うるっっっせぇんだよ(4)
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小さいころ、海音姉さんのようになりたかった。
強くて、カッコよくて、みんなに頼られる海音姉さんのように。
中之宮の対面の人が、フェイタルになってから言った。
「最後の大会で、まさか天河海音の妹と当たるなんて」
相馬女子の対面の人が、フェイタルになってから言った。
「あなた、本当に強いね。やっぱ天河海音の妹さんって感じ」
静林の対面の人が、フェイタルになってから言った。
「天河海音さんの妹とか、そんなの勝てるわけない~。ズルいよ~!」
海音姉さんが女子高ドレスソード界に現れてからの数年間。いや、それ以前の周囲でも。昔から「天河海音は本物だ」の声は絶えなかった。
そこで、ついでのようにかけられる「氷空ちゃんのお姉さんはすごいね」の声。その音は、私にだけ聴こえる調の良い旋律から、いつしかノイズへと変わった。
海音姉さんは小学六年生のとき。「お父さま、お母さま、私、どれすそーどをやりたいのです」と口にしたのをきっかけに、近所の施設でドレスソードなる怪しげな新興競技を体験した。元々、天河剣術会でも剣技の天稟を見出されていたこともあって、不思議はなかった。私は姉と両親に連れられ、その場に行った。
そこで見た姉の姿といったら、それはそれはカッコよかったものだ。
デフォルトオブジェクトの子供用直剣を持ち、初心者でありながら案内役の大人たちと比肩する姉さんの勇姿。昨日まで、苺のショートケーキを食べながら「わたしケーキやさんになる!」と言っていた女児の心は、たった一瞬で奪われた。
「わたしも! わたしもどれすそおど、やりたい!」
海音姉さんのようになりたい。私もあんなに強く、カッコよくなりたい。
はじまりはちゃんと覚えている。私が自分でドレスソードをはじめた。
そのときが、小学生の私の小さなプライドが一番大きかったころだ。
それからはよくある話。できすぎた姉を持つ妹の苦悩のはじまり。
私は凡庸で、とてもじゃないが海音姉さんのようには戦えなかった。体験コースをはじめてから三日も経たずして、私は姉と違うのだと理解してしまった。幼少時から短気で頑固な私は、一人になってから、よく物や空中にあたったものだ。
それでも、いつの間にやら独力で成長してしまう教え甲斐のない姉さんの代わりに、私は「海音の妹」として練習場や剣術会でひいきされた。おかげで挫折する暇もないままに、同年代のほかの子よりも少しばかり早く成長したものだ。
だけど、みんな口をそろえて言う。「氷空ちゃんのお姉さんはすごいね」。
妹と姉の差は、誰が見ても明らかだった。
技術の比較などせずとも、私は普通の子。姉はスターになる子だ。
そんなのは、誰から見ても明らかだった。
悪意のない比較が、私の無駄に大きなプライドを傷だらけにした。
努力をすれば、いつか姉さんのようになれる。それを志すよりも先に、子供心は諦めを選んだ。玩具をねだる子供の憧憬など、夢のときほど熱しやすく、現実になるほど冷めやすい。私がドレスソードを嫌いになるのに一か月もいらなかった。
辞めたい。もう辞めたい。さっさと辞めたい。こんなの一刻も早く辞めたい。
それが小学生のころの私が覚えた、最も強い感情だったのかもしれない。
けれど、自分から言い出してはじめたことをすぐに撤回するのが、子供ながらにカッコ悪い気がしてしまって、辞めたいけど辞められなかった。
それからというもの、外面は真面目に、中身は無気力に。今になってもズルズルと続けては、私に向けられる他意のない無神経な言葉にイラついている。
私は自身の短気さを暴発させまいと、小学生のうちから「海音姉さんのついで。私はやらされているだけ」そんなウソで、はじまりの事実を塗り替えた。一体どの口が言うのか。判断も選択も、そこに他者は介在していなかったというのに。
しかし、むなしいウソでも、削れに削れて小さくなったプライドは安堵した。
海音姉さんのようになれないのは、やりたくもないドレスソードのせいだから。
海音姉さんのせいで、私は情けない逃避行動をせざるを得ないのだから、と。
いっそ辞めればよかった。それでしがらみはなくなった。そのくせしがみついた。これしかやってこなかったから。ずっと、ほどほどに強くいられた自分に満足すればいいのに。己の実力を弁えればいいのに。それすら受け止められず、義務感だから続けているなどと、年を重ねていっても醜い言い訳を続けていた。
もう、続けたくないのか。好きじゃないのか。どうしたいのか。
あのころの私はずっと分からないまま、ドレスソードを続けた。
「ねーさんはイチバンつよいんですか?」
「そんなことないです。まだ出会ってないだけです」
「わたしもねーさんみたいになれますか?」
「きっひっひ。なれますよ。だって海より空のほうが大きいですもの!」
昔、海音姉さんはそう言ったけど、私は今でも姉のようになれないままだ。
天河氷空が神さまに天賦を受け賜わっていないのは、自分でも知っている。
どれだけ季節がすぎても、私はちょっとだけ強い、天河海音の妹のままだ。
私は、海音姉さんを尊敬している。
でも、天河海音の名前は大嫌いだ。
【Lady to Ready……Round 2…………On Stage.】
「今日の大会が終わったら、ううん。この試合が終わったら相談して」
先ほど、静林とのラウンド2がはじまるというタイミングで、律子さんが言ってきた。入部したときもそうだし、合宿したときもそうかな。とくに昨日も。
左もだけど、とくに律子さんには私の機微を悟られているのか、昨日から心配をかけてしまっている。敏いだけの人であれば外面で付き合いやすいものを、鈍そうなところも少なくない人だから。これまでも不思議と、つまらない身の上話をポツポツと聞かせてしまった。それも気持ちの悪い、保身でしかない自分語りを。
さて、私はあとで諭されるのだろうか。もしくは説教されるのだろうか。
なんにせよ、大切な場面でうだつの上がらない後輩になにか言うのだろう。
私は過去に朝女のクイーンにされたとき、普段のコミュニケーションエラーな自分を呪いながらも精一杯の声を出して伝えた。クイーンは嫌だと。
海音姉さんと比較されてしまうクイーンの立場は、絶対に嫌だと。
そんな情けない理由までは語れなかったけれど、先輩たちはドレスソードの定石では不利になると知っていながらも、私からクイーンを変更してくれた。
言い訳すら求めずに飲んでくれたこと。とても感謝している。だから私はできるかぎりの力になれるよう、対面を倒す。その責任を自身に強く課している。
そこに不安はない。私が勝ち取れなかったら、評価は甘んじて受け入れる。
そもそも、天河氷空などたいした選手ではないのだ。しかも逃げ出した役目を被ってくれた先輩がいる。なにを言われても、私自身の負担なんてないも同然。
だから、まずは目の前の静林戦に集中しないとだ。
私は居合の構えを維持しながら、対面との距離をジリジリと詰めていく。
朝女は前ラウンドと同様、クイーンの律子さんの守りを、花さんの攻めで強固にする作戦。この構図で戦況を打開するのは、恋子さんか私の役目になる。
私は今、ここですべきことを、絶対にこなしてみせたい。
なのに、私にしか聞こえない不快な雑音が、私にだけ聞こえてくる。
「天河海音さんの妹なんて、絶対勝てないよ~!」
むかむか。静林の二年生である前園さんが、私の肩書に泣き言を漏らす。
むかむか。どこに、そんな大層な妹さまがいるのか。私に教えてほしい。
どこにいてもまとわりつく「天河海音の妹」なる正体不明の強者は、私をいつもイラつかせる。それが勝てる相手なら最悪。勝てない相手ならもっと最悪だ。
そういう人たちは天河海音の妹なる子を倒して、勝手に悦に入る。天河氷空の存在価値はドレスソード界において、選手の顕示欲を満たす試金石でしかない。
ほんと。こういう人。イラつく――。
【ピロッ――Damage Slash.】
「わわっ! 当たった!」
「ちっ」
しまった。そう脳内で叫んだのは、失敗した事実の確認作業でしかなかった。
むかむかで頭が埋まっていた。考えなしに前進したタイミングと、前園さんのレイピアの突き出しとが重なり、私は右腕のひじ下あたりを見事に貫かれた。
腕が上げられず、ガクッと下がった。スラッシュ時は身体に怪我をしない代償に、光学被膜をとおしてなんとも言えない重力が損傷部位に課せられる。
この重さは居合には致命的だ。無様に後退しつつ、どうにか居合刀を鞘から抜いたものの、とても戦える身体状態ではない。確実に失敗した。
なけなしの一撃とばかりに中段突きを繰り出す。前園さんの左腕に着装された小さい盾に止められた。頭では返す刀を考えているが、不自由な右腕は理想のイメージを実行してくれない。ここが転機とされたか、レイピアの剣先が飛んでくる。
上半身を狙った刺突は、上体ごと反らして避けた。しかし、精神的に勢いに乗った相手の攻勢を止めるすべはなく、二度目の突きは避けることも叶わず、光刃が私の右肩口へと入り込む。感触こそないが、わずかな振動が生死を告げた。
ただ、それだけでは確証が持てなかったか。もしくは勢いだけで考えていなかったのかもしれない。前園さんはさらなる追撃の突きを胸元に浴びせてきた。
ステージ上にフェイタルコールが流れても、彼女は勢いを殺せなかった。
無意味で過剰な追撃の突きは止まることなく、再び私の体を刺し貫いた。
【ピロッ――Damage Fatal.】
ドレスソードではよくある光景だ。確実な有効打でも、フェイタルか分からぬのであれば攻撃する手を止めるべきではないと。フェイタル直後の判定猶予時間内であれば、それらの追撃は無差別攻撃としてのペナルティは取られない。
「や、やった~! 天河さん倒せちゃった! ラッキ~!」
身体への痛みがない追撃は、私の精神に痛々しい出血を強いた。
むかむか。むかむか。ああ、イラつく。この人。
小さなささくれが寄り集まり、やがてむかむかの花びらになり、束ねると真っ赤な紫陽花のように咲いた。花言葉は、止まらぬ怒り。私がよく見る花だ。
【ピロッ――Damage Fatal.】
【ピロッ――Damage Fatal.】
【ピロッ――Damage Fatal.】
それから先は、ラウンド1とはちょうど真逆の様相を呈した。
中央の私を抜いた活発そうな前園さんは、ステージ左側に寄って花さんを討ち、それから律子さんに群がった。その間に恋子さんが対面を制し、律子さんとの合流を図ったものの、状況は好転を待ってはくれず。静林が律子さんを抜いた。
【Queen Defeat……Round 2「静林」……Make Over.】
熱くなった血が脳に逆流している。頭が重い。目元が怠い。イライラで両目が見開いてしまいそうなところは、己の自制心ではなく、周囲への羞恥心で留めた。
ドレスソードは競技でも、武道ではないから。心の鍛え方を教えてはくれない。
「みなさん、すみません」
「ううん、いいよいいよぉ。氷空ちゃんは気にしないでー!」
恋子さんが私の両肩に手を添えながら、明るく励ましてくれる。
いつも優しくて可愛らしい人。こんな女性には一回死んでもなれそうにない。
「ソラもしかして風邪? ふらついてるし」
「氷空ちゃん、大丈夫? タオルで冷やそうか」
左が私のおでこに右手を当てる。熱いと言われても体の病気じゃないから、風邪ではないと言い張る。花さんは五人共用で持ち込んでいるミネラルウォーターで予備のタオルを濡らし、首周りに当ててくれた。心の病気にも、冷たさは効いた。
「氷空、だいじょうぶ?」
「はい。大丈夫です」
「あんま気張らないでよ。氷空だけの責任じゃないし」
「いえ、さっきのは私のせいです。すみません」
「むーん。そうなんだけど、そうじゃないというか……むむむ」
困った。私はどうやら明確に、みんなに心配をかけているみたいだ。
律子さんは「氷空のせいじゃない。一年生なのにたいしたもんだ」といった論調で、私の先ほどの失敗をフォローしてくれる。責任を感じないよう気配りしてくれているんだと思うけど、甘すぎだ。敗因は私。勝手にキレて、勝手に自滅した。
「氷空、もう嫌だったら抜けてもいいからね?」
「そうそう! ソラいなくても私いるし!」
「じゃあ、左が出てくれる?」
「だーめ。自分で言っちゃうくらいならね。ちゃんと出な」
「左は厳しい」
「あんたが甘えん坊なの。責任感じてんなら自分で取り返せ。できんでしょ?」
甘えん坊か。そのとおり。みんなとは別の話で、勝手にむかむかして、朝女の勝利を遠のかせた。人としてもメンバーとしても極めて最悪の部類だろう。
私だってそんなやつがいたら、誰よりも強く嫌悪する。
「左、そんな言い方やめて。氷空だけの責任じゃないんだから」
「いや、どう考えたってソラが悪いですよ。明らか動きも悪かったですし」
「でも、氷空は一年生だし、そういう責任とか負担とか――」
「うん。そうだね。私が悪い。さっきのは次で取り返す」
「え、えー……」
「ほら。じゃあそうしろっ!」
やっぱり、律子さんは私に甘すぎる。それ自体は嬉しくもあるけど、私は一年生であることを言い訳にするつもりはないし、責任感を放棄するつもりもない。
ましてや、天河海音の妹だから。なんて言い訳もしている暇はない。
みんなの介護により頭の血は引いていった。けれど、急激に冷めた脳内は寝起きのようにぼやけていてうまく働かない。思考もうまく形にならない。
しかも、大事なラストラウンドのための相談時間を費やしてしまった。
優等生ぶった外面をかぶることだけは達者だったのに。これで一躍、朝女ドレソ部イチの困ったちゃんに認定されてしまうかもしれない。
「氷空……本当にだいじょうぶ?」
「大丈夫です。律子さんは心配しすぎ……いえ、心配をかけすぎました」
「それなら、まあ、いいけどさ」
「あと律子さん。クイーンを変わってくれて、ありがとうございました」
「えっ、それいま言う?」
「クイーンは嫌だったので。でも、それ以外なら全力でやるつもりです」
「ああ、そう、なの……んん? まあいっか」
なんだか不思議な顔をされている。もしかして、これまで責任感のない子と思われていたのだろうか。ただ、それも間違いじゃないか。
もとはと言えば、保身のためにドレスソードにもJDSにもやる気を見せなかった、私が悪い。大事な家族の名前すら、前向きに背負えない虚弱な私が。
まもなく、最後のステージ進入のアナウンスが流れてきた。
私のせいで突入してしまったラストラウンドだから、きちんと取り返す。
対面の前園さんは最悪も最悪の敵だけど、心頭滅却すれば負ける相手じゃない。
「次も、盾とエストック作戦ですよね」
「うん、それがいいと思う。いける?」
「はい。いつもどおりに」
「そっか。氷空らしくがんばってね」
「私らしく……それ、どういう意味なのでしょうか」
「えー。このタイミングで自分らしさ問答はきついなあ。青春する時間なさすぎ」
「はぁ……」
「うーん。氷空っぽいと言えば、やっぱ居合かな? ぶった斬る感じだし」
「はい」
「むー分かんないけど! とりあえず朝女っぽく顔面からぶっ飛ばしてやって!」
――ああ、そうか。そうだった。それだった。
私が海音姉さんの影から逃げても、ドレスソードを辞めなかった理由。
ここには、菖蒲さんがいたんだった。
【Lady to Ready……Last Round…………On Stage.】
次回「うるっっっせぇんだよ」(5)。




