十四人の楽しい乙女(3)
春から夏までの曖昧な黄昏どきは、暗くはないけど明るいとも言えない。それでも夕方だなあって感じがしてしまうのは、体内時計がお仕事しているからかな。
流星館ステージでこの日最後の十本アタック&ダッシュをしているとき、朝から朝女ステージにこもっていた四人が、こっちの第三体育館に帰ってきた。
帰ってきた。なんて自然と思ってしまうほど、私はもうなじんでいるみたい。
合宿のはじまりに得たものとしては、上々の成果じゃないだろうか。
「二人ともおかえり」
「りっちゃん……ただいま」
「ただいまー……つかれたぁ」
疲れた雰囲気を隠そうともせず、重そうな体でボテボテと歩く二人。
聞かなくても分かるが、花も恋子ちゃんもかなーり絞られたみたいね。
私も練習を上がることにしたけど、シャワー室もリゾートみたいだった。
流星館では五連休中、ドレソ部以外の部活動でも合宿が行われているとのことで、朝と昼、それから十六時から十八時までは食堂が無償で開かれている。
メニューは通常営業とは異なり、その日の献立が固定なものの、外部の私たちですら代金はいらないんだって。なんたる至れり尽くせりな学校なのだろう。
甦りそうな妬みに落とし蓋をしつつ、私は花たちと食堂の配膳列に並ぶ。
食度にはドレソ部以外の生徒たちが数十名ほどいた。てっきりお嬢さまのテーマパークだと思っていたけど、どの子も見た感じは普通である。きちんと制服な子は半数で、私たちドレソ部を含む(清潔な)ジャージ組が残り半数。げっ、やばい。知っちゃった。ジャージですら、流星館の紺ジャージのほうがカッコいい。
また品のいい関係者ばかりな流星館にあって、食堂をしきる人たちだけは明るく元気な普通のおばちゃんだった。部活で疲れたのか、気が緩みはじめたそこかしこの雛鳥たちに、「そこ! ひじつかない!」「そこ! 喋りながら食べない!」「お皿はサイズごとに片づけな!」と手厳しい指摘がビシビシと飛ぶ。
イメージばかり先行していたけど、流星館の子だってべつにパーフェクトな良家の子女ばかりってわけじゃないんだね。葉月みたいにさ(失礼は承知)。
だから、こういう家庭的なお姉さま方の指導も含めて、ここの子たちはバランスよく育っていくのだろう。むー、なんだ。本当に隙がないな流星館は。
配膳してくれたお姉さま方に、いただきます。
お盆をもって席についてから、いただきまーす。
「猪戸ちゃんは強い弱いじゃなくて、ひくよね。殺意が半端ない」
「あはは……徳永さんには今日も通用しなかったけどねぇ」
「日影さんもすごいですね。姿の危機感も過言じゃなかったようで」
「褒めていただいても、まだ真田さんの相手はできそうにないです……」
「たった一年でその仕上がりなんですから。私は一つの才能だと思いますよ」
「……勝てない才能なんて、努力にも劣ります」
両校ドレソ部は二つの大テーブルを占拠し、みんなで夕食を取った。
目の前のテーブルは流星館ステージの面子で和気あいあいと賑わっているけど、後ろのテーブルにいる朝女ステージの面子は明暗がくっきりと分かれたか。
とくに朝女の二人。声を聞いているだけで、お葬式ムードなのが伝わってくる。
それを知ってか知らずか、私の目の前はとてもやかましいのだが。
「ちょっとソラ。なんでニンジン残してんの」
「べつに」
「べつにじゃない。いいから食べな」
「左には関係ない」
「関係あるの。人ん家でだらしない。友達なんだから食べなさいっ」
左のそれはどういう理屈だ。でもお母さんみたいで強烈だ。
氷空はこれでもかというほど両眉をひそめながら、お皿の脇にさりげなく除けておいたいくつかのニンジンを、ふてくされた顔で一口に頬張った。意外な一面だが、これが初対面だったらしっくりくるくらい、ちゃんと子供っぽく見える。
もごもご。もごもご。もごもごもご――。
ニンジンの風味や触感が苦手なのか、氷空はなかなか飲み込めない。かといって吐き出せるほどアグレッシブな子でもないようで。次第に目が潤みはじめてきて、ようやくといったタイミングで、見事「ごっくん」をこなしていた。
「…………」
「なに怒ってんのよ」
「べつに。世の中では、好き嫌いとか、多様性とか、そういうの」
「あーうるさい。人のためになんない好き嫌いは許しませーん」
氷空のジトーっとした視線を受けても、左は褒めるでもなくケロリとしている。というか「残さず食べるなんて常識でしょ?」みたいな態度が、まるでスパルタ教師みたい。この二人も私と花のように、バランスのいいアンバランスで成り立っていくのかな。こっちとしては不仲じゃないだけで感謝したいんだけどね。
夕食後は休むか、練習を続けるか。第三体育館にはこぎれいな二階建ての部室棟が併設されており、そこの二階部分にある広々とした一室を朝女ドレソ部で借りられた。だからそこでお休みするか、ガールズトークでも繰り広げるか。
あるいは、二一時までは開放されている第三体育館で、部活動としてではなく個人練習の体裁で稽古をするか。どれを選んでも個々人の自由のようだ。
朝女側は示し合わせてはいなかったけど、「いっちょ気合出しますか」とでも思ったのか五人とも練習を選んだ。氷空だけは、左の指導役のていだけど。
花と恋子ちゃんは「少女たるもの半日経てば括目して見よ」とでもいうように、異様なまでにストイックな姿勢で対面練習に臨んでいた。
今日は一体、どんな恐ろしい体験をさせられたのやら。真田さんと徳永さんに「朝女のくせにナマイキなんだよ!」とか言われてボコられたのだろうか。
私はほかの人たちとはなんとなく温度感があわなくて、かといって今から誰かの相手をするのも(痛いし疲れたし)勘弁だったので、人の輪から離れたステージの片隅で一人、盾を構えながら、アヤメを抜き、振る。その動作を淡々と続けた。
朝女ドレソ部は練習中、なんやかんやみんなで一緒になにかをすることが多い。それにステージから離れている帰宅後や週末は、ありのままのリアルで個人練習を行うしかない。そのせいか、ステージ内で一人稽古するのが不思議な感覚だった。
私は花に声をかけられるまで、黙々とそれを続けていられた。
気づけば二十一時になっていて、身体が一日の疲労を思い出した。
「どっひゃあ、づーがーれーだー」
「もう。行儀悪いよ、りっちゃん」
「わだじぼぉ、づがれだあぁ」
「もう。恋子さんも。もうっ」
朝女の五人は個人練習を二一時前に終え、ボロ雑巾のような気分で粛々とシャワーを浴びると、天国への階段(部室棟の二階)をのぼり、楽園の花畑(フカフカのお布団)に倒れ込んだ。室内は私物などで、一部がもう散らかっている。
私と恋子ちゃんが布団にダイブすると、花に叱られた。左とは違うタイプのお母さんである。けれど、体力的な疲れなら花が一番だろうに。
それなりに頑丈になってきたとはいえ、体感では今がようやく平均くらいだからさ。それなら疲れさせるようなことするなって話だけど。てへ。
ちなみに私の幼なじみは、前髪近くにかけているパステルグリーンのヘヤピンを外すそのときまで、女の子としての礼節を忘れないようにして生きている。
だから私や恋子ちゃんのように、はしたない振る舞いは絶対にしないのだ。それも見習いたいとは思うけど、一生見習えなさそうでもある。
一方、氷空も無言のまま、顔面からのそっと、かけ布団のうえに突っ伏した。
メンタルはうちで一番優れているようだけど、集中が切れるとこうなのかな。
そして、ここでも左ママが活躍。「ソラ! 寝るならちゃんと寝なっ!」と氷空を追い立てると、微弱な抵抗を意に介さず、きちんと布団に潜り込ませていた。
このときばかりは清楚な後ろ姿に違わぬ、デキる女に見えてしまったくらいだ。
つっても、左ママの両目は私と恋子ちゃんにもギロリと向いていたから、怠けの油断は禁物だ。合宿中の生活態度次第では、後輩に説教される先輩が生まれる。
しばらくして四人とも、誰が物を言うことなく、順番に寝静まっていった。
そうよ。なにを隠そう、私一人を除いて。
(うー。あかるいよ。あかるいよお)
人にはいろいろと弱点があると思う。私にとってそのひとつは「寝るときに電気がついていると眠れない」である。不幸なことに、この部屋は電気が点けっぱなし。ほかの四人は電灯を気にする前に、深い眠りへと沈んでしまったみたい。
(けしたいよお。でもおきあがると、めがさめるよお)
こういうとき、私は自分の思うがままに飛び出せない人間である。
みんなが寝ていると分かっていても、なぜか思いきって起き上がれない。
それは気遣いなのか、羞恥心なのか。自分でも分かっているが、ほんと不思議なコンプレックスである。平時とのチグハグさは理解しているけどさ。
(もー、ねれない! けすったらけす!)
っていうように、自分なりにレッドゾーンまで持っていくと解決できる。
なにか使命じみたものを持たないと、私は誰も気にしていないことすら勝手に正当化できない。きっと周囲には「小枝律子は明るく元気ですごく可愛い子」と思われているんだろうけど、そこに至るにはね。私なりに結構助走が必要なんだ。
しかも、それを他人にはあまり知られたくないという繊細さがある。
知られたくはないけど、分かってほしいという傲慢もある。ままならんね。
……なーんてことを眠れない夜に深く考えたものなら、もっと眠れなくなるんだよなあ、こういうのって。私は今、それになってしまった気がしている。
布団から静かに身を出して、部屋の入口付近にある電灯のスイッチまで歩いて、パチン。電気が消えると、室内は月明かりだけが頼りの薄い暗闇に変わった。
(のど乾いた。ジュース飲みたい)
たしか、部活棟の入口に自動販売機があったはず。私はお気に入りの黄緑色のポーチを片手に部屋を出たが。
おやおや、廊下も消灯されていたとは……。
部活棟の内装は清潔感があって、あまりお世話になったことがないからあくまでイメージだけど、病院みたいなところだって思った。
だから、おどろおどろしいことはないのだけれど……真っ暗が広がる無機質な廊下と、夜が映り込んでいるだけのガラス窓。きれいだから怖いものがある。
あえて学校の七不思議とか、病院の怪談とか、そういう単語さえ頭にわざわざ思い浮かべなければ、さしてどうということのない暗さ。つまるところ、それらを思いついてしまった時点でもうフェイタルだ。やめよう。かえろう。ねよう。
すると見えない背後から――ガチャ。ギイィ。バタン。
明らかに、今は聞きたくない音がした。
よもや、声が出なかっただけで私最強じゃない?
ははーん、さては自動販売機の音かな? ふざけんな。いやもうむり。むりむりむり。寝たい。廊下で寝たい。今ここで寝ても春だし凍死しないよね。
「――リツコサン」
「ひっぅぃっひ……そら?」
ただの氷空だったね。形容できないなにかではなかったね。よかったね。
「すみません、驚かせてしまったみたいで」
「ぜんぜーん。ぜーんぜん。へいきだけど」
「はぁ……」
下に飲み物を買いに行こうかと。後輩がそう言うので、仕方ないから付き合ってあげることにした。うわ、氷空すごい。私の前を平然と歩いていく。私の周りってばどうしてこう、お姉さんっぽい妹が多いのか。私は慌てて背後に憑いた。
部活棟の入口は、小さな白い電球で照らされていた。わずかに入り込む夜間の光度と、自販機の頼りない照明もあわさると、そこは文明社会の明るさだった。
「梅サイダー?」
「嫌いじゃないので」
「私は苺ミルク」
「はぁ……」
自販機の向かい側には、背が高くて熱帯っぽい観葉植物とベンチがある。
すたすたと。とくに言葉を発さずベンチに座ると、氷空も私の隣に座ってきた。
カチャ。缶ジュースのプルトップを開けると、まったりと甘ったるい香りが夜に広がって、心細さが消えた。夜なんてやつは、苺とミルクの前ではこんなもんよ。
その手は小さくても非力ではないと知っているから、プシュッと簡単に開けられてしまった氷空の梅サイダーには「うちの氷空は缶ジュースなんかひと捻りよ」と寝ぼけた頭で毒づいた。私はこの状況に、すでにナチュラルハイなんだろう。
「合宿なんて久々。道場のはサボってたし」
「私も。こういうのは久々です」
「ふーん。それって黒須第一で?」
「いえ、もっと前の話です」
「氷空ちゃんは長生きですねえ」
「なんですかそれ」
時計の針の音すら聞こえない空間だから、居心地がよくなってきてしまった。
女子高生にはイケイケなだけではない、アンニュイな時間もたまには必要だ。
私たちは暗がりのなかで二人、ポツポツと意味のない会話を続けた。大きくもなく、小さくもなく、響くこともない。たゆたうような音量で。
雨の日は靴に入り込む水滴がうざい。自分の部屋のエアコンは消してきたっけ。そろそろ梅雨どきだから通学が憂鬱。祝日ないとか六月はもっとやる気出しなよ。でも、雨の日は学校の近くのケーキ屋さんがサービスデーになるから好き。
ぐび。両手で包んだ苺ミルクが半分より少なくなったころ、氷空がつぶやいた。
「小さいころ、ケーキ屋さんになりたかったんです」
「へえ」
「こんなことしてないで、ケーキをたくさん作って食べて」
「まだ遅くないでしょ」
「やると決められなかった。それだけで諦めるには十分です」
「そうかなあ。まだ高校生だよ。しかも出来立て」
「でも、もう、またドレスソードをはじめちゃいましたし」
「なんでドレソ部ねえ。学校だって心機一転したのに」
「なんででしょうね」
「なんでやめなかったの」
「これしか取り柄がないので。強くもないくせに」
「続けてるだけで美徳なんだけどなあ」
「自分ではそう思いませんから」
「厳しい子だ。ちなみにドレソ部の退部者が作ったのが料理研究部ね」
「いいですね、それ。それいいかも」
「じゃあ、今度パティシャロンいこっか」
「はい?」
「朝女の近くにあるケーキ屋さん。結構評判いいんだよ」
「興味あります。連れてってください」
「食いつきいいね」
「好きですから」
氷空は右手の人差し指と親指で、寝る前だから編み込みはないけど、もみあげを弄りながらきれいな顔で笑った。それを見て、心の隙間にストンと荷物が落ちた。
ああ、私はきっと。氷空も左も。私の目標のためには引っ張れないなあ。
まだ知りもしないけどさ。流星館の真田さんや徳永さん、葉月や姿、それに天河海音さんに七咲鈴子さん。彼女たちは自分の願いや部活の目標に、周囲を巻き込める人なんじゃないかと思う。仮にそうじゃなくても、結果を出していたり、チームが同じ方向にまとまっていたりするから、それに近い原動力があるんだろうね。
だけど私は、あのとき私が非難した菖蒲先輩と同じくらい、口に出すだけ恥ずかしい無謀のために、氷空たちを引っ張り回すことはできそうにない。
彼女たちが自分で好きな自分を選べるよう、部活のドレスソードなんかで強要することはできない。そんな重いものを軽はずみに扱えるほど、強くいられない。
それに熱血な青春をやるには、私は悲観的で現実的で冷めすぎてる。それこそ、一般人らしい一般人くらいに。できてお寒い演技が関の山。
珍しい自分に得意気になったところで、私は彼女たちを勝たせることはできない。いつも勝たせてもらうだけ。なのに口だけ達者なんて、世話もないしね。
先輩、ごめんなさい。私はあなたの選択を悪く言ったけど、あなたが私を無理に振り回せなかったように、私もそういうとこばっかり似ているようです。
だからあなたと同じく、目線だけはどうにか同じに保ちつつ、なあなあにいきます。身をもって教わったことが役に立ちそうなので、あの日の悪口はご勘弁をば。
まもなく口からあくびが漏れてきて、二人で部屋に戻ることにした。
一応の念のため、氷空が転んだら危ないので、彼女の左手の裾を握って帰った。
次回「十四人の楽しい乙女」(4)。




