愛しきキミは、もう(1)
昨日は楽しかった。中学生たちの練習風景を眺めたあとの帰り道に寄った、駅ひとつぶんほど離れた、氷空おすすめのケーキ屋さんもよかった。
ショーケースに並ぶ、彩り鮮やかなケーキ軍は、私ら食べ盛り解放戦線のお腹をよく挑発したが、最後は五つの四天王を腹に収めた我々の大勝利に終わった。
なんていう、とってもいい日が続いていたから。その反動なのかな。
これが神さまなりのバランス調整です、とでも言うように。
「はい……はい?」
「うん。だからね小枝さん」
「はい」
放課後に第二体育館に行くため、職員室に寄って鍵を受け取ろうとしたところ。「小枝さん、ちょっとぉ……」と顧問の橋場先生に引き留められた。
細い眼鏡のフレームと厳し気な目つきで、怖そうに思われがちな橋場先生だが、その実は優しい。しかし今は、だいぶ申し訳ない感じで眉が下降中。
その気持ちも、すぐに分かったけどさ。
「来年ね、第二体育館の取り壊しが決まったの」
「はい……はい? 取り壊し?」
「ああ、壊すか直すかは来年度の実地調査のあとの話らしいんだけどね」
「はい……はい? えっと、いや、じゃあドレソ部は?」
「……ドレスソードプラットフォームの置き場所も検討中、らしくて」
「はい……はーーーっっっ???」
第二ちゃん、取り壊しだって(予定)。マジで?
「そ、それじゃ、部活なくなるかもってことですか」
「うーん、そこまで深刻じゃないかも。モノを第一に戻すって手もあるわけだし」
どっちつかずな感じが、まさに目下議論中っぽい。
「それで、つまり、ドレソ部はどうすれと」
「予定だと六月か七月くらいに工事するようなの。だから当面はそこかな」
そこって。バッチリ直撃、JDSなんですが。
寝耳に水すぎて、ねみみみみみって気分だ。天下の平凡平穏な朝倉女子高等学校たるものが、まさかドレソ部を潰しにくるなんて。この卑怯者っ!
ってのは私怨として、橋場先生の話は悲しいことにすんなりと頭に入った。
「ド、ドレソ部の活動成績のせいですか」
「ドレソ部はがんばってるわよ。文句なし。朝女に廃部していい部活はないもの」
「でも、夏前には立ち退きしろとおっしゃられてるわけですが……」
「問題はやっぱり……場所なのよね。ほらあそこ、見てるだけで耐震性とか……」
ですよねえ。
まず、被告の第二体育館についてですが、はい。
弁論の余地もないほどにボロッボロのボロです。
初見さんが廃墟と見間違うほどの廃墟感ですね。
はい有罪。
私が二年前に目にしたときも、すでに屋根は赤茶けたまだら色と化し、壁は白ペンキと地の木材で彩られ、窓ガラスはガムテープと暗幕と埃の怪しげ三色コラボ、極めつけに入り口には「進入禁止」のロードコーン君たちときた。
ルールは知らないけど、麻雀ならかなりの高得点な役ってやつなのでは?
それにオンボロさは年々加速している。館内こそ丁寧に扱っているから致命的な痛みは見当たらないけど、屋根も壁もダメージ感が増したし、とくに窓ガラスなんかは三割近くが脱落してしまった。改修より壊すほうが納得しやすいくらい。
ですが、困ります。
「ですが、困ります」
心の声は体の口からこぼれた。
「そうよねぇ……」
橋場先生を責めるのはお門違いと分かってるけど。
まず、第二が使えなくなるとドレソができません。仮に第一に里帰りしても、今度は本格的にバスケ部とやっかみ合う未来が見えます(主にバスケ部の邪魔という意味で)。個人的につらいのは「居心地のいい私たちの秘密基地」の消失だけど、それは甘えだからいいとして、とにかくJDS近辺で活動できないのが困る。
恋子ちゃんともあんなに美しい約束をした手前、いやいやもちろん努力してがんばってどうにか勝ってやっぱり負けて、そんな甘酸っぱい青春のワンシーンを達成できればいっかなあ、ってくらいの現実的な妥協案ではあるんだけど。
下手すれば、それすら叶わなくなってしまう。
これは朝女ドレソ部の、極めて重大な一大事だった。
「ウチは部活主体の学校だし、廃部はまずないわ。そこは教師生命に誓います」
「そこはありがとうございますとして、第二の工事自体は確定なんですか」
「災害時に近隣の方々に迷惑かけるかもしれないから、それは確定みたいね」
「じゃあ、ドレスソードプラットフォームをどうするか、ですか」
「JDSって、最悪なくても出られるのよね? ほらあの、ライムライムだったか」
「ライムライトです」
「それそれ。だから夏前まで目いっぱい練習しておくとか。期末試験もあるしね」
試験のこと言われちゃあ、学生の身分ではぐうの音も出ない。
「ですが、日程次第では地方や全国となったとき……いや、それはいいか」
地方進出はまだしも、全国進出を理由にするには根拠がなさすぎる。
「それと来年の新入部員かしら。入れるなとは言わないけど、勧誘はちょっとね」
来年度はまともに活動できるか怪しい、って意味でか。
もし新入部員がいたとしても、入部直後から活動自体が怪しまれる時期に差しかかっていくわけだから、「氷空のようにドレソがやりたくてやりたくてたまらない子(意訳)」はまだしも、例年のような勧誘は避けてほしい、とのこと。
さすがの私だって、左のときのように無責任にひっぱってくることはできそうにない。最悪、その子の学生生活を台無しにしかねないし。
「橋場先生の目算では、ドレソ部が第一に戻るって……ありえます?」
「両部の顧問としてはそうしてあげたいけど、本音だと……難しい気もしてる」
「ですよねえ……もともと活動スペースが原因で別れたんですもんね」
「ドレソ部はすごいのよ。大会成績もすごいじゃない。でもバスケ部は、ね」
ドレソ部と別れてから、右肩上がりで絶賛絶好調ってね。みんな知ってる。
だから橋場先生も「最悪、なくてもJDSは出られるのよね?」っておうかがいを立ててきたのだろう。最悪、学生の目標の大会には出られるのよねって。
大会直前に練習場所がなくなっても、大会には出られるのよねって。
「私もドレソ部のために尽力するけど、夏あたりの覚悟だけはしておいて」
部活の意義の問題であれば、霞さんから聞いた「激闘ライムライト! JDSまでの道のり!」を参考に、むしろ逆境からのヒーロードラマみたいな展開を再現して味わってみたいものだけど(私じゃ無理)、場所の問題じゃね。
ははっ。残念ながら愛しき第二くんって、擁護しづらいダメ男くんなのだ。
早くみんなに相談したくてたまらないけど、かといって楽しい話題になるわけない爆弾を抱えて、一足先に第二で待機していると、氷空に左、ついで花に恋子ちゃんがやってきた。全員そろったところで、例の件を伝えた。
場の空気は蜂の巣をつついたような騒ぎにはならず、ただ空気が淀んだ。
学校側もちゃんと温かくて、非難するような劇的な状況でもないから。
至って現実的な問題として、私らなりに受け止めるしかなかった。
「来年は新入部員ちゃん、呼び込みできないんだぁ……」
「左のときみたいなやり方はNGだね」
「いや、律子先輩。私のときだって十分NGですからね?」
反論は左から右に受け流した。
「ただ、自分からドレソやりたいって子がいるならいいらしいよ」
ドレソっ子がいるならべつ。氷空みたいなレアキャラがいたら。
「でも、りっちゃん。夏期は部活できるか分からないんだよね?」
「それは確定みたい」
第二の工事自体は決まっている。そこはどうしようもないから。私たちは初夏のあたりからJDSに向けた活動がかなり……かなりどころか壊滅するかも。
仮に、嫌味でも恨みでもなく、単純に全国大会に三年連続出場中のバスケ部から、第一体育館のフルコートの半分を借り受けるとしよう。
いや、ドレスソードプラットフォームの設置面積を考えたらもっとのスペースになるし、こっちとしても個人戦用のハーフステージしか出力できないわけか。
そのうえで向こうは三年生が抜けたとしてもさらに新入部員で増員するとして、あっちの部員よりも図々しい面積を使いつつ、更衣室やシャワー室などの共用設備も堂々と使いまくるドレソ部って……邪魔すぎて無理だよね。
バレーボール部やバトミントン部はうまく共存できてるようだけど、こっちはあちらさんたちと違って、ステージ出力用のコンソールや銀色ポールをおいそれと片づけられないから。ヘタすれば、ほかの運動部からも非難の的になる。実際、過去にそうなったから、こうなっているわけなんだろうし。
もはや無理っていうか、こっちから辞退するべきっていうか。
気持ちは同棲派だけど、そこまでハングリーになれそうにない。
私らはステージがあれば万全でも、バスケ部はそうじゃないから。
少なくとも来年度、バスケ部が全国を逃したら、真っ先に標的にされて然りだ。
「なら六月? 七月? くらいから流星館を間借りするってのはどうでしょう」
左の声色は、自分で言ってて最初から期待してなさそうな色。
「仮に断られなくても、同じ代表地区の学校同士ですべきことじゃないよ」
氷空も左の声色を分かっているうえで、当然のように返した。
「じゃあ、部活ない日だけ借りるとか」
「それでも、頼むべきじゃないと思う」
「……だよね。わかってるって」
「うん」
責めてくれたソラは悪くないから、みたいに左が彼女の頭をポンポンする。
葉月や姿や佐羽コーチがどれだけ親しく、優しく、活動場所を分けてくれると言ってもだ。それはできない。そもそも向こうも1ステージで手いっぱいだろうし、同じ代表地区の対戦校が甘えるには虫がよすぎる。
それに学校同士の話し合いも必要になるだろうから、よい手とは言いがたい。
そうして場が沈み、脳が止まり、口も止まり、八方ふさがり。
将来の不安を前借りしているだけの無駄な時間がすぎていく。
「……んーっ、ダメだ。とりあえず、ひとつずつ諦めよっか」
みんなして動けなくなる前に、順番に諦めてみよう。
「新入部員はくればうれしい。それだけね」
「そうだね。それに初夏までは練習できるんだよね」
「第一に移るのはたぶん、無理だよねぇ。瀬里奈たちみたいにするー?」
そのころには卒業してるというのに。寄り添ってくれる恋子ちゃん。すき。
「六月末の地区大会までは問題なし。七月末の地方大会から不安があり、かな」
八月末の全国大会のことは、みんな口にはしない。
「もしかしてですけど、ソラと私の再来年もわりとピンチなんですね」
「そうだね。左と二人で、ライムライトみたいなことになるのかも」
「無理がすぎるわー。私の女子高ライフおわったかも」
そうか。来年の部活状況によっては、氷空と左はもっと大変だ。
「ドレソ部の活動場所を存続させるとなると……やっぱり全国出場、とかかな」
「うん。りっちゃんの言うとおり、請求するための活動成績は求められると思う」
「んー……過酷な未来」
「だね……」
意気込みとしてはベストタイミングだけど、夢見がちなのは否めない。それでどうにかなる保証もないし、霞さんみたく直談判で成立させる度胸もない。
言葉も実力も名声も軽い今、学校の資金や設備といった大きすぎる問題には主張をぶつけづらい。そもそも、そういう政治的な文脈だって理解できていない。
もしも朝女に、ダガープリンセスのような人がいればね。
そのときはもっと明るい兆しを持てるのかもしれないけど。
残念なことに、朝女には普通に普通な私たちしかいないから。
「……練習しよっか」
「……だね。みんなも練習はじめよう」
無理なことは、諦めるしかない。
確実に進化している花、着実に進歩している氷空、一歩一歩が分かりやすい左、ただただパワーで発散する恋子ちゃん、いまいち成長の実感がない私。
二年前や一年前と比べれば、立派にドレソ選手と自負できるけど。近々で映えある実力者たちにボコボコにされ、輝かしい次世代の子らも後ろから迫ってくることを考えると、甘くないドレソの世界では、なにをするにも甘い存在だ。
考えても考えきれない素数のような感情を割ったところで、余りの数字はそれぞれの胸の内に残ってしまっていた。みんな、この日は久々に体が疲れきるまでドレソに打ち込んだけど、いまいちモチベーションが薄かった。
悪い燃料を注がれちゃあ、女子の機嫌はそうそう直るものではない。
次回「愛しきキミは、もう」(2)。




