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敗北のドレスソード  作者: 手遊花
朝倉女子 二年生編(夏)
44/205

そこで一生そうしてる?(1)

 あれから一週間後――。

「帰って。二度と武道場にこないで」


 それから一週間後――。

「黙って。うっとうしいってのボケ」


 そのまま一週間後――。

「瀬里奈。あんた、頭沸いてるの?」


 五月の連休開けに――。

「あんたさあ、ぶっとばしていい?」


 三人の少女が意気投合したあの日から、早くも一か月がすぎようとしている。


 ライムライト女学校の生徒たちには、なんとなしに五月の連休明けの気怠さが漂っていた。シャキッとしろ、などと言うのは無粋な大人だけだ。

 最近は清々しい快晴日和が続いていたが、ここ海ノ橋の空気中にはすこしずつ湿気の魔が手が迫っている。海上都市のそれは、本州よりもやや強め。


 そんな日ごろにあって、霞瀬里奈は今日も今日とて、最後のひとりに苦戦中。


「カスミーン。今日もシロんとこ行くのー?」

「ああ」

「瀬里奈さん。翼さんはやはり難しいのでは」

「難しいことは、諦める理由にはならないさ」

「こいつハート強すぎっ! いっそ羨ましいわっ!」

「ですねえ……」


 瀬里奈、巡流、メリーシャはここ一か月、それぞれ所用の隙間や週末の連休を使い、ドレスソードの自主練習に励んでいた。


 練習と言えば聞こえがいいが、ドレスソードプラットフォームがない以上、ドレスもソードも出力できない。そのうえで怪我をしない範囲でやるとなると、スポーツチャンバラすら難しいときて、三人で個人練習しているようなものだ。

 危険がないデジタル活用でアナログな戦いを繰り広げる。それがドレスソードの魅力だが、コンセプトとは真逆をいく、なんとも涙ぐましい日々である。


 ただ、ドレスソードの実戦経験さえ除けば、三人とも体力や運動能力の基礎はそれぞれの分野で培ってきた成果もあり、目に見える課題はなかった。

 肝心のドレスソードができずとも、肩の荷はすこしだけ減った。


「では、行ってくる」

「へーい。ほんのちょっと期待しとくー」

「巡流さんったら、ちゃんと応援してあげましょうよ」


 今日は陸上競技部とフェンシング部の活動日。数えれば六顧の礼になるこの日は、瀬里奈だけで武道場へと向かうことになった。

 不安はない。むしろ、今までもなにひとつ収穫を得ていない行脚であるため、「今日も罵声を浴びれそうだ」といった安心感すら湧いてくる。


 それがよいこととは、到底言えずとも。



 放課後の武道場は入り口の門扉こそ閉じられているが、基本的に部活中はカギがかけられておらず、出入り自由だ。さまざまな武道系部活の部員たちが出入りする都合上、部室以外の乙女たちのセキュリティは利便性を前に屈した。

 これまた校風と生徒への信頼、もしくは女子高の在り様といったところ。


「あっ、霞さーん」

「榊。すまないが今日も邪魔をしていいだろうか」

「いいよお。今日も翼?」

「ああ」


 ライムライト剣道部の部長である榊は、瀬里奈の剣道時代のころからの顔見知りだ。当時、瀬里奈が通っていた道場での親善試合でよく剣をあわせていたことから、各々の道を違えて、クラスも異なる今でも、気さくな関係を築けている。


 それに瀬里奈は知らずとも、瀬里奈を知っている剣道部員はことのほか多い。

 在りし日の彼女の活躍を、実際に見聞きしていた一部の剣道少女たちにとって、“剣龍・霞瀬里奈”は今でも心にひとかけらが宿る、憧れの存在なのだ。


「あいつは?」

「たぶん、防具の支度ちゅー」

「そうか」

「今日もそんなに機嫌よさそうじゃないよお?」

「いつものことさ。ご機嫌なほうが珍しい」

「たしかに。そうかも」


 とりとめのない世間話で、小さな時間を潰す。剣道部の活動はまだはじまっていないようで、部員たちがそこいらで厳めしい竹刀や防具を手入れしている。

 気迫と静寂が織りなす剣の世界は、今の瀬里奈には遠い光景である。だとしても肌にはなじむ。知っている。覚えている。ここには懐かしさを感じられる。


「榊! 防具の消臭剤もうないよ! 今月切れたらやばいじゃん……って。ちっ」

「舌打ちとはご挨拶だな、翼」

「うっさい。瀬里奈、あんたまたなの?」


 ご機嫌の悪さは、崩壊の兆しが見えてきた天気のせいか。

 もしくは目の前にいる相手のせいか。


 白峰翼。三年生。剣道部所属。副部長だが試合では主将を務める。毛先がバサッと無造作に跳ねているボブヘアは、手の込んだヘアメイクに見えるが、実態はただの地毛。これで髪型に無頓着だと言うから、嫉妬する友人も少なくない。

 彼女は剣道部のキーマンであり、学校間や道場間での試合でも名を上げている。ただし持ち前の性格が災いして、部活では“副主将”に落ち着いたわけだ。


「翼、すこしだけ時間をくれ」

「黙って。部活の邪魔。帰って」


 翼の身長は瀬里奈より数センチほど高いだけだが、剣道の防具のせいか威圧感がある。その手の竹刀が、無防備な者には振り下ろされないと知っていても。

 剣の心得。翼への信頼。両者への信用。榊ら剣道部員たちも「大丈夫」だと分かっている。けれど「……大丈夫だよね?」と考えることは止められない。


 この二人が誰よりも古なじみで、いかに剣道の戦友・宿敵と知っていても。

 目の前に広がる光景には、喧嘩の一歩手前と思うほかない険悪さが漂っている。


「また一緒にドレスソードをやってほしい」

「帰ってって、言ったよね?」

「帰るとは言っていない」

「とんちなら他所でやって、この暇人」


 瀬里奈と翼は互いに六歳のころ、同じ剣道場に通いはじめ、そこで出会った。

 腕前も背丈も抜いて抜かれての日々は、彼女たちを友にし、ライバルにした。


 二人とも昔から性格はそれほど変わっておらず、平常運転で会話しているだけでも、周囲に「喧嘩か喧嘩か」と疑われることは少なくなかった。といっても、それすらほほ笑ましい過去の美談になった。今の翼には本物の嫌悪がある。

 瀬里奈が剣道を辞めて、二人でドレスソードをはじめて、二人のドレスソードが絶たれて、それでもなお瀬里奈が剣道に戻らなかった、あのときからずっと。


「私たちには翼が必要なんだ」

「ほかで探して。それか三人でやりな」

「ダメだ。それでは勝てない」

「知ったことじゃない」

「まあまあ、二人ともちょっと落ち着いてほしいなあ、なんて」


 一触即発の空気に、部長の榊が割って入る。


「榊、この時期に翼に兼部させるのは厳しいか?」

「勝手にほざかないで!」

「抜けるのはつらいかなあ。ウチで一番強いの翼だし。でも兼部なら」

「榊、黙って」

「しゅん……」

「今夏だけでいいんだ。それほど時間を取らせるつもりもない」

「それなら、うんまあ、大丈夫かなあ?」

「だから勝手にほざかないで!」


 取り付く島もない。翼は瀬里奈の言葉をすべて一刀両断してしまう。


「榊、みんな集まってる。部活はじめな」

「でも霞さんが」

「みなの大切な練習時間を奪うつもりもない。部活をはじめてくれ」

「……いいのお?」


 翼が最後のひとりだったようで。場内にいる部員はすでに待ちの様子だった。


 無関係な部員の練習時間を削ぐつもりは、瀬里奈にはない。

 代わりに譲歩案……というには攻めの代替案を投げつける。


「ただ、部活の見学をさせてもらってもいいか?」

「目ざわり。帰って」

「それは構わないけど」

「そうか、ありがとう榊」

「ちっ。榊ぃ!」

「しゅん……」


 部長の意見のみを聞き入れた瀬里奈は、館内の隅へと静かに移動し、スカートの裾がひるがえらないよう丁寧に手で撫でつけながら、堅木張りの床に正座した。

 背筋の張った、一本芯がとおっているかのような凛とした姿勢。まるでその道の名人のよう。どこからともなく、羨ましがる吐息が漏れ聞こえてくる。


 人によっては授業参観の気分なんだろうか。姿勢をただす部員もいる。

 同世代の女子剣道家にとって、霞瀬里奈の存在はそれほどまでに大きい。


 っめー! っめー! っめー! っめー!

 っどー! っどー! っどー! っどー!

 ってー! ってー! ってー! ってー!


 すり足が木面をこする音。足さばきが床を震わす音。威勢のいい剣士たちの声に、竹刀がぶつかり合う音楽。慣れぬ者には轟音がすぎるものだ。

 久しく浴びていなかった剣道の音に、瀬里奈の心臓がキュッとする。どんな物事にも言えるが、剣道も関係を絶ってしまえば日々の生活で目にすることはない。


「終わり! 次、流すよ!」

「「「はい!」」」


 部活中は部長らしく勇ましい榊の指示に応じて、部員たちが一対一で見合う。

 全国女子高総合体育剣道大会に向けての激しい練習……の隙間のこと。


「あっ、あっ、あのっ! 霞先輩っ!!!」

「? なんだ?」


 正座でジッと場内を見定めていた瀬里奈のもとに、見知らぬ女子部員が声をかけてきた。意を決した恋する乙女のように、クネクネと恥じらう姿がいじらしい。

 ただ、面に防具に竹刀とフル装備なものだから、傍目では薄気味悪い。


「わ、わ、わたしの上段は! 霞先輩から見て! どどどうでしょうかっ!!!」

「君の上段? そうだな。先ほどまでの感想でよければ」

「お、お願いします……ごくりっ」


 彼女たちの在りし日の剣道大会では、「優勝は霞瀬里奈か白峰翼か」そんな状況が名物であった。当時を知る者が、今も一目を置いている理由だ。

 したがって、当人は合否の行方に勝手に固唾を飲んでいるが、周囲の面々からは「あいつ抜け駆けしやがった!」とばかりに、悪い剣気が立ち上っている。


 十秒にも満たない時間、重いまぶたを閉じていた瀬里奈が少女に告げる。


「きれいな線を描けている。足腰をおろそかにしていない所作だ。ただ手首の返しが甘く、上半身の残身に乱れがある。強さと作法は同列には語れないが、剣の道を身を投じる以上、どちらかだけに傾倒してはいけない。美しさもまた心技だ」


 もはやヒゲの生えた師範のようなお固い説法だが、見知らぬ少女は口元を「はわわはわわ」とさせ、今にも感涙しそうな勢いである。会話の内容はどうあれ、彼女にとっては憧れのアイドルに一声かけてもらったような気分なのだろう。


 呆けた表情で、不安定なお辞儀をしてから、剣道家としてはどうかと思う足取りで少女がその場を離れた。すると「私はどうでしょう!」「私もどうですか!」。怒号とともに、獲物を狙う獅子のごとき剣道少女たちが我先にと殺到した。


 本来なら、剣道を辞めた部外者にあれこれと口を出される筋合いはないなどと、下級生らを嗜める上級生がいてもおかしくはないところだが。

 獣の群れには残念、三年生の姿もある。先ほどまで「はしたない」と静観していた上級生たちも一番槍を見るや否や、抜け駆けする平氏を見つけた源氏のように、やっぱり自分もと駆け寄っていた。気づけば、次は部長の榊の番である。


「昔、霞さんに通用しなかった小手返しだけど。今はどうかなあ」

「鋭くなった。今の私の小手では、食い返されてしまいそうだ」

「そっか。えへへ。ハンドスピードは結構鍛えたんだよねえ」

「面の動きもより小さくまとめていて、洗練されているよ」

「えへへへ。でも霞さんの大上段に対応できなきゃ――」

「ねえ、うるさいんだけど」


 アイドルの握手会は突如、強面の警備員のような翼によって中断された。


 下級生たちはそれだけで数メートル半径に散っていき、部長を含めた上級生たちも気まずそうな表情を、ひと目では読み取りづらい面の奥に浮かべている。


「みんな落ち武者なんかに褒められて、なに喜んでるわけ」

「体が追いつかずとも、頭だけでも解説者にはなれるさ」

「三流のね」

「違いない。それに私は解説者じゃない、生涯剣士だ」


 長く剣道をやっていなくとも、朝晩と竹刀を握ることは欠かしていない。

 それに隠居だからと箔を剥ぎ取られたら、何割かの名人が困るというものだ。


「心に剣をって? そういうのは宗教家って言うのよ」

「これでも素振りは欠かしていない」

「素振りだけで剣道家気取り? なら、そうね――私と打ち合いなさいよ」

「なんだと?」

「あんたの面目も未練も栄光も、ここで全部潰してあげる。上がりな」


 翼の挑戦状に、場内には一転としてピリッとした空気が流れる。

 けれど、瀬里奈はそれを受けはしなかった。


「できない。みなに失礼だ」

「言い訳上手。実力を分からされんのが怖いんだ」

「怖くないとは言えない。今の私では翼に勝てないだろうからな」

「なっさけな。無様すぎ。だからさっさと帰れって――」

「それでもドレスソードなら、私が勝つ」

「……あ?」


 瀬里奈は強気に繰り返す。


「ドレスソードなら、私のほうが強い」

「っざけんなよ、あんた!」


 二触即発。怒りにぎらつく翼が、手指の不自由な小手を着けたまま、器用に瀬里奈の胸元を掴み上げようとする。瀬里奈も負けじと立ち上がろうとして。


 バタンッ!


「……あ?」

「……一時間と正座していたのは久々でな」


 足が痺れていて立てず、土下座のように両手から地面に突っ伏した。

 場内に張り詰めていた空気もプスーっと抜けて、間抜けな空気が循環する。


「ボケ。ほんっとボケ女」

「正座すら、このざまか」

「……もういい。ほんと帰って。練習の邪魔」

「最後に、一言だけいいか?」

「誘い文句ならやめて」

「ドレスソードなら、私が絶対勝つ」

「こいつまじぶっ殺す!」


 霞瀬里奈は存外、空気が読めない。


 榊ら上級生に取り押さえられた翼に見送られ、瀬里奈はあわあわと助けに入った下級生らに肩を支えられつつ、よろめきながら武道場をあとにした。

 その姿はどこからどう見ても、敗走する落ち武者に見えたそうな。

次回「そこで一生そうしてる?」(2)。

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