019 人造人間エメスは望む
ギ、ギ、ギ――という機械の部品が擦れたような音が響く。
元第六魔王こと人造人間エメスは人狼の執事アジーンと同じくらいの背丈で、一見すると人族の若い女性に見える。
ただ、痩せぎすで、襤褸々々となった白衣を纏っていて、灰色の長髪がずいぶんと痛んでいる。片眼鏡をかけ、いかにも神経質そうな顔つきで、その肌も継ぎ接ぎが目立ち、こめかみのあたりには太い釘が刺さったままだ。
腕や足の関節がおかしな方向に曲がっているから、おそらく三百六十度可動するのだろう。まるで球体関節人形みたいだ。
そんな人造人間エメスを前にして、ルーシーは執事アジーンに尋ねた。
「この封印は解けるのか?」
「いえ。真祖カミラ様がどこかの術士に依頼して、古の時代から施してきたものだと聞いております。少なくとも手前では解き方が分かりません」
すると、意外なところから声が上がった。
「僭越ながら、わたしたちは解き方を知っています」
そう言ったのはダークエルフの双子の片割れディンだった。ドゥもこくこくと同意するように肯いている。当然ながら、ルーシーが訝しむような口調で聞いた。
「どういうことなのだ、ディンよ」
「この広い牢獄にはダークエルフのドルイドに伝わる封印が張り巡らされています。そもそも、わたしたちが住んでいる《迷いの森》も、ドルイドの封印によって入った者を惑わせるようにしてあります。その為、ダークエルフは万が一に備えて、認識阻害や封印に関する基礎的な知識を身につけます」
ディンがそう語ると、ドゥもまた肯いた。
セロはなるほどと思った。先ほど、隠された地下階段をドゥがすぐに感じ取ったのもそれが理由か。
だが、その話が本当ならば、真祖カミラはダークエルフのドルイドに助力してもらって、人造人間エメスを倒さずに、わざわざこの地下深くに封じたことになる。
「なぜそんな面倒なことを……」
セロはそう呟いたが、過去の経緯はどうあれ、セロにとっては迷惑極まりない者がよりにもよって城の真下に捕らわれているわけだ。セロは顎に片手をやって少しだけ考え込みつつも、結局はルーシーに丸投げすることにした。
「どうしようか?」
「放っておけ。封印したままでも問題あるまい」
が。
「吸血鬼よ。逃げるのか。終了」
唐突にそんな機械的な声が上がった。
人造人間エメスからだ。口を開けた様子はなかった。それに口ぶりもたどたどしく、どこか平坦かつ淡々とした印象を受ける。
一方で、ルーシーは「ふん」と鼻を鳴らして、人造人間エメスに冷めた視線をやった。
「逃げるも何も、貴様のことなどよく知らん。付き合いきれんよ」
「真祖カミラもかつて同じようなことを言った。吸血鬼とは存外、魔族のくせに卑怯な生き物なのですね。終了」
セロは「あちゃー」と顎から額へと片手を動かした。
これはマズい。ルーシーはいわゆる古い価値観の魔族だ。戦って死ぬことこそ誉れだと考えている。だから、売られた喧嘩は買うに決まっている……
そんなルーシーはというと、やはり「うふふ」と怒気を含んだ笑みを浮かべていた。
「まさかとは思うが、人造人間エメスよ。妾を挑発しておいて、封印が解けたとたんに逃げるつもりではなかろうな?」
「残念ながら逃げられる確率は低いでしょう。そこにいるのは新たな魔王――しかも《愚者》の称号を持つ個体と分析しました。弱体化している今の小生が敵う相手ではありません。終了」
「ほう。よく分かっているではないか」
ルーシーはそう応じたが、セロは気掛かりだった……
戦って死ぬことに誉れを見出すはずの真祖カミラが倒さずに封じたほどだ。人造人間エメスは何か奥の手でも持っていて、今の発言はブラフの可能性も捨てきれない。
だが、ルーシーの胸中ではとっくに火が付いていたようだ。
ルーシーはドゥとディンに封印を解くように言うと、二人は魔法陣や格子を調べ始めた。ところが、二人ともすぐに眉をひそめた。
「おかしいですね。この封印は……すでに解かれています」
ディンの言葉にドゥも小さく肯く。
その直後だ。
魔法陣が色褪せて、落雷のような格子も床に吸収されていった。
人造人間エメスを封じていたものがほんの一瞬で全て消え失せてしまったのだ。
セロはドゥとディンを守るように前に立ち、執事アジーンはルーシーのそばに駆けつけた。人造人間エメスはというと、最後に手枷と足枷を力づくで壊して、よろよろと一歩を踏み出した。
「何が起こったんだ?」
セロが背後にいる二人に尋ねるも、むしろ人造人間エメスが抑揚のない口調で説明した。
「もともと、この封印は真祖カミラの魔核に同調して作られていました。過日、その魔核が崩れたことで、封印も弱まったようです。とうに解析も済んでいて、出ようと思えば、いつでも出られたわけです。終了」
すると、ルーシーがゆっくりと前に進みながら尋ねる。
「ならば、なぜここから出なかったのだ?」
「出る必要がなかっただけです」
「どういう意味だ?」
「出たとして何をするのです?」
「再度、第六魔王に返り咲くつもりはないのか?」
「小生は兵器です。《呪い》を受けて不覚にも魔族に転じましたが、もとはと言えば、古の大戦時に人族が魔族に抗う為に、理想の兵器として生み出されたモノです」
「ならば、ここから出て、すぐにでも魔族を滅ぼせばよいではないか?」
「滅ぼす意義を見出せません。小生を作った博士ももういません。守るべきものは全て失われたのです。終了」
人造人間エメスが発した最後の言葉にだけ、セロにはなぜか感情がこもっているように思えた。
博士たち人族を守る為に作られたはずなのに、魔族に転じたことによってその人族全てに牙を剥いてしまった――もしかしたら、人造人間エメスはその贖罪として、いっそこの薄暗い地下に永久に封じられることを望んだのかもしれない。
「それではなぜ、わざわざ妾を挑発した?」
「真祖カミラによく似ていたからです」
「ふん。母上と似ていたとしたら、どうする?」
「もちろん、戦いの続きです。魔族は戦って壊れることこそ本望だと言います。違いますか? 終了」
「いいだろう。では、母上に代わって貴様に引導を渡してやる」
ルーシーはそれだけ言うと、両手首を爪で掻き切った。
ドク、ドク、と垂れ落ちる血が双剣に変じていく。その一方で、人造人間エメスは長柄武器を取り出した。
こうして古の時代に決着がつかなかった戦い――その火蓋がついに切られたのだった。