私ら、ジダイの淑女たれ(1)
長時間の行水がたたって、瀬里奈と巡流とメリーシャの三人はきっかり三日間、仲良く体調不良で学校をお休みした。それが明けたようやくの平日のこと。
「で、どこでドレソすんのよ」
「運動場だな」
「プラットフォームないじゃない」
「ないよー」
「じゃあ練習は」
「できませんね」
「あんたたちさあ、頭おかしんじゃない?」
定食の甘酢チキンカツをつつきながら、翼が疑問の末の結論をぶつけた。
毛先が踊るボブヘアのスタイリングがただのクセ毛と知ると、怒る友人は多い。
「仕方ないさ。まずは人数をそろえるのが先決だった」
「あほらし。それでJDSとか話になんないでしょ」
「まあまあ。シロがいないほうが話になんなかったしね」
「ですね。私も腕を磨いたほうですが、フェンシングでドレスソードとなると」
白身魚のホワイトソース風味に、軽めのステンレスフォークが刺さる。
メリーシャが週三日は頼んでいる、彼女のお気に入りメニュー。
「メリーシャはイイ線いってるって、フェンシング部の子が言ってたけど?」
「謙遜はしませんが、白鳴の鉄面妃と比べたら……お話になりません」
「あんなクソバケモン女と比べたら、誰だって話になんないでしょ」
「ええ、もうご卒業されましたしね。それでも、悔しいことには違いないです」
和風豆腐ハンバーグのひとかけらをパクリ。巡流がモグモグ。
これでも見かけを取り繕うのは、このなかでは彼女が一枚上手である。
「まあ、成せばなるってもんよのー」
「巡流。未経験のあんたが一番クソザコでしょうが」
「そうですが、わたし由来の敗因はすべてカスミンが責任とるらしいっす」
「どうやってよ」
「わたしの悪口言った人は全員、竹刀でぶっ叩いてくれるらしいよ」
「こいつ、あったまおかしい」
「カスミンいつからこんな子になっちゃったんだか」
「昔っから。悪い意味で成長してないんだから」
赤魚の煮つけを骨以外きれいに食べ終わった瀬里奈も、口を開く。
「その覚悟はある」
「んなゴミ捨てな」
「シロにどーい」
「瀬里奈さんったら、ため込んだストレスが危険なほうに向いています」
気持ちは理解してくれても、同調してくれる者はいなかった。
ここ最近の瀬里奈は、無理で道理を押しとおすことに腐心しすぎていたせいで、乙女のブレーキが行方不明である。誰かが力づくで止めるほかない。
騒ぎのないときは模範生徒のように見える。霞瀬里奈は存外、そういう子。
「んで、これから学校どうにかして? ぶっつけ本番ってわけ?」
「そうだ」
「あほらし」
「翼」
「なによ」
「ありがとう。一生感謝する」
「くたばれ」
この場には霞瀬里奈、大宮巡流、藤堂メリーシャ、そして白峰翼がいる。
翼は今日、自然と三人の輪に集まってきたものの、その口からはまだ「やる」とも「やりたい」とも聞こえてこない。ただこの場に集まっているだけ。
とはいえ、ほかの三人も求めはしない。翼のことだ。真正面からいじらしい言葉など返ってくるはずもない。この場に来てくれた。それだけでよしとする。
それに、なんだかんだで彼女は剣道部の副部長にして主将である。これからどのように動くにせよ、四人のなかでは責任の重さが際立っている。
最悪の結末になったとき、せめてもの償いとして、言質は取らなくてもいい。
「どーにか四人そろったし、今日から理事戦争やるかー」
「戦争って。巡流さん人聞きが悪いですよ。抗争と言いなさい」
メリーシャが口元を拭きながらたしなめる。
「やっぱり吾妻理事? めんどくさ。あんたたちだけでやってね」
「じゃあ、ドレソやらせろ! ってシロが暴れる方向にする?」
「卒業後のお礼参りなら、それもありよね」
巡流と翼がにこやかに悪だくむ。メリーシャも困り眉だが、苦笑している。
「善は急げ。早いほうがいいだろう。私が放課後に話にいく」
「やめて」
「それはちょっと」
「あんたなめてんの?」
「安心しろ。今日は手続きだけ。正式な場はあらためるさ」
「それすらちょっとって話。なんで分かってくんないかなー」
「瀬里奈さん、表面は優等生でも、中身は前科者なのですから」
「浅知恵の酷さに関しちゃ、小学生のころから信用ならないもの」
結果的にいいほうに転んできたのはそのとおりだが、それはそれ。これはこれ。近々の奇行によって瀬里奈の対外的な信用はガタ落ちしている。
チームとして同じビジョンを共有することで、状況ごとの意思統一の速度を高められるという恩恵もあると言えばあるが、単純に身から出た錆である。
「大丈夫だ。大事にはしない」
「ほんとっすか? 理事ぶったりしない?」
「ああ。両手に長物を持っていなければ」
「ダメだこの子」
放課後。部活がある三人を送り出し、瀬里奈は手ぶらで職員室へと向かった。
下馬評では、「カスミン単独とか絶対ダメ!」「火を見るより明らかですね」「曇ってんのは外よりあんたの目ね」と散々な言われようだったため、今日はあくまで優等生モードの具申にとどめることと、四度も念押しされていた。
教室を出て、眼下に伸びる光沢のないミルク色の廊下を進む。
校舎外観の色調にあわせた真っ白な壁が続く先は、校舎一階の中央部。そこの開けた空間に職員室が面している。この学校らしい明るいライムグリーン色の引き戸は、少女たちが着るセーラー服とは違う、本物の“ライムライト色”だ。
「三年一組、霞です。失礼します」
自分自身、力んでいないことを確認するように、丁寧に引き戸に指をかける。
扉のスライド部分は抵抗もなく、スルスルと扉を運んだ。
職員室に足を踏み入れると、入り口近くの教員が視線を配ってきたが、声をかける者はいない。「げっ、霞瀬里奈」と思われているわけではないと思いたい。
彼女は臆することなく、職員室の奥を目指す。幸いというべきか、お目当てのデスクには、普段は留守がちなターゲットがしっかりと座っていた。
「吾妻理事。三年一組、霞です。ご無沙汰しております」
「ごきげんよう霞さん。お久しぶりですね」
ほつれ毛のない、艶々な一本結びの髪を揺らしながら、その人が目線を上げる。
スーツの目利きを養った女子高生はそうはいないだろうが、誰がどう見てもお高級そうな物だと邪推してしまえる、絹のようななめらかさを感じさせる乳白色のパンツスーツ。誰から見ても美人と評せるその顔には、険しさはないが、強かさがにじみ出ている。それすらも華やかな笑みで隠しきれるところが、大した狐だ。
吾妻理事。年齢は四十半ば。ライムライト女学校の専務理事の中心的人物であり、理事長代行の権限を有し、学校運営における決裁権も一部担っている。
麗しき姿は生徒や保護者からも好評。彼女が中心となった海ノ橋新校舎移設計画は大成功を収めたことで、その辣腕っぷりは文字どおり海を越えて届いている。
ただし、一部の一部、ほんの一握りの生徒からの好意は獲得できていない。
もちろん、その生徒たちというのは言うまでもなく。
「少々お話をよろしいでしょうか」
「時間にすると?」
「二言で済みます」
「それならどうぞ」
「人数がそろいました。ドレスソード部の活動を再開させてください」
「却下です」
言うまでもなく。
名ばかりの現役、ならびに元ドレスソード部の部員たちのことである。
「話は終わりですか」
「もう一言あります」
「聞きましょう」
「到底、納得できません。部活再開に関する生徒会議の実施を求めます」
「……それはまた。この時期にですか? 相変わらず強く出ますね」
「生徒手帳にも書かれている、ライムライト生徒の権利です」
「そのとおり。こちらも一方的に断ることはできません」
――私立ライムライト女学校の校則。学校運営および学生生活に、生徒側からもよりよい働きかけができるよう、要望された職員は意見交換の場を必ず設けること。
この学校の生徒手帳に記述されている、生徒たちの権利である。とはいうものの、あまり前例があるわけではない“念のための法”であり、常套句にすぎない。
それでも使えるなら使う。こういう小賢しい知恵の出どころは大体巡流だ。
「では、その旨よろしくお願いします」
「待ちなさい。まずは担任をとおして、然るべき書類と手続きを踏んでからです」
「存じています」
「ならそうしてくださ……なら、なぜ私のもとに?」
「三度目の宣戦布告にと」
涼しげな顔で言い放つ。
彼女に悪意はない。反意もない。これはただの、決闘の申し込みだ。
「……まったくもう。あなたって毎年やらかしてくれるのね」
「先に剣を振るったのはライムライトです」
「分かっています。悪いと思っています。あなたに他意もありません。けど」
「はい」
「ない袖は振れない。それは変わらずです。結論ありきでよろしいですね?」
「よろしくないから、私も剣を取るのです」
「……まったくもう。いいでしょう。淑女らしい話し合いを期待しています」
周囲のデスクで聞き耳を立てていた先生たちも、心中ですこし白熱していた。
面倒ごとには違いないが、霞瀬里奈と吾妻理事の対面は、結果的に三年連続で行われてきた、哀れなドレスソード部の打ち上げ花火のようなものである。起きる沙汰も毎年小さくはないので、瀬里奈の存在感は職員室に知れ渡っている。
「それでは失礼します。吾妻理事」
「ええ、ごきげんよう。霞さん」
白々しさはあるが、同じ目線でいてくれる大人には見える。
その場を離れた瀬里奈は、宣戦布告の様子を苦々しい顔で見ていたクラス担任のもとに直行し、然るべき書類とやらを受け取り、そのまま帰宅した。
そして次の日。
「宣戦布告ってよお……カスミンちゃんよお。なぜ普通に生きれない」
「まさに抗争って感じになってきましたね……!」
「ワクワクすんなドードー。にせロシア人め」
職員室での一件は、その場に居合わせた生徒たちの軽快なお口を介し、一晩で学校中の噂になっていた。いわく「霞瀬里奈が吾妻理事に殴り込みをかけた」。
「ドレスソード部のことなら、吾妻理事に話をつけるのが筋だからな」
「今から火花バチっても、いいことないって意味っ!」
肝心の書類は、メリーシャが丁寧に書いている最中。
愛用の筆ペンは安物の量販品だが、彼女の手にはよくなじんでいる。
「あんたたち、話し合ってどうするつもり。理屈でどうにかなるの?」
「ふむ。そこが難関だな」
「学校側の答えなんて、ある程度は決まってるようなもんだしねー」
カキカキカキ。一筆ずつ、きれいにハネて止める。
四人のなかでメリーシャが一番字がうまい。
「わたし的には、勝利の方程式はひとつしかない気がするわけさー」
「ひとつあるのか?」
「あくまで最低限。屁理屈の先っぽだけでも押し込めればって程度だけどね」
そのためにわたしがいるのです。
巡流がおちゃらけつつ、ニカッと笑った。
一週間がすぎた。外の天気はいつものように、冴えない雨天が続いている。
この日、暫定ドレスソード部の面々は、放課後に学生会議を主催することになっていた。四人は今、校舎中央部の職員室に隣接する、中会議室で準備中だ。
各自それなりに耳触りのいい言葉の武装はしてきた。しかし学生の範疇ではお気持ち以外の武器は少なく、「これなら大丈夫」と思えるほどには至っていない。
頼みの綱は、意外にも巡流だけ。ほかの三人は、会議中の進行役もすべて巡流に一任し、彼女が練ってきた口車に一蓮托生で乗車することを決めている。
「すまない、すこしだけ外に出てくる」
「外ですか? もうまもなくですから、十分くらいで戻ってきてくださいね」
「ああ」
心なしか緊張気味のメリーシャに言伝し、急ぎ足で中会議室から離れた。
心臓の鼓動が早い。足もすこし震えている。長らく“試合”をしていなかったせいか、こんなところまでか弱くなっていたようだ。自分にすこし笑えてくる。
これからはじまる現実社会との折衝。危機感が迫ってくると、女子高生のノリだけではどうにもならない。どちらに転んでも、高校三年生の私には最後のチケットになる。それも分の悪い、乗車するのが難しい、JDS行きの特急券ときた。
弱っている。怯えている。怖がっている。それが分かる。だからどうしても声が聞きたい。大丈夫でも、大丈夫じゃなくても、私の力になるから。足の震えをごまかすように、きつ然とした態度を装って、無理やりにでも足を進める。
目的地は、放課後になると人気が少なくなる校舎南端の階段。そこの一階と二階の中間に位置する、こじんまりとした踊り場のスペース。
旧校舎時代から女生徒たちが連綿と紡いできた、ライムライトの伝統スポット。「あそこは大事なときに使うから、放課後に誰かいたら空気を読むこと!」という小粋な共通認識によって守護され続けてきた、少女たちの聖域。
周囲には誰もいない。足音や物音も聞こえない。そこまで臆病がる自分にまた笑えてきて、スカートのポケットから端末をうまく取り出せなかった。
通話履歴から名前を探した。電話帳から探すより早いから。指先が「猪戸恋子」の名前を突く。1コール。2コール。3コール……電話に出た。
静かな少女の声。電話の先の声。かすかな雨露で彩る、心地よい調べ。
放課後になって、誰かが佇んでいたのなら、騒ぐことなく、ゆっくりとその場を去りましょう。限られた世界の、区切られた生活範囲で生きていかなければならない女の子たちが、せめてもの自分たちの聖域を、自分たちの手で守ろうと決めた。
遠い昔から、遠くに来た今も、ずっと受け継がれてきた淑女たちの密約。
放課後、誰かを見かけたのなら静かに立ち去りましょう。
きっとそこには静かで、温かい、大切な秘め事があるから。
動けなくなってしまった子に、大事な想いが与えられるから。
淑女たるものキュートなだけではダメ。ハンサムでなければね。
「――恋子、私はまだ、ドレスソードがやりたい」
「――JDSにも出たい。なにもしないで、このまま終わりたくはない」
「――だが、もし今年もダメだったら。そのときはせめて慰めてくれ」
「――分からないんだ。本当に。ライムライトが許すかが、今も」
「――優しいな、恋子は。昔からまったく変わっていない」
「――たしかに、あの恐ろしい偃月刀ではな」
「――ふふ……もしもの話だが」
「――私が、ライムライトが、朝女とぶつかることになっても」
「――……そうか。ならば、それを目標にがんばるとしよう」
「――ああ、がんばれ。恋子」
当然、聞き耳なんてもってのほか。
ライムライトの少女たちが見るべきは、校舎南端の階段から颯爽とやってくる、明るくも勇ましく生まれ変わった女の子の顔つきだけでいいの。
次回「私ら、ジダイの淑女たれ」(2)。




