私ら、ジダイの淑女たれ(2)
「本日は私たち生徒のためにお集まりくださり、ありがとうございます」
定刻の十六時。参加者がそろった。生徒四名は席を立ち、巡流が主任教諭一名、常務理事一名、専務理事兼理事長代行の吾妻理事にお礼の挨拶を述べる。
会議室内には、飴色の重厚な会議テーブルが部屋中央に鎮座しており、厳かな黒革製の肘かけ椅子が長辺片側に六席、あわせて計十二席が置かれている。席順は端から翼、メリーシャ、巡流、瀬里奈。対面中央に吾妻理事、両脇にお供だ。
テーブルの片隅には、黄緑色の花柄模様をあしらったシックな手帳が置かれているが、参加者の誰も触れないあたり、おっちょこちょいの忘れものらしい。
まるでドラマのセットのように豪華な部屋だが、これらもすべて芝浦特区から試供品であり、椅子に付属する体裁の整っていない説明書には長々と独自の効用が述べられている。それを全文読んだことのある者は、この学校にはいないが。
「生徒会議の進行は私、三年一組の大宮が務めさせていただきます」
学生会議の進行については、すべて巡流に任している。
素行だけならメリーシャも適役だが、口の回り具合や集積した情報を踏まえると巡流を顔役にするのが最善であった。もちろん、瀬里奈と翼は論外だ。
「今回はドレスソード部の再活動の件で、皆々さまにご相談があります」
落ち着いたトーンで話すと、巡流も大層な優等生に見える。
「話は聞いております。端的に要望からうかがってもいいかしら」
吾妻理事の見かけによらぬお堅さ。これはいつもと変わらずだ。
「かしこまりました。現部員の霞瀬里奈と、過去に部員であったここにいる三名を加え、計四名でのドレスソード部の活動再開をお願いしたいと思っております」
小さな目配せや手の動きに発言の意図を染み込ませ、穏やかに返答を求める。
どこでそんなプレゼンを覚えたんだか。仲間たちからの訝しみは無視された。
「活動再開とは、具体的になにを指しているのでしょう」
「私たちがライムライトで、またドレスソード部での活動に励めることです」
「具体的にと言ったのですが、まあいいでしょう」
ビシッとスーツの襟を両手でただして、吾妻理事は答えた。
「結論から言います。本学校でドレスソードをやらせることはできません」
会議開始からわずか一分。強固な答えを投げつけられる。瀬里奈たちの顔にも諦めや怒りの感情が浮かび、思い思いの表情を返答者に投げ返す。
そんななかでも巡流だけは予想済みだったのか。口元もずいぶんと涼しげ。
「生徒の自由な意志と育みを尊重する。校則で述べられていることと思いますが」
「実現可能な範囲で、と頭に入れるべき文言です。ドレスソードは例外です」
「恐れ入りますが、理由をうかがってもよろしいですか?」
「あなたたちはすでに存じているはずですが、まあいいでしょう」
隠そうともしないため息混じりの言葉は、真面目な少年少女に「ああこれは叶わないんだ」と絶望させるに値する、聞き分けのない子供への説得にも似ている。
「第一に、本校においては二年前、理事会の見解ついで学校規則に準ずるものとして、ドレスソードは淑女に似つかわしく競技と裁定しました。これは私の一存ではありません。ライムライト理事会で正式に決議案を採決してのことです」
「吾妻理事の実質的な発言力を加味すれば、そうとも言えないのでは」
「やめなさい。大人ぶって校内政治に口出しするのは。仮にあなたの言うとおりだとしても、理事長代行というだけで一方的に承認を得られるものではありません」
「ではなぜ、この場への参加も含めて理事長に口添えいただけないのでしょうか」
「それは理事としての判断であり、あなたたちには関係のないことです。現状この場で結論は出せないこと、よって結論も覆らないことは念頭に置いてください」
同席の主任教諭も常務理事も、イケイケな吾妻理事に口出しする度量はない。
「第二に、事の発端は生徒ならびに部員の保護者からの要望です。あなたたち生徒の心身を重んじるのは、私たち学校関係者が心から最重要視することではありますが、その保護者からの意見もまた同等であり、相対的に判断せねばなりません」
「成否は父兄の数だけあるべきで、統計的に判断すべきではないのでしょうか」
「恥ずべきことですが、そうしたところでそれを許さぬ道徳が働くこともあるのです。声なき声がいくら外部で上がったところで、たったひとりの参加者が全となってしまっていたあの状況では、学校関係者にPTAを跳ね除ける力はありません」
「それは学校の限界、いえ学校関係者の怠慢というお話でしょうか」
「なんとでも言いなさい。それは私たちが保証する、あなたたちの自由権利です。ただし私よりも先に、そこの藤堂さんのお母さまに話をつけるのが先決ではないかしら。そうでなければ、学校側などずっと釘打ちされた扉のままも同然です」
そう言いながら、吾妻理事は事の発端こと、メリーシャの顔をねめつけた。
「第三に……腹を割って話しますが、海ノ橋新校舎に移るとなってからというもの、ライムライトの財政に余剰はほぼありません。ドレスソードプラットフォームはDress Sword開発機構 彦星による助成金で設備導入を図れるとはいえ、本校は第一世代校としての先行研究協力義務も付随していましたので、諸経費がバカにならなかったんです。当時の継続はまず不可能でしたし、今も無理です」
「義援金を集める……のは無理ですか。OGが少なすぎますか」
「ええ。資産家の割合が多いライムライトOGと言えども、なぜかドレスソード部には縁がないようでしたから。それに海ノ橋新校舎にはドレスソードプラットフォームを設置する環境も用意してありません。要望も土地も土台から無理な話です」
「民間の手が届かない現状、教育機関にしわ寄せがあるのは重々承知しています」
Dress Sword開発機構に連なる関係各位のドレスソード運用には現状、正式競技として国からの認可はあるが、営利法人および私的利用の許可は出ていない。
そのため、ドレスソードプラットフォームが常設された総合体育館などの利用も、そこでの体験会や週末大会も原則、許諾機関による現場運用が求められる。
つまり、ビジネスが認められていないから民間企業にお稽古産業を委託できない。それが街角に立派なジムもなければ、セカンドキャリアを生かすインストラクター職もなく、初心者がすぐに楽しめる体験方法もない現状につがっている。
そんな制限の網をかいくぐって後援を任されている武道系道場にせよ、助成金があるとはいえ金銭的負担を背負ったうえでの設備導入となる。悪く言えば、彼らは武の精神を伝える、もとから商売下手なサービス業の住人であり、道場を保つだけでもギリギリなところが多い。設置している道場は今もごくわずかである。
ゆえに、それらの課題が解消される日がくるまで、“JDS向けに導入や運用に関する裁量を唯一許可された学校や道場”が全コストを負担することになる。
それはなにもお金に限った話ではないし、部活の顧問だけとってもそうだ。都合よくドレスソードを教えられる経験者で、かつ教員免許を持つ人材など限られている。かつてライムライトにはこの条件に見合った者がいたが、それも二年前の騒動で学校を去った。今はどこか、注力校にでも身を寄せているのかもしれない。
競技として未知すぎるから理解に時間がかかる。民間の手を広く介入させるには、事故が起きない前提のドレスソードで「本当に事故はないのか」を納得させる証明がいる。その間に運用できるのは開発機構や運営競技会、裁量権が与えられた学校や道場に限られる。限られた組織の限られた手では範囲も機会もカバーできないので、新規の体験者は増やしづらい。それでもJDSが最大の原動力である以上、本来ならお門違いなはずの学校がもっとも負担を背負いがち。
頭ごなしに学校を攻めるには、学校側のメリットがあまりに少ないわけだ。
それはまるで、上司と部下。元請けと下請け。文部科学省と学校の関係にも似ている。であるからにして、ドレスソードという先進的すぎる競技を抱えてしまった学校は、常日ごろから二重苦を背負っているようなものなのである。
ドレスソード開発機構ならびに運営競技会が打ち出している今後の課題解決も、まずはサッカーやバスケットボールのようにプロシーンを設立し、社会的地位を確立させてから、といった迂遠的な方針が見込まれている。
これでもまだ日本には、天剣衆やダガープリンセスといった競技の扇動者が生まれただけましだ。世界ではそういった第一手すら生まれてない地域も多い。これが競技人気に対し、競技人口が圧倒的に少ないドレスソードの最大の問題点である。
「それでは学校は、わたしたち在校生の力にはなってくれないのでしょうか」
「私も他意あって、ドレスソード部をこのような状況に追いやったわけではありません。誰が好き好んで嫌われ役をやるものですか。世情的にも、現実的にも、今のライムライトにあなたたちの活動を後押しする余力はないのです。青春の浪費と恨んでくれて結構ですが、これだけは言っておきます。本当にごめんなさい」
謝罪の言葉があってもまだ吾妻理事を疑うことはできるが、それは果たして淑女らしいのか。いやいや好きなものを取り上げられたんだ、それくらい。
一拍の静けさに、無言の感情だけが忙しなく飛び交う。
最初に時間を進めたのは、巡流だった。
「吾妻理事。ドレスソードは少女の、女性の、淑女のためになるスポーツです」
「あなたが言いたいことは分かりますが――」
「いえ、実際にデータが物語っています」
そう言って彼女は、椅子の下に置いてあった、厚さ4センチにも達しそうな紙資料を持ち出し、付箋が貼ってある数枚のコピー紙を吾妻理事の前に差し出す。
紙面にはすべて、細かな字で見出しや数値が書かれているほか、簡素なグラフが描かれているものもある。ヘッダーには「ドレスソード運営競技会」の文字も。
「これは?」
「運営競技会にオンラインで問い合わせて送ってもらったものです」
「それで、これはなんなのかしら」
「こちらは、高校在学時のドレスソード経験者を対象にした業界レポートです」
巡流はぶ厚い資料のなかほどから、吾妻理事に渡したものと同じ黄色い付箋がついたページを抜き出し、胸元に掲げながら指差しで説明を続ける。
「二〇三四年版はまだ未作成とのことなので、本資料は二〇三三年版となります。個人情報はすべて伏せられておりますが、ただいま手元で見ております紙は、高校在学時のドレスソード経験者の卒業後分布です。ここに書いてあるとおり、ドレスソード誕生から十一年目となる二年前時点で、経験者の進路はみな大学、短大、専門学校へと進学しております。割合でも母数でも欠けのない100%となります」
「……信用しないとは言いませんが、全員進学だからといって実情は不明瞭です」
「承知しております。ですが進学率100%です。これはそのほかの高校部活動ではありえない数値となり、ドレスソードとの関係が着目されております」
「経験者の絶対数の問題では?」
「それは否定しませんが、100%を否定するほどの説得力はないと思われます」
「ではドレスソードをやれば、みんな学力が養われるとでも?」
「それが事実でない、ただの仮説だろうと、統計は部の優位性を証明しています」
「フワフワしていますね。根拠があるとは言いがたい数字のマジックでしょうに」
「それは我が校における事の発端にしても、似たようなことを言えるのでは?」
「……まったくもう、いいでしょう。続けなさい」
「では失礼しまして」
それから巡流は、やれ「データによると大学での素行もよく~~」、やれ「就職実績もこのとおり~~」と就職説明会じみたプレゼンテーションをはじめた。
ほか三人も事前に分かっていたとはいえ、翼などはあくびをかみ殺している。
大宮巡流は興味関心が強く、学校の勉強は苦手だが、自分の食指が動く方向には極めて貪欲。彼女自身のバイタリティの高さも相まって、このモードに入ったときの巡流は、輪の異なる友人間であろうと「無視するが一番」と認識されている。
「将来性についても、すでにドレスソードを野蛮な競技とする時代はすぎました。二〇三五年現在においても、競技の浸透および認知は全年齢層に十分に行き渡ったとは言えませんが、すでに比較すべきはマイナー競技ではなくメジャー競技となっており、近々とされるプロシーンの開拓事業によって懸念はさらに解消されるものと存じます。ですから無知に反論するに至る透明性は獲得されたものと言え、つまり淑女の競技ではないなど、時代遅れも甚だしい論になる日は近いわけです」
弁に熱が入るにつれ、巡流なりの「デキる私のイメージ」が加速してきた。見かけはたしかにデキる女感があるが、らんらんとほとばしる両目はかなり薄気味悪い。吾妻理事も次第にぐったりしてきて、瀬里奈に目線を送ってくる。
それは「助けなさい!」ではなく、「どうにかしなさい!」の目だ。
「また近年ではドレスソード希望者の先天的な良性遺伝子論の説も――」
「メグ、そこまででいい」
「えええ! うそでしょ!? ここからが起承転結の転なのに!」
「いい、もういい」
「カスミンってば話の腰バッキボキにすんだからあ……ごほん、つまり」
「つまりドレスソードをやれば将来も遺伝子もよくなる、と言いたいのですか」
よっぽど巡流に話を続けてほしくないのか、吾妻理事も食い気味だ。
「要約すれば、おっしゃるとおりです」
「ちなみに、そこの霞さんはここ最近、いろいろとしでかしていますが?」
「彼女は、彼女は……頭がよろしくない子のケースとして意義があるものかと」
「それには同意しますが」
瀬里奈がお決まりの「むっ」を見せようとしたが、巡流のむこう側に座っている仲間二人も神妙な顔つきで同調していたので、渋々ながら控えた。
「それでも統計にあるように、私たちにとっても優位な活動には違いありません」
「こちらの咎もありますので頭ごなしに否定はしません。突飛な説も尊重します」
「ドレスソードの競技としての理念に理解を示す、そう思ってよろしいですか?」
「ええ、理解はします。そもそも私とて最初から否定的なわけではありません」
吾妻理事の顔は「はいはいわかりましたわかりました」のそれだ。
さも正論かのような論理を展開されたところで、納得することはあれども、説得することは難しい。むしろ、即座に乗るほうが人として軽率というものである。
「であれば、それ以外の問題が吾妻理事の見解を許さなかったと」
「どう思っていただいても結構です」
「私たちのよりよい学生生活にドレスソードは欠かせないんです。お願いです」
「そうは言いますが、ですからまずは藤堂さんのお母さまから――」
「発言させていただきます。私の母はすでに説得済みで、了承も得ています」
挙手と同時に発言したメリーシャに、列席者の視線が集まる。
「なんですって? あの、その……苛烈そうなお母さまが?」
「はい。証拠は持ってきていませんが、火種にならないことは命にかけて」
「そんなものかけないでちょうだい」
女生徒にあのような暴力的な競技をやらせるだなんて――それを発言した藤堂メリーシャの母は数日前、娘のメリーシャ単身による説得が敢行された。
いえ、協力はいりません。メリーシャがそう突っぱねるので、瀬里奈たちも詳しい内実は聞いていない。フェンシングをやってほしい母と、ドレスソードもやりたい娘。二人の二年越しの親子バトルは「ママをカンペキにやっつけました!」という、彼女の満面の笑みの勝利報告をもって、おしまいとした。
「私の母は、悪い人ではないです。私も嫌いではありません。大好きなママです。それでも、ここいる友人たちの未来を奪いました。それなのに私はこの二年間、みんなに謝りも償いもせず、あまつさえまたドレスソードをやりたいと思いながらずっと生きてきました。でも瀬里奈さんは、こんな私を誘ってくれたんです」
会議室の蛍光灯が、彼女のシルバーブロンドに淡い光を反射させる。
指先にはグッと力が入っている。ほんのり涙を浮かべて、言葉を紡ぐ。
「こんな私と、またドレスソードをやってほしいと。私、藤堂メリーシャはもう逃げも隠れもしません。真っ向から希望を勝ち取り、敵を打ち貫くと決心しました。ママ、いえ母とは……すこし時間が必要そうですが、決して逃げたりはしません。吾妻理事、お願いです。どうか私たちにドレスソードをやらせてください」
「藤堂さんの事情は分かりました。お母さまとは絶対に仲直りしてください」
「肝に銘じます」
「とはいえ、いくら希望されてもです。ない袖は触れません」
そのとおり。メリーシャがいくら母を説得したところで、扉の釘を抜いただけ。扉に鍵がかかっていないとも、向こう側から開くとも言われてはいない。
下手すれば、盛大に親子喧嘩しただけでこの日が終わることもある。
「学校がドレスソードプラットフォームを導入できないから、ですか」
「そうです」
「じゃあプラットフォームいらないので、活動再開だけお願いします」
「……どういう意味かしら?」
巡流の無防備な提案は、大人の駆け引きを崩した。
柔よく剛を制すとはよくいったものだ。
「言葉どおりです。設備はいりませんので、来月末のJDSに出させてください」
「練習なしで大会出場って、昨年の霞さんのように?」
「大丈夫です。今年はちゃんと四人います」
「そうですが、でも練習せずにだなんて」
「過去に名を轟かせた霞、現役剣道家の白峰、エペ実力者の藤堂。十分です」
「あなたは?」
「残念ながら実力は。ただ、ドレスソードにはこういった側面がありまして」
「剣道をやっている人が強いとか、そういう話かしら」
「はい。ドレスソード専門の人より異種専門家が強い競技。こちらデータですが」
「いいです。世間話くらいは知っています。その紙をしまいなさい」
事の発端が問題なら、発端を潰す。
学校設備が問題なら、設備を諦める。
――わたし的には、勝利の方程式はひとつしかない気がするわけさー。
――あくまで最低限。屁理屈の先っぽだけでも押し込めればって程度だけどね。
「私たちは最初からそのつもりで臨み、四月から練習を再開してきました」
すこしだけウソ。でも間違ってはいないから、ここではホント。
「大宮さん……もしや最初からそれを押しとおすつもりだったんですか?」
「どうでしょう。緊張していて覚えていませんが」
「私は最初に、活動再開の具体的な内容を聞いたわけですが」
「私たちがライムライトで、またドレスソード部での活動に励めること、と」
「肝心なところが抜けています」
「まあいいでしょう、と吾妻理事がおっしゃられたので」
「……まったくもう。ライムライトは賢い生徒に恵まれていますね」
悩ましい彫刻のように、吾妻理事はイライラと右手で頭を押さえた。
しかし一転攻勢。ノリノリの巡流は止まらない。
「吾妻理事からは先ほど、ドレスソードの理念への理解と言質をいただきました。藤堂の母も説得しましたので、保護者からの苦情も今は心配ない。ドレスソードプラットフォームもいりませんので、設備に関する心配もない。現状、ドレスソード部の活動再開に向けて、否定されるような障害はないものと存じますが」
一言も発言していないが、真っ青な表情でオロオロする主任教諭。
もとから味方だったのか、鼻息を荒くして応援している常務理事。
会議室の窓ガラスに張りつく雨粒も「どうなるどうなる」と興味津々のようで、重力にしたがって窓枠に落ちていくまで、ゆっくりゆっくりと滑っていく。
けれど彼ら無言の観客の期待には、答えられなかったと見られる。
「得心はします。言い分も分かりました。けれど、今すぐには認められません」
「なぜでしょう」
「最初に言いました。私の一存では決められません。しかるべき手順が必要です」
「それは、あと一か月で済むことなのでしょうか」
「通常、学期終了日以降の理事会議案となりますので、先んじて無理とだけは」
「期日の問題とあれば、緊急招集に値するはずです」
「その前に学力考査と、あなたたち三年生の進路です。時期が味方しません」
「ですが!」
「大宮さん。納得してくださいとは言いません。けれど理解してください」
巡流が次の言葉を絞り出せずに、一秒、また一秒とすぎていく。
彼女が思案した、たったひとつの突破口はちゃんとあった。
相手に理解を示させて、課題に対処して、現状で妥協する。
そうして「形式上のままでもいいからJDSには出させろ」と幕を引く。
だが穴を突破しきるには、最初から時間が足りていなかった。
「それでも、なんとかできませんか」
巡流に代わって瀬里奈が口を開く。うわずった声に焦りの色が見える。
「なりません。それが規律と規則です」
感情が見えない吾妻理事の言葉は、熱い体にことさら冷たく聞こえる。
「吾妻理事がダメなら、今の旨で理事長に直訴させてください」
「理事長は七月末まで海外です。電話や書類で軽々に判断する案でもありません」
「私が判断させてみます」
「なりません」
「しかし……分かりました。ならば、もはや言葉は不要」
ガタッ! 勢いよく席を立つ瀬里奈に、室内にいるすべての者がビクッとたじろいだ。彼女は言葉は不要と言った。つまり、そういうことなのかと。
誰もが言葉で止められぬうちに、瀬里奈が早足で吾妻理事に近づいていく。
「ちょっ、なななにをする気です! こないでちょうだい!」
「私には、もはや語る口がありません」
「まま待ちなさいっ! 暴力はダメよっ! 進路も守れなくなってしまいます!」
「お心遣い、感謝します」
吾妻理事の対面まで迫った瀬里奈を見て、一同はハッとしたように駆け寄る。
友人による、生徒による、お偉いさんへの暴力はまじヤバイッ! となって。
一番最初に駆け寄った翼の右手は、最後までゆったりと動いていた瀬里奈の肩をつかむこともできず、空中を素通りする。そうして瀬里奈は――土下座した。
「……えぇ?」
「カスミンさあ」
「またですか」
「この土下座女。味しめてんでしょ」
それは持ち前の姿勢のよさが分かる、いっそ優雅に見える土下座だった。
「吾妻理事っ! どうかこのとおりだっ!!!」
「なっ、えっなに土下座って、ちょちょっと霞さんやめなさい!」
「断るっ!」
「馬鹿っ! いいから立ちなさい! 外聞が悪すぎます!」
「ならば理事長に直訴させろ!」
「なんで土下座しながら脅してんのよ! あなたほんと馬鹿ねっ!」
立てっ! 断るっ! 立てっ! 断るっ! 土下座させまいと生徒を力づくで立ち直らせようとする理事と、そうはさせまいと断固として土下座を続ける生徒。
発言だけなら教師の鑑だが、目に見える構図は「無理やり土下座させてる大人」に見えなくもない。力の入れ具合がうまいこと真逆になっていて、トリックアートのようである。現場の喧騒を鑑みると、どちらかと言えばコントだが。
「ええーい! いいから立ちなさい!」
「止めたくば話をとおせ!」
「あなたねえ! こんなところ見られたらどうしてくれんのよ!」
「見られたくなければ言うとおりにしろ!」
「だまらっしゃい! ほら立ちなさい! むぎぎぎぎ!」
「むむむむむ!」
最初は瀬里奈の肩口をつかみ、制服を乱さないように配慮していた吾妻理事も、今はもう両手でお腹から抱えるようにして持ち上げようとしている。
これじゃあ相撲、いやレスリングか。全身全霊の当人たちの力勝負はいざ知らず、周囲の空気は実に冷めていて、シラーっとした面持ちで両人を見ている。
「あんたたちも一緒にやれば?」
「いーです」
「結構です」
「私のときはやったじゃん」
「あれはその場のノリというか」
「今回はちょっと擁護しづらいですね」
「効くけどね。こんな大迷惑なこと人生でめったにないし」
ゼーゼー。フーフー。息も荒く、髪形や服装を乱しながら立ったままの吾妻理事と、両手を地面についたまま顔だけ上げた瀬里奈の視線がぶつかる。
「ゼー、ゼー……霞さん、いい加減にしなさい。これは脅迫ですよ」
「フー、フー……断ります。もう一歩足りたりとも、私は剣を退けません」
「そこまでして大会に出て、どうするんですか。三年生の大切なこの時期に」
「今しかないんです」
「将来だってあります。今の連続が、霞さんの道を閉ざすこともあるんですよ」
「笑わせる。暗く閉じた道をずっと走ってきた。その二年間が今だ、吾妻理事」
「……まったくもう。ほんとにもう」
消沈とともにスーツの襟をただした吾妻理事は、力が抜けたのかボスっと椅子に座り込んだ。お尻を受け止めたクッションは柔らかそうで、痛みもなさそう。
「手を上げなさい。どれだけ急いでも理事会の決議はそうは早められません」
「そこをなんとか」
「最善は尽くします。でも期待しないほうがいいでしょう。それが仕組みです」
「……さすがですね、名門のライムライト女学校というのは」
「ここでの生き残りに無茶した反動です。今までも必死だったんです」
結論から見れば、彼女たちは意気込みで勝った。
結果から見れば、彼女たちはシステムに負けた。
巡流は最善手を選んだし、メリーシャも最善策を成したし、翼もこれでもコソコソと協力していたし、瀬里奈も変わらぬ大上段から攻め続けた。
足りなかったものを数えれば、数えきれないほどある。みな頭のなかに残された打開策を反芻してみても、ゴールにつながる答えにはたどり着けなかった。
「なりたかったんです。緑銀の淑女に。どうしても、ずっと」
少女の諦めの一言に、返事をする者はいなかった。
――ガチャ。
「あらやだ~。今日って会議だったのね~」
会議室のなかには。
次回「私ら、ジダイの淑女たれ」(3)。




