うるっっっせぇんだよ(5)
私は海音姉さんが中学生になるというその日まで、姉がドレスソードで負けた姿を見たことがなかった。私にとって姉の七光りは、天河氷空の道がどれだけ泥だらけの砂利道であるかを照らして教えてくれる、憎たらしい光源でしかなかった。
だから、その日は衝撃だった。いいや、とても愉快で痛快で爽快だった。
東京都の端のほうに住んでいる私たち天河家には、長野の山奥に父方の実家がある。そこが正道を踏み外した荒くれ者が集うとされる、天河剣術会だ。
年に一度、私たち家族はお盆休みに実家帰りをしている。そして、そのたびに分からされる。ああ、ここが苦手だと。この場所には、ただしき道から外れようとも両の眼に自負の火を燃やす、己の正義を信じている人しかいないから。
それがあまりに眩しく見えてしまい、苦手で、不快だった。
一方で、海音姉さんは実家が大好きで、この場所がよく似合っていた。
小学校の卒業を控えた姉が「お父さま、お母さま。私、中学校は天河剣術会から通います」と宣言したとき、家族一同は驚いたものだ。私は将来的な意味まで考えが及ばなかったけれど、「あんなとこに行くなんて」の気持ちで驚愕した。
結局、海音姉さんは優しい両親の了承のもと、進路を勝ち取った。私たち家族も新年度がはじまる一週間ほど前、姉の居候準備にと天河剣術会にお邪魔した。
そこで見たのだ。
あの天河海音がドレスソードで負ける、初めての瞬間を。
「……あなた、強いのですね。私の完敗です」
「ひひひ。そうでしょ?」
今では時の人となった七咲鈴子さん。彼女の刀が、姉の後頭部を一閃した。
世界の色が変わった。私はあのときの体温の上昇を、ずっと忘れられない。
鈴子さんの手に握られた、あの居合刀。彼女はしばらくして真希名さんのもとで自分の道を見つけると、実家の名残りを惜しむことなく、その手の得物を変えて、今も愛用しているダガー二刀流の訓練をはじめた。
けれど私にとっての鈴子さんは、あの居合だ。あの熱には今もうなされる。
あれは、私がこの世界で唯一、心の底から信じているシンボル。
天河海音を倒し得る秘剣。私には居合刀が、魔王を殺す聖剣に見えた。
それからというもの。私は長野での滞在時間のすべてを費やして、競争心に目覚めた海音姉さんと、飄々とした鈴子さんのドレスソード対決を熱心に見学した。
周囲の人たちには「氷空ちゃんはお姉さんが大好きなんだねー」と見られていたが、あのとき心中で「やられろ天河海音。負けちゃえ天河海音」と熱いエールを送っていたと教えたら、一体どんな顔を見せてくれたのだろう。
とはいえ、鈴子さんの居合刀は呆気なく魔王に屈するときもあった。当時から二人の実力は拮抗していたから、その大半は五分と五分の試合になった。
それでも、このとき、二本の糸は垂らされた。
このまま憧れの姉の威光を浴びて、悪魔のように悶え苦しんで潰れるか。
私を乱す魔王を殺せる聖剣に、反逆の一縷を託すか。私が選んだのは――。
目前に広がるステージで、静林とのラストラウンドがはじまった。両校選手の対面は変わらずで、私の前にはイラつく前園さんが立っている。
それにしても、先のラウンドで「天河海音の妹」なる人を倒せたのがそんなに嬉しかったのか。彼女の様子は一目で分かるほどに意気揚々だ。
むか。むかむか。冷静な振りをしていても、未熟な私はすぐにぶり返す。ああ、イラつく。私なんかどうでもいいだろう。なんでみんな、天河海音を狙わない。
ほどよく力を抜いている右手に、今一度の役割を与える。
一つずつの身体の動作が、一つの動きにつながるように。
足の滑り、よし。
鞘の握り、よし。
刃の走り、よし。
あの日から、この両手で握ることを決めた居合刀。
成果よりも苦労ばかりの日々で得たものは少ない。
私の武器と言えるのは唯一、先手の居合斬りだけ。
心臓もろとも斬り裂けろ。左腰から右肩までを両断するつもりで放った居合斬りは、前園さんのビクついた猫のような反射神経だけでかわされた。
イラつく人だが、実力はさすが地区ベスト4に相応しい。油断すれば、さっきのように狩られるくらいの力量は感じる。上から目線は、瞼一枚分くらいが妥当か。
「ひぇ、ひぇ~! やっぱ天河妹やばい~! 私には無理ぃ!」
あとは、そのうるさい口を閉じてくれれば御の字なのに。
うるさいなあ。誰だよ、天河妹って。私の知らない私の新しい妹か?
むかむか。むかむか。私の軟弱な精神は、先ほどの失敗をすでに忘れている。
脆弱な外面を一枚剥けば、天河氷空の中身は今でも子供のまま。半熟のでろでろした可燃物が蠢いている。怒りや悲しみの沸点をコントロールできない。
「い、いけるよね。さっきできたんだし。私にもやれる!」
独り言がうるさい。とっととくたばれ。
思わず雑になってしまった連撃は、挙動だけ見れば前園さんを慌てさせたように見えたが、彼女はきっちりとさばいている。もし私の心の弱さを見抜いて、的確な口撃で弱らせて勝ちにきているのだとしたら、たいした策士だ。称えるよ。
その策略はこれ以上ないというほど、私を怒りに染めて、無様に負けさせる。
スー……フー……まるで闘牛だ。おちつけ。おちつけ。おちつけ。
四文字の言の葉に願いを込めても、それは意味をなさずに頭の血に押し流されていった。頭が熱い。顔が熱い。体も熱い。これではさっきの二の舞だ。
このままだと責任を果たすどころか、またみんなに迷惑をかける。けれど私が知っているちんけな言葉では、熱を制御できない。キレてる。私はキレてる。
(むー分かんないけど! とりあえず朝女っぽく顔面からぶっ飛ばしてやって!)
ふと縋りついた言葉は、先ほど律子さんが口にした一言であった。
そうだ。かんしゃくを起こして、自滅しているときではなかった。
どれだけ熱くなろうと、菖蒲さんのドレスソードはクールだった。
ぶっ飛ばさないと。ぶっ飛ばさないと。目の前も。海音姉さんも。
私はそのために魔王殺しの聖剣を信じて、しがみついたんだから。
「こ、今度も! 天河妹に勝つんだ~!」
「それに、なんの意味が」
「ひぇっ!」
いけない。沸点と冷却が同時にきて、素面で自然と口が出てしまった。
前園さんにしても予想外だったのか、両者ともに手足が止まっている。
時間にすれば数秒程度。私がいかに慎重なスタイルに見えても、見る人が見れば不審がられているに違いない。けどさ、いい加減うるさいんだよ、この人。
私は投げやり気味に、前園さんへの言葉を連ねた。
「それで、天河海音の妹を倒すのに、なんの意味が」
「ええっと~。そうっ! 天河さんって、あの天河さんの妹で、すごく強いし?」
むかむか。あの天河さんって、どの天河さんだよ。
「姉ではなく、妹でいいんですか」
「ええっと~。そうっ! こんな私でも自信につながったり、しちゃったり?」
むかつくなあ、この人。イラつく。むかむかする。むかむかする。
「それに狂剣の天河海音さんなんて、私なんかじゃ絶対倒せないし……」
イラつくなあ、こいつ。むかつく。むかつく。むかつく。むかつく。
「あのっ、ごめんね! 変な意味じゃなくて、私バカなだけで――」
「うるせえ」
「ひぇっ!」
むかつく。ムかつく。ムカつく。ムカツく。ムカツク。
「ご、ごめんね、天河さん……」
「うるせえ、うるせえ」
「ひぇ、ひぇ~……」
「うるせえうるせえうるせえうるせえ」
ムカツクムカツクムカツクムカツクムカツクムカツク。
「あ、あとでゴメンするから、先に試合を――」
「うるっっっせぇって!!! いっっってんだよっ!!!」
冷たい頭が冷たい眼が冷たい臓が熱い熱い熱い。
もう止まれない。もう止まらない。残り1ミリになるまで殺してやる。
ビビりながらも覚悟を決めたか。もう相手してらんないという意味合いか。目の前にいるこいつが真正面から勢いよく攻めかかってくる。
一見すると愚直に見えるが、もう油断しない。もうこいつには油断しない。
ビシッ! 敵に背を見せよ。刀の姿を全身で隠し、眼だけは敵へ。
ズザッ! 地を這うが如く。右足を軸に、左足を滑らせて真横へ。
バサッ! 鞘は天高らかに。肩がけのジャージを勢いで翻らせて。
捉えよ。捕えよ。こいつに一瞬たりとも捕捉させず、瞬間で殺せ。
いきなりぶちキレ娘のけったいな構えに動揺を見せながらも、こいつは形相に似合わぬ鋭い刺突を放ってきた。狙いは私の頭部。低姿勢のせいで、頭が胸元あたりまで下がっているため。口は暴れても、心は冷静のまま。羨ましい真逆さだ。
こいつに背を向けたまま、右足を大胆不敵に深々と滑らせる。こいつの右半身側へと躍り出るべく、突きの下のギリギリを全身で潜る。接触はない。刺突で伸びきった右腕のその向こう、殺してくださいと言っている無防備な右側面に出た。
破裂しろ。天を向く鞘から、地に向けて刀を走らせる。光刃が床にぶつからないよう、さりとて鞘走りの摩擦を殺さぬよう、無謀な居合を全身で制御する。
不安定な低空飛行をする危険極まりないジェット機のように――飛ばせッ!
鞘尻を下げるなッ! 刀身をぶつけるなッ! 力と技で抵抗すらねじ伏せろッ!
限界まで低く飛ばせッ! 右足を軸に体を捻じれッ! そのまま空中に放てッ!
こいつの寝ぼけた後頭部にぶっ放せッ! こいつが顔面からぶっ飛ぶようにッ!
――七咲鈴子・我流抜刀術「隠し抜刀・知らずの真横返し」。
鈴子さんの壊滅的なセンスで命名されたそれは、独自の剣で実家を追い出された彼女が、名残りの居合を捨てたその日から、この世で私だけの奥義になった。
敵に背を向け、居合刀を鞘ごと全身で隠す。敵の先手を起点とし、最も危険な位置に向かって前方左右に足を滑らせ(七咲鈴子・我流抜刀術に後退はない)、敵の死角に入り込んだら、防御不能な後の先の一撃を叩き込む。これぞ隠し抜刀。
その内の派生技の一つ、知らずの真横返しは、敵の右側面を取ったのち、鞘と刀と身体の抵抗を全力でねじ伏せ、敵の後頭部を目がけて居合斬りを叩きつける。
これこそ、私の世界を根城にしていた、最強最悪の魔王を殺した秘剣。
これこそ、私の世界に復活した魔王を、いつか殺すために研いだ聖剣。
得意ではない左側から攻めてしまったのは、友人の名を思い出したせいだ。
でも、この一刀は苦節の毎日の理想をなぞり、こいつの後頭部をぶっ飛ばした。
【ピロッ――Damage Fatal.】
【ピロッ――Damage Fatal.】
フェイタルコールが二回。その意味を考えるには、まだ頭が熱くて。
だから、親切なドレスソードプラットフォームの余計なお世話にイラついた。
【Queen Defeat……Winner「静林」End of Stage.】
「ごめんなさい……」
「ううん、りっちゃんのせいじゃないよ」
「やっぱり、作戦の種が割れちゃったぁ?」
「えっとー、まー、そんな感じっていうかー」
「いや後ろから見てた感じ、普通にやられてましたよね。律子先輩」
「はい、普通にやられました……」
盾とエストック作戦は、朝女に優勢を与えていた。
けれど、どれだけ構えやフォーメーションを形成しようと、それを成すのは訓練された軍人でも専門家でもない。青春の真っ只中にある女子高生たちだ。
最初はよくても、気づけば型も技も姿勢も陣形もグダグダになっている。そんなことはさして珍しくもない。話を聞く限り、律子さんが花さんと少し離れた瞬間、一気呵成とばかりにクイーンからの猛攻を受け、そのまま抜かれたのだろう。
悲しくも悔しくもない。仕方ない。それが勝負というものだ。
律子さんを責める気はない。というより、先に左に責められた。
「つーかねソラ。あんたなにあれ、ぶちキレてたじゃん?」
「べつに」
「べつに……ってアホ娘! なにがべつにだ、なにが!」
「少し怒っただけ」
「どこが少しだよお……観客も絶対ひいてたじゃん。アホ娘っ!」
試合終了後、ステージに飛んできた歓声のバランスはいびつだった。
律子さんがいたステージ左側には明るい歓声が、私がいたステージ右側にはまばらな拍手が。恋子さんのせいにしたいが、今回はさすがに無理があるか。
原則、ステージ内の音声は中継も含めて拾われない仕組みのはずだが、あそこまで叫んでしまうと、ソードの剣戟音を拾うマイクが見逃さなかったらしい。
おかげで私は、会場中に「キレる若者」を見せつけてしまったようで。
周りを見渡すと、律子さんも花さんも恋子さんも「あちゃ……」「あはは……」「たはは……」といった顔つきで、こちらを生温かく見守っていた。
ペコリ。すみませんと一言添えつつ、優等生風のお辞儀で謝った。
「氷空。対面の人にはちゃんと謝った?」
「はい、最後に」
あいつ……あの、あの人。さっきのあの人。なんだったか。
あの人には最後、すみませんと。味気ない音色ではあるが、謝罪はした。
「そっか。ならいっか」
「すみません」
「いいって。いやよくないけど」
「すみません」
最初に相手のことを思える。ときどき極端に正反対なこともしている人だけど、律子さんのこういう姿勢は人として尊敬に値する。だからだろうか。
律子さんは本心で引き受けたのだろう。菖蒲さんの無謀な挑戦を。
私が知る笹倉菖蒲という人は、海音姉さんが敗者となった次の日、天河剣術会にやってきた。姉や鈴子さんと違って武道の下地がない彼女は、春休みの短い毎日から、年一回のお盆帰りの日々、さらに私が滞在していない年がら年中の月日まで、あの二人に負けに負けに負けていた。それでも何度でも立ち向かっていった。
昨日より強くなってやる。負けるたびに練習してやる。それで勝てなくても、「顔面からぶっ飛ばしてやる」。結果が見えていても、彼女は高らかに言った。
朝女ですごした不遇の二年間でも、律子さんたちと出会ってからも、海音姉さんとの最後の戦いのときも、菖蒲さんはきっと口にしていたに違いない。
昔から、姉さんにいつまでも挑み続ける、彼女が眩かった。
私がやる前から諦めた挑戦を、諦めず続ける、その後ろ姿が。
なりたい。私も意地と根性と勇気を持てば、ああなれるのかな。
「小学生の私は、選べず、変われなかった」
菖蒲さんは昨年も、あのころと変わらず、突っ伏して負けていた。
その不格好さは、停滞していた私にはなによりもカッコよく見えた。
なれないと思う。なれるとも思わない。だけど一度でもなってみたい。
「中学生の私は、選んで、変わりたくなった」
私も負けに負けて、何度負けてもいいから、海音姉さんに勝ってみたい。
海音姉さんになりたいんじゃない。勝ちたい。菖蒲さんのように挑みたい。
何度負けようと立ち上がった菖蒲さんのようになりたくて、朝女に来たのに。
「高校生の私は、選ばず、変わっていなかった」
天河海音を倒したい。そのためだけに、辞めたいはずのドレスソードを続けてきた。それなのに不出来な私は、どれだけ決意を温めても、天河氷空の妹から変わるきっかけを生かすことができず、相変わらず冷めた少女の振りを続けた。
口だけ人間になるのが嫌で、着慣れた外面を被って、逃げ道を用意したんだ。
目標の無謀さだけなら、菖蒲さんのことも、律子さんのことも笑えないくせに。
「今度からは爆発する前に、私や誰かにちゃんと相談ね」
「気をつけます」
「まあ、負けちゃった私が説教するのもなんだけど」
「そんなことは……あるかもしれませんね」
「ひどっ! なんでい、氷空も言うようになったじゃん」
「はい」
私は朝女に来るまで、菖蒲さん以外の人のことはほとんど知らなかった。
知っていたのは、昨年のJDS地方大会の黒須第一戦だけ。新堂さん相手に光るものを見せた花さん。美人さと凶悪さが明らかに目立った恋子さん。そして、とても頼りになるとは思えなかった叩かれてばかりの律子さん。あれがすべてだ。
私にとって朝女は、ここで鍛錬すれば、いつか姉に勝てるかもしれない。そう思い込んでいるだけのスピリチュアルスポットでしかなかった。JDSにしろ目標でもなんでもないから、やる気もなかったし、実際そんな応対をしてしまった。
でも、予想外なことに私にはいい場所だった。流星館との合宿後、律子さんが「白鳴の七咲鈴子の後輩をぶっ飛ばしたい」と告げたとき、声も出なかった。
ああ、いいんだ。私や菖蒲さんみたいに、無謀すぎる夢を抱いてしまっても。誰が理解を示してくれるわけでもない、逆ギレのような八つ当たりを考えても。
天河海音は高校在学中、JDSや無双剣で敗者になる場面が何度もあった。厳密には、この世で天河海音を倒した人などいくらでもいる。だけど、そんなのはどうでもいい。私のドレスソードの世界は、他人を気にかけられるほど大きくはない。
私は、私だけしかいない小さな世界で暴虐を限りを尽くす、悪い魔王の海音姉さんを倒したいだけだ。現実の姉は私に甘々だから、決して傷つけることはしないけど、彼女の栄光はちっぽけな私をむしばむ。それは、あの人には治療できない。
鈴子さんの必殺技を手に、菖蒲さんにあやかって、海音姉さんを倒したい私。
姉さんにやられて、菖蒲さんの意志を継いで、鈴子さんを倒したい律子さん。
あの三人を取り巻く背景を。菖蒲さんの挑戦の文脈を。律子さんの私怨にまみれた復讐を。それらを私以上に理解できる人なんて朝女にも、日本にも、世界にも、どこを見たって――この私以外にいるわけない。
彼女にとって私以上に、私にとって彼女以上に、最高の理解者がいるわけない。
これまで私は、先輩たちの思い出に関係者面をして踏み込むのが嫌だったから、菖蒲さんや鈴子さんについての話をしたことはない。
なにも成しておらず。なにか成すには足りておらず。話したところで互いを甞め合うだけになる気がして、話題にする踏ん切りがつかなかった。
だけど、それらの思いを共有してみたい気持ちが、沸々と湧いてきた。たくさんの人の前で盛大にぶちキレたせいか、今までにないほど心がスッキリしていて。
入部当初、第二体育館の三色の窓ガラスを目にしたときに思った。
ガムテープで継ぎ接ぎした鈴子さん。光を浴びれぬ暗幕の海音姉さん。倒され続けて埃だらけな菖蒲さん。そんなピッタリなイメージが思い浮かんでしまって、実はあの日、少しだけ笑いそうになっていた。そんな会話もしてみたくなった。
それもこれも、あいつ……あの、あの人。さっきのあの人のおかげかも。
ここまで来ておいて煮え切らなかった私を、ひん剥いてくれたのだから。
向き直せることから、一つずつ。まずは律子さんが叶えたい、JDSの目標にちゃんと本気になってみよう。そうすれば私も、いつか叶えられるかもしれない。
「あとさあ、最後の居合すごかったね」
「見ていたんですか?」
「盾ごと体も弾かれてね。あっ終わったな、って最後のときに見てた」
「そうですか」
「かなり暴力的というか、いつもと印象が違ったけどさ」
「はい」
「朝女っぽかったねえ。後頭部から顔面狙うとか、なんか朝女っぽい」
「はぁ……」
「威勢が強いと変だと思ってたけど、乱暴な氷空も結構好きかも」
天河氷空に持ち前の才能はないが、同世代のなかではちょっと強いほうだ。
さすが天河姉妹だ。やはり海音の妹だ。そう褒められることも多かった。
けれど、一人で隠し続けてきた聖剣を、誰にも見せたくない不細工な本性を、情けなくて変わりたいと思っている私のことを、まさか認めてくれるだなんて。
律子さんってこう見えて、言葉上手な人たらしなんだろうか。今の一言は無防備な心にサクッと侵入した。まずい。これは。フェイタルだ。
お腹の底から湧いてくるものが抑えきれない。
「きし」
「ん、なに?」
「きし、きし」
「えっ……なに?」
「きし、きっし、きっしっし! きっしっしっしっしっし!」
あんなにも簡単な言葉で嬉しくなっちゃって、笑いを止められなくなってしまった。笑わない普段のぶんまでふり絞るかのように、お腹から次々と湧いてくる。
私も姉も、小さなころから奇妙がられた笑い方。海音姉さんは菖蒲さんと出会ってから、あの汚らしい口調に感化されて、逆に自然になったと言えるが。
一方で、今も外面を取り繕っている私がしようものなら。
「きっしっし! きっしっし!」
「うわ、ソラなにその笑い方。きっしょ」
そう言われてもやむなし。だから私、外では絶対に笑わないんだけど。
「きっしっし! きっしっし!」
「あー、やっぱ、あんたら似たもの姉妹だわ」
たっぷり二分ほど笑い、スンと澄まし顔を作り、帰りの支度をした。
たぶんこれから、私はこの人の前でたびたび笑ってしまうのだろう。
次回「緑銀のボーシュヴァリエ【エピローグ】」。




