&13 外伝 ルーシーと恋愛マスターとのエトセトラ(後半)
泥竜ピュトンはルーシーから恋愛相談を受けて、さすがに「ふう」と天を仰いだ。
そもそも、旧帝国こと第五魔王国を滅ぼした仇敵の相談に乗ってあげる義理など何一つとしてなかった。だから一笑に付すことも容易だったはずだ。
だが、ピュトンがそれをしなかったのは、ルーシーがあまりに初心な乙女の顔つきをしていたからだ。初恋の苦しみはピュトンもいまだに忘れられずにいる。
それに、真祖直系の吸血鬼ということは、いわばルーシーは箱入り娘だ。蝶よ花よと大切に育てられたに違いない。そのせいか、ピュトンはどうしても王国の王女プリムとその姿を重ねてしまった。
ピュトンはやれやれと頭を横に振って、「仕方ないわね」と応じた。
人族の功名心や猜疑心を巧みに突きながら王国を長らく腐らせてきた傾国の美女とはいえ、ピュトンとて元は人族の巫女――当時、帝国の神殿郡では恋愛はご法度にされてきただけに、かえってガールズトークは大好物なのだ。いっそ魔族となった今では恋愛マスターを自認するほどだ。
それに遥か格上の魔族たるルーシーに上から目線でアドバイス出来るという点も、今は虜囚となっているピュトンからすると、何だかプライドが刺激された。
「一応確認するけど、相手はあの第六魔王こと愚者セロなんでしょう? となると、さすがに吸血鬼お得意の『魅了』は効かないわけか……」
「うむ。やるならば、正攻法でいきたいものだ」
「はあ? 何を馬鹿なこと言っているの?」
ピュトンは突然、怒り出した。
恋愛とは全力でぶつかるものだ。たとえどんな卑怯な手段であれ、やましい方法であれ、相手を手に入れなければ意味がない。少しでも『魅了』が効く可能性があるなら、それを使わない手はないのだ。
「うむう。では、ピュトンよ。貴女ならいったいどうするというのだ?」
「まずは、『しゅきしゅきビーム』を毎日こっそりと撃つわ」
「…………」
ちなみにこの『しゅきしゅきビーム』とはピュトンのスキルであって、たとえばメドューサが見たものを石化するような技術によく似ている。当然のことながら、ルーシーには撃てない。
「それから、機を窺って、『しゅきしゅきホールド』で決めるわね」
「…………」
ちなみにこの『しゅきしゅきホールド』もまたピュトンのスキルであって、泥の竜の体でもって縛り上げることで相手を逃すまいとする精神異常系の高等技術である。もちろん、蛇のような体を持っていないルーシーには出来ない。
おかげでルーシーはしばらく押し黙ってしまった……
これはもしや、相談する相手を間違ったかなと、ふいに気づきかけたが、それでもピュトンは人族相手に様々な色恋を仕掛けて工作を成功させてきた魔族だ。何かしら学ぶことぐらいあるだろうと、再度、謙虚に尋ねてみた。
「残念ながら、『しゅきしゅきビーム』も『しゅきしゅきホールド』も妾には出来ない。それに今のセロには『魅了』もろくに効かない。となると、手段は限られてくる。いったいどうすれば最適解を得られるだろうか?」
そんなルーシーに対して、ピュトンは「喝っ!」とビンタを入れた。
もっとも、ピュトンはX字型の磔台に縛られていたので両腕は全く動かない。それでも、ルーシーはまるで気合のビンタを喰らったかのように後退してしまった。
「恋愛に最適解なんてないわ!」
「で、では……どうしろと?」
「まずは日々の行動よ。あんたがセロを好きだということをきちんと伝えるの!」
「そ、そんな……恥ずかしい」
「喝っ!」
またもやルーシーはビンタを喰らったかのように後退った。
「いい? 相手は元人族で神官出身でしょう? それも聖職者にありがちな俗物ではなくて、堅物の方でしょう? だとしたら、理解してくれるなんて一切期待しちゃダメよ」
「そういうものなのか?」
「堅物の聖職者なんて化石みたいなものよ。馬の耳に念仏なんてことわざがあるけど、石には耳すら付いていないわ」
「た、たしかにその通りだな。そうか。セロは石か」
ひどい言われ様だが、あながち間違っていない。
ちなみにこのとき、セロは棺の中で「ぶへっくしょん」と盛大なくしゃみをしつつも、「どこかで誰かが噂でもしているのかなあ」とちょうど首を傾げていた。
それはともかく、ピュトンの話は続く――
「あんたはこれから日々の行動で、セロのことをどれだけ好いているのか、まず言葉で表し、態度で表し、スキンシップもちゃっかり取って、何ならなるべく二人だけで一緒にいる時間を作ってアピールを繰り返しなさい」
「そ、そこまでしなくてはいけないのか……」
「全ては既成事実を作る為よ。外堀から完全に埋めていくの。堅物の化石に気づかせるんじゃない。周囲に分からせるのよ。この獲物はあんた以外のものには決してならないとね。そうしてやっとセロはあんただけのものになるわ」
この助言にはルーシーもなるほどと勉強になった。
いわば、今までルーシーは寛容に過ぎたのだ。『女豹の会』など認めてきたのがそもそもの誤りだった。それが結局、リリンの暴走にも繋がってしまったわけだ。
だからこそ、ルーシーは今後、本物の恋の女豹になろうと決心した。
「そうそう、思い出したわ。恋愛の相談というなら――」
ピュトンはそこで言葉を切って、少しだけ伝えるべきどうか考えあぐねたものの、ここまで相談に乗ったのだから教えてあげてもいいかと割り切って、次のように付け加えた。
「ヒトウスキー伯爵がこの魔王国にまだ滞在しているなら聞いてみるといいわよ」
「ほう。意外な人物の名前が挙がったものだな」
「意外でも何でもないわよ。王国では有名な放蕩貴族だもの。恋愛だって相当に場数を踏んでいるはずよ。そもそも魔王セロは元人族で、しかもまだ魔族になりたてでしょう? だったら、もとの価値観が根強く残っているでしょうから、むしろ人族に相談してみることをお勧めするわ」
「なるほどな。実は、高潔の元勇者ノーブルにも相談してみようかと思っていたのだが――」
「止めときなさい。勇者なんて碌な奴がいないわ。いや、まあ、ノーブルはまともな方だとは思うけど、そもそもずっと昔に聖女に片思いしてから独り身を通しているような律儀な男よ。参考になるとは到底思えないわ」
「ふむう。では、巴術士ジージはどうだ?」
その名前を出したとたん、ピュトンは「けっ」と唾を吐いた。
「私の前でその名前を出さないでくれる?」
「すまなかったな。それほど嫌いか?」
「嫌いも何も――」
と、これまた言いかけて、ピュトンは「はあ」と深いため息をついた。
「あの爺さんは百二十年生きてきたけど、家族を持っていないわ。つまり、王国の権謀術数の渦中に身を置く為に、あえて自ら恋愛を禁じてきたってわけ。まあ、その大半が陰で動いていた私のせいではあるんだけど……」
ピュトンはそこまで言って、またもや「ふう」と大きな息をついた。
「それでも人族の心理には詳しいだろうから、聞いてみるのも一つの手ではあるわね。何なら、ノーブルにしても、ジージの奴にしても、協力させればいいのよ」
「協力だと?」
「あんたの恋愛が上手くいくように手を組むってこと。そこまで言わないと分からない?」
ルーシーは「ほほう」と感心した。
恋愛は個人対個人の戦いだと思っていたから、援軍を利用するという観点は抜けていた。しかも、異性の協力者を募るというのはルーシーにとっては完全に盲点だった。
「助かった。恩に着るぞ」
「だったらさあ。そろそろ、私を逃がしてくれない?」
「逃げてどこに行くのだ?」
「大神殿に潜んでいるはずの王女プリムのところかな」
「だとしたら、さすがに妾も見逃せないな」
「ケチ。でもね。あの娘、放っておけないのよ。天使が受肉している以上に、心がすでに壊れてしまっているから」
ピュトンはそう言って、どこか遠い目をした。
「王女を助けたいのか?」
「そんな大層なものじゃないわ。ただ、最後まで見届けてあげたいのよ」
ピュトンの返事にルーシーは「ふむ」と応じはしたものの、感謝の意だけ込めて片手を振って拷問室から出て行った。ピュトンはというと、その後姿を見送りながら、やれやれと頭を横に振って呟いた。
「まあ、あんたたちの恋愛については、見届けなくても結果は分かっているんだけどね」