鳴き止んだ鈴の音【エピローグ】
駅舎とビル街が入り組み、交差する。都会らしい先進的な町並み。
三月初旬ともなるとコートいらずの温かさだが、寒くないわけでもない。
大きくはないけれど、パンパンに詰まったザックは足元に下ろされていた。
さて、待ち人はまだのようだ。
新幹線には何度も乗ったことがある。しかし東京駅も京都駅も長野駅もあまりなじみのない身からすると、どうしたってすこし外れの田舎町のほうが落ち着く。
このあたりの駅前も、休日の喧騒とあって、ほんのちょっと心細い。
海音まだかな。心のなかで意中の相手を求めるが、視線の先に親しんだ友の姿はいまだない。挙動不審にキョロキョロしてしまうクセも、好奇心旺盛な少女時代であれば美徳と受け取られるが、年ごろになると減点対象になるから手痛い。
金属製のバーにお尻をあずけ、足元をブラブラ揺らした。子供っぽい仕草だが、意識で止めても無意識で再開してしまうから、考えるだけムダなのだ。
さて、お休みの四日間、どこに行こうか。
案内してくれるのなら都会散歩も悪くない。田舎者の素振りを見せても許してくれるのなら。馬鹿にされるのはいただけないけど。安心できる地元でぺちゃくちゃと喋っているだけでも、きっと楽しいから構わない。それにもしかしたら、海音と同じ黒須第一大学に通う、サキや紫織にも話がとおっているかもしれない。
紫織には年末に会ったからまだしも、サキには一応、謝罪の一言も必要か。
クリッとした鈴のような両目を乗せた小顔は、あどけない少女の顔つき。冬風になびかせているセミロングの黒髪こそ、齢十九と二十との境にいる女性らしさを醸し出してきてはいるが、頭をフラフラ、手をパタパタ、足をブラブラ。そうしている仕草を加味すると、どう見ても大学生には見えない。
事実、周りの同年代と違って大学生の身分ではないから、間違いではないが。
彼女の振る舞いは単に、今日からはじまる連休が楽しみだったのだ。
本当に楽しみにしていたのだ。七咲鈴子は、天河海音の家にお泊りするのを。
「ガキかよおまえ。遠目から見てても恥ずかしいわ。もっと落ち着け」
聞き慣れた声を聞くと同時に、口は開いた。
「あっ、海音おそーいっ! 五分遅れだっ!」
「心に余裕があるんだよ。しっかし背も胸も三年前と変わんねぇな、おまえ」
「し、失礼な、失礼なっ! そっちだって……そのお……もうっ!」
「きっひっひ! 相手を見て言いな、スレンダーさんよぉ」
「もうっ……久々だね、海音」
「おう、顔見んのは一昨年のJDSぶりか」
「だね。ひひひ」
「きっひっひ」
数少ない親友のうち、二人が同じくらい口汚いとなると、多少の悪い口には嫌でも慣れてしまい、今では気にすら止められなくなった。
年単位で会っていなくてもそれは変わらない。ウミネはウミネ。出会った当初のお嬢さまなころとさえ比較しなければ、ずっと海音のままだ。
「ほら、いこーよ。海音のお家はじめてなんだから」
「メシいーの?」
「あとでいーよ。氷空ちゃんにも会いたいし」
「あー、氷空ちゃんは夜までいねぇんだわ。ドレソの練習中で」
「左様ですかい。氷空ちゃんもドレソ続けてるんだね」
「おかげさまでな。手癖のきったねぇ盗賊女の居合いのまんまだよ」
「……それは、まあ、うちの子もそうだし。おあいこってことで、ここはひとつ」
「きっひっひ! なぁにがおあいこだボケっ」
久しぶりの会話でも、リズムにずれがない。あのころのまま。
電話やメッセージは菖蒲と同じく面倒だ。月に一回でも「うーめんどー」となってしまう物臭っぷり。JDS中も顔を合わせる機会はそれほどなかった。一番長く話せる時間が戦場というくらいに、ここ数年はソードでの対話ばかりだった。
そんなやつなのに、ときおり長い相談をしたり、今日のように押しかけたりしても、彼女は悪態をつきながら「しょうがねーなー」と親身になってくれる。
鈴子の知っている者のなかで、彼女ほど“イイやつ”はいない。
海音の家に着くまでの短い道のりでは、話したいことが到底話しきれなかった。ここだ。そう言われて会話を中断すると、目の前にはプチ豪邸といっても差し支えなさそうな一軒家。天河家の邸宅は、予想よりもはるかに大きかった。
一戸建ての門をとおり、グレーのドアを開いて、家へとお邪魔する。掃除が行き届いているのはすぐに分かった。室内に漂っているフレグランスオイルの香りも、そこに混じった、天河剣術会で一緒に暮らしていた三年間の残り香も。昔懐かしい天河海音の匂いだ。それは鼻孔ではなく、脳がかいでいる匂い。
(変態じゃないよ?)
自分で自分に言い訳しつつ。
「おまえ、荷物それだけ?」
「そ」
「相変わらず身軽だな。女子っぽくねぇ」
「着の身着のままがモットーですんで」
「今さら捨てちまえ、んなモットー」
きっひっひっと変わらず奇妙な笑い声を垂らしながら、彼女は二階の一室、ドアプレートに「うみねちゃんのへあ」と書かれたドアまで鈴子を誘導した。
開かれた扉の先で、最初に目に入ったのは、白と黒、そして木刀。花の都の女子大学生とは思えぬ殺風景な装い。ステレオタイプなイメージだが、ここが単身赴任の男性の部屋と言われれば納得しそうなくらい、飾りっ気がない。
「どっちが女子っ気ないんだか」
思わず口に出た。
「あん? なんか言ったか」
「いえいえ、部屋主さまには逆らいませぬぬぬ」
「布団は……あとで持ってくっか」
鈴子の習性だと、ここが自室ならそのまましゃれっ気のないベッドにバタンと倒れ込むところだが、サイドテールの部屋主さまは大雑把に見えて神経質だ。
今は勝手に客人の荷物をあさり、衣服は広げてハンガーにかけて、小道具はあらかじめ室内の小物入れに分けて、それでいてデリカシーに関わりそうな女の子アイテムからは手を遠ざけている。客には酷なまでにお嫁さんレベルが高い。
一方でお客さまの鈴子はそうされることをまったく気にかけず、荷物をされるがままにしている。上着だけはきちんと脱いで床に投げたが、今は地面に寝っ転がって「お茶のみたーい」と催促している。部屋着ならベッドにダイブしていたところだが、外着だから遠慮している。それが彼女の最大限の配慮である。
とはいえ、その様子といったら、とんでもなく堕落したお客神さまだ。
許されているのは持ち前の愛らしさと、相手が相手だからである。
うっせえ。だまれ。寝っ転がんな。応答代わりの小言を返しつつ、海音がテキパキと仕事を進める。まもなくすると「うみねちゃんのへあ」は「うみねちゃん と すずこちゃんのへあ」になった。三日ほど居ついたら出てくるような客人の生活臭までコーディネートしてしまうのは、さすがの腕前だ。
一息ついてから、二人はお喋りに興じた。海音がひと休憩と淹れてくれたカモミールティーの味も昔のままだ。とりわけ鈴子の会話は途切れることなく、日々の生活から過去の思い話まで、なにからなにまで話したいとばかりに口だけが急き、結果的にオチもない、要領も得ない言葉の洪水を垂れ流していた。
最近の暮らし、あのとき習慣の違いで笑った朝食、道場での大失態、近所に新しくできた緑茶喫茶の看板メニュー、白鳴女学院での寮生活、都内の電車の乗り間違え、最近プニプニしてきたこと、昨晩の居間で物音がしたと思ったらまさかの。
会わなかった、大学時代の一年間。
進路を違えた、高校時代の三年間。
共同生活した、中学時代の三年間。
海音は合いの手代わりに悪態を吐きつつ、お茶に口をつけ、ときどき笑んでは、親友のとりとめもない声を聞き、ゆったりとした時間をすごしている。
ティーカップもすっかり底をついたころ。注ぎ直されたカモミールティーを片手に鈴子の第2ラウンドがはじまろうとしていた矢先、海音が一言を投じた。
「それでね、それでね」
「そーえばよ、おまえんとこの千草ちゃん」
「ちぐさ? ああ千草。うんにゃ、あの子がなんざんしょ」
「たぶん、来年とんでもねぇヤツが出てこなけりゃさ、JDS連覇しそうじゃん」
「分かんないよ。流星館の成瀬ちゃんたち、すっごい強いみたいだし」
「まぁな。けど、モノでいやあトップ、じゃなくてもトップ下は確実だ」
「かもね。頭の悪さだけが命取りだけど」
「テメェの経験談か?」
「もう失礼なっ!」
それで千草がなに? 鈴子が先を促すと、海音はなにかを思い出しているのか、きっひっひっと。おかしそうに笑いながら話題をつむいだ。
「最近よお、その千草ちゃんを、絶対はっ倒すってアホが現れた」
おかしそうに、面白そうに、楽しそうに言われた挑戦状に。
「――へえ」
鈴子の顔も不敵に、愉快に、獰猛にわらう。
「なんて子」
「小枝律子ちゃん。そろそろ高校三年生」
「むぐ、ごめんにゃさい。存ぜぬです」
「だろうな。全国にも出てねぇ弱小だし、世にも珍しいシルブロときた」
「えっ、今どきシールドブロッカー? すごいね。まだ見たことないかも」
「だろ? 見ても対面してもウケるぜ。ありゃ傑作だ」
「その律子ちゃんって子が、千草のこと倒したいの?」
「ああ」
「強いんだ」
「いや、てんで。クッソザコ」
「ふーん」
「でも可能性はある。まず仲間が強い」
「だれだれ」
「氷空ちゃん。気づけばここ一年で相当腕を上げてるよ、ありゃ」
「へー、氷空ちゃんか。さっすが」
「それに邪悪女。あれだよ、去年のウィンブレのあれ」
「うあーっ、あの子かっ! あれヤバいよねっ。超トキめいたもんっ」
「もうひとりはド新人もド素人だが、長物二つのけったいな二刀流だ」
「ムサシ・ミヤモトじゃん。そこにシルブロって、ずいぶんユニークですねい」
「だろ? それが桜花倒すって意気込んでる」
「ん、でも氷空ちゃんの学校ってたしか」
「朝女」
「だよね。朝倉女子……それってつまり」
「リッコちゃんは、菖蒲の三人の後輩のひとりで、たったひとりの愛弟子だ」
「――」
「そいつがおまえの弟子をはっ倒して、おまえに勝ったって言い張るとよ」
「――菖蒲が、私に挑むってこと?」
「さぁ。クソチビとはしばらく会ってねぇからわかんね。でも、そうだろうな」
「そう、そっか、ふーーーん……ひひ、ひひ、ひひひっ!」
心の底から。楽しそうに、楽しそうに、鈴子が笑う。
鈴子があまりに楽しそうなので、海音もつられて笑った。
菖蒲が鈴子に勝つ。それは彼女らにとって、特別な感情を抱かせる事態だ。
「千草ちゃんからすりゃ関係ねぇし、負けたところでダガプリの名も落ちねぇ」
「ねー」
「おまえの指導もここ一年だし、リッコちゃんも一年だけ。どっちも血は薄い」
「そのとーり」
「でもだ。リッコちゃんは菖蒲のために、黒鉄千草をぶっ倒すってさ」
「それって代理戦争ってやつ?」
「さぁな。意味を求めんのはあいつら次第。つっても私は乗ったけどな」
「どっちに」
「最弱の盾娘に。リッコちゃんが最強の神童を這いつくばらせるほうに賭ける」
「いいね、怖がらせるじゃん。すっごく怖くて鳥肌立ってきたよ」
鈴子はいたって楽しそうな表情のまま、しなやかな両腕をごしごしとさすった。実際、それはポーズではなく、腕の産毛は臨戦態勢とばかりに立ち上がっていて、興奮と恐怖を表していた。両目の瞳孔も分かりやすく開いている。
当人たち不在の、後輩たちが己自身のために戦う場での勝敗に、彼女は本気で恐れを抱いている。それは七咲鈴子だけが抱える、特別な、一生の恐怖だ。
「海音は強いけど、怖くないよ。戦うのが楽しくて仕方ない。サキもそう。マナもマユもそう。紫織だってそう。怖くないよ。でも菖蒲だけは怖い。大好きなあの子だけは怖くて仕方ない。ずっと一緒にいて、ずっと下に見続けた、後ろから迫ってくる菖蒲が私を上回ってしまうのが怖い。いつか負けたら、くやしくて、泣きわめいちゃう。誰に負けても構わないけど菖蒲だけは絶対絶対絶対イヤ。あの子に負けることほど人生嫌なことなんてない。ドレソやめて逃げきったと思ったのに、まさかそんな……ひ、ひひっ、ひひっ! 菖蒲めっ! ひひひっ!」
まるで墓場からよみがえってきた、リビングデッドを見てしまったかのように。目がチカチカする。見たくなかったものが見えてしまい、うれしくて仕方ない。昔の記憶と再会して、楽しくて怖くて仕方ない。相反する感情が吹き荒れる。
「菖蒲めっ、くーっ、菖蒲のやつぅ!」
「千草ちゃんに伝えるかどうかは任せるわ。勝手に仇敵にされてるわけだし」
「んーん、伝えない。あの子には関係ないし、青春には邪魔なお荷物でしょ」
「さよか」
「ひひっ、いーよ。受けてたったげる。一回だけね。私の人生最後のドレソ勝負」
そうして七咲鈴子は――ぐっと握りしめた左手を裏向きで上げ、顔の下半分を覆い隠しながら、鋭く冷たい眼差しで虚空を見つめ、その一言を解き放った。
「――“贖え叛徒よ、その血は 月を照らす”」
まるで、アニメの決め台詞のように。
「いやうぜーよ。鈴子、おまえ、そろそろ二十歳だぞ」
それゆえツッコまれる。
「……まだ一九歳だし。歳とか関係ないし。サキだって作中では十七歳だし」
「いやうぜーよ。知り合いとして情けなくなってくるわ。両親に申し訳ねーわ」
「海音にも親にもかんけーないし……べ、べつにぃ! 私の勝手ですぅ!」
どうしようもなく変わっていない親友に愛想を尽かしたか。海音はお昼すぎのお腹をさすって「ハラへった」とつぶやき、部屋を出ていこうとする。鈴子も慌てて追いかけると、お昼ご飯は海音が作ってくれることになった。
エプロンをかけ、白いリビングキッチンで食事を作る友人の傍らで「まだー」「ねえまだー」とピーチクパーチクさえずるも、海音ママは完全無視だ。
「お昼食ったら、今日どうする?」
フライパンを揺すりながら海音は尋ねた。ケチャップの匂いがすでに美味しい。
「うむむ……なんでもいーや」
「んだよそれ。一番困るっての。じゃあ紫御前と鉄面妃よんだろか?」
「そっ、そっそれはまだご勘弁を。こここ心の準備ががが……」
JDSで華麗な活躍を見せ、お茶の間でダガープリンセスと呼ばれた七咲鈴子。
彼女の自主的な春休みははじまったばかり。残り三日、急ぐ理由もない。
あんなにもうるさく鳴っていた鈴の音は、今はもう鳴き止んでいる。
数えればここまで(の校了まで)ちょうど11か月と3日。いわゆる約1年。
物語を書いて、直して、読んで、うーんってなって、あげての日々。
めーーーっちゃ大変ですね! あらゆる邪が心に襲いかかってくる!
でもまあ、なんとかがんばれた。エライぞ私。エライエライ。
さて、物語はよーやく振り出しに戻ってこれて
そろそろクライマックスパート! といきたくて仕方ないのですが、
自分で自分に残念無念。メタクソに遠回りしてから着地しようと試みます。
具体的には今が半分。だから1年後の今ごろに完結……を目指して。
このご時世、リアルも変化の日々なので、確証はありませんけどねっ。
おおよそ、これから半年近くは本筋に関係ない話になります。
重要人物もキッパリと“1人だけ”(鈴子ちゃんじゃないです)。
だから読み飛ばしもさもありなんです。読んでくれたらうれしいです。
そのうえでひとつだけ。未来の皆さんと私に伝えたいことは、ひとつだけ。
「今から律子が最後のJDSに挑みます!」
半年後の皆さんと私が「そーえばそうだったと」思い出せるよう
これだけ書いておきます。忘れてたら、ここだけ読み直しにきてください。私もね!
では、また。




