愛しきキミは、もう(3)
「……」ザァーザァー。
「……」ザァーザァーザァー。
ダガープリンセスこと七咲鈴子さんは、菖蒲先輩の仇。
ダガプリの弟子たる黒鉄千草は、先輩の弟子たる小枝律子の仇。
だから、ぶっ飛ばす……ってのは私にとってはいいとして。
落ち着かない頭を冷やすべきシャワーの温度は、優しいくらいの温かさ。そのぬくもりは離れがたく、家だったら延々と浴びてしまい、お風呂を長い時間占領することで姉妹たちに「さっさと上がれ馬鹿リツ!」と罵倒されるところだ。
それでも、先ほどまでの頭の熱さが下がるくらいの冷たさではある。
「……」ザァーザァー。
「……」ザァーザァーザァー。
今は葉月と二人で、無言でシャワーを浴びている。私の突然の発狂に怯えているのか、はたまた気を使っているのか。葉月からの軽口は飛んでこない。
ひとつ隣のシャワー室は壁で仕切られているが、頭よりすこし上の空間にだけは仕切りがなく、シャンプーやコンディショナーの貸し借りも片手で行える。もちろん声も届くが、やっぱり彼女からの発信はない。だいぶ混乱させたようだ。
「……」ザァーザァー、キュッ。
「……」ザァー、キュッ。
シャワーの蛇口を止めると、葉月も見計らっていたかのようなベストタイミングで湯水の垂れ流しを止めた。本当にこちらを待っていたのかも。
ピチャリ、ピチャリと水玉が落ちる音が、モワモワした湯気をくぐって、どことなくぼんやりと鳴り響いている。先に声を出したのは葉月のほうだった。
「律子。先、出てるね」
「うん」
ピチャピチャと足音。シャワー室から葉月が出ていった。
さて……気持ちが先走っての失敗は数あれど、さっきのも前例に負けないくらいの大金星だ。ようやく見つけた唯一の手がかりを前に、いろんなことをすっとばしてしまった。葉月たちのあのポカーン顔よ。思い出すだけで恥ずかしい。
やや、めっちゃ恥ずかしい! あれはないっての私さあ! シチュエーション的にはちょっとカッコよかったかも、なんて思うけど。最後の花のツッコミが的確すぎて余計に恥ずかしい。あの真面目娘めっ、空気読んでよねっ!
きっと今、顔が赤い。それは冬場のシャワーのせいにするとしても、私はもうちょっとだけ湯冷まししてから出るべきだろう。
それに、葉月と姿は今ごろ「さっきのは何事?」と更衣室に残されたメンバーに聞いているだろうから。それくらいの時間はあげなくちゃ。
湯気のスモークがモワモワとどっかに飛んで消えていく。体にまとわりついていた温水も冷えはじめ、肌寒くなってきた。そろそろ着替えよう。
シャワー室横のお着替え場に戻ると、葉月はすでにおらず、隣接の更衣室からちょっと騒がしいヒソヒソ話が聞こえてくる(主に左がうるさい)。
軽めのフカフカなハンドタオルで、体の水気を丁寧にふき取り、いつも以上にゆっくりと制服の袖をとおす。さてと、なにから弁明したものか。
練習着やタオルを手提げかばんに詰め込み、更衣室の扉をガチャリ――扉の先の視線が一斉に集まる。訝しむような、憐れむような、生温かい両目の数々。
シャワーの温水よりかは冷えた温度だけど、体や心をきれいにするには粘っこしぎる視線。なんていうか、家族裁判のような絶妙な空気が漂っている。
「さっきのこと。とりあえず花たちに聞いた」
「リッコちゃんって、やっぱ菖蒲さん似だよねー。大胆不敵っていうかさ」
成瀬姉妹は情報収集をばっちりと済ませたご様子だ。
「りっちゃん、三つ編みする?」
「する。お願い」
三本脚の青い椅子をギギっと引いて腰をかけ、花に背中を向けた。
目の前にはうろんげな目つきの聴衆たち。
さて、弁明会見のスタートだ。口火を切ったのは葉月から。
「えっと、律子はその、黒鉄千草を倒したいの?」
「そう。そういう約束だから」
「そっか……うん、律子らしいね。私はいいと思う」
優しい目をして同調してくれる、イケメン彼氏風の葉月くん。
「私からも聞きたいんだけど、黒鉄千草さんって本当に、七咲さんの弟子なの?」
「WLDのとき、横から何回も自慢してきた。何度もぶん殴ろうと思った」
「私の知ってる範囲でも、あの子が昔から七咲一刀流の門下生なのはたしかだよ」
と姿が言う。ダガプリの実家との付き合いとあれば、当たりだろう。
「ありがと。あとは確証がほしいところだけど……葉月、黒鉄さんの連絡先は」
「知らない。交換も断った。その必要性を感じなかった」
「ざんねん。姿も知らないよね?」
「姉に同じく。京都の桜花の知り合いとなると、さすがにいないかなー」
「そっか。桜花だもんねえ……ん。桜花」
最近、どっかで桜花の名を聞いたような。
早押しクイズはドンピシャのタイミングで、氷空が答えた。
「京町紫織さんがご存じでは? 彼女は七咲一刀流の師範代ですから」
「それだ」
氷空ちゃん大正解。
ピタリとパズルが当てはまる。人脈ってやっぱり大事だわ。
けど、そうか……紫織さんか。絶対嫌われてるから、そこだけ心労だ。
「海音姉さんに聞いておいてもらいますか?」
海音さんなら気軽にヒヤリングしてくれちゃいそうだけど、私の名を出したら嫌な顔のひとつでも浴びるだろうから、そこまで甘えちゃいらんない。
それに、ここは私の分水嶺。目的地に差す旗くらい、自分で用意しなくちゃだ。
「……ううん、自分で聞きにいくよ。そうしないともっと怒られそうだし」
「まぁ、かもですね。なら紫織さんがいる時間を姉さんに聞いておきます」
頭を亜高速でなでなでしてやりたい、氷空の献身的な秘書っぷり。
新たなステップがつながっていく。今は前だけしか見えない興奮状態にある。
だけど当然、課題はそれだけじゃないというか、ここからが問題なのだけど。
葉月も、盛り上がってるところ水を差すのは悪いんだけど……みたいな顔で。
どストレートに問題点に言及してくれた。
「律子の気持ちは分かったよ。たださ、できそう?」
「……わかんない」
無理って言葉は死んでも、やや、殺され返すまでは使いたくない。
けど、現時点で言える言葉なんてそんくらい。
「黒鉄は強いよ。今世代最強かもしれない。私は去年やられた。次はヤるけどね」
「わかってる」
「黒鉄を倒すには、桜花と当たるのもそうだけど、JDS全国大会にいかないと」
「わかってる」
「最低限、地方ベスト4じゃないと……挑戦の切符すら手に入らない」
「わかってる」
「私も、流星館も、大会でぶつかったときは容赦できない」
「知ってる」
「……私が代わりに黒鉄を倒すじゃ、ダメ?」
「だめ」
これだけは葉月の手も借りられない。
私は黒鉄千草さんが、黒鉄千草さんだから戦いたいわけではない。
彼女の背景に噛みつきたいだけ。交通事故めいた八つ当たりのためだ。
ずっと負けたまんまのあの人の弟子として、彼女を負かし続けてきた復讐相手の弟子に仇討ちをし、二人ぼっちのちっぽけな自尊心を取り戻す。それだけのために、黒鉄千草さんを倒す。その子がたまたま今世代最強のドレソ選手だっただけ。その人格も偉業もすべてないがしろにして、七咲鈴子さんの弟子というレッテルづけだけで一方的に食いかかる。そしてわめき散らす。
どうだ! ざまみろ! 最後に勝ったのは菖蒲先輩と私だっ!
正当な知人関係も因果関係もこれっぽっちもない。
奇跡的に勝ったところで、言い分も認められない。
それでもずっと、なくしたままでここまでやってきた。
そしたらやっと、降って湧いてきた。もう一度は手放せない。
「律子には悪いけど、もしそうなるしかなかったらさ。勝手に肩代わりするよ」
「いいよ。勝手に背負ったらもう口きかないから」
「っ……すごいね、菖蒲さんは。今でも律子にそこまで思わせるんだ」
「べつに。普通の先輩だよ」
「誰かのために、あなたがそこまで言えるんだもん。それはすごいことだよ」
一年も言葉を交わしていない人との約束。美しいだけの青春時代の一幕。そんなものは本来、私の卒業と同時にビターな笑い話となり、いつの日にかプロになった黒鉄さんを見て、「あー私、この子を倒すのが目標だったんだよねえ」なんて思いを馳せて――そこでまたひとつ大人になるのが普通の女子道ってものだろう。
でも、許せないから。菖蒲先輩を三年間、ううん、もっと長い期間。負けっぱなしで終わらせた七咲鈴子が、ドレスソードが、JDSが。許してなるもんか。私は都合のいいファンだから。身内のためなら手のひらなんてすぐに返してやる。
あの人も、私も、所詮は輝かしい舞台にはあがることができそうにない、勝利よりも敗北が多い、どこにでもいるありきたりな部活系の女子だけど。
負けたまんまじゃ終わってやんない。
私は私の一方的な契りと先輩のためだけに、黒鉄千草に復讐する。
「リッコちゃんが熱くなるのは理解したけどさ。花ちゃんたちはどうなの」
ピシャリと。姿が真面目な顔で指摘した。言葉をかけられた花が返すと。
「どう、とは」
「リッコちゃんの目標に、気持ちだけでもついていけんのかって話よ」
真っ当な問題提起すぎて、声がグサッと心臓に刺さった。私をすり抜けて花たちに届けられたその言葉に、一瞬にして自分が恥ずかしくなった。
一緒に戦う仲間を置き去りにして、自分勝手に盛り上がっていたことに。
怖くて目を向けられなかった。でもね、この子はさすがに。
私がもっとも信頼する、大好きな幼なじみちゃんなのだ。
「私はりっちゃんの目標を支持します。ほかの人がどう思っても関係ありません。私自身、菖蒲さんには少なくない恩がありますし、黒鉄さんを倒すことも、JDSで優勝することも、今は同義と言えますから。りっちゃんの目標が朝女の障害になることはありません。それに、そのためなら、流星館だって破ってみせます」
「そうゆーと思った。最後のはいけ好かないけどね」
それから恋子ちゃん、氷空、左に目線を配ると、彼女らも続けて答えた。
「絶好の機会だよぉ! 私はリッコちゃんに託したばっかだから、応援するね!」
「構いません」
「いいんじゃないですか? 律子先輩って、菖蒲先輩って人が大好きですし」
「……リッコちゃんは仲間に恵まれてるねー」
姿は疲れたような顔つきで、頭をポリポリとかいていた。
……いやあ。心がポカポカしている。悪いけどみんなの顔を見らんない。みんながみんな肯定してくれたことがめちゃくちゃ気恥ずかしくて。
ここにいる全員、「できるかは分からない」そう頭に浮かんでいるんだろうに。仲間に真剣にか、夢は壮大にか、考え方こそ違っているとしても、素直に私のことを応援してくれるらしい。まあ、打倒黒鉄も全国優勝も似てるしね。
「いいね、朝女。すこし律子たちが羨ましくなった」
「流星館だって似たようなもんでしょ?」
「うん。でも、どこもそれぞれ違うからさ」
「そっか」
「すー、はー……うん、私も律子のこと応援する。黒鉄と戦えますようにって」
「いいの? 葉月も黒鉄さんと戦いたいのに」
「お先にどうぞ、だよ。私がぶん殴るのは、律子ががんばったあとにする」
「それに、そんときは私らが流星館ぶっ潰してるかもしれないよ」
「くすっ、いいよ。“小技のリッコの来年”を応援するのは、私の約束だから」
葉月のはにかむような人懐っこい笑みに、思わず破顔したのは私だけではなく。「かわいい」「いい笑顔ぉ」「今のかわいいですね」「やっべよだれ」と、みんなで一斉に弄ってしまった。彼女は焦って、慌てて、ムスーッってしたけど、天使のほほ笑みの爆発力は高く、帰るそのときまで話題は葉月一色になっていた。
それは彼女がかわいいせいだけど、私はとても助かった。熱くなった気持ちを冷やして、固いものに変える。そういう時間にできた。シャワーの残り香も薄れるほど、真剣に語らって、ものすっごく笑ってしまった帰りのひととき。
花が編んでくれた三つ編みは、背中に当たるとき、いつもぶら下げているポニーテールよりもガッチリした感覚があった。その些細な硬さが、背中を押した。
次回「手なら伸ばせる」(1)。




