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敗北のドレスソード  作者: 手遊花
亡き月のクライムレディ編(Act 13)
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凛と激しく(5)

 件の昇級試験も終わり、日がすぎること三月も半ば。

 近々の市町村にある学校で、すこし早めの卒業式が行われたころ。

 春の温かさより、冬の寒さが継続していた七咲家では。


「おばさん、鈴は部屋?」

「ええ。それか裏庭かしらね」

「やっぱね。あれからずっと道場に行ってないんだ」

 ぬくぬくと。居間の掘りごたつに埋もれている一菜。


「行くつもりもないみたい。鈴ちゃんもお父さんも意固地なんだから」

「悪いのは鈴だよ。あれ見てたら、本物のバカすぎて笑っちゃったもん」

 みたいねえ――柔らかな返事だけが、台所から返ってくる。


 昇級試験での行いの結果、七咲一刀流の愛娘である鈴子は、道場を破門された。多少の粗相をしでかす門下生は過去にもいたが、道場内で“ふざけた姿勢”を直さなかった者は過去にもひとりとておらず、また破門を言い渡されるほどの者もいなかった。身から出た錆……ないし、ツメを隠せない鷹への処罰に等しい。


 鈴子の沙汰の一方で、不遇な試験を強いられた紫織のほうは、温情が加味されたかはいざ知らず、無事に一級への昇級を果たした。事前の目算どおり、中学生になってすぐに現状の実力に則った昇段試験が行われるという。

 彼女の力量を疑う者はいないものの、本人はいまいち煮えきっていないが。


「しゃーない。私がどうにか、鈴が心を入れ替えるようシバきますよ」

 愛すべきバカな妹弟子をどうにかするのも、古くから彼女の恒例だ。


「ありがとね一菜ちゃん。最近、夕ご飯もギクシャクしてて困ってるのよ」

「……の前に、天河のじいさんにあいさつ行くんで。来週くらいになりますけど」

 そう言って手元の急須から、おかわりの緑茶をそそぐ。


「長野に行くのって明日よね? お友だちも一緒?」

「ほかの子は今日行ってます。私は今日が父さんの誕生日なんで、家にいろって」

「あらー、一菜ちゃんは本当にいい子ねー。お父さんも喜んでるでしょ」

「まだ親孝行するには若すぎますって……私が」

 娘を溺愛する父親というのは、娘本人の受け取り方次第で薬にも毒にもなる。


「あ、そうそう。前の会合でね、天河さんにお借りした匕首があるんだけどね」

「あー、私でよければ持ってきますよ」

「一菜ちゃん大好きー。いつでも娘になってくれていいからね」

「道中で補導されて匕首の言い訳がつかなかったら、その線も考えておきます」


 台所からかわいらしい小走りでやってきた鈴子の母が、古き良き唐草模様のふろしきに包んだ桐箱を一菜に渡した。軽く振ってみても、モノが転がる音はしない。サイズ的にちょうど小刀が入っていそうな大きさ。これが郵便物のようだ。

 しかし、それが台所から出てくるというのは……鈴子の母のお茶目っぷりを知る一菜には、包丁替わりに匕首を使っている彼女の姿が容易に想像できた。



「……それではリン……私は稽古がありますので……道場に行きますね……」

「はいよー。また明日ねー」

「はい……」

 トボトボ。それ以外の擬音がつけられそうにない、紫織の後ろ姿を見送る。


 例のヤラカシから二週間。鈴子は父に破門を言い渡された直後、背を折り曲げ「これまでありがとうございました」と周囲に告げて道場をあとにした。

 それからというもの道場どころか、母屋とつながる渡り廊下にすら一歩も踏み入れていない。池の落ち葉拾いも「道場出禁」を楯に、母にお断りした。


 日常生活もすこしばかり変化した。なにを約束するでもなく紫織が毎日やってくるのはさておき、以前は彼女らの遊び場が居間であったが、今の鈴子の生活の中心は自室になっている。朝昼晩のご飯も、ひとりで先に済ますことが増えた。

 すべては、父と顔を合わせるのがなんとも微妙に気まずいから。


(……裏庭で剣でも振ろっかなー)

 紫織がいなくなったあとの自室も、近ごろは寒々しく感じる。


 自身の不始末は理解している。楽しいという熱に浮かされ、救いようのない振る舞いを試験の場で見せびらかした。誰がどう見ても確定一発アウトだ。

 さすがに破門はやりすぎだろうと思わないでもないが、これまでの悪の貯蓄を考えると納得はする。ゆえに憤りはなかった。自分がすべて悪いと考えた。


 最初のころは。


(……あーイライラするー。いいじゃんべつに、私、絶対、強いのに)


 私はたしかに不真面目だし、手に負えないし、見放されて当然だし。

 だけど、私より弱い人なんてたくさんいるじゃん?

 真面目に型にはまった剣術を鍛錬してても、私のほうが強いじゃん?

 だから、考えはじめるとやけに不条理に思えてきて、イラつきが加速する。


 彼女の考えはあらゆる武道、または社会において「そうかもしれないが、だからなに?」と一蹴されるものだ。たとえ実力があっても、信用のない、示しのつかない者はそれだけで近寄りたくない。当たり前だ。走る速さが正義な小学生だって、その言葉に反発しようが、生態系のなかでは自然とわきまえてしまう。

 楽しいというだけで突然の暴力を振るう者に、与えられる勲章などない。


 それにもし破門を取り消されたところで、心を入れ替えて稽古するかというと、しない。どっちつかずの自分に都合のいい甘えた生活に慣れすぎて、ふざけているけど実は実力者……そういう見られ方を求めて、ふざけた姿勢に戻るだけ。


 ただ、イラつく。道場に近寄れないことがイラつく。稽古がしたいのではない。自分の家のいつだって自由にしてきた遊び場を取り上げられ、追い出された。紫織も一菜も家にきて、道場に行くが、私だけは行けない。私の家なのに。

 自分の責任を差しおいての仲間はずれの意識。それはなんとも幼稚で矮小な感情に思えてしまうが、生活の不自然な変化というのは気持ち悪く、悲しいもの。


 そうして彼女の苛立ちは日々、徐々に、加速していった。

 未熟な神経が己の行いを顧みるより、反骨することを選ぶようにして。


(……ふんだ、隠し抜刀でも練習しよ)


 道場に近寄れない、厳密に言えば近寄りたくない今、鈴子に残されたテリトリーは道場とは反対側にある裏庭だけ。そこは母が洗濯物を干すのにも使っていない、手入れもサボられ気味な一角として、昔から子供の遊び場になっていた。


 道場と母屋を含む敷地の外周は、背丈180センチほどの竹柵で囲われている。びっしり詰められた竹の密度もあって、外からの視線は遮られている。

 とはいえ、この家は土台一面が石階段で二十段分の高さにあるため、竹柵の用途は屋根の低い近隣の家々を配慮した「七咲家が他所のプライバシーを展望しないように」の意味合いが強い。おかげでこの家の展望はそれほどよくない。


 幸い、道場側の表門に加えて、母屋側にもちいさな裏門があるので、やろうと思えば生活圏内も切り分けられる。だが、来週から通いはじめる中学校に行くには、方角的にも表門を使ったほうが断然近道なのが目下の悩みである。


(このまんま稽古しないと、どうなるんだろ。紫織にも差をつられちゃうかな)

 ひとり。身の入っていない遊び半分の状態で、木剣を振りながら思う。


 紫織とは対等でいたい。現時点で階級と所属に差がついてしまったが、実力さえ対等であればそれでいい。それも友人関係のアイデンティティのひとつだ。

 もっと言えば本音は、紫織よりも強い自分でいたい。自分と紫織、そして七咲一刀流の者たちに、いかに自分の剣がユーモアにあふれていて優れているのかを示してやりたい。それ自体は“特別になりたい”と願ってヤンチャしてきた古くからの本心であるが、目立ちたいとも、ほめられたいとも思っていなかった鈴子は、事ここに至って「ケチをつけたヤツを認めさせてやりたい」と強く思いはじめた。


 人生初の苦境に立たされた彼女に芽生えてしまった、偏屈な自尊心。

 そこに謝罪の意思が含まれていないところもまた、彼女らしい。


 しかし、このままだと、それも危うい。さすがに指針すらもない自前のお遊びでは、奇抜な技を習得することはできれど、七咲一刀流と同質の鍛錬を積めるとは思っていない。仮に練習メニューだけ同じようにやってみても、面倒なお叱りがないと気が抜ける。鈴子の短い人生にも、同じような前例はたくさんあった。


 やはり、ここは、父に頭を下げるべきか?

 ……それはない。ありえない。イラつきの元凶に謝るなど、剣士がすたる。


(お父さんと顔合わせたくないんだよ。なんも言ってこないし)

 ブン。ブン。イライラ。イライラ。邪念を乗せた木剣が空を斬る。


(大体、お父さんは見る目ないんだよ。頭が固いんだって)

 試験の粗相など置いといて、剣士なら実力を評価すべきだと。


(七咲流なんて時代遅れだって。絶対、私の鈴子流のほうが強いっての)

 認めてほしいんじゃない。認めざるを得なくさせてやりたい。


(私が道場を継いだら、絶対に隠し抜刀を奥義にしてやる)

 破門された身でよく言う。


(私が最強になったら、みんなコケにしてやって、全員に謝らせてやるんだから)

 七咲一刀流の一人娘が、七咲一刀流ではない剣で最強になる。なんて痛快だ。


 子供の些細な妄想。ままならない現実からの逃避。暗い怒りの種火。

 それらは誰しもが成長とともに時間で解決し、すぐに消えるはずのもの。

 なのだが。生来の運か。今いる裏庭、母屋でいう、ちょうど台所の裏側から。

 彼女が聞くべきではなかった、人生のゴングが聞こえてきた。


「……の前に、天河のじいさんにあいさつ行くんで。来週くらいになりますけど」

「長野に行くのって明日よね? お友だちも一緒?」


 かすかに聞こえてきたのは、一菜と母の声。

 そこだけ、やたらと鮮明に耳で捉えてしまったのは、まずいことに才能だ。


(天河のじいさんって、一菜ちゃんがときたま行ってる天河剣術会かな)

 鈴子自身は接点を持たないが、父や七咲流との交流はあると聞く。


 たしか、武道のはみ出し者が集うアウトローのゴミ箱みたいな道場だと、一菜がうそぶいていた。現代社会で食いっぱぐれたショーマンの忍者や、ルール無用の辻斬り侍もいるという、過ちのテーマパークみたいなところだったはず。

 だけれど実力の噂は折り紙付き。怪しさの前に“強い”が集う道場だから。


 それは、つまり、そういうことだ。


(へー、ふーん……ふっふーーーんっ!!!)

 細く燃えていたはずの種火が、燃料に着火した。



 翌日。中学校への入学日が来週に差し迫ってきたころ。


「鈴ちゃーん。今日こそ中学校の制服、仕立てにいきますよー」


 昨晩、父と入れ違いで夕食を済ませた娘に約束を言いつけたのだが、当の娘が朝のいい時間になっても部屋から出てこなかった。忙しい忙しいと今日一日のスケジュールに困った母が、ノックもなく娘の部屋の戸を開くと。


「あっ」

 遠足で使うリュックサックに荷物を詰め込む、娘を見た。


「あら鈴ちゃん、なにしてるの。どこかにお出かけ?」

「まー、そんな感じ……ふんぬ! よいしょっと! お母さんちょっときて」

 お出かけ用のパーカーの両肩に、重そうなリュックの肩がけが食い込む。


「どこいくのー? お裁縫屋さんに行かないとだよー?」

「道場」

「え、道場はまだ……お父さんたち、いるけど?」

「なら好都合。さーさ」

「あらら、そんなにひっぱらないでちょうだい」


 よそ行きのグレーのパーカーを羽織り、ずっしり詰まったリュックサックを背負った娘の後ろ姿を見て、母はなんだか、嫌な予感がしていた。

 残念ながら愛しい我が子は、いつだって無念なほうにサプライズなのだ。


 母は左手をひっぱられるがままに母屋から離れた。娘はしばらく近寄っていなかった渡り廊下を抜けると、キョロキョロと景色を眺めながら道場に向かう。

 まるで、しばらく目に焼き付けておこうとでも言うような雰囲気。


 ねえ、鈴ちゃ……母が一声かけようとする前に。

 娘はたどり着いた道場の引き戸を。

 ガララッ! ガタンッ!

 乱暴に、それは乱暴に、昔ながらの道場破りのように開け放した。


 もし、ここで早くに声をかけていれば、未来はもうすこしだけ優しくなっていたかもしれない。少なくとも、道場破りの勢いで開かれた門戸の先、動揺を隠しきれていない父や、目を真ん丸にする紫織のダメージは和らいだかもしれない。

 母はこれから長らく、厄介な一人娘の行く末に頭を抱えることになった。


「――」

「……なんだ鈴子。今は稽古中だ。もしも話があるならあとで――」

「お父さん、お母さんも。今までお世話になりました」

「……なに?」

 嫌な予感が確信に変わったのは、父も同じだった。


「私、今から家出しますんで、どうか探さないでください」

「……家出は宣言するものではない。それにどこに行くつもりだ」

「日本一……ややや、世界一。世界最強になったら帰ってきますんで」

「一体なんの話をしているんだ……」

「そのときはぜひ、破門されましたこと、泣いて謝って謝罪しなさいよねっ!」

「待て鈴子、おまえ一体どこに」

「では、その日までさよなら! 絶対後悔させてやるんだから! べーっだ!」


 シュババババ。鈴子がすばやい昆虫のように駆ける。

 靴は事前に隠していたのか。ノソノソと縁側で靴を履き、またシュババババ。

 開け放された門戸の先には、一度も振り向くことなく走っていく娘の背中。

 少女が敷地の表門をくぐり、その先の石階段を下っていくと。

 まもなく、リュックサックを背負った後ろ姿も見えなくなった。


 まさかのサプライズ展開に、頭が追いついていった者はいなかった。自分勝手に言いたい放題したうえに爆走で家を出ていく鈴子を、誰も止められなかった。

 ポカーンと。ほうけた空間のなかで、最初に鳴り響いたのも。


「リ、リリリン! ちょ、ちょっとリン! どこいくんですかリーーーン!!!」

 紫織の口から出てきた、間抜けな鈴の音だった。

次回「どもども、世界最強です!」(1)。

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