夢逢瀬ー加速する気持ち
微かに耳に届くピアノの旋律に、ふと涙を流した。
夢現の中、地に足がついているのかさえ定かではない状況で、頬から流れる涙を拭いもせずにそこに佇んでいた。
―あの人は今、どこにいるのだろう? 願わくはただ、平穏に、穏やかに在ること……。
××××
―夢でもいいから、貴方に会いたい。“私”の知らない“今”の貴方の姿に、一目だけでも。
気が付くと時耶は闇に一人で立ち尽くしていた。
「な……んだここは?」
けれどその闇はかつて王国にいた時と同じ気配を纏う闇で―疑問はあったが、時耶はその闇に佇んだ。
「新月なのに、この気配を感じる事ができるとは……」
張り詰めていた気を緩めながら辺りを見回した時耶の目に、この闇にも呑まれない存在が飛び込んできた。
「雪……いや、桜か?」
それは風も吹いていないのに、時耶の元へ来た淡い薄紅色の桜の花弁だった。
「なぜ、こんな所に……」
驚いている時耶の耳に、不意に懐かしい声が飛び込んできた。
―へぇ、相変わらずね、腹黒契約魔導師。
「妖水っ!?」
妖水の声に思わず応えた瞬間、周りの景色が一転した。
幾重にも張り巡らされた薄いカーテンが柔らかい風に弄ばれ、どこからともなく桜の花弁が舞い散っていた。
パシャン
「これは……?」
時耶の足元には足首程度まで水が一面に張られていた。
「なんだ、月にいた時とあんまり代わり映えしてないのね」
少しの落胆のような声と共に現れた少女に、時耶は驚いて目を見張った。
「アヤ、メ……?」
「そうでもない、か。さすがに眼鏡の形は違うし、髪は短くなってる」
あくまで呑気に言う妖水に、時耶はどこか呆然と言った。
「貴方はなぜ、変わっていないのですか……?」
時耶の言葉に妖水は僅かに驚いて眼を開いた後、くすくすと笑いを零した。
「貴方には“私”が妖水に見えるのね……」
少しだけ―どこか寂しげに口を開いた妖水に、時耶は思わず目を奪われた。
「この逢瀬は泡沫の夢―幻想であり、残るものは何も無い。私の主が第二皇女であり、貴方の主が第一皇女である限り」
そういって微笑んだ妖水は、時耶が―限時が見たことのないほど儚い微笑だった。
「アヤ……っ」
時耶が妖水に触れようとした瞬間、視界が白く染まり始めた。
「なっ!?」
「目が、覚めるんでしょ……」
周りを見渡しながら妖水はどこか困ったように、少しだけ悲しそうに告げた。
「妖」
「マリア」
妖水を呼ぼうとした声を遮られ、異なる名前を告げられた。
「安倍鞠或よ」
見た事がないほど綺麗に微笑まれ、時耶はそのまま意識が浮上するのを感じた。
××××
「……ト――キリトっ!」
時耶が目を覚ますと、そこには共に第一皇女を主に持つ少女の泣き顔があった。
「恋犁……?」
「よっ、よかったぁ……キリト、動かなくてっ」
恋犁の言葉に、時耶―限時は溜息を吐いた。
そう、限時は恋犁が放ち、そして返された呪詛をその身で受けたのだ。
「そ……か、夢か……」
少しの落胆と共に、限時は身体を起こし、手を額に当てた。
××××
たとえ夢でも、敵だとしても会いたかった。
今の『彼女』が、微笑んでいるかを知りたかった。
限時は困ったように微笑みながら溜息をついた。
彼女の笑顔を奪ったのは―最初に彼女を裏切ったのも、傷つけたのも、すべて自分だというのに……。
それでも、彼女を欲するこの、想いに……。
××××
想いは止められずに、加速していく。
ただ一人、彼女に向かって……。