&11 外伝 モタはやらかす(終盤)
我輩は瓶である。名前はやはりまだない。
というか、本当にまだ名付けてもらっていないのだから仕方がない。そもそもあのハーフリングの魔術師はどこに行ったのだ。我輩を放っておいてからに……
「む? 何だか……おかしいな」
というのも、我輩が廊下に出たとたん、幾人かのダークエルフや吸血鬼たちがざわついたのだ。
しかも、何か知らんが一瞬で『魅了』にかかってしまったようだ。ふふん。もしや我輩の魂の気高さに感じ入ってしまったか。地上世界に出たのは久しぶりだからな。まあ、仕方あるまいて。
そもそも我輩、地下世界では無法者として嫌われているが、こう見えても冥界で最も多くの悪魔どもをねじ伏せて配下にしてきた軍団長でもあるのだ。もっとも、今は魔術瓶に入った、ただの怪しい液体だけども……
「いや、違うな……彼奴ら、先ほどから、モタ様、モタ様と、うわ言のように繰り返しているぞ」
ここにきて我輩も少しだけ首を傾げた。
もちろん、首などないから雰囲気的に何となく傾けただけだが、冷静になって再度、我輩がいったい何の液体なのか確認してみる。
……
…………
……………………
うむ。これはいわゆる媚薬だな。
しかも、相当にヤバいやつだ。惚れさせるというよりも、耐性のない者が嗅いだら、発狂した上に廃人になるレベルのものだ。何というえげつない代物を作るんだ。
第二魔王の大悪魔たる我輩とてドン引きの一品だぞ。いったい、いつから地上世界では常識というものが失われてしまったというのだ……
「あ、いかん!」
見れば、恋の亡者のようになったダークエルフや吸血鬼どもがぞろぞろと降りていくではないか。
おそらくあのハーフリングの魔術師を求めに行ったのだろう。探す手間が省けたとも言えるが、このままでは全て、我輩のせいになってしまう。
というか、異世界に召喚されたときは契約以外のことをしないのが悪魔としての不問律だというのに……まあ、我輩とてこうやって部屋から勝手に出てきたわけだから、あまりそういうことを言えた立場ではないか。
「仕方あるまい。我輩とてトラブルは御免だからな。穏便に済むように尻拭いでもしてやるか」
こうして、我輩は『魅了』を解いてやろうと、階下に降りて行ったわけだ。
が。
「ぐははは! 行け! 我輩の軍団の者どもよ。あの二人をせいぜい懲らしめてやれい!」
気がつけば、我輩は『魅了』にかかったダークエルフと吸血鬼に指示を出していた。
「アジーン! わたしはこの場に『魅了』を上書きする術式を展開する!」
「分かった! それが発動するまでは手前が何とか持ち堪えてやる!」
あれれー? 何だかおかしいなー。
なぜ我輩はこんなふうにノリノリで悪役みたいなポジションで戦っているんだろうか?
まあ、いいか。向こうから先に仕掛けてきたわけだし、これは正当防衛というやつだろう。とりあえず、あのハーフリングと人狼を倒してからその後の事は考えよう。うむ。
ちなみに、このときセロは温泉宿泊施設でシュペル・ヴァンディス伯爵やドワーフ代表のオッタと他愛のない世間話をしつつも、少しばかり遅めの昼食を取って、皆で赤湯に入ろうとしていた。
また、高潔の元勇者ノーブルとモンクのパーンチはひたすら筋トレしていた。
巴術士ジージはというと、そんなノーブルとパーンチのすぐそばで念仏を唱えていた。
もちろん、セロの様々な名号を考案して連ねた独自の念仏である。翌日の昼にノーブルたちがセロに筋肉を見せびらかしたのも、この念仏を散々聞かされたことによって、筋肉を奉納せねばなるまいという強迫観念が培われたからに違いない……
それはともかくとして、第六魔王国の玉座の間の前で、人狼の執事アジーンは頬に冷や汗をかいていた。
ダークエルフや吸血鬼たちだけなら何とかなった。モタによって何とか『魅了』を上書きする魔術が発動して、モタだいしゅきフィールドの効果が薄れたことで、それぞれの動きが鈍くなってきたからだ。
モタの魔術は、今度はアジーンを好きになるという『魅了』を全員に上掛けするものだった。
これによってモタだけを強烈に好きという状態から、モタもアジーンもどっちも何となく好きという状況にもっていったわけだ。
もちろん、モタとて遊んでいるわけではない。二人のことを好きになれば、二人に対して致命的な攻撃は仕掛けてこない。少なくとも抱きついてきたり、キスしようとしたりはするが、その程度なら大した攻撃とは言えない。
だが、さすがに夢魔のリリンは別格だった……
「モタ……アジーン……だいしゅき。私の為に死んでくれるよね?」
意外にも、ヤンデレだったのだ。
これにはアジーンも頬に汗を流してドン引きした。いったいどこで教育を間違ってしまったのか。
もっとも、真祖カミラが存命だった頃には、たしかにルーシーにばかりかまけて、次女や三女の教育はおざなりにはなっていた。そのつけがここにきて出てきてしまったのかと、アジーンも執事として反省しきりだった。
一方で、モタはというと、魔術瓶に入った第二魔王ベルゼブブと魔術合戦を行っていた。
魂のごくごく一部分が召喚されているとはいえ、さすがは地下世界の魔王ことベルゼブブ――古の大戦を生き抜いた歴戦の大悪魔に対して、幾ら天才とはいえ若くて未熟なモタ一人では荷が重かった。
「『火矢』、『火炎球』、『炎柱』、それに『灼熱砲火』!」
中身は液体だからいっそのこと蒸発させてしまおうと試みるモタだったが、
「『氷矢』、『氷弾』、『氷柱』、ついでに『氷壁の大瀑布』!」
ベルゼブブは丁寧にモタの魔術を打ち消すレベルで対抗してきた。いかにもこの魔王城に危害を加えないようにといった意図まで透けて見えてくる。さながら指導試合のようだ。
これにはモタも誇りを傷つけられて、「ううー」とその場で地団駄を踏んだ。
こうしてしばらく拮抗した戦いが続いたのだが、そのバランスはやはり時間と共に崩れていった。ついにアジーンに飲ませた特効薬の効果が切れてしまったのだ。
「愛しのモタ様、今度こそ、手前のおけつを虐めて……」
「げっ!」
モタはさすがに慌てふためいた。
同時に、これまでアジーンが何とか堰き止めていたダークエルフや吸血鬼たちも、「モタ様ーっ!」と呟きながらキス魔の如く、モタを求めて押しかけてきた。しかも、最悪なことに、その先頭にはリリンが立って、
「ねえ、モタ。私と い・い・こ・と しよう?」
と、魔鎌を手に一心不乱に迫ってきた。
モタは涙目になった。さすがにすたこらさっさと逃げ出したかった。
だが、こんな事態を招いたのはモタ自身だ。何とかけりをつけなくてはいけない――
モタは杖を構えて、覚悟を決めた。キスだろうと、いいことだろうと、何だってされてやると下唇をギュっと噛みしめる。
この身がどうなろうとも構わない。それでも、あの魔術瓶に入っている媚薬だけはどうにかしないといけない。このままでは魔王城内の者たちにさらなる被害が出る。
そのとき、モタはふと思いついた――あの媚薬に召喚した悪魔はまるでモタに見せつけるかのように反対属性の魔術を展開してくる。
ということは、モタが火の魔術を使えば、水の魔術で相殺してくるということだ。逆に言えば、それがモタにとって唯一の機会だ。
「いでよ! 『四方を取り囲む業炎』!」
モタは相手に考える隙を与えなように、瓶の周りに無詠唱で大魔術を発動した。
それに対して、瓶こと第二魔王ベルゼブブは周囲の炎を打ち消すかのように水の魔術を展開した。
「ふん。『全てを閉じ込める凍土』!」
直後、モタの発した業火はきれいに凍土にかき消されてしまった。
無詠唱で合わせるタイミングが取りづらかったはずなのに、本当に見事なまでのカウンターだ。相手がいったいどんな悪魔だったのかは知らないが、師匠のジージを上回る使い手だと、モタも感心せざるを得なかった。やはり上には上がいるものだ。
「にしし」
だからこそ、モタはにやりと笑ってみせた。
瓶の周囲の炎を打ち消したということは、その氷は全て溶けたことになる――結果として、瓶の中に滝雨のように水が落ちてきた。
媚薬の構成要素のほとんどは清水こと水分なので、大量の雨が降ってくれば、当然のことながら媚薬は水で薄められて、魔術瓶から溢れて、この廊下一帯にこぼれ出てくる。当然、名付けもしていない悪魔は霧散するはずだ。
もっとも、すぐには『魅了』の効果は消えないだろうが、これにて一応の危機は去った。
モタは満足した笑みを浮かべながらも、迫りくる大量の恋の亡者たち――先頭を突き進むリリンはというと、濃厚なちゅーをしようとモタの頭を両手でがっしりと掴んできたし、そのすぐ後ろには下半身を剥き出しにしたアジーンがいて、逝っちゃった目つきでおけつを突き出してきた。
「天網恢恢、疎にして漏らさず哉」
さながらジージの如く、モタは目を閉じて、かなり渋めの辞世の句を読んだ。
が。
「はあ。リリンはいったい何をやっているのだ。姉としてさすがに恥ずかしいぞ」
「アジーンについてはこれを機に小生がしっかりと躾けておきましょう、終了」
「では、当方はとりあえず、全員の『魅了』を解いておけばいいですね?」
ルーシー、人造人間エメスにドルイドのヌフがやって来たのだ。
これまた当然だろう。この廊下での出来事は最初から全て対象自動読取装置によって監視されていたのだ。実のところ、むしろ三人は出番を探っていたと言ってもいい。
「みんなー」
モタはへろへろとその場に崩れた。
リリンはルーシーに後頭部をチョップっされ、またアジーンはエメスに簡単に調教され、そして他の恋の亡者たちはヌフによる法術であっけなく『魅了』を解除された。
肝心の第二魔王ベルゼブブはというと、受肉していた液体が薄まって、名付けもされていなかったことも合わさって、その不安定な魂はあっという間に立ち消えてしまった。
もっとも、古の時代を知っているエメスとヌフはというと、互いに目を合わせて、魔術瓶に羽が生えていて、さらにそこに髑髏の印が入っていたこともあって、
「まさか……終了」
「ええ。そのまさかとは思いますが……」
二人とも、とある大悪魔の存在を思い浮かべるのだった。
何にしても、これにて媚薬騒動は決着がついた。ただ、今回のことは『女豹の会』によって全て隠蔽された。
そもそも、セロに媚薬を飲ませるなどというテロ行為が白日の下に晒されたら、それこそリリンとモタは処刑されても仕方がない立場になる……
だから、それぞれの女豹たちはモタに悪魔抜きの媚薬を作ってもらい、こっそりと懐にしまい込むことでリリンやモタと取引をした。結果的に、今回の騒動については、リリンが自身の『魅了』の効果を高める為にモタに媚薬を依頼したという流れになって、
「聞いたよ。今日の午後、まーたモタがやらかしたってさ」
「ごめんなしゃい」
「いえ、セロ様。今回の件は私が悪いのです。モタのせいではありません」
「とりあえず、二人とも、今後は気をつけてね」
と、夕食時にセロに呆れられて、モタとリリンはしゅんとして、一件落着となったわけだ。
ところで、ここは地下世界――
第二魔王こと蠅王ベルゼブブの支配領域こと魔界の中心にある浮遊城にて、ベルゼブブはぷんぷんと羽音を立てて飛んでいた。
容姿は愛らしい幼女である。いかにも起きがけで不満顔かと思いきや、「んー」と思案顔になって、突然、ぱあっと笑みを浮かべてといったふうに、はてさて何を考えているのか――先ほどから百面相がとても忙しない。
ぼさぼさの長い赤髪をツインテールにしていて、エンパイアシルエットのドレスを纏ってはいるものの、体形に合っていないのでぶかぶかの腰巻にしか見えない。
一見すると、可愛い天使のようにも思えるが、その羽には髑髏の魔紋が入っていて、百面相の顔には触角もあって、そこにも幾つもの髑髏が悲嘆の表情を浮かべている。小さな身から滲み出てくる魔力はセロ以上に毒々しい。
そんな矛盾した姿に、これが果たして創世の頃より生きてきた大悪魔なのかと、御前で跪く誰もが首を傾げるわけだが、単体としての純粋な実力で言えば地獄長や死神も上回ると噂される存在だ。
そんなベルゼブブに対して、配下の蠅騎士団の副団長ことアスタロトが痛む胃を押さえつけながら尋ねた。
「おかえりなさいませ。何か楽しいことでもございましたか?」
「ふむ。中々に面白い場所に行ってきたぞ」
「おや、地上世界ではなかったのですか?」
「何だ、知っておったのか。さては、あの一瞬で召喚術の術式を読み解いたな?」
「はい。それで……結局、地上世界はどのようになり果てましたか? 大陸が割けましたか? 海が気化しましたか? それとも空が落ちましたか?」
「ふふん。案ずるな。暴れてなどおらん。それに天族との約定も破っておらんぞ。それよりも、今度の『万魔節』は本当に楽しみだ。新たな第六魔王に早く会いたいものだな」
「それほどの者でしたか?」
「いや、実は本人にはまだ会っておらんのだ。だが、幾人か手下には会ってきた。その中には懐かしい者もおった。何にせよ、今度の『万魔節』は荒れるぞ。また大戦が起きるかもしれん――どうやら冥王は我らをついに争わせるつもりのようだ」
ベルゼブブはそう言って、モタみたいに「にしし」と笑ってみせた。
「そのときこそ、冥王ごと倒して、我輩が全てを統べる者となってやろうぞ!」