164 土下座
大陸南東にあるエルフの大森林群のすぐ前では、可笑しな光景が広がっていた。
まず、平原には出来立てほやほやの見事な亀裂が入っていた。
東の魔族領から南の魔族領にかけて伸びた新たな断崖絶壁は、砂漠側の人工の川や『竜の巣』の山々と相まって、さながらエルフの大森林群を陸の孤島にしているかのようにも見えた。
次に、そんな長大な谷の前では一組の男女が土下座していた。
つい数分前までは全身が真っ黒焦げで動くのもままならない姿だったが、そこはさすがに悪魔――ネビロスがアイテムボックスに持ち込んでいた傀儡用の肉体に改めて受肉することで、ネビロスも、ベリアルも、外見上は元通りとなっていた。
もっとも、体はもとに戻っても、とうに心は折れていた……
実際に、その土下座も半日前に墳丘墓にて披露した三つ指をついて済ませていたものから、今回はしかと地面に額を突き付けてひれ伏したものになっている。
今回の状況の方がより深刻だと、二人共にはっきり認識したのだろう。
とはいえ、当初はベリアルも何とか健気に空元気を見せていた。浮遊城が宙から降りて来て、セロがルーシーを伴って現れると、ベリアルは墳丘墓のときと同様に、後先考えずに喧嘩を吹っかけようとしたのだ。
が。
「あれ? こいつ……マジで強くね?」
ベリアルがセロを直視して、顔をしかめると、
「ヤバいです。マズいです。聞いていたのと違います。死にますよ」
ネビロスもセロが無意識のうちに発している禍々しい魔力を目の当たりにして、身の毛もよだつほどの恐怖が全身を走った。
さらにそんなセロとルーシーに加えて、浮遊城からは海竜ラハブ、人造人間エメス、ドルイドのヌフに加えて、セロ配下の近衛の精鋭だけでなく、ヤモリなど超越種の魔物たちまでずらりと出てくる。
しかも、魔女モタの肩に乗って蠅王ベルゼブブ。ついでに、『天の火』の轟音のせいで目覚めの悪い死神レトゥスが憑依した屍喰鬼のウーノも狙撃手トゥレスを伴って現れた。
「てか、ベルゼブブとか、レトゥスとかまでいるってどういうことだよ? あと、あれってたしかエメスだろ? 懐かしーなあ、おい」
「目を合わせない方がいいですよ。喧嘩上等夜露死苦な魔族ですよ。殴りかかってきます。というか、貴方とは気が合うのでは?」
「それに……超越種の魔物が何でこんなにいんの……」
「私……そろそろ貴方と他人のふりしていいですか?」
「とりあえず……あれ、やるか」
「はい。あれで穏便に済ませましょう」
そんなわけで、二人はジャンピングスクリューエアリアル土下座を見事に決めてのけたわけだった。
さて、話はほんの数分前に遡る――
「たまやー」
というエメスの抑揚のない声掛けで、浮遊城から『天の火』が落ちた直後のことだ。
セロはぽかーんと顎が大きく外れかけた。たしか予定されていたのは普通の花火だったはずだ……
王国で真祖カミラ討伐の際に上がった花火はごくごく平凡なものだった。ということは、魔族にとっての花火は概念そのものが違うということだ。
それに少なくともセロの認識上では、たしかに宣戦布告はしたものの、ルーシーやリリンの実父で、これからセロの義父になるエルフの現王ドス、あるいはこの森に潜んでいるらしい真祖カミラとの良き関係を願って、今回の魔王城内デートのラストを演出する祝砲であったはずだ。
ところがどっこい、放たれたのは極悪かつ凶大な雷だった。
もしこれが調整ミスか何かでエルフの大森林群に直撃していたら、森そのものが大陸から消失していてもおかしくなかった……
そういえば――と、セロはふいに思い出す。
夕食に出された物も食べず、それらを供物にしてまでヌフは森の安寧をしかと願っていた。
「もしかして……これが魔族にとって、正しい花火のあり方なんだろうか?」
セロはそう呟いて、ルーシーをちらりと見た。
セロに身を持たせかけているルーシーはというと、そんなセロの心境を察してくれたのかどうか、
「ばぶー」
と、陽気に答えるだけだ。どうやら先ほどの花火がお気に召したらしい。
何にしても、ルーシーがこんな状況だからこそ、セロは自分自身がしっかりしなくちゃダメだと思い直した。
同時に、そんなふうに身を正した瞬間、セロからは世界の全てを硬直させるほどに禍々しいオーラが溢れ出てきた――魔王としての覇気だ。
魔族は全員、特有の魔力をもって、それが無意識のうちに不穏に放たれることで魔族たらしめているわけだが、これほどの凶悪な覇気を発することが出来るのは世界広しと言えど、片手で数えるほどしかいない。
個としては最強を誇る蠅王ベルゼブブ、または地獄長サタン、あるいは冥王ハデスやその側近ルシファーぐらいで、死神レトゥスも、邪竜ファフニールもそこまでには至っていない。
そんなセロがルーシーを伴って、地上に接近した浮遊城から降り立った。
実のところ、『天の火』が放たれる直前に地上に二人の影がちらりと見えたので、いったいどうなったのかと気が気ではなかったのだが、どうやら奇跡的にその二人は無事のようだ。
セロは「ほっ」と安堵の息をつくのと同時に、安全確認を怠ってしまったエメスに――延いては監督責任として自身に苛立った。そのせいでセロの放つ魔力がさらに禍々しさを増していった。
当然のことながら、それを目の当たりにしたベリアルも、ネビロスも、これは敵わない相手だとすぐに察して、ジャンピングスクリューエアリアル土下座を決めている。
セロはそんな様子に「え?」と意表を突かれたわけだが、さらに意外な出来事がすぐに起きた。
「こ、こ、こ、これは……いったい……」
森からエルフの現王ドスが出てきたのだ。
もっとも、屈強な森の戦士ことエルフの精鋭たちは全員が白目を剥いて卒倒している。
その半数は『天の火』の被害に意識が朦朧として、また残りの半数はセロが放った禍々しい魔力に当てられて――対峙する前から完全に気を失ってしまったわけだ。
当のドスにしても、数分前のセロ以上にがぼーんと顎が完全に外れていて、美しい顔つきが見る影もない有り様だ。しかも、腰を抜かして無様に尻餅をつき、両足で隠されているので分かりづらいが失禁までちゃっかりしている。
「キュイ」
すると、ヤモリたちが土魔法で断崖絶壁に橋を架けてくれた。
魔王城に生息しているヤモリたちからすれば、最早この程度の建築はお手の物で、難なく五十メートルほどの頑強な陸橋がすぐに出来上がる。
セロは「もしや」と思って、ドスへと足早に近づいた。
だが、ドスは「ひええ」と腰を抜かしたままで器用に後退する。
そんな二人の距離が十メートルほどになって、狙撃手トゥレスがセロに耳打ちした。
「セロよ。我が兄のドスだ」
「やっぱり、ドスさんですか。はじめまして、第六魔王のセロと言います。この度は――」
と、セロが『天の火』でこんな被害を起こしてしまったことを謝罪しようかなと思った瞬間だった。
「本当に申し訳ございません!」
ドスは臆面もなく、ネビロスやベリアルよりも見事なジャンピングスクリューエアリアル土下座を決めたのだった。