凛と激しく(4)
半笑いで防具を身にまとい、更衣室からを出ると、稽古場の前にまだ紫織が突っ立って待っていた。優しいをとおり越して、最近は保護者に近い。
べつに悪い気はしないから、茶化すことはしない。とっても心地のよい距離感なのは自分自身、よく分かってるし。中学校でもいっぱい世話になろう。
「リン、準備はできましたか? いきますよ」
「ふぁーい」
「まったく。気合を入れてください、リン」
「ふぁいふぁーい」
着替えの時点でやりきった感が体にまん延している。乗り気がとろけた。
失礼します。紫織が道場の引き戸を引いた。稽古場には壮年の男性、若々しい女子大生、ガッチガチな小学生男子などが無言で座して待っている。
私と紫織も口は開かず、等間隔に広がる列に加わり、堅木の床に正座する。紫織を含め、ほかの人たちは早くから体を動かし、慣らしているのがお決まりだから。きっと限りなく寝起きに等しいフレッシュなボディは私しかいないだろう。
十数名と人がいても、シーンとした静けさに変わりはない。聞こえてくるのは誰かの小さな吐息と、ししおどしの滑稽な打撃音。気持ちはまだ半熟卵なのか、隣に座る紫織を唐突に爆笑させる方法はないものか、などと考えてしまった。
脳内時計の長針が七周ほど回ったころ、迫力ある師範代の男たちを先頭に、師範であるお父さんが道場に入ってきた。おそらく時刻は十時ぴったり。
一昨年まで道場顧問として七咲流を切り盛りした父方のおじいちゃんも、昨年から腰の持病が悪化してしまい、数里ほど離れた総合病院近くに移り住むことになった。そのせいで最近は道場にとんと来ない。それがとても手痛い。孫バカなおじいちゃんがいなくなってしまい、私への風当たりの防護壁がなくなった。
年末年始に顔を見せたときは筋骨隆々の雰囲気のままだったから、体の心配はまだ早いみたいだけどね。ガチっとしてるけど着痩せがちな優男風のお父さんよりは、いまだに師範っぽくて強そうに見えるし。そんなことを考えていたら。
「これより、七咲一刀流門下生の昇級・昇段試験をはじめる」
はじまっちゃった。堅苦しいフンイキ。めんどー。
「少年少女部はこれより。成年部は午後より開始とする」
はいっ! いくつもの返事がキレイに重なる。私の小さなあくび以外は。
「少年少女部より、まずは初等部参加の両名、前へ」
「はいっ!」
「はい!」
私はもう中等部。今年の演舞はチーとアヤヤの二人だけか。
師範代が面倒な説明を垂れ流したあと、小学三年生の少女二人が大人たちに囲まれるなかで演舞をはじめた。それがまた、なかなかどうして。
去年は足取りもおぼつかない、低学年らしいヨチヨチさに内心笑っていたのに、チーとアヤヤは初等部専用の緩衝材付き木剣にフラつくことはあれど、型の運びはすでに立派だった。私と紫織も大概トップクラスの剣才を持っているが、彼女らもまた才覚を備えている。まーね、神童って子は劣化が早いから要注意だけど
「演舞、そこまで。両名、戻ってよし」
「はいっ! ありがとございました!」
「はい! ありがとうございました!」
学芸会なら拍手のひとつも贈るが、道場というのはなにぶん心が狭いもので。
「次。中等部の京町、七咲の両名、前へ」
「はい!」
「はい」
紫織がスッと立ち上がる。所作だけはすでに負けていると認めよう。
人波のあいだを進み、師範の両脇にいる師範代たちから木剣を授かる。
道場で使われる木剣はどれも同じもので共用だが、自分用にとこっそり確保している、持ち手の柄の頭に「すず」と勝手に彫り込んだものじゃないとやる気が出ない。弘法筆を選ばずは専門家の真だろうが、それで言うなら過去の剣術家が愛刀を持っているのも真、というより、どんな分野でも自分専門道具なんてものは持って当たり前なのだから、オリジナルの一本や二本くらい許容してよと思う。
「右、京町。左、七咲。これまでの鍛錬の成果、この場にて見せよ」
「はい!」
「はーい」
思わず気を抜いたら、師範からジロッと睨まれてしまった。うっかり。
「両名、構え――立ち合い、はじめっ!」
はじめっ、の言葉に。頭が、体が、剣を芯とする生き物に生まれ変わる。
いろんな意味での変わり身の早さであれば、この道場において私が最強だ。
まだ静寂。紫織は動かない。ブレることのない型の姿勢を見せるのもまた、この芸術品の品評会じみた立ち合いに必要な儀式とされている。くだらない。独り言を吐いてやりたいところだけど、例にならって姿形だけしっかりしておこう。
紫織が一歩、体を前に運ぶ。正眼の剣先に不自然な揺れはない。さすが優等生。これから唐竹、袈裟切り、切り上げ、逆袈裟と順に太刀筋を見せてくるのだろう……ほら予想どおり。紫織の先手は唐竹からはじまり、逆袈裟に終わった。
一呼吸から繰り出した連撃は美しい流れを描ききり、対峙する私の目にも模範的な刀の振り方に映った。まるで生きる教科書。受け手がヘタであれば、今の時点で追いつけずに失態を晒したかもしれない。仮に受けられなくても、紫織は木剣の在処しか狙っていないから、彼女なら怪我させることなく披露できただろうが。
目の前に立つ紫織が、「次はリンの番ですよ」と視線で促してくる。
分かってますよー。それにしたって、つまんないけどね。
なんで、型にはまらなきゃならないの?
なんで、強さより形が優先されるの?
なんで、ここは月じゃないの?
つまらない地球の、つまらない片隅で振る、つまらない剣術の試験。
どうしたって面白くない……なら、自分で面白くしなくっちゃだよねっ。
右足から前に一歩、二歩、過剰な三歩目。採点する師範らの目をうるわすために型を維持しながらも、七咲一刀流とは言いきれない踏み込みで接敵する。
友人の顔が強張った。怖がらせるのは望みではないが、驚かせるのは好きだ。
斬り方は彼女と同様。唐竹、袈裟切り、切り上げ、逆袈裟と順で太刀筋を見せていく。でも、一刀打つごとに小賢しいステップワークを織り交ぜて、紫織の動体視力をムダにからかう。決して軽すぎない木剣だけに、こちらも相手めがけて振りきるまではいかないが、決まりから外れた応酬に紫織の型が徐々に崩れる。
紫織や師範らにとっては、日ごろの心身の鍛錬を発揮する場だろうけど。
私にとっちゃ、希代の剣士の力を示す空間。実践扱いでいかせてもらうよ!
右前方から木剣を振り下ろし、受けられた反動のままに体を右側に振りながら、振り子の要領で同じ角度から力強く三連打。裏庭で紫織相手にはよくやっていた、地煉獄の肩切りジンがグロリナ14・岡本陣兵を倒した「三連重斬」。
「っつ!」
過剰な三連撃ではあったが、紫織はアドリブで受けきってくれた。
連撃後の一呼吸のうちに、紫織が反撃してくる。ほのかに怒り叱りの感情が混じっているのか、抗議の剣は粗めな剣筋。ひひひ、ようこそおいでませ!
格式ばった立ち合いから、こっちの世界に引きずりこんでやった。
紫織の顔は怒っているというより、焦っているようにも見える。きっとこの子のことだ。「このままリンに好きに打たせていては試験にならないっ」からと、無理にでもおままごとな体裁を寄り戻そうと打ってきたに違いない。
木剣に当ててくるだけの様子見の一撃をいなし、楽しくなってきた心が次に選ぶのは、アークパルサーナイツのヘンリル・ワルツァーが使っていた「至り達す線」(ディバイン・ライン)。相手の身体の右左対角線を、目には見えない刻の速度で同時に斬りつけ、敵は気付くと体が真っ二つに両断されているという意味の分からない必殺技。漫画表現とあって厳密な再現はできないんだけど。
とりあえず――右側から真一文字に斬りつけ、受け止められた刀ごと体をグルンと後ろ回りさせて、なるべく対角線になる左側の位置を斬りつける。
身体対角線への同時攻撃とはいかないが、時間差攻撃技としては上出来だ。
「くっ!」
力を入れすぎたか。紫織は受け止めたものの、小さくうめいた。
あっ、まずい。危険だ。
今の自分がどれだけ危ないことをしているのか。自覚してしまった。
自覚したが、脳内が冷めない。現実が醒めない。楽しい、たのしい、タノシイ。
視線はいっさい気にしていないが、ここまでの流れだけで、私の今年の昇級は絶望的だろう。明らかにお遊びがすぎた。説教も二倍量で済むか分からない。
でも、たのしいし。
べつに、稽古は嫌いではない。不真面目になりたいわけでもない。怒らせたり、怒られたりもしたくない。目立ちたい、ほめられたい気持ちもない。
ただ、周りとは違う自分になりたい。TVの先に映る、亡き月のクライムレディの主人公サキのように。強い自分のまま、悲劇的なヒロイズムを味わいたい。
超真面目な紫織とも実力はさして違いない。むしろ私のほうが強いもありえる。
今のハジけた流れにより、紫織だけ昇級してしまう可能性も生まれたけど。
けどさ、考え方によっちゃあ、まーアリだよね。
(級位は低いのにライバルより強い私ってのも、実力者っぽくてアリだよね!)
これだ。これからはこの路線でいこうっ。
紫織の焦りの反撃は、私を倒すためではなく、押しとどめようとするものに見えた。悪いけど、そんなんで止められるほどの甘い実力差じゃないのよ。
狡猾に攻めて、からかうように乱して、それでも大事な親友を傷つけないよう、器用に配慮する。デキる私のすごさを周囲に分からせてやるのだ。
ただ、気持ちに拍車がかかってきた反面、息がそろそろきれそうだった。このままいくと練習試合の締め方が尻つぼみになってしまい、ポカーンとあきれられるやもしれない。そんなの私自身、納得いかない。カッコ悪いものね。
なればこそ、剣劇の最終局面で唖然とさせるには――キメた。あれよあれ。
力強い一打で双方の体幹を崩し、仕切り直しに一歩後退、そこで……右手の木剣を袴の左腰にあてる。鞘はないものの「これから居合いを仕掛ける」とばかりの体勢。それも腰は極限まで深く沈め、両足は相手に対して真横にそろえ、敵に背中を見せるようにしながら、身体の裏側に木剣の刀身を潜ませる。
亡き月のクライムレディ。主人公サキをつけ狙う、暗闇の少女暗殺者ミオが使っていた「隠し抜刀」。アニメでは実際に斬りつける動きの部分で暗転してしまい、相手を斬ったあとの角度くらいしか演出されていない、意味不明な必殺技。
それを、ミオの斬撃のエフェクトを頼りに、アレンジして仕上げたのが。
「隠し抜刀――」
アニメの登場人物のようなノリで、技名を意味深に口にし。
「鈴子! それまでだ!」
「リン! いい加減に――」
師範と親友の悲痛なお叱りは、集中していて聞こえなーーーい。
背中だけを見せつけながら、地を這う蛇のように前進して両足をくゆらせ、接近する。ここのところ、裏庭で隠し抜刀のシチュエーションの猛特訓をさせすぎたせいか。紫織は体に当てる気はない打ち合わせの一打を条件反射で打ってきた。
私はそのとき打ち合わせたとおりに反撃の下をくぐり、近接する。
今、私は、紫織の眼下に潜り込んだ。
彼女の得物は、私を迎撃できる位置にはない……仕留めた。
――七咲鈴子・我流抜刀術「隠し抜刀・見えずの真下割り」。
背中で隠した、天に剣先向ける木剣を、地に向けて斬り出し、強引なまでに体を捻りながら、剣閃がUの字を描くように打ち上げる。
暗殺者ミオは、ポッと出の盗賊の体を股下から頭頂部にかけて切り裂き、両断した。そうするにはどうすればいいか。その回答が、私なりの見えずの真下割り。
ただ、木剣で相手を股下から打ってしまってはとんでもない傷害事件になるため、紫織の体には触れないよう、軌道は力任せに調節した。
したつもりであったが。結果的に彼女の体から指一本も離れていない空間を切り上げてしまい、顔面すれすれのところを高速で斬り抜けてしまった。
ガタガタッ! 監督者たちが立ち上がる乱暴な音。
同時に「へな~」っと紫織がくずおれて、堅木の床にペタリと座り込んだ。
やっちった。
気持ちいい。
きもちいい。
キモチイイ。
外から見れば実戦どころか、私がはしゃいで勝手した暴力に映りそうだ。事実、私のやったことはケガの有無に関わらず、暴力に近い。謝罪では済まない事態だってありえた。最後まで怖がらせたぶん、心のケガもあるかもしれないし。
ただ、紫織も紫織でお決まりの台本から外れて、太刀筋こそ鈍く、ほめられたものではないけど、そのうえで実戦と言えるほどに害意を含む剣を返してきた。
いまさらながら、ビリビリする。体に電流のような刺激が走る。
私はどうやら、こんな大切にされがちな日に、好き放題を完遂したようだ。
「――鈴子」
父ではない、師範の声色。
「はいっ」
しまった。興奮にすこし声が浮かれていた。返す師範は、私にそらんじる。
「自信に慣れることなかれ
常在、自身に問い続けよ
己が命、この場で賭せるか
……鈴子、おまえは七咲一刀流のこの標語、どう捉えている」
道場の一角。壁がけの掛け軸に書かれた、かすれた毛筆の古臭い格言。
私の答えは、紫織たちのそれとは違うけど、とっくの昔に決まってる。
「己が正念場は己が選び、己が命賭すは今このとき――それが今だ、と」
「そうか」
師範の声はすこし、がっかりしていた。続く声は、お父さんのものだった。
「おまえの行いは、七咲一刀流の本懐を損なうもの。これまで甘く見てきたのは、私の甘さゆえのこと。しかし、これ以上は同門への示しがつかない」
不穏な空気が漂いはじめる。これは怒りや呆れの先にある……諦めかな。
そんな感じがした。
「覚悟しています。でも、これが七咲鈴子の剣です」
「……そうか」
そうだ。これが私の剣だ。そこに恥じる必要はいっさいない。
暗殺者ミオが。疾走剣ナギルが。海賊バンゴが。影牙が。肩切りジンが。ヘンリル・ワルツァーが。その身命を賭けて、敵を打ち破ろうとした技。心から陶酔してまねしているだけといっても、恥ずかしいお遊びだなんてことはない。
もちろん、私はこの道場において、許されぬ禁忌を犯した自覚がある。
だから、ここでなにを言われようと、どんとこいだ。
「おまえは本日をもって、七咲一刀流を破門とする」
うべえ。沙汰の行方は予想を上回ってしまったけど、心は驚かなかった。
次回「凛と激しく」(5)。




