今あなたの後ろにいるの
「メリー。一緒にJDSに出てくれ」
「……うっ、ぐすっ」
「なっ、どうした!? なぜ泣いた!?」
「ううう、ずびばぜん……ずびば……ぐすっ」
いきなり泣きはじめた友を前にして、攻めの霞瀬里奈もさすがにうろたえる。
「カスミーン。なんでドードー泣かせてんのさ」
「私はなにもしていないが……」
「ううう、ぐすっ」
部活を中断した巡流を伴い、瀬里奈はグラウンドに隣接する運動場に来ていた。
体育館よりもすこし手狭な総合スペースとでも言うべきこの場所では、日によってダンス部や体操部、バトン部にチアリーディング部といった室内運動系の部活動が、それぞれのスペースを守って練習している。
なかでもお目当ての相手はフェンシング部のメリーこと、メリーシャである。
藤堂メリーシャ。三年生。フェンシング部所属。透明感のある色素の薄い両目と、光源が当たると淡く輝くシルバーブロンドは、その名とあわせて、彼女が日本人とロシア人の間に生まれたハーフであることを示している。
といっても、メリーシャは生粋の日本生まれ日本育ち。ロシア語は明るくない。親類縁者から伝わる情報があっても“ロシア通の日本人”くらいのものである。
そして普段は真面目すぎるほどの優等生だが、今はなぜか鼻をすすっている。
瀬里奈と同じ身長161センチのスレンダー体系も、心なしか小さく見える。
困ったことに、瀬里奈と巡流にはなんでなのか見当すらついていない。
「メリー、まずは泣き止んでくれないか」
「ううう、ずびばぜん……」
「ぶさカワだぞ、ドードー」
「うるざいでず、めぐるざん……」
二人がメリーシャに会いに来たのには、当然ワケがある。
メリーシャは瀬里奈や巡流と同じく、二年前のドレスソード部の新入部員であり、ライムライト所属登録済みのDSチップを持つ、限られたひとりだ。
彼女もあの夏の退部後、もともと専攻していたフェンシングに身を寄せ、二年間で上々の活躍を見せてきた。今日もこうして、最後の夏に向けて研鑽中だ。
瀬里奈たち三人はあのころからずっと友だちであり続けてきたが、ドレスソードの話をぶり返したことはない。各々、禁句のように感じてしまっていたために。
「……ずびっ」
「大丈夫か? その、なんだ、すまなかったな」
「いえ、ずびっ。私のほうごぞ、急に泣いでじまい」
「なんというか、その。JDSは禁句というべきか、暴言だっただろうか」
「いえ、ただ、驚いてじまっで」
両手を使ってしゃくり上げる様子は、まるで幼女のそれだ。
「……気に障ったようなら」
「ぢがいます。わだしが悪い……悪いと思い込んでいだので」
メリーシャは流した涙を手の甲で拭ってから、瀬里奈に向き直った。
水気混じりの真剣すぎる眼差しは、かって自責の念にも見える。
「瀬里奈さん、それに巡流さん。まずは謝らせてください」
「謝る?」
「なんで?」
「皆さんから、ドレスソードを奪ってしまったこと。この場であらためて」
「君のせいじゃない」
「だよねー」
「道理はわきまえています。それでも、あのときは申し訳ありませんでした」
背を折って、深く頭を下げる。周囲には人もいるので、居心地悪し。
謝罪される筋合いはないと理解している二人だが、心覚えはある。
二年前の夏。ライムライトのドレスソード部は活動停止へと追い込まれた。
それを引き起こしたのは、とある部員の保護者からの避難であった。
――女生徒にあのような暴力的な競技をやらせるだなんて!
「ママのせいで、ドレスソード部は活動停止になりました」
「メリーのせいじゃない。あのとき何度もそう言った」
当時ドレスソード部に抗議の第一声をあげたのは、メリーシャの母だった。
それが波紋を呼び、現状を生んだ。事情はどうあれ、それは事実である。
抗議の理由は言葉どおりとされているが、保護者たちの噂によると「娘にフェンシングをやり続けてほしかったから」などといった憶測も聞こえてきた。
フェンシングも似たようなものだろと返したら、火に油だったとも。
メリーシャは小学生のころからフェンシングを続けているが、そこには母親なりの意向も含まれているらしく、彼女も当時は「ドレスソードはやるべきではない」と頭ごなしに言われて、泣く泣く従わざるを得なかった聞いている。
彼女自身、フェンシングが好きなのは確かで、だから今でも続けているのだが、そもそもなにがきっかけでドレスソードに心変わりしたのか。当時はそれを聞く前に騒動になり、それからは話題にあげられずと、誰も彼女の動機を知らない。
「仮に私のせいでなくとも、私が関わっていたせいなのは事実です」
「ドードーさんよぉ。ほんっと頭がお固いなぁ」
古くから伝統のあるフェンシング。新しくも野蛮なドレスソード。
両方に触れた者には、鼻で笑う権利すらありそうな意見ではある。
ただ、声が大きく聞こえる人が直接の関係者である必要などない。
政治に、軍事に、医療に、近所のスーパーの品ぞろえだってそう。
二〇三五年になってもこの世は、いつも無関係な声に揺れている。
「メリー。それで」
「それで、とは」
だからといって、攻めの霞瀬里奈がのけぞりはしない。
「謝罪はどうでもいい。私は今年のJDSのことを話している」
「……それは」
「つーかドードー、なんで泣いたんよ」
「……それは、ずっと」
「うん」
「私は二年間、ずっと、あなたたちに申し訳ないと思って生きてきました」
かすかに震える指先を胸の前でなだめながら、彼女は続ける。
「許されるべきではない者が、どの口でドレスソードをやりたいなどと言えましょう。それなのにお二人は、一緒にドレスソードをやってほしいと言ってくれました。うれしい。贅沢な妄想かもって思ってしまうくらい、うれしいんです」
バツの悪そうな、それでいて決心を感じさせる顔つきで。
「フェンシングは嫌いじゃありません。むしろ大好きです。でも貫けなかったことを抱えたまま続けるのは、もう嫌です。私もJDSに出場させてください」
口を閉じたと同時に、またお手本のような真摯なお辞儀をする。
あの日、潰えた道に未練を抱えながら、無駄ではなくとも鬱屈とした毎日をすごしてきた。その感覚に苛まれていたのは、なにも瀬里奈だけではない。
「ありがとうメリー。よろしく頼む」
「だからドードーよぉ、ほんっとお固いっての!」
「ありがとうございます。瀬里奈さん、巡流さん」
明るい笑顔が三輪咲いたところで、運動場の空気も弛緩した。
当人たちはさておき、運動場では「なんだなんだ!?」とハラハラドキドキで見守っていた生徒たちも数多く、泣いた落ちた笑ったの流れに一安心している。
大上段に構えて、無鉄砲に攻める。霞瀬里奈は存外、劇場型なのだ。
「ただ、そのですね」
「なんだ」
「ママが許してくれるものかが、ちょっと」
「そりゃそっか。ドードーママこええもんね」
「必要なら、私も一緒に説得させてもらうが?」
「……いえ、それには及びません。身内の汚名は身内でそそぎます」
「極道みたいなこと言ってんな、このロシア人形ちゃん」
やりたいからやる。これからのことはメリーシャのみならず、みなの課題だ。
ドレスソード部のこともそう。ライムライトの三年生だということもそう。すこし考えるだけでも、各自の脳内には手厳しい正論がいくつも浮かんでくる。
「JDSに向けての練習はいかがしますか? 私はフェンシング部もありますしで」
「あー、そのへんね。カスミンも見切り発車っぽいのよ」
「つまり、可能性は無限大ということですね」
「可能性以外なんも持ってねえって話だよ」
現実問題。JDS出場がゴールとすれば、その前に「人数を集める」「部活を再開する」「練習場所を確保する」、さらに個々人の事情も解決するなどなど。
成否はなにも決まってはいない。転び方の可能性だけが無限大なのである。
こういうとき、真面目な委員長タイプのメリーシャがいると心強い。
瀬里奈と違って彼女は、今の状況を冷静にまとめてくれた。
「まずはそうですね。部活再開を目指すべきでしょう。JDS出場もありますし」
「そうだな。やはり学校と話をしないことには」
「その時点で無理そうってなもんだけど。打つ手あるかなあ」
「巡流さんって勉強はできないけど、小賢しさだけは頼りになりますものね」
「ストーキングだったか? 趣味も大したものだ」
「うっさいし! 人聞き悪すぎ! 友達が多いってだけだし!」
さすがの大宮巡流も世間的には淑女であり、犯罪歴もない。
ちょっとばかし頭が回る領域がある、というだけである。
「あとは練習場所ですか。海ノ橋にはプラットフォームがないのですよね」
「ないな」
「ウチの学校、もう機材返却しちゃってるって話だし」
「そうなると練習も厳しいですね。フェンシングの大会もありますし……」
「わたしも陸部あるー。寄宿生としては都内のほうに行くのもムズイしなあ」
「巡流さん。海ノ橋もれっきとした都内ですよ」
「はいはい」
ドレスソードは、ドレスもソードも用意せず、着の身着のままで参加できる競技だが、当然ながらドレスソードプラットフォームがなければはじまらない。
三人とも武装は二年前に用意しており、DSチップにも登録済みなのが幸いしているが、あくまで二年前の話。自前の得物の感触すら覚えているのかも怪しい。
そのうえ、さらなる致命的な制限もあるみたいで。
「すまないが、私たちはおそらく外でもドレスソードをできそうにない」
「え」
「あんだって?」
「昨年の一件で、ライムライト所属登録のデータは外部利用が制限された」
「ああ、去年の瀬里奈さんの……」
瀬里奈のJDS無断出場事件の後始末には、ライムライト所属登録の個人データの利用制限が含まれていた。これは「ドレスソードはいっさいやらせない」といったDSチップを介した人権侵害ではない。あくまで「ライムライトの生徒としてもう勝手すんな」のための抑止である。これまた大きな壁である。
「ウチの看板を背負って勝手なまねすんな、ってことねー」
「無断でライムライト生徒として出られると、学校も困りますものね」
「つーことは、学校に制限解除させないとコソ練もできないんじゃん」
巡流がジト目で真犯人を見つめたが、当の犯人は顔をそらしている。
もしかしたら瀬里奈以外の人は大丈夫なんじゃないか。そうとも考えられるが、巡流もメリーシャもわざわざウミノハシ大橋を渡って、そこでデータを使えなければ徒労感にやられる。学校に確認するにも理事におうかがいするしかないとくれば、同じような問題が並列している今、優先して解消すべきとはならない。
部員集め、部の再活動、利用制限の撤廃、JDS出場はいずれも同義なのだ。
「新しく作った個人データで、ドレスとソードを用意するのはいいようだが」
「そうなると女子高の所属登録ないし、JDSに出られないんじゃない?」
「フリーの所属登録は、JDSでは規則違反ですね」
「八方ふさがりか」
「しゃあないね。だってカスミンが悪いし」
「あの件は、まあたしかに、瀬里奈さんが」
「むぅ」
今度はジト目の視線が、二人から向けられる。
「いずれにせよ海ノ橋にいる身。寄宿舎住まいメグもいるんだ。どのみち難しい」
「開き直ってるし」
「開き直りなおりましたね」
「むぅ」
空回りは巡り巡って悪い結果になるな、などと自戒させられる。
実際、総合体育館などのドレスソードプラットフォーム常設設備を借りるにも、彼女ら学生には軽くない出費が伴う。無料開放日を狙ってどうこうするにも、日程はそう都合よくはなさそうだった。体験会などの催しでは場違い。週末大会もJDS近辺では行われない慣例。他学校に場借りするにも学校をとおして然り。
こうして、やっぱり八方ふさがりな女子高生たちの完成だ。
「もしJDSに出られても、練習できない問題は解決できなさそうだな」
「出たとこ勝負かねー。まーわたし、実は妄想で練習とかしちゃってたり」
「ソードの構造は異なれど、フェンシングフルーレの技術は磨いております」
「私も今日まで自主練習を欠かしたことはない」
三人がそれぞれの顔をぐるっと見渡す。
恥ずかし気な笑みが、自然とこぼれた。
「ほらっ。やっぱみんな未練タラタラなんじゃん」
「そのようですね。私も一度はドレスソードの試合に出てみたかったですし」
「悪くない話だ。実戦経験がどうあれ、気持ちだけでも僥倖だ」
真剣な言葉や決意の表明がどれだけ響こうと、女子高生にはそれだけではつなぎとめられない、ほんのちょっとの心の機微がある。そうした連帯感は本来、時間と努力で生み出していくものであるが、三人の気持ちはすでにつながっていた。
みな、ドレスソードを忘れていなかった。それだけで十分。
この奇妙な心地よさが、二年後まで持ち越した彼女たちの財産。
「では、次は理事会との抗争ですね!」
「話し合いって言えし」
「それで瀬里奈さん、翼さんはどちらに?」
「あードードー……シロのこと聞いちゃうー」
「はい?」
「わたしがカスミンに今一番聞きたくないの、シロのことなんにゃが」
彼女たちの眼前には問題が山積みだ。しかし実のところ、それすら先のお話。
瀬里奈たちはまだ、三人しか集まっていない。
そして最大の問題こそ、四人目にあって――。
「瀬里奈さん……もしやですが」
「翼はこれからだ」
「ほらねー……」
「むーん……」
終わった。
そう言わんばかりに肩を落とす巡流とメリーシャを目にして、瀬里奈も気持ちをあらためる。目の前の二人にせよ、打算も勝算もなく、恋子の狂言に身を委ねて突撃しただけ。思いのほか自分の心の声も出てきたから、それでうまくいった。
しかし、瀬里奈なりに“難度の低い順”から攻略していたのは否めない。
だから、最後のひとりこそが、ファイナルステージのボスラウンドとなる。
「二人の手も借りることになる」
「それで済みゃいいけど。シロやしなぁ」
「個人戦の私や巡流さんと違って、剣道部は事情が違いますしね……勝算は?」
「やると言うまで正面突破あるのみ」
「はえー。カスミンやっぱお馬鹿さんだわー……」
「お供はしますが、翼さんですし。むーん……」
ちなみにメリーシャの今後の活動方針については、彼女の意向を昔から知っていたフェンシング部の部員たちが、二言返事で受け入れてくれた。
部活着だったメリーシャの着替えもそぞろに、三人は運動場と体育館の近くにある、武道場へと足を運んだ。そこでは柔道部やなぎなた部のほか、併設の弓道場で弓道部も練習している。高校の設備としては非常に充実した施設と言えよう。
それもこれも、旧校舎から新校舎へと移るにあたって品格を落とすまいとした、ライムライト女学校としての力の入れようを表している。
もっとも、品格を形作るなかにドレスソードは含まれていなかったわけだが。
目と鼻の先の武道場は、海ノ橋の建造物だが白塗りにはされておらず、木造建築の重厚さが目立っている。もちろん、これも芝浦の技術をそそいだ海ノ橋ならではの改良木材が用いられているため、その実は結構なハイテクノロジー建造物だ。
ただし実際のところどうなのか。それを試験中であるのがご愛敬である。
「床さらっさらじゃん」
「キモチイイですねえ」
「ふむ、風情がないな」
武道場内は土足厳禁。入り口で外履きや中履きを脱いで移動する。
外の湿気は関係ないとばかりに、艶々な床板はペタペタせずサラサラしている。三人とも靴下状態だが、足の裏の感触が気持ちいい。これが次世代の恩恵か。
っめー! っどー! いぃぃやああアァァアあぁぁああっひあ!!!
なんと言っているのかは分からないけれど、込められた気迫は鋭く力強い。
剣道特有の発声が遠くから聞こえてくると、瀬里奈も懐かしく思えてきた。
瀬里奈の人格や能力、精神や血肉を作った武道こそ剣道だが。
彼女はドレスソードをはじめてからというもの、道場には通っていない。
東京二十三区外の元住居は残っておらず、海ノ橋の他流剣道場もお門違い。
なにより、頑固すぎる性格が災いしている。
剣道は今でも好きだ。家での自己練習の前後には、必ず剣道竹刀での素振りをこなしている。ドレスソードに関しては実戦経験が少なく、実質的な練習についてもやりようがないことから、剣道時代の経験にはかなり依存している。
けれど自宅での練習時は主に、古い竹刀を使って自作した、重し付きの改造竹刀を使っていた。それが彼女にドレスソードを思い出せる、大切な重みだ。
しかし空想でドレスソードをやろうと仮想敵をイメージしたところで、彼女が本気でまともな対戦をしたことのある相手は、一年生のころに対面したひとり限り。脳内に住みついてくれている相手は二年経っても、その少女ひとりしかいない。
「おっ、シロいたよー」
ターゲットが目の前の通路から歩いてくるのを発見したのは巡流だった。
郷愁に襲われ、目を細めて場内を眺めていたから、気づかなかった。
「あ?」
二年前、いや幼いころも含めて、いつもどおり険のある彼女のご挨拶。
「あんたたち、武道場でなにしてんの」
「そのですねー、私たちシロに用がありましてー……ね?」
「へえ……あんたたち三人が、ね。笑わないから言いなさい」
無造作な造形のボブヘアが、せせら笑うようにバサッと跳ねる。
乱暴さを隠そうともしない目つきは、瀬里奈に向けられていた。
「言いなよ、瀬里奈」
「翼」
「さっさと言いな」
「一緒にJDSに出てほしい」
彼女、白峰翼は笑わなかった。
「くたばれ、ボケ女」
この日の帰り道、瀬里奈はトマトとニンジンを買い忘れてしまった。
次回「そこで一生そうしてる?」(1)。




