第一章 partー5
「それから渡す物が二つあります。一つはこれ」
と一通の書類を母に渡した。
「これは戸籍謄本……。まあ!」
「どうした?」
「ほら、あなた。弘美ちゃんのところが『長女』になってるの」
「どれどれ……ほんとだ」
「俺にも見せてよ。うーん……性別を抹消訂正していないから、生まれついての女の子ということじゃないか」
「ほんとだ」
戸籍謄本を回し見して確認している家族達。
「口でいうよりも実物証拠を見せた方が理解しやすいと思って持ってきました」
「恐縮いたします」
「それともう一つは……」
というと紙包みを差し出した。
それを受け取って開けてみる母。
「まあ、これは! 弘美ちゃんの学校の女子制服じゃない」
「どれ、ほんとだ」
「明日からの通学のために用意しました。これがないと困ると思いまして」
「ありがとうございます。何もかも至れり尽せり感謝します」
「女神としては当然のことですよ。すべては弘美さんが何不自由なく女の子として生きていけるようにしなくてはならないのですから」
「いい加減にしてよ!」
これまでじっと静観して弘美が叫んだ。
あまりにも傍若無人じゃないか。
じぶんの意思が完全に無視されている。
俺……あたしの人生どうなっちゃうの?
ヴィーナスを交えての家族あげての祝杯は続いた。
夜が明けた。
これからの将来を案じてほとんど眠れなかった。
「弘美ちゃん。朝ですよ」
朝はいつも低血圧だった。
だから誰かに起こされる。ほとんどが武司兄さんだが……。
あれ? 何で母さんが起こしにくるの?
何せ六人分の朝食の支度やその他もろもろ、主婦の朝は忙しいから、起こしにこれる状況ではないはずなのに。
「早く朝食を食べないと、学校に遅れますよ」
と、やんわりとやさしく起こそうとしている。まるで女の子を起こすように……。
女の子?
あ?
がばっ! と飛び起きて確認する。
髪……長い。
胸……ある。
あそこ……ない。(涙)
「あーん。やっぱり夢じゃないよ……。女の子のままだよー」
忙しい母さんが、わざわざ起こしにきたのはそのせいだったのね。女の子の部屋ということで、兄さん達は遠慮しているようだ。
「何を今更なことを言ってるんですか。ほらほら、早く着替えなさい」
と、パジャマを脱がされ、素っ裸に……。
うーん。この姿は兄さん達には見せられないよなあ……。
ここにいるのは母と娘、女同士だからいいんだけど……。産みの親とはいえ、あまり裸は見られたくないな。
しかし母は一向に気にしていない。昨日のようにブラジャーとかの下着を着せられる。
ブラジャーを着用しはじめて二日め。そうそう慣れるものではない。どうも窮屈な感じがする。
「いいわね……。じゃあ制服を着なさい」
「これって、栄進の女子制服じゃない。ヴィーナスがくれたやつ……」
「当たり前でしょ。女の子なんだから」
「これで学校に行くの?」
「大丈夫よ。ヴィーナスさんがおっしゃってたじゃない。ご近所さんから学校関係者まで、弘美ちゃんに関わる人々の記憶をすり替えたって。戸籍も女の子になってるしね」
「そんなこと信じられないよ」
「女神さまなんだから間違いないわよ。今朝のゴミ出しの際に、近所の奥さんと話していて、弘美ちゃんの話題になるようにそれとなく誘導したら、『弘美ちゃんて、とても可愛いいお嬢さんね。うらやましいわ』って言ってたから」
「ほんと?」
「だから心配しなくてもいいのよ。学校の先生やお友達も、記憶をすり替えてあるはずだから、安心して女の子として当校できるわ」
「ほんとかなあ……」
この目で確認するまでは信じられない。なにより信じて女子制服で登校して、以前のままだったら、それこそ一生笑い草にされてしまうじゃない。
気が思いよお……。
なんて言ってるうちに、すっかり女子制服姿になっていた。
母さんは着せ替え人形が得意?
「さあ、下へ行きましょう。みんなが待ってるわ」
「待ってるって?」
「可愛い弘美ちゃんを一目見てから、出かけるつもりみたいね」
「そんなのないよ。あ、あたしに構わず行ってくれりゃいいものを」
「そんなこと言うんじゃありませんよ。せっかく家族愛に燃えているんだから」
「結局さらしものにされるだけじゃない」
「弘美ちゃん……」
「いいよ、もう……。どうせ避けられない運命なんだから、串刺しにでも何でもしてよ」
といいながら鞄を手に取る弘美だった。
「そうそう、何事もあきらめが肝心よ。昨日も言ったけど、一度その姿を見せれば慣れちゃうから」
下へ降りると、みんなの視線が一斉に集中する。
「おはよう、弘美ちゃん」
挨拶もほとんど同時だった。
「う、うん。おはよう……」
「その制服似合ってるよ」
「あ、ありがとう」
自分の席に着く。
「じゃあ、遅れるから行かなくちゃ」
と立ち上がる信一郎兄さん。
「あ、俺も」
そして異口同音に、
「じゃあ、弘美ちゃん。行ってくるね」
ああ、勝手に行って頂戴。
とは思ったが、
「いってらっしゃい」
と可愛く答える弘美だった。
わざわざ手を振って出かけていく兄さん達。
「父さんは?」
「昨日早く帰ってきたでしょ。だから今日は早めに出勤してやり残したことをかたずけるそうよ」
「そんなだったら、早く帰ってくることもなかったのに。母さんが教えたんでしょ」
「お父さんも女の子が欲しかった人ですからね。一刻も早く知らせてあげようと連絡したのよ。そしたら速攻で帰ってきちゃったわ。よほど早く逢いたかったのね。だから理解してあげてね。それから、父さん母さんじゃなくて、お父さんお母さんと、『お』をつけて呼びなさいね。女の子なんだから」
「お、お母さん? って呼べばいいわけね」
逆らってもしようがないので、素直に言うことを聞いてあげよう。
「そうよ」
言いながら、ご飯と味噌汁をよそってくれる。
「はい、どうぞ。良く噛んで食べなさいよ」
良く噛んで……だなんて今まで、一度だって言ったことがないのに……。
言葉遣いもやさしいし。
それに引き替え、まるで反対の態度なのが武司兄さんだ。
上の三人の兄と違って、朝から一言も口を開いていない。部屋を追い出されたのが気に触ったのかなあ……。
「それから武司には途中まで同じ道だから、一緒に学校まで送ってもらうことにしたよ」
ああ……どうりで、ぶすっとしているわけね。