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ヴァレンシュタインシリーズ

旅好きプリンセス

作者: 川里隼生

川里隼生小説百五十作記念作品

「やっぱり旅行はお忍びに限るわねー」

 ドイツとポーランドに挟まれ、バルト海に面する小さいながらも豊かで平和な国、ヴァレンシュタイン公国。現在のヴァレンシュタイン家長女、エリーゼ・ヴァレンシュタイン公爵令嬢はベルリンからの定期便で成田空港に降り立たれた。このことは日独両政府には知らされていない。元首であるレオン・ヴァレンシュタイン公が娘の道楽のために他国に負担をかけることは避けたいというお考えをお持ちのためだ。


 水色の表紙に、炎を内包した氷の紋章が描かれたパスポートをエリーゼ様が日本の入国管理官に渡された。この国章はヴァレンシュタイン家の百五十年続く紋章である。パスポート自体は一般旅券であり、一人の国民としてエリーゼ様が役所で取得された。ヴァレンシュタイン家の人間なら発行手数料のかからない外交旅券を申請することもできるのだが、外交旅券は公務がある場合でしか発給されないものであり、今回は仕事と関係ない個人的な旅行なので許可されない。このことはエリーゼ様もわかっておられた。


 個人的な旅行とはいえ、エリーゼ様が一人で海外旅行に来られたわけではない。

「いくら旅費がもったいなくても、せめてファーストクラスを取りましょうよ……。私は既に体が痛いですよ」

 この私、近侍のハンナ・フランツがエリーゼ様の指名を受けて付き添っている。学年がエリーゼ様と同じであり、女同士で都合も良いとレオン公直々の許可までいただいた。


 私の使命はエリーゼ様を何事もなく帰国まで護衛して差し上げること。とはいえ、せっかく遠い国まで来たのだから、できる限りエリーゼ様には自由に楽しんでいただきたい。まずは東京駅を目指すべく、二人で地図を見る。

「ねえハンナ。私たちは今からどっちに歩いていけばいいのかしら?」

「私だってわからないですよ。ここに来るの初めてなんですから」


 ヴァレンシュタインと日本の関係は浅くない。冷戦終結後の一九九〇年、それまで東ドイツの一部だったヴァレンシュタインは第二次世界大戦前の領土のまま、資本主義かつ立憲君主制の国家として独立を果たしたが、決して豊かではなかった。独立後の援助をしてくれた国のひとつが日本だった。一方でヴァレンシュタインも二〇一一年の東日本大震災発生時に少額ながら義援金を送った。その義援金で福島県の道路が整備されたことは一時的な話題になった。


 列車に乗っている間、私はこのように母国と日本について思索していたが、エリーゼ様は窓に張り付いておられた。まあ、海外旅行というものは難しいことを考えずにいるのが正しい楽しみ方なのかもしれない。東京の街並みは近未来的だ。古い建物が無い。ヴァレンシュタインの市街は中世の古い建物が多く残っている、と言えば聞こえは良いが、厳しい景観規制が国の発展を阻んでいるという批判もある。


「ところで、エリーゼ様」

「なにかしら?」

 窓から目を離し、私の目を見られる。エリーゼ様は人と会話されるときはほとんど、笑顔で相手の目を見つめておられる。

「ご卒業おめでとうございます」

 エリーゼ様はこの六月で中等教育を修了された。


「ありがとう。私の卒業を祝ってくれたのは、あなたで何人目かしら」

 エリーゼ様は優雅に笑われた。もう多くの人々から祝福を受けておられたことは私も承知していたが、それでも長く近侍を務める者として言っておきたかった。

「でも、それならあなたも同じ学校を卒業しているわ。卒業おめでとう、ハンナ」

 まさか家族と教師以外から、それもエリーゼ様から私が卒業を祝っていただけるとは思わなかった。


 このあとエリーゼ様は上野、浅草、台場、六本木、原宿を三日かけて観光された。道に迷ったり、看板の日本語が読めなかったり、他にも色々あったが、エリーゼ様の明るさのおかげで、護衛任務があるとはいえ私も旅行を楽しませていただいた。そして帰り際、成田空港へ向かう列車の中で、エリーゼ様が私の目を見つめられた。今回の旅行を通してこの時だけ、真剣な表情をされた。

「ねえハンナ。どうして私が海外旅行先にこの国を選んだか、わかる?」

 私は少し黙考してから答えた。

「我が国と関係が深いから、ですか?」


 エリーゼ様は首を横に振られた。

「いいえ。ヴァレンシュタインと関係の深い国に行きたいのならドイツに行けば良いじゃない。実際に公女として何度も行っているし。……まあ、確かに日本には良くしてもらっているわ。私だっていつかは国の代表として働くことになるんだし、友好国のことは知っておかないとね。それも理由のひとつではあるから、半分くらいは正解よ」

 正直に言えば、ただ遊びで旅行されているだけだと思っていた私は、深く感銘を受けた。それと同時に、ヴァレンシュタイン公国の将来は明るいと確信した。


「ではエリーゼ様、友好国への訪問ということでしたら比較的近隣のアメリカやヨーロッパ諸国も候補に挙がるはずですが、どうして最も旅費のかかる日本に?」

「アメリカはだめよ」

 ぴしゃりと言われた。エリーゼ様は別に反米主義ではなかったはずだが。

「アメリカでは絶対にだめ。ヨーロッパもだめ。万全を期すためには、日本じゃなければいけなかったの」


「それはまた、なぜ?」

「教えてあげるから、手を出してちょうだい」

 言われるがまま、私は右手を差し出した。その手のひらの上に、水色の扇子が置かれた。原宿の店にあったものだ。

「あなたが私の護衛を忘れてまで見つめていたものだから、つい買ってしまったわ。この国の標準時はヴァレンシュタインより早いのよ。私が最初に言いたかった。誕生日おめでとう、ハンナ」


 その言葉を聞いた私は、感動のあまりまともに体を動かせなくなっていた。ありがとうございます。そう言いたかったのに、私の口からは嗚咽が漏れるだけだった。そうか。だからヴァレンシュタインより西にあって、標準時の遅い国は候補から外れたんだ。涙を手で拭こうとする私に、エリーゼ様は優しく微笑み、ハンカチを渡してくださった。ここまでされて、私はやっとわかった。近侍としてではなく、一人の友達として、私はエリーゼ・ヴァレンシュタインが好きなのだと。

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