&18 外伝 クリーンはあれをひた隠す(後半)
「私もその拷問とやらを見学してもよろしいでしょうか?」
第二聖女ことクリーンはそう言ってから、「はっ」と口もとに両手をやった。
今、たしかに「見学しても」と言ったはずだ。ついつい興奮で本音がぽろりと出て、「体験入学しても」とは告げていないはずだ……
その一方でセロはというと、やや首を傾げていた。拷問の執行官は人造人間エメスだ。近衛長のエークや執事のアジーン相手に毎日のように行っているので手慣れているだろうが、何せ今回の相手は敵の魔族こと泥竜ピュトンだ。
さすがにセロでもエメスが行っている拷問の内容まで把握はしていないが、今回ばかりはエメスも容赦なく徹底的に行うはずだ。そんな凄惨なものを果たして聖女に見せても大丈夫なのか――そこまで考えて、セロはクリーンの申し出を断りかけた。
だが、クリーンはそんなセロの機先を制するかのように力説した。
「関係国としては、捕虜が人道的に扱われているかどうか、きちんと確認する必要があるのです」
その言葉に、セロではなく、エークの方がぴくりと眉をひそめた。
当然だ。そんなジュネーブ条約みたいな国際的な取り決めなどこの世界には存在しない。だから、エメスはピュトンの魔核を傷つけない程度に、喜々として残虐な人体実験をするに決まっている。
日課のようにエメスの拷問を受けてきたからこそ、エークは今回のものが相手を多少は思いやった加虐などではなく、一方的な蹂躙に過ぎないことを知っている――おそらく、医学、生物学や魔術工学の発展を狙って、見るも無残な非道かつ非情な実験が繰り返されるはずだ。
だから、エークはクリーンの介入を止めようとした。王国が関係国であって、まだ同盟国でないと言うならば、そうした科学技術の発展を見せてやる必要がないからだ。
が。
セロは「ふむん」と、一つだけ息をついた。
そして、「そういえば……以前、大神殿で学んだことがあったな」と、セロは続けたのだ。
このときセロはたしかに思い出していた――古の大戦の時代には今よりも遥かに高度な戦争時の取り決めがあったはずだと。もしかしたら王国の聖女はそんな古い慣習を代々伝えて、実際にクリーンも戒めとしてきたのかもしれないとも。
もちろん、そんなことは全くなく、クリーンはただ、ただ、ひたすらに現実の拷問に接したい一心で適当に言っているに過ぎなかったのだが……
ただ、クリーンの説得も一応は一理あった。人道的な扱いかどうかはともかく、これから友好的な関係を築こうとしている王国の貴賓に対して、ある程度の誠意は見せてもいいだろうと、セロは考えついたわけだ。
どのみち、凄惨なシーンでクリーンが目を覆いたくなったなら、状態異常の『暗闇』などを与えて、退室を促せばいいだけだ。
それにセロは感銘も受けていた。さすがは聖女だと。捕虜に対しても差別することなく手を差し伸べようとするその清廉な態度に、人を導く者としてあるべき態度を見た気がしたのだ。何と言うか、元婚約者としてセロは誇らしかったほどだ。
とまれ繰り返すが、セロが思うようなことは微塵もなく、クリーンはただ、ただ、ひたすらに――むしろ隙あらば拷問されたい一心で言っているだけだった……
「分かりました。それでは僕も同行しましょう。そちらもせめて護衛を付けてはいかがですか?」
「いえ、大丈夫です。私はセロ様を信じていますから」
クリーンは得意の微笑を浮かべて健気に応じた。
護衛を断ったのは、性癖的にあれなところを王国の誰かに知られたくはなかったからだ。
そんなこんなで浮遊城が北の魔族領に帰還すると、早速ピュトンは地下階層こと司令室付近にある拷問室に連行されてX字型の磔台に縛られた。
「はん! 何をされようとあたしは口を割らないよ!」
気丈に言い張るピュトンだったが、意外にもエメスは無言で返した。
ただ、淡々と拷問器具を調整しているだけだ。しかも、部屋の片隅にはなぜか執事のアジーンが襤褸々々になって倒れ伏していた。意識がない。肉体的に徹底的に苛め抜かれたようだ。
まさにこれが次のピュトンの姿だぞとまざまざと見せつけているようで、そんな冷徹な空気にセロですらわずかに震えたほどだ。
だが、静寂は意外な一言で破られた。
「あのう……すいません。私も……縛られてもいいでしょうか?」
セロの隣から可笑しな声が上がったのだ。もちろん、クリーンだ。
当然のことながらエメスは顔をしかめた。また、セロに付き従っていたエークは「あちゃー」と額に手をやった。
セロも「ん?」と首をやや傾げたが、もしかしたら囚人に対して聖職者が寄り添うようにしたいとクリーンは真摯に考えているのかもしれないと、好意的に解釈することにした。
「じゃあ、エーク。自力で外せるように弱めに縛ってあげて」
セロはそう命じたが、クリーンには不満だった。
エークはやれやれと頭を横に振ると、こっそりときつく縛り上げた。これにはクリーンも目を見張った。そんなクリーンにエークは囁いた。
「聖女殿よ。何を考えているのか知らんが、本来ならそこは私が縛られる場所だったんだぞ」
「ふふ。やはり、貴方も同好の士だったのですね」
「一緒にするな。私は古参だ。聖女殿みたいなにわかではない」
「にわかでも構いません。私には責め苦が必要なのです」
「ほう」
エークとクリーンはばちばちと熱い視線を交わした。
さながら濃いオタクが同志をはっきりと嗅ぎ分けるかのように、二人はひっそり喋り込み、それから「ふん」と結局は同族嫌悪して顔を反らしてしまった。
とはいえ、縛り上げられたことでクリーンはさながら実家に帰ったかのような安心感を得ていた。
聖女という日々の激務の中で、今だけは緊縛に身を任せているだけでいい。しかも、大罪人が受けるような仕打ちに晒されるのだ。実のところ、エークと同じく、クリーンもまた上役に就いたことによって、かえって肉体的かつ精神的な戒めを欲する求道者だった。
ともあれ、エメスの責めは筆舌に尽くし難いものだった……
どれほど凄まじかったかと言うと、かつてトマト畑でコウモリの糞によって狙撃手トゥレスがゲル状に溶かされたことがあったが、あれでもまだマシに見えるといえば分かりやすいだろうか……
状態異常や精神異常を駆使して、強がっていたピュトンからあっという間に必要な情報を抜き出すと、その後はまさにやりたい放題――凄惨な人体実験を淡々と施していった。
これにはさすがにセロはドン引きした。いっそセロの方が『暗闇』で見ないふりをしたほどだ。
一方でエークはまさにプロフェッショナルな技術の数々に程よく絶頂しかけていた。普段は責められる立場なので詳しく知ることは出来なかったが、こうして傍から見るとエメスの責め苦は芸術の域に達していた。
また、クリーンには一切の責め苦は与えられなかったが、すぐ隣で見て追体験したことによって、何度も天にも昇る気持ちになった。これまで生きてきて一番充実した時間を過ごせたと言ってもいい。いっそ第六魔王国の虜囚になって、一生ここに拘束されてもいいんじゃないかしらと本気で検討したぐらいだ。
何にしても、エメスはほんの一時ほどで拷問を止めて、冷静にセロに告げた。
「以上で拷問は終了です」
「あ、はい」
「後はセロ様のご慈悲にお任せしましょう。こちらをどうぞ」
エメスから渡されたのは、棘が付いた長めの鞭だ。
ある意味で棘付き鉄球ことモーニングスターによく似ていたが、なぜこんなものを渡されたのか、セロには全く理解出来なかった。もしかしたら武器の見た目からして、セロも同好の士と勘違いされているのだろうか……
だが、さらにどういう訳かは知らないが、襤褸々々になったピュトンも、先ほど目を覚ましたばかりのアジーンも、セロのそばで身震いしているエークも、全員が何かを期待した目でセロをじっと見つめている。
「打って……くださいませ」
すると、顔を紅潮させつつも、クリーンがセロに嘆願してきた。
「…………」
セロはごくりと唾を飲み込んだ。
この場の異様な雰囲気に完全に飲み込まれていた。セロは精神異常に対する耐性が相当に高いはずだから、これはよほどに追い込まれていたと言っていい。
そのせいか、セロはついに鞭をまずクリーンに対して振りかざした。
が。
「あれ? セロじゃん。んー? こんなとこに、クリーンもいるの?」
呑気な声が廊下から上がった。
モタだった。どこか仏頂面で箒を手にしている。どうやら巴術士ジージが第六魔王国に引越しをするということで、早速地下に割り当てられた一室の掃除を命じられたらしい。
そのモタはというと、ヘブンな感じのクリーンをちらりと見て、鞭でいかにもこれから打ちそうなセロをまじまじと凝視して、
「ひょえええ!」
モタの知らない被虐の世界がそこにあることを察して、すたこらさっさと上階に逃げ込んだ。
「「待って、モタ!」」
セロとクリーンの声が重なった。
モタにかかれば変な噂が広まるのに一時とてかからない。
「セロ様! まずこの拘束具を外してください!」
「分かった……あれ? 何でこんなにきつく縛ってあるんだ?」
「マズいです。モタを止めないと、王国と第六魔王国とで戦争が始まります」
「ええ? どういうこと?」
「モタが変な噂を流したら、魔王が聖女を拷問していたとみられるでしょう」
「そんな馬鹿な! い、いや……でも、状況証拠的にそうなるのか」
「早く、モタを止めましょう!」
「うん!」
こうしてセロとクリーンは必死になってモタを探したわけだ。
お預けを喰らった格好のピュトンたちだったが、これもまた一種の放置プレイだということで、それはそれで満足したらしい。本当に業の深い性癖である……
それはさておき――
当然のことながらモタが言いふらすのに一時どころかわずかな時間もかからなかったわけだが、意外にも王国の者たちは冷静にその話を受け止めていた。
英雄ヘーロスはその報を聞くと、つい苦笑いを浮かべてみせた。
「まあ、元婚約者同士だからな。色々と他人には言えないこともあるだろう」
そんなヘーロスの言葉に対して、女聖騎士キャトルは少女のように顔を真っ赤にした。
「た、たしかに、お二人の間柄ですから……そ、そういうこともあるのでしょうね」
もちろん、そんなことは全くもってないのだが、ともかくエルフの狙撃手トゥレスはいかにもどうでもいいと無言を貫く一方で、「はあ」とため息をついたのはモンクのパーンチだった。
「セロにそんな趣味あったっけかなあ……あいつも男だからな。オレらの知らんとこで、何かしらやってるってことかもしれん」
そして、そんな二人のゴシップに騒々しく捲し立てる神殿の騎士たちを慰めながら、聖騎士たちは肩を組んで魔性の酒場へと誘ったのだった。
ちなみに後年、対象自動読取装置で撮影された、とある一枚の姿絵が出回った――「虜囚の苦痛を聖女として共有することで慰める姿」として、その姿絵は史書にも載せられたわけだが、はてさて、あれな性癖をひた隠せたかどうかについては、結局のところ、歴史学者でも意見が分かれたそうだ。




