がんばれ、瀬里奈ぁ!
「カスミーンっ! お願いっ! このとーりっ!」
「メグ。君はなんでそう、いつもいつも」
「だーかーらー、このとおりっす!」
「まったく、二限目までには返してくれ」
登校する生徒の数もまばらになってきて、まもなく担任の朝礼がはじまるという時間に滑りこんできた友人が、毎度のことながら宿題の写しを頼んでくる。
世間にはお嬢さま学校などと呼ばれていても、なかにはこういう淑女もいる。
「うっひょー。さっすがカスミンさまー! あざっーす!」
「瀬里奈さん! 巡流さんをあまり甘やかさないでください!」
「うっさいなぁドードー。私だって、いつかカスミンに恩返ししますってぇの」
人のためにならない。利用されている。つけあがるだけ。
周囲から逆に説教されようと、霞瀬里奈は存外、友人に甘い。
もちろん、これは友人であることが前提のほどこしであるが、こういうのも学生の身分においては利口な生き方のひとつだと許容している。
その先、身についていない現実の落差に後悔するのは本人の問題だから、と。
「瀬里奈さん、いいですか? このままでは巡流さんはダメ人間一直線です」
「今でも十分そうだと思うが」
「たしかに。いえそういうことではなく!」
「いいさ、メリー。昨日のメグはたまたま勉強ができなかったんだろう」
高校からの友人にガミガミ言われながら、部活や趣味で忙しそうなメグの背中をほほ笑まく眺めていると、クラス担任の英語教師が教室内に入ってきた。
ライムライトの教職員はみな、フォーマルな装いが規則とされている。だらしない大人はひとりとしていない。なにせ教師が相手するのは、曲がりなりにも淑女然とした深緑のレディたちだ。おてんばが混じっていたところで気は抜けない。
こうして今日も一日、瀬里奈の代わり映えのしない学生生活がはじまる。
勉強は嫌いではない。むしろ勉強という目的があるだけ、授業中ほど余計なことを考えずに済む。おかげで騒ぎのないときは、彼女は模範生徒のように見える。
それが当の本人にとって、どれほど鬱屈とした二年間だったとしても。
瀬里奈が所属するライムライト女学校ドレスソード部は、厳密には存在する。
しかし現在、肝心の活動場所も、ドレスソードプラットフォームも、新校舎には存在しない。唯一残っているのは、部活動としての形式上の名義だけ。
ライムライト女学校は、女子高ドレスソード界における第一世代校である。
全国優勝こそ取り逃しているものの、東京代表がA枠とB枠に分かれる以前の時代から、今でも名門の黒須第一と比肩する強豪校の一校として数えられてきた。
だが、二年前のJDS。白鳴が桜花に負けたあの時節に、風向きが変わった。
事の発端は、ドレスソード部に所属する生徒の保護者からの苦情だった。
いわく「女生徒にあのような暴力的な競技をやらせるだなんて!」と。
当時の二〇三三年にせよ、日本あるいは世界において、ドレスソードは新時代のフィジカルスポーツとして世間から十分に認知されていた。
それでも、競技種目として正式に発足した二〇二七年から数えると、まだ六年。門外漢にまで実態を伝えきるには、時間が足りているとは言えなかった。
当初、寄せられた苦情には、受け手側にもいくつかの着地点が挙げられていた。
けれど学校が導き出した見解は、ドレスソードに打ち込む生徒たちを裏切った。
「うちの子だけ、なぜ新校舎に通えないのです」
二年前の校舎移転の際、JDSの開催事情を鑑みて、ドレスソードプラットフォームの新校舎への移設は大会終了後に延期された。そのため各々の事情がある一部生徒や教員、ドレスソード部所属の子らは前期課程を旧校舎で過ごすことになった。「それを余儀なくされた」と受け取る者は、ほとんどいなかったけれど。
「ドレスソードは男性的で野蛮な暴力競技です」
誰が言ったかその論調は、くだらぬ世間話の壁を越え、理事会のもとに叩きつけられると大人たちの顔色を変えた。いかに実績で名を馳せていようと、若者中心のトレンド。他の有名競技と比べると理解の及ばぬ領域も多く、理事を司る者たちの硬くなった脳には、彼女らが見聞きする知見だけが受け入れられていた。
「ジダイの淑女には、似つかわしくありません」
生徒たちに身近な常務理事の発言をけたぐり、理念を楯に構える専務理事が出した結論により、ドレスソードプラットフォームの新校舎への移設は取り止められ、当期JDSを終えたドレスソード部の部員たちは新校舎に移ると同時に、活動場所をなくした。以降、同部は事実上の活動停止とされ、内申点の考慮のためだけに名義こそ存続しているが、部員の所属名簿が白紙になった時点で廃部となる。
理事や教員のなかには同部に理解を示し、ともに抗議する者もいた。
しかし「女性的」で「理念的」で「伝統的」な者ほど説得力が増す、厄介な名門校の世界観において、それらの反抗は決定を覆すほどの力にはなりえなかった。
最初に諦めたのは、最後の大会を終えた三年生。
彼女らは後輩のために部の存続をかけた論戦の矢面に立ったが、全国出場に伴い八月下旬まで部活動に時間を費やしたことで進路が危ぶまれ、子を思う親の説得もあって、大学受験のために戦線を離脱した。決して薄情とは言えまい。
続いて諦めたのは、たったひとりだけの二年生。
彼女はそもそも海ノ橋への移住の意志がなく、JDS終了後はライムライトの助力で、都内(内陸部)の別の女子高へと転校する手はずだった。次の年度の主力であるべき二年生がいないという事実は、門外漢たちには追い風となった。
最後に諦めたのは、力で諦めさせられた一年生。
どんな未来でも切り開けるのが学生だと、大人たちは強引に言いくるめた。そして彼女たちのドレスソードは一夜の夢となり、新たな道を促され、去っていった。二〇三五年。四月現在。名簿に記された残り一名、霞瀬里奈を除いて。
「そいじゃわたし、100メートル走の大会近いんで。おっさきー」
「巡流さん! 掃除道具をちゃんと片づけてからにしなさい!」
「ドードーってば美人なのにブス顔ぉ。カスミンもまた明日ねえ」
「ああ、陸上部がんばれ」
「さんきゅ」
「もー、瀬里奈さんは巡流さんに甘すぎます」
「メリーもいいぞ。あとは私がやるから、部活に行っても」
「そうはいきません。一緒に終わらせます」
放課後。全校生徒は校内外の掃除を終えると、各々の部活や帰路に向かう。
自分とは違い、ほかにやることがある友人たちのぶんまで負担を背負うことには、もう慣れてきた。損な役回りだとは思わない。ただ好きでやっていること。
それが周囲のためなのか、自虐のためなのかはいざ知らずとしても。
どうせ瀬里奈に残された使命など、トマトとニンジンを買って帰ることだけだ。
「それでは瀬里奈さん。また明日です」
「また明日」
やりたいことに向かって駆けていく友の背は、昔は羨ましく見えた。
今はただ、痛ましい自分に酔えるポートレートのように見えている。
瀬里奈は高校に入ってからドレスソードをはじめた、本物の初心者である。
それまで腕を鳴らしていた剣道からはスパッと身を引き、憧れのドレスソードをやるべく、憧れた緑銀の淑女になるため、ライムライト女学校に進路を定めた。
そして、憧れはすぐに絶たれた。一年生のときに一度だけ出場した、JDS地方大会の一戦。二年生のときに引き起こした、JDS地区大会の無断出場事件。
二年間でたった二度だけの試合体験を除けば、あとは白紙。やり場のない気持ちだけを抱えて、学生生活を過ごしてきた。学校への抗議もとっくに諦めた。
それでも未練がましく、ひとときのドレスソード活動で朝練があったころの習慣で、今も毎日早朝に登校しては裏庭で体幹を作り、帰宅後に家事手伝いを済ませては鍛錬の時間を設けている。一方的に袂を別った以上、剣道には戻らない。
一度も「戻りたい」と後悔したことがないと言えば嘘になるが、自戒した。
すべては自分で言い出したこと。家族を巻き込んでやってきた。海の監獄の牢から脱せるその日までは、ジッと耐え忍ぶと諦めた。柔軟に生きるには頭が固い。
でも諦めて過ごすには、あの日のJDSのステージがずっと忘れられない。
メリーと別れ、教室で帰り支度を整える。三年間の酷使で角部分からくたびれてきたかばんを手にすると、ポツポツポツと。窓際から雨音が聞こえてきた。ふと気づけば、肩口にかかる髪もほんのりと湿気を含んでいるような。
ライムライトのセーラー服は仕立てのいい生地だが、水をよく吸ってしまうのが難点だ。このまま家に帰ると母にどやされるだろう。朝の自分の軽挙さを反省するほどのことではないが、傘を持たない手は、帰るつもりの足は止まった。
手持ち無沙汰な教室。緑豊かで湿った裏庭。整頓された静かな図書室。いずれも彼女を追い出そうとはしないが、仮に晴れていても居心地がいいとは言えない。
この学校に瀬里奈の行き場はない。それが錯覚だとしても、息が詰まる。
今朝の今でおばさまの手を煩わせる気にもなれず、瀬里奈は思考を停止させる。広い教室にひとり、自分の席に腰を下ろす。雨雲に覆われた校舎。電灯が消され、重たい灰色に染まった室内。目に入るすべてが、憂鬱で鈍重な光景に映る。
――ブルブル。ブルブル。
ふと、キュロットスカートのポケットがブルブルしていることに気づく。
電話だ。ドレスソードで斬られたときよりも微弱な振動。本当にそうなのかは、あの真っ黒なステージに立っていた記憶が薄れすぎていて分からないものの。
「――もしもし」
急ぐでもなく、ゆっくりと手に取り、電話に出た。
もしも切れてしまったら、すぐにかけ返せばいい。指先で触れた硬質なディスプレイには、彼女にとっては数少ない、気安い親友の名が書いてあったから。
「――もしもしー。瀬里奈ぁ?」
「――久しぶりだな、恋子」
「――久しぶりー。ごめんねー、最近メッセージばっかでぇ」
「――構わないさ。忙しかったんだろう」
「――そうでも……あったかもぉ」
「――恋子は面倒くさがりだからな」
「――そんなことないよぉ!」
可愛らしくむくれる、あの子のあの表情が、手に取るように想像できる。
電話の相手、猪戸恋子は、私の中学時代からの親友だ。
恋子は、私がまだ東京二十三区外の慎ましい土地に住んでいた中学一年生のはじめごろ、新潟の実家から同じ中学校のある地域へと転校してきた。
私たちは人格も趣味も嗜好も違えど、彼女の転校初日から意気投合した。波長が似ていたのだろう。当時はもうひとりの友人も加えて、周囲からは“三人娘”の扱いを受けていたくらい、私たちは毎日いつも一緒にいた。
高校生になってからは離れ離れになってしまったが、今このときも、こうして数えきれないほど気軽に連絡を取り合っていられるのは、この子のおかげだ。
生来の面倒くさがり屋なのに、同じ空間で過ごしているような温度感で、毎日のようにメッセージや電話をくれる。不器用な私には、それがすこし難しかった。
「――それで。どうかしたのか」
「――あーうん。電話のほうが言いやすかなー、なんて思ってぇ」
「――なんだ?」
「――あのねぇ……うちのドレス部、また二人も新入生が来たんだー」
「――やったな恋子。なら、今年もJDSに出られるじゃないか」
「――うん、ありがとぉ」
朗報だ。自分のことは棚に上げておく。これはとても朗報だ。
高校受験が迫っていた中学三年生の夏休み。私が「剣道を辞めて、ライムライトでドレスソードをやろうと思う」と告げたとき、ひとりは虫を見るような目つきで私をさげすみ、恋子はビックリ顔が収まってから根掘り葉掘りを聞いてきた。
そこで、それまでの剣道のこと。これからのドレスソードのこと。憧れのライムライトのこと。新しい海ノ橋のこと。お堅いプレゼンテーションじみた説明をしたものだが、それはそのあとの二人の進路にも少なくない影響を与えてしまった。
とくに恋子は、暖かな部屋でぬいぐるみでも編んでいるほうがお似合いだったろうに。高校入学直後、急に「朝女でドレスソードやることになっちゃったぁ」と恥ずかしそうに電話してきた。邪悪な横暴による入部までの流れには憤ったものだが、最後の決め手になったのは、間違いなく私のことがあるからだと思った。
そうして彼女の決断は、遠い海ノ橋へと移り住むことになり、互いのつながりが減って心細く思っていた私のことを、大いに大いに、大いに喜ばせた。
けれど、恋子のドレスソードもまた、決して順風満帆とはいかなかった。
私も今では無残なものだが、一年生のころは剣道の素養を見込まれ、JDS地方大会の一戦では、初試合にして対面を討ち、黒須第一への勝利に貢献できた。
一方で恋子が一年生のころは、ドレスソード部の人数不足から、たった二人でJDSに臨むことになってしまい、当たり前のように初戦で散っていた。
それが今ではどうだ。昨年は二人の初心者を加えたチームで、地区大会はおろか地方大会にまで進出した。仲間についてはいつも楽しそうに喋ってくれる。
私も「ショウブちゃん」「リッコちゃん」「ハナちゃん」の話はこれまでもずっと聞かされすぎていて、本人たちとは一度も会ったことがないのに、彼女らのことは友と言って差し支えないほど、いろいろと知っているくらいなのだ。
私が失敗した道を、恋子はゆっくり歩いて、ずっと先まで進んでくれた。
置いてきぼりにされたのは、私か、恋子か。それは分からないけれど。
私は彼女の努力に、精一杯の敬意を示したい。そう常々思っている。
「――でね、瀬里奈のほうは……どぉ?」
「――変わらずさ」
「――そっかぁ」
一年生の夏の終わり。私の道がすべて閉ざされたあとも、恋子にはドレスソードの話題をつぐませないようにした。そうしなければこの子は気をつかって、無邪気に話せなくなってしまうのが明白だった。それでは、あまりに悲しすぎる。
恋子のドレスソード話は大好きだ。昨日がんばったこと。今日がんばったこと。明日がんばること。話題はしょっちゅう脱線するが、それも含めて好ましい。
彼女のがんばりが、報われない自分を明るくする処方箋とすら思っている。
ただ、唐突に言われた言葉には、すこしだけ胸をチクリとさせられた。
「――去年さ、地方大会の会場で会ったよね」
「――ああ」
二年生の初夏。私は当期の地区大会にひとりで無断出場し、惨敗を喫したあと、出場予定もない地方大会の会場に足を運んだ。ドレスソードを諦めきれなかった、一年の日々を清算するつもりで、最後の心の芯をポキッと折りに行くために。
さすがの恋子も、あのときは腫れ物に触れるようにしていたものだ。
いつも元気で笑顔な彼女にそうさせてしまった自分を、心底悔やんだ。
「――私たちさぁ、ボロ負けしてたじゃん」
「――そんなことない。恋子たちは強かったよ。私は尊敬している」
「――あはは。でね、リッコちゃんが最近言ったんだー」
「――ああ」
「――なんでも、今年の目標は打倒白鳴なんだってさぁ」
「――それはまた……リッコちゃんも大きく出たな」
リッコちゃんの試合はよく覚えている。昨今のドレスソードではめったにお目にかかることのない、盾主体のシールドブロッカースタイルであったから。
それがまた、打倒白鳴とはな。自然と笑みがこぼれてきてしまう。
「――あとねぇ、新入部員のひとりがねぇ、天河海音さんの妹さんなんだー」
「――それもまた……すごいな。本当に全国にいけるんじゃないのか?」
まさか、あの天河海音の妹か。狂剣の暴虐は今でもよく覚えている。
一年生のころの地方大会の一戦では、二年の天河海音が一時欠場したことでライムライトが勝利した。しかし、全国で黒須第一との奇縁とも言える再戦をしたとき、当時の先輩方はやる気満々の天河海音にいいように薙ぎ倒されてしまった。
私は全国のステージは立てなかったが、あれは傑物だ。誰の目から見ても。
「――でねでね、私もねぇ。白鳴倒しちゃおっかなーって」
「――ふふ。いいじゃないか」
「――うん。わりとビックリだけど、本気なんだぁ」
「――本気か?」
「――無理だって分かってるけどねぇ。気持ちだけは本気かなって」
「――すごいな恋子は。本当に、すごいな」
良く言って、フワフワ系の美少女。悪く言って、面倒くさがりでだらしがなくて優柔不断なあの恋子が。本当にすごいな。本気になれていることがすごい。
親友の成長を目の当たりにし、私は嬉しい反面、すこし動揺している。
やっかみではない。置いていかれた自分をあらためて自覚してしまって。
「――ショウブちゃんもさぁ」
可愛らしい表情と同じ。彼女の話はいつだってコロコロと変わる。
「――JDSの出場。瀬里奈と同じでさ、ずっと無理だって思ってたんだ」
それは、今までに聞いたことのない弱音だったけれど。
私が知っているショウブちゃんとは、もっと粗野で、乱暴で、狡猾というのか。
それでいて恋子の指針として申し分ない、挑戦的で聡明な人物だと思っていた。
「――でもね、ずっとがんばったの。絶対にJDSに出るんだーって。三年間も」
「――耳の痛い話だな」
「――瀬里奈にもまた、がんばってほしいな……って」
「――君は本当に唐突だな。無理だ。少なくともライムライトでは」
「――できるよ」
「――無理だ」
「――できるって」
「――無理だ。部も人も、ないものが多すぎる」
「――でも、瀬里奈がいる」
「――無理だ。たとえ人を集めても、ドレスソードプラットフォームがない」
「――大会の会場にはあるよ!」
「――去年のように練習なしでひとりで出ろと?」
「――瀬里奈ならできるもん!」
「――無理だ。次は大学でやるさ。今年は大学受験もある。忘れたほうがいい」
「――瀬里奈がやるって言ったから! 私もドレスソード続けられたんだよ!」
「――それについては……すまないと思っているが」
これが私の泣きどころだ。これほど激情されているのは久しぶりだが。
瀬里奈ならやれる。言葉だけなら何度も聞いてきたが、今日は世間話のそれとは違うようだ。親友だから分かる。それこそ恋子は本気で言っているのだろう。
とはいえ、昔と今とではライムライトの事情が異なる。無理なものは無理だ。
「――今さらな。ドレスソードをやりたい、JDSに出たい。それだけで三年の夏を棒に振れる者はいない。それしきの理由で動き出すなど、私には到底無理だ」
ドレスソードを忘れられないのは事実だから、未練たらしくも練習を続けていて、大学に入ったら今度こそやるなどと次の夢を見ては、今を殺して生きている。
私はショウブちゃんとは違う。朝倉女子ほどの幸運も拾えない。中学生のころに憧れたドレスソードのために、あの日の初試合で身を震わせた興奮のために、私は三年生の夏を無邪気に賭けられるほどドレスソードを愛しきれてはいない。
学校と言葉を交わすのもうんざりだ。絶対に受け入れてくれやしない。それを成すために動こうとするなど、私にはもう度胸も知恵も理由もない。
JDS出場。全国優勝。そんな燃料では、海の潮風で錆びた心は動けない。
「――だったら私に会いにきてよ!!!」
「――なに?」
「――私に、全国で、うーんやっぱ地方大会でいいや、会いにきてよ!!!」
パリッと音がした。身体の表面を覆う錆が、気持ちよく剥がれたみたいに。
感銘したわけでも、感動したわけでもなく、思わず笑いそうになってしまって。
「――それは、なんだ。会場でか?」
「――うん!」
「――応援に来いという意味か?」
「――違うよっ! 選手としてだよぉ!」
「――わるい。分かってる。その、なんだ……っふふ」
恋子が口にしたのは、まるで親世代で人気を博したトレンディドラマのセリフのようで。言っている役者が恋子というところも、妙に似合ってしまっている。
「――どお! それなら瀬里奈の理由だって十分でしょ!」
「――っふふ。威勢がよすぎるぞ、恋子」
「――瀬里奈ほどじゃないけど、私もショウブちゃんも同じくらい苦しかったよ」
「――……ああ」
「――だけど、みんながいてくれたおかげでなんとかなっちゃった」
「――ああ」
「――だから、瀬里奈も大丈夫」
「――どこがだ」
「――去年みたくひとりじゃなくてさ、みんなとなら大丈夫だよ」
「――そうとは思えん」
「――大丈夫だよ。翼もいる」
「――あいつは無理だ」
「――大丈夫だよ。翼だもん」
「――無理だ」
「――大丈夫だよ。瀬里奈」
「――……まったく」
ずっと伏せていた両目が、知らずのうちに上がっていて、窓の外を眺めていた。外は今も灰色。陽は落ちていないのに薄暗い。雨雲も遠い宇宙を隠している。
それでも、気だるげな雨だけは止んでいたみたいだ。
「――用事ができた。切るぞ、恋子」
「――えっ今ぁ!? ちょちょっと待ってよ瀬里奈ぁ!」
電話を切ろうとすると、耳元を離れた端末から情けない音声が糸を引く。
無礼千万な対応に気落ちさせてしまっただろうが、今のこの気持ち。
形になるような言葉にして返せそうになかったから、仕方ない。
(私に会いにきてか……ふふ、ふふふふ。恋子め、愉快なことを)
感銘したわけでも、感動したわけでもなく、思わず笑ってしまった。
(ひとりじゃなくて。恋子め、気軽に古傷を思い出させてくれる)
確かな決意もなく、誓って決心もしないが、思わず考えてしまった。
(さて、まだ校内にいるといいのだが)
負けても負けても諦めない。ショウブちゃんの手管しか手本にないが。
恋子に約束はしなかった。JDSで会いに行くなんて荒唐無稽な話である。どうせ気落ちさせるに違いないのだ。私は諦めているし、諦めるべきだと思っている。
だけど、最後にワンコイン。狂言に軽はずみな身を委ねるのもまた一興。
校内での用事ができた途端、先ほどまで居心地の悪かった学校には、まるで宝探しの現場のような、先へ先へと歩みたくなる期待感があふれていた。
再起に奮起しようなどとは考えていないが、霞瀬里奈は存外、親友に甘い。
次回「メグを落とせ(突撃編)」。




