし、迷いの森以外にも森林は多々あるので、そこでしばらく暮らして、多様な種族と接しているうちに自然と身の振り方についても考えてくれるだろうと、ヌフも背中を押してあげた。
その一方で問題だったのは、まるで自らを隔離するかのように大森林群の端に固まって、互いに愚痴を言い合っている者たちだった。
「ああ、情けない……」
「この森でしか生きられないというのに……」
「神聖な森の中でこんな化け者みたいな姿で暮らしていいものか」
「こんなことなら毒竜どもや有翼族どもにでも貪られた方がよほどマシだ」
などと言って、以前よりもよほど引きこもりの度合いが強くなっていた。
とまれ、そんなふうに愚痴を言い合っている間はまだマシだった。さすがに『エルフ至上主義』に長らく浸かっていただけあって、この者たちは早々に自己卑下を終えると、すぐに疑心を強めていった――
「どうすればドス様をお救い出来る?」
「ヌフを捕えて、魔王セロと交渉でもするか?」
「果たして、たかがダークエルフの最長老如きが交渉材料になるだろうか?」
「一応は愛人なのだろう。材料程度にはなるのではないか?」
こんなふうにして、『エルフの丘』から離れた祠にこっそりと集まって、ドスの元近衛たちも含めて喧々諤々の議論を交わしていた。
「そうはいっても、ヌフを捕らえることなど本当に可能なのか? ダークエルフの兵どもはやけに強かったぞ?」
ただ、ドスの元近衛がそう尋ねると、皆は押し黙ってしまった。
実際に、ダークエルフに反発して、皆で攻撃を仕掛けてみたのだが、たった一人相手にこてんぱんにやられてしまったのだ。というか、そもそも相手にすらならなかった。
それもそうだろう。ダークエルフの精鋭たちは人狼と戦い、ルーシーの軍曹ばりのしごきで吸血鬼たちも指導して、王国の聖騎士たちやドワーフたちと筋肉鍛錬も行って、第五魔王国や第三魔王国との戦いにも参戦してきた歴戦の強者たちだ。
森でぬくぬくと実践的ではない華麗な剣技や弓技を追求してきたエルフの近衛など、片手であしらっても問題ない相手だった。
「ということは、彼奴らをどこかに追いやって、ヌフを一人にして捕らえるしかあるまい。なあに、ヌフだけでは何も出来まいて」
そんなこんなでエルフの近衛たちは魔族に変じた同朋こと森の妖精や妖樹たちを焚きつけて、森の片隅で反乱を起こさせている間に、ヌフを急襲する計画を立てた。
……
…………
……………………
が。
「というわけで、下らない企てがあるようなので、皆さんはそれに乗って反乱とやらの鎮圧に一応向かってあげてください」
「畏まりました。ヌフ様もお気をつけください。万が一と言うこともあります」
「そうですね。兆が一もないですけどね」
「ははは。無料大数が一ではないですか? まあ、何にしても、これが良い薬になってくれればいいのですが……」
当然のことながら、間諜が得意なヌフにはバレバレだった。
結局のところ、当日、ヌフが『エルフの丘』で呪人となったエルフたちの治療をいつも通りに行っていると、
「今日こそが年貢の納め時! 覚悟しろ。売国ダークエルフめ!」
いきなり大上段から時代劇みたいな台詞を吐き捨てて、ドスの元近衛たちが登場した。
もちろん、献身的なヌフに対してこれはさすがにひどい仕打ちだと、治療を受けていたエルフたちも感じ取って、それぞれの武器を手に取ってみせたわけだが、
「構いません。それで、当方に何か御用ですか?」
ヌフが他のエルフたちを片手で制して、しれっと元近衛たちに尋ねると、
「所詮、貴様など魔王の愛人枠。ドス様の為に御用となれ!」
これまたしれっと掛詞を使ってくるとは、さすがはエルフである。
それはさておき、一気呵成に元近衛たちは片手剣を振り上げて、四方八方からヌフのもとに急行した。周囲を塞がれて、ヌフには逃げ場がない――
と、思いきや、振りきった片手剣が全て地をかつんと叩いた。
「ど、どこに行った?」
「どこにも行っていないですよ」
その声で振り向くと、たしかにヌフは一歩も動かずに治療を行っていた。
どうやら認識阻害だけで元近衛たちは空間把握が出来なくなっていたようだ。ここにきて元近衛たちも、これは相当に面妖な相手だと理解したらしい。
それぞれが得意の弓を手に取って、しっかりとエイムしてからヌフへと放とうとするも――
「――――っ!」
次瞬、矢は一本も放たれなかった。
そもそも弓を構えたはずなのに、弓そのものが手もとから消えていたのだ。
認識阻害があるものをなくしたように見せかける欺瞞のようなものだとしたら、封印はあるものを完全になくして封じる高等魔術だ。つまり、この瞬間、元近衛たちの武器は全て封じられてしまったのだ。
当然、元近衛たちは狐につままれたような表情になった。
すると、ヌフがいまだに治療を平然と続けながらも、やれやれと肩をすくめてからため息混じりにこぼした。
「貴方がたは当方を舐めすぎです」
「何だと?」
「古エルフにしてドルイドである当方が、たかだか千年も生きていないエルフの雑兵如きに傷一つでも負わされると本気で考えていたのですか?」
そう言うと、ヌフは立ち上がって、自身の魔力を開放した。
ここにもしルーシー、エメスや高潔の元勇者ノーブルなど第六魔王の幹部がいたなら刮目したことだろう。
というのも、ヌフの内包する魔力は亜人族でありながら、第六魔王こと愚者セロに匹敵するほどだったのだ。セロがあまりに禍々しい魔力で対峙する者を圧倒するとしたら、ヌフのそれは清流のように煌めいて皆を包み込んでいった。
そのあまりの清々しさに、元近衛たちも戦意をかき消されてしまったほどだ。
「た、たかだか……せせせ千年も……だと?」
元近衛の一人はそう呟いて後退った。
エルフ種は長寿で知られているが、それでも寿命はせいぜい五、六百年だ。魔族とは違って不死性を有しているわけではない。
実際に、元族長のドスはせいぜい四百歳に届くかどうか。また狙撃手トゥレスやダークエルフの近衛長エークは三百歳ほどで、ここにいる元精鋭たちとて二百歳程度でしかない。千年近くも生きる亜人族など、長老をとうに通り越して、最早土地神に近い存在だ。
もちろん、元近衛たちとて、かつてこの大森林群がそんな土地神にも等しい古エルフたちによって統治されていたことを伝え聞いてきた。
だからこそ、ここにきてやっと元近衛たちは何と対峙しているのか、はっきりと理解することが出来た――眼前にいるのは伝承に出てくる神にも等しいのだ、と。
「この大森林群は現在、第六魔王こと愚者セロ様の管轄地となったばかりです。そんな場所で武装蜂起を企てたこと、永遠の罪に値します」
ヌフがそう宣告すると、元近衛たちは情けなくも喚いた。
「ま、待ってくれ……」
「知らなかったんだ! あんたが古エルフだったなんて!」
「そんなに長生きしているだなんてこと、ドス様からも聞いていなかったぞ!」
「また跡にするのだけは止めてくれ!」
そんなふうに頭を下げてくる元近衛たちに対して、ヌフはにっこりと微笑んだ。
「そうですね。当方も貴方たちには立ち直ってほしいと考えています」
「で、では――」
「エメス様のように跡にすることはいたしません。さすがに非人道的ですからね」
「おおおっ! さすがは古エルフ様!」
「ですから、しばらく猶予を差し上げましょう。その間に身の振り方を考え直してほしいものです」
ヌフがそう言うと、元近衛たちはいつの間にか自らの付けた跡のそばに立たされていた。
そう。ただ、その場に突っ立っていたのだ。歩こうとも。走ろうとも。その場から全く動くことが出来ない。つまり、封じられてしまったわけだ。
「食事だけは定期的に運ばせますから、百年ほどそこでじっくりと考えてください」
「ひええええっ!」
果たして、エメスのように宙高くから落とされて一瞬で跡にされた方がいいのか。それとも百年もの間、この空間に閉じ込められるのがいいのか――
何にせよ、ヌフは「ふう」と息をついた。
ちなみに、「毒竜や有翼族にでも喰われた方がマシだ」とまで言って、森の片隅で蜂起した元エルフたちこと森の妖精や妖樹はというと、ダークエルフの精鋭たちが討伐に向かうと、手の平を返すかのように命乞いしたらしい。
「勝てるわけがありません」
「むしろ、近衛たちに唆されたのです」
「ダークエルフ至上主義万歳! エルフ種の統合万歳!」
「むしろ、ちょっとぐらい齧られたいかも……」
そんなに毒竜などが好きならば、第三魔王国の『竜の巣』で一緒に暮らしてもらおうかと、ヌフはセロを通じて、邪竜ファフニールに相談しようかとも考えた。とまれ、大森林群の疑心と混迷はこうして立ち消えていったのだった。