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敗北のドレスソード  作者: 手遊花
朝倉女子 二年生編(夏)
47/205

そこで一生そうしてる?(4)

 一日、また一日と、学生らしい無為な毎日がすぎていく。寄宿舎での騒動のはじまりからちょうど一週間となる日曜日。この日が罰則の最終日であった。


 五月中旬の今日も今日とて、曇りは晴れず。昼からポツポツと降りはじめた重たい雨粒には、空で粛々とお仕事中のドローンも静音ながら不満そうにしている。


 瀬里奈は先ほどまで、運動場でドレスソードの休日練習を行っていた。実戦の勘どころを持たぬ三人の練習は、相も変わらず実りがあるんだか、ないんだか。

 そうしてある程度の時間を費やしたのち、瀬里奈は巡流とメリーシャより一足早く抜けて、献身的にも最後の落ち葉拾いに勤しんでいた。


 この一週間。用務員のおばさまは月曜と木曜の二日のみ、既定のスケジュールに則って瀬里奈の手伝い、もとい瀬里奈がお手伝いをしていたが、それ以外の日は彼女ひとりで寄宿舎周辺の清掃をしてきた。昨日の雨中の土曜日もだ。


 おばさまには適度に「手を抜け」と言われていても、彼女は教えられた手順を最初から最後まできっちりとこなす。その働きぶりは、厳格さで知られる寮母をして「寄宿生のみなさんも、霞さんのように誠実な清掃を心がけるように」と言わしめ、近々で当番が回ってくる寄宿生に苦い顔をさせた。完全にとばっちりだ。


(雨足が思ったより早い。雨合羽を持ってくるべきだったか)

 昨日使っていた雨合羽は、今は自宅のベランダで渇き中。


 瀬里奈は清掃中も制服のまま竹箒を振るっている。祝日でも、寄宿舎は校内に違いないとして。当初、寮母から「運動着になさい」と提案されたが、校舎の更衣室の行き来には時間がかかる。管理室で着替えさせてもらうのもなんとなく気が引けたので、制服を汚して母に怒られる道を選んだ。そのほうが贖罪らしいと。


 ポツポツ。ポツポツ。静かな雨足だが、一粒一粒の雫は重たい。ただでさえ濃いめの深黄緑色なセーラー服は、濡れはじめると黒ずんだ沼色のようになる。

 肝心の落ち葉も濡れていて、芝生に張りついてしまって気持ちよく剥がれない。清掃としては非効率だが、罰則としては効率的すぎる加虐さだ。


 寄宿舎の罰はなにも、ここまで惨めな行いを瀬里奈に強いてはいない。

 寮母も連日の梅雨とあり「今日はいいから」と温情でかけあってくれる。

 けれど、当人は断固として「やる」と言い張る。頑固さが厄介極まりない。


「霞さーん、カッパかそっかー?」

「霞ちゃーん、今日はもういいってー」

「かか霞先輩! 冷えたら大変です! わわ私の部屋で着替えてください!」


 ひとり清掃の中間点。左外周をとおって寄宿舎の裏手まで来ると、真面目な罪人の勤労っぷりを見かねた寄宿生たちが、部屋の窓から温かい言葉を投げかけた。


 寄宿生の土日は外出自由だが、日曜夕方ともなると大体の生徒は自室に帰ってきている。そして自分なりの怠惰な一日を満喫し終えて、濡れそぼる緑豊かな風景にでも思いを馳せようとしたところで、コレだ。瀬里奈の姿は「窓の外にいる発展途上国の子」のように、心優しいお嬢さまたちに的確に罪悪感を与えている。


 実直ゆえに止まらない彼女の勤労は、楽しい休日にあって本当に厄介である。


「あんた、ほんとアホでしょ。もう帰りな」

 ひときわ手厳しい指摘。


 それまでに受けた数々の応援ないし懇願には、目くばせ程度で返していたものの、頭の左上から届いた、耳にスッと入るその声には体ごと向き合った。

 見上げたその先、高さ約三階。たぶん307号室。一週間ぶりの翼の姿。


「これが私の罰だ。最後までやり遂げる」

「人さまの休日にしみったれた姿見せつけんなって言ってんの」

「そう思うか?」

「ほかの子たちがね」


 雨音は大きくないが、高さの隔たりもあり、二人の声量は大きい。

 穏やかな日本語でも、語気が強まると怒っているように聞こえる。


「大事をしでかした。仕方ないだろう」

「そのクソ真面目、なんでほかに生かさないのよ」

「寄宿生のみなにはすまないと思っている」

「だったら帰りな。そっちのがよっぽどマシ」

「それはできない。罰だからな」

「うっざ。いい加減に懲りなよ」

「ダメだ。翼、君がこの手を取るまで、私は何度だって間違えてみせる」

「あんたストーカーすぎんでしょ……」


 首を下げて、目を伏せて、手元で清掃を再開する。

 気持ちに熱が入ってしまったか。先ほどより、きれいに落ち葉が集まらない。


 一分……二分……時間は進む。すこしずつ清掃を終える。少女の制服も濡れる。

 頭上から声は聞こえなかった。翼は冷えた目つきでジッと見下ろしているだけ。おかげで誰も声を発せず、濡れ鼠の受刑者の禊が済むのを見守っている。


「そこまですることなの」


 翼の声。着実に清掃を進めてきた瀬里奈は今、彼女の直下にいる。


「そうだ」

「なんで」

「やりたいから。緑銀の淑女として、またドレスソードを」

 竹箒を投げ出し、少女は直上をキッと睨みつけた。


「できないっての。認められてないじゃない」

「できる。認めさせる。そのために努力している」

「やる前から努力してどうすんのよ。それで東京A代表で勝てんの?」

「勝てる。翼、君がいれば」

「他人をアテにするな」

「アテになんかしていない。私と君、メグとメリーなら勝てる。それだけだ」

「くたばれ。今後なんべん頭下げたって――」

「だから……頼む!」


 ハッと息をのんだのはなにも翼だけではない。この光景を窓辺でそわそわしながら眺めていた者も、外からの大きな声につられてきた者も、一様に慄いた。


「あ、あんたっ! ふざけてんじゃないわよボケ女っ!!!」


 地べたの霞瀬里奈は雨の下。天上の白峰翼に向かって、きれいに土下座した。


「翼っ! 私とドレスソードやれっ!!!」


 日本人の肌感のせいか。たとえ他人であっても、誰かが土下座をしている姿というのは、怒り、愉しみ、悲しみ、哀しみ、言葉にならない感情をもたらす。

 見てはいけないなにかを目にしている。この場の寄宿生たちはいきなり、冷たく苦しい興奮に巻き込まれた。逃げたい。目を背けたい。でも見ていたい。


「嫌がらせも大概にして! っざけんな! 頭上げな!」

「断る! 君がやると言うまではなっ!」

「泣き落しならもっとしおらしくやりなさいよ!」

「考えておく! だからドレスソードをやれっ!」


 地に伏せたまま発せられている瀬里奈の声は、明瞭には響かない。

 それでも気迫のこもった怒声の嘆願は、寄宿舎の背中を殴りつけた。


「こいつ! イジメに見えんでしょ! イジメられてんのはこっちだよ!」

「だったらドレスソードやれっ!」


 一連の騒動により、寄宿生たちの間に“瀬里奈と翼の関係”は十分すぎるほど情報が行き渡っているため、見た目どおりの誤解というのはなかった。


 ただし、全員ドンびきである。


「翼! 君は諦めさせられて逃げただけだ!」

「んなの言葉遊びよ! ライムライトが悪いだけでしょ!」

「今からでも見返せば遅くない!」

「おせえよ! 常識で考えろ! 無駄に遊んで剣道までこぼしてたまるかっ!」


 思いの内は知らずとも、この場を見つめている少女たちには翼の言い分のほうがただしく聞こえる。三年間の高校生活の最後、中途半端にかじった競技ではなく、汗と涙でがんばった競技に打ち込むべき。大学受験だって待ち構えている。


 瀬里奈の言っていることは、かなり厳しい。

 正論も世論も、翼の味方をするのが当然だろう。


「それに瀬里奈ぁ! あんた土下座とか矜持もなくしたわけ!」

「矜持ならある!」

「どこにあんのよ! ボケないでよボケ女!」


 声なき観客たちも全員、心のなかでツッコんだ。「うんうん」。


「あの剣龍・霞瀬里奈さまが? 土下座しといて? 矜持もクソもないじゃん!」

「ある!」

「ないよ!」

「絶対にまたドレスソードをやると決めた! そのためなら罰則も土下座も――」


 顔を上げ、土でかすかに汚れたおでこを向けて、両目で翼に斬りかかる。


「――すべて小事っ!!!」



 シーンと。周囲から雑音が消える。

 家屋や森林を叩く雨音だけが、この場を支配している。


 大事なものを傷つけないように、語りかけるようにして続けた瀬里奈の言葉は、翼よりも離れた場所にいる寄宿生たちには聞こえず、彼女だけに届いた。


「翼、君にはずっと聞いていないことがあったな」

「なに」

「どうして三年前、ライムライトを受験した」

「それは、その……」

「言わなくてもいい。受験のときすら相談もなかった。言いたくないんだろう」

「……」

「私は今、ずるいことを言っている。情や弱みを責めている自覚もある」

「……ほんとそう」

「だから同情でもいい。憐れみでも構わない。私のためだけに手を貸してくれ」


 瀬里奈が天上を睨みつけ、翼が地べたに目を伏せる。誰も口を開かない。開けない。スゥーっと。翼が静かに息をのむ。降参にも似た、呆れたような表情で。


 そして、彼女がゆっくりと口を開こうとして。


「な、なんじゃこりゃっ! カスミンなにしてるん!?」

「せ、瀬里奈さん!? なんで土下座!? 汚れちゃいます!」


 建物の脇から、巡流とメリーシャがドタバタしながら現れた。


 二人はギョッとした表情を見せると同時に、仕立てのいい傘をそのへんにポイッと投げ出し、地面に両手とひざをつき、さりとて挑戦心に満ちあふれた面持ちで上階を睨みつけている、ずぶ濡れで土に汚れた瀬里奈に駆け寄った。


「メグ、メリー、なぜここに」

「こんのすっとこどっこい! なにがなぜだ! ほら立て立て!」

「瀬里奈さんってば! もー! ほら立ってください!」

「ダメだ。これが私の戦いだ」

「カッコいい感じだけどイミわかんないよ! バカ、超バカ、超お馬鹿スミン!」

「もー! もー! もー!」


 呆気にとられた翼はさておき、悲痛な現場に急激なワチャワチャ感が漂いはじめたことで、呼吸すら忘れていた無関係な寄宿生たちは大いに助かった。

 空気を縛る、目に見えない緊張感は、いつの間にか緩和している。


「巡流さんのもとに、瀬里奈さんがおかしなことしてるって連絡がきたんです」

「ひーちゃんからね。電話で何事って思ったけど、何事すぎるよもう」


 二人はドレスソードの休日練習のあと、瀬里奈のぶんまで運動場の片づけや掃除を行っていた。そこに友人から異質なヘルプを受けて、寄宿舎に駆けつけた。

 着替えも急ぎだったのか、二人ともセーラー服のリボンがよれよれだ。


「それでなに、このアイドルコンサートみたいな状況は」

「パフォーマンスが土下座ですか……うぷぷっ、うぷぷぷっ」

「うるせえドードー。でで、なんなの? まじでどうしたん?」


 どうせまたカスミンが……とは思ってはいるが、巡流の声色は怖い。

 理由はなんであれ、雨のなかで地べたに土下座する友人を見たのだ。

 勝手にツボに入ったメリーシャにしても、二人はすこし怒っている。


「シロ? カスミンになんか言った? さすがにやりすぎ。本気で怒るよ」

「もう怒ってんじゃない」

「もっと、ってこと」

「分かってるわよ。でも分かるでしょ。そこのボケ女が勝手にやってるだけ」

「ほんとに?」

「見てる全員に聞いてみな。満場一致で私のほうが同情されてるはず」

「……まあ、っぽいね」


 巡流が誰かの返答を求めるように、ぐるっと寄宿生がいる窓を見回す。

 みな声こそ発しないが、目や、眉や、口で「翼に一票」を投じている。


「こいつがいきなり土下座してきて、ドレソやれって脅してきたのよ」

「違う。頼みだ」

「ごめんねカスミン。たぶんシロがただしい気が……」

「ですね……」

「受け取り方は任せる、だから」


 仲間の手がほどよく離れたタイミングで、瀬里奈がまた土下座をする。


「ドレスソードをやれっ! 翼っ!」

「あんた天丼やめなっ!」


 軟化した空気下での土下座は、柔らかい玩具のナイフを突きつけているような、少なくとも場に緊張を走らせるものにはならなかった。白けた空気すらある。

 これで今週最後のサプライズもそろそろ終わりか――と思われた矢先。


「……ええい、ヤケだ! カスミンのせいだかんね! シロ! ドレソやれぇ!」

「……こうなっては仕方ありません。翼さん! ドレスソードをやりましょう!」


 巡流とメリーシャも、瀬里奈の両脇で土下座した。


「……あ? まじ? あんたたち……あ?」

「シロがドレソやんないせいだかんね! もうバカ! シロのアホバカ!」

「そうですよ! 翼さんドレスソードやりましょう! 折れてください!」

「どうだ翼! ドレスソードから逃げたままで情けないのは君のほうだ!」

「土下座してるやつらに罵倒されるとか、なにこれ……理不尽でしょ……」


 どちらの立場のほうが辛いのか。

 見ている少女たちには、もはや分からなかった。



 雨足は夜にかけて、ほんのすこしずつ強くなっていった。

 三人の脅迫コンサートは、最終的に寄宿生の大半を動員させてしまい、夕食にやってこない少女たちを不審がり、騒ぎにたどり着いた寮母に解散を迫られた。


 瀬里奈は一時間弱、巡流とメリーシャも数十分、雨空の下で土下座をしながら、翼に喧嘩を売っていた。体温低下が心配された三人はその後、寮母の合図とともに飛び出してきた寄宿生たちにとっ捕まり、寄宿舎内の大浴場に強制連行された。

 グチョグチョに濡れて汚れた脱ぎづらいセーラー服は、同級生や下級生たちのチームプレイによって更衣室で剥ぎ取られ、今は洗濯されている。


 薄い桃色のタイルが敷かれた大浴場。更衣室側のガラス扉が開かれると、真っ白で暖かな湯気がモクモクと室内に入り込んできた。

 ずぶ濡れだった三人の体は、そこで急に寒さを思い出し、震えはじめる。


「瀬里奈」

 十数人はいるだろう寄宿生の人ごみから、翼の声だけが聞こえてくる。


「なんだ」

 可及的速やかにお風呂を求めている体は、後ろを振り向けない。


「あんたさ。やりたいの、勝ちたいの」

 翼が言いきるよりも先に、巡流とメリーシャの生き返る声が大浴場に響いた。


「行きたいんだ」

「あ? 恋子のとこに?」

「それもある。私にきっかけをくれたのは恋子だからな」

「でも、やっぱりドレソをやりたい自分に気づいたって?」

「ああ。それと君を見つめていたからかな。久々に思い出した」

「なによ」


 そうして、右手の人差し指を天井に向けながら、瀬里奈は言ったものだ。


「てっぺん」


 半分の顔だけ振り返って、少女は挑戦的な目つきで煽る。


「ついてこれないんなら、置いていくぞ?」

「あんたまじ、そのうちぶっ殺す」

次回「私ら、ジダイの淑女たれ」(1)。

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