私ら、ジダイの淑女たれ(3)
「私ったらお昼に手帳を忘れちゃって~って、あらやだ霞ちゃんどうしたの!」
「万治さん……」
吾妻理事が、徒労を吐き出すように呟いた。
瀬里奈の知る用務員のおばさまは、地面に頭部以外を四体投地している少女の姿に気づくや否や、机の角に忘れていったらしい緑色の手帳には目もくれず、彼女を立たせようと引っ張り起こした。思わぬ事態に力が抜けていた全身は、先ほどの熾烈な起こし合いを感じさせぬ軽さで、ヒョイっと立たされてしまう。
「吾妻ちゃん? これはさすがに問題よ~」
「万治さん、濡れ衣です。私も困り果てていたんです」
「怪しいわね~。権力を持った人はいっつもそうなんだから~」
ゆるい口調に比べて、おばさまの目つきには険がある。
「霞ちゃん、このコワーイおばさんになにかされた~?」
「いえ、私が無茶しただけです」
「あらそう。やっぱり若いっていいわね~」
おばさまは地面についていた瀬里奈の体の部位や制服を、シワのある柔らかそうな手でパタパタと払った。夏休みの外出から帰ってきたわんぱく坊主にするような、子供相手の手つき。年季もあるのか、ずいぶんと手慣れている。
「それで、こ~んな怖いおばさん相手にどうしたの~」
「すこし、部活動について相談させてもらっていました」
「あら~。じゃあドレスソード部も復活かしら? やだわ久々ね~」
「いえ、それが……」
「あら、そう。吾妻ちゃんってば相変わらずケチケチね~」
「万治さんには関係ありません。お引き取りください」
「そうはいきませんよ。ライムライトの卒業生たるもの、後輩には優しくよ」
後輩といったら吾妻理事もここの卒業生のはずだが、娘よりも孫ってものか。
「ドレスソードやらせてあげちゃえばいいじゃない~」
「ですから、それとこれとは」
「んまあ、頑固なおばさんになっちゃったこと! 歳には勝てないわね~」
「ぐっ」
ピクピクと。怒るに怒れない青筋が吾妻理事の顔に立ちはじめる。邪険にしていないところ、なんだか頭が上がらない相手を前にしているように見える。
「保護者さんの問題なんでしたっけ? それを解決すればいいんじゃないかしら」
「それについては、私の身内の問題として解決してきました」
メリーシャが答える。彼女もときどき挨拶を交わす仲らしい。
「まあ、勇敢ね~。だったら練習場所さえあればいいじゃない」
「練習場所もいりません。夏の大会にだけ出られればと交渉中っす」
巡流が答える。彼女は宿舎周辺の清掃当番で、おばさまとは顔見知り。
「まあ、大胆ね~。だったらあとは吾妻ちゃんが理解すればいいのね」
「それもさっき、吾妻理事から言質が」
翼が答える。彼女も当然、清掃当番でしごかれている。
「まあ、完璧ね~。ほら見なさいな。頼もしきジダイの淑女たちよ~」
「……私も前向きには検討しますが、まだ理事会の承認が残っています」
「あらやだ! まさか、あの吾妻ちゃんがそんなこと言うなんて~!」
「それはっ」
「吾妻ちゃんも本当に歳ね~。自分からそっち側にいっちゃうんだもの~」
「昔と今とでは事情が異なります!」
「そうだとしもよ。ね?」
目を白黒させて様子をうかがっているのは、生徒たち四名だけ。主任教諭も常務理事もやたらと乾いた笑顔で事のなりゆきを眺めている。
ただの用務員と理事長代行の会話にしては、訳知りな言葉が飛び交っているが、おばあちゃんと娘のような言い合いはそう長くは続かなかった。
基本的に、吾妻理事が折れるほかない力関係が見えてくる。
「なら、佐久間ちゃんに連絡すればオッケーじゃない~」
「それでは校内に定めた承認フローがっ」
「うふふ、吾妻ちゃんが承認フローだなんて、うふふ~。うける~」
「もう!」
「んじゃ、私が電話してあげちゃおっかしら~」
そのままおばさまは、近所のお友達をランチにお誘いをするかのような軽さで、年齢の寄りを感じさせぬハキハキとした手つきで端末を操作した。
「佐久間ちゃ~ん、今カナダ~?」「まあ、いいわね~、ぜひぜひ~」「それで吾妻ちゃんなんですけどね~」世間話が混ざっていても、要点を突くのが早い。
(なんだ?)
(なにこれ?)
(なんですかねえ)
(知らないわよ)
言葉に出さず、視線を交差させて互いの気持ちを読み取るも、みな一様に困惑している。けれど現金なことに、風向きが変わったことにワクワクしている。
数分ほど、ご年配の淑女の可愛らしいおしゃべりが響き渡った。「は~い、ありがとね~。お土産も期待してるわ~」締めを口にしたあと、おばさまは吾妻理事に向き直り、勝ち誇るでもなく、ただの連絡事項のように告げた。
「佐久間ちゃん、帰国後に緊急理事会で事後承諾するからいいそうよ~」
「万治さん! それは越権です!」
「権威より温情。子供には慈悲を。それが我々の第一ですよ~」
「ですが、それでは今のライムライトはっ!」
「それはあなたたちの課題。この子たちにはなんら関係ない。違いますか?」
「しかしっ!」
「伝統は土地に宿るのではない。あなたも理屈を屁理屈で押しとおしたわ」
「……しかし」
「あなたのおてんばが海ノ橋の移設を、ライムライトの未来を切り開いたんです」
「その代償はいまだ消えません。反動を許せば、わが校は外の者に穢されます」
気丈に振る舞うも、弱々しく震える吾妻理事の左肩に、おばさまが優しく手を添える。昨日今日では培えない信頼関係が、そこにはあった。
「ドレスソード部に限らず、あなたの選択は決して間違っていたわけではありません。たとえ悪者にされても、私があなたを認めます。あのとき移設案を強行したせいで、今もしがらみに苦しんでいるのも理解しています。でも自分から、自分が許せなかった大人になってはダメ。あなたが選んだのは、そういう道なのです」
「恣意と独断を介さない学校づくりが、ライムライト存続の最低条件であり、私に課せられた今の使命です。それを都合よく捻じ曲げるなんてこと、まだ」
「それでもやり遂げなさい吾妻理事。学校の宝は子供たち。それ以外は些事です」
「……まったくもう、手厳しいのですから」
「そうじゃないと私ってば、切り札使っちゃうわよ~?」
「なんですか、切り札って」
「私も腹を切って、吾妻ちゃんと佐久間ちゃんに次を託したのよ~」
「……私にも万治理事長のように、時代に生きる淑女のために切腹しろと?」
「ええ、それが私たちライムライトの教え。次代につなぐ淑女の務めですもの」
ほどなくして、二人はそれぞれの疲れを背負いながらカラカラと笑いはじめた。
その一方で、室内の部外者たちはまだ蚊帳の外にいる。
(つまり?)
(どうなったん?)
(どうなったのでしょう)
(知らないわよ)
分からないわけではない。「当初の目的まで転がった」のは察しているが、なにをどう聞くものか勇むことができない。言ってしまえば、今この会議室において瀬里奈たちは、ドラマのクライマックスを見守るただのエキストラであった。
私もこんなふうに見られていたんだろうか。瀬里奈はここ最近の蛮勇を思い出して、妙に恥ずかしくなってきた。これでも注目されるのは苦手なほうなのだ。
「――さて、霞さん」
「っ、はい」
しかめ面でモジモジしていた瀬里奈に、吾妻理事が唐突に声をかける。
「あなたたちの画策と、老獪の手管にしてやられました」
「はあ」
「これから先、私は来月突然いなくなってもおかしくありません」
「むぅ」
「ライムライト女学校ドレスソード部は、誇りある第一世代校です」
「知っています」
「よもや不安しかありませんし、無様に大会を終えれば廃部も検討します」
「ギリギリですね」
「あなたたちのみならず、崖っぷちの憂き目にある者はほかにも山ほどいます」
「そのようで」
「お黙り。理事長代行としてドレスソード部の活動再開とJDS出場を許可します」
「大丈夫なのですか。ここで決めてしまっても」
「生徒からも恩師からも脅迫されたんです。仕方ありません。まったくもう!」
「感謝します。本当に、感謝します。吾妻理事」
少女の上体が緩やかに折れる。
残りの三名も追随してお辞儀する。
「再起になるか、最後になるか。ジダイの緑銀の淑女。全うしなさい」
「はい」
この瞬間、ライムライト女学校ドレスソード部の活動再開が決定した。
だからといって、できることは少ない。部員は経験の薄い三年生の四名のみ。練習場所は用意されず、全国女子高ドレスソード大会も一か月後に迫っている。
それで挑むは、全国屈指の数と質が集まる東京A代表地区大会。内外からお遊びの思い出出場と揶揄されても言い返せそうにない、最低最悪の状況だ。
――けれど。
(メグがいる。メリーがいる。そして翼がいる。それだけで十分だ)
私は恵まれている。これほどまでに逆境にいるドレスソード部員は全国にもめったにいないとしても、これほどまでに信頼できる仲間に囲まれている私は、ずっと恵まれている。朝女のショウブさんに比べれば、何倍もイージーだ。
まだスタートラインに立っただけ。JDSに出たところで、初戦で一瞬で蹴散らされてしまい、肥大した夢に絶望を味わわされる可能性もある。それでも。
それでも今は言葉にできぬ、心から湧いたうれしさに、甘えさせてほしい。
「あのー、みなさん。お話が済んだところで申し訳ないのですが」
主任教諭がしゃべった。しゃべれたのか。聞き覚えのない声に一同耳を傾ける。
「そのー、JDSの大会出場の申し込みって、今日までみたいなんですが……?」
ぽくぽくぽく、ちーん。感情のエネルギーを発散しすぎから、みな静かだ。
なにか発さなきゃと思ったのは、今日は頼りがいのある巡流先輩であった。
「申し込みって、オンラインでの申請などは」
「書類に学校印の捺印ありで、運営競技会宛の郵送のみとなります」
「なんでそういうとこばっかアナログなんだよー!」
「野球やバスケやバレーなんかは、もうオンライン申請なのですが」
「でもドレスソードプラットフォームからも仮申請なら……ってそうでした」
「できませんね。ウチにはないですから」
「今日付けで速達というのは」
「ウミノハシ大橋を渡る夕方便は、もうなかったかと」
海ノ橋の交通の便は、こういうときとても悪い。
「ならば、走る」
「カスミン?」
だからといって霞瀬里奈は諦めない。
「申請書を書いてもらったら、私が走って届ける」
「馬鹿スミン。もー馬鹿スミンだわ」
「ウミノハシ大橋って徒歩はダメですよね」
「昔、走ろうとしたらダメって言われた」
「まったくもう。手立ては用意していますから、お静かに」
騒がしくなってきた一同をなだめながら、吾妻理事がシワのない手で自前の端末をササッと操作すると、ほどなくして会議室の窓際に――パタパタパタと。
「まあ~、ドローンちゃん。吾妻ちゃん用意してたのね~」
「一応、話の転び方次第ではこういう事態もあり得たので」
「うふふ、優しいんだから~。このこの~」
「……やめてください。一応です。公平性のためにです」
原則、海ノ橋での空輸ドローンの利用は、あくまで物流会社の試験都合によるものとされ、一般注文は受け付けていない。ただ、一部の影響力の高い個人などには専用のホットラインが配られている。それこそ、こういうときのために使ってもらい、社会的な必要性をピンポイントで訴え、認知してもらうためである。
芝浦特区の技術屋は、供与品で試験してもらうことだけに一所懸命な商売下手だが、それで成り立っているのは商売人が利を見いだすから、というのが通説だ。
そうして吾妻理事は申し込み書類を主任教諭に急ぎ書かせたあと、ライムライト女学校のはじまりとともにある、丁寧に保管されていた学校印を捺印した。
最近は電子ハンコしか使われずで、朱印をつけるのもしばらくぶりだったようだが、名門の学校印は見事なお手前で、自身の似顔絵を書類にキメつけた。
「ちゃんと間に合いますから、そんなに心配そうな顔をしないでください」
言われたのは、腹ペコで餌を見つめる犬のような顔をしていた瀬里奈。
生徒を安心させるというより「私はそんな下手な仕事をしません」といった強気さが前面に出ていたものの、瀬里奈も心頭滅却。落ち着きを取り直す。
吾妻理事は雨に濡れたドローンのお腹あたりにササッと申請書類をしまい、端末を操作する。ドローンはロータリーのうねりとともに、飛び立つ気配を見せる。
「雨のなかすまないが、もう君だけが頼りだ」
少女の言葉に反応したわけではないだろうが、ドローンの顔にあたるカメラレンズがギュンギュンと伸縮する。「お任せあれ」そう言ってくれている気がした。
「海ノ橋にも君のようなモノがいたんだな。お仕事がんばってくれ」
パタパタ鳴るロータリーの音は、数メートルほど離れるとすぐに聞こえなくなった。女の子たちの大切な夢を運ぶという、一世一代の使命を請け負ったドローンはこの日、自らのお仕事を完璧にこなして、物流センターの家路に着いた。
充電待機の直前、そのカメラは誇らしげにギュンギュンしたとか、しないとか。
次回「失礼、淑女のお通りだ」(1)。




