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前編

         1


 ヴィーナスは、死んだ。


        * * *


 ここに来るのは、好きではなかった。

 へんに緊張するし、自分がミジメに感じるからだ。

「如月様、前回の田中洋子さんからのお返事なのですが……」

 担当の女性が言いよどむ。それだけで、結果は知れていた。

「ダメでしたか……」

「次がありますよ」

 その励ましも、虚しく耳を素通りしてゆくだけだった。

 ここは、結婚相談所。入会して、すでに二年近くになる。これまでに紹介してもらった女性は十九人。当然のごとく、全敗。

 自分の容姿は、それほど悪くないはずだ。特徴がないとよく言われるが、ブサイクといわけではない……と信じている。

 原因は職業だろうか。しがない弱小ゲームソフトメーカーのプログラマーだ。給料は安いし、勤務時間も会社員にしては不規則だ。

 プログラマーという響きはそれほど食いつきは悪くないのだが、作っているのがゲームだとわかると、途端に女性の態度から熱が奪われていく。ゲームが好きだという女性もいたが、具体的にゲームの名前をあげると、あきらかに眼が泳ぐ。

 美少女ゲーム。

 けっして、アダルトではない。

 それに美少女ゲームといっても、ゲーム自体はちゃんと作られている。むかしならいざ知らず、現在のゲームはキャラクターのカワイさ──オタク的に表現すると「萌え」だけでは、支持はえられないのだ。

 さらに弁解すると、自分はオタクではない。たまたま就職したメーカーがそういうものを作っていたというだけで、自分は会社の方針どおり、プログラムを組んでいるだけなのだ。

 美少女の絵はグラフィッカーが描いているのだし、ストーリーはシナリオライターが書いている。つまり、自分と美少女要素は無関係なのだ。

 それが、どうしても伝わらない。

「あの……本当に大丈夫なんでしょうか?」

 ふつふつと予感していたことをぶつけてしまった。

「はい?」

「職業です。……やっぱり、隠したほうがいいんじゃないでしょうか?」

「それはよくありません。女性にとって、相手男性の職業は、とても大切なことなんです。嘘をついていたほうが、あとあとこじれる原因になりますよ」

「そう……ですね」

 そのとおりだ。わかっている。わかっている……。

「それでですね、如月様」

「は、はい、なんでしょう?」

 あらたまって、担当の女性がなにかを言おうとしている。悪い予感がした。

「如月様の担当を長い間つとめさせてもらいましたが、このたび、担当が代わることになりました」

「え?」

 それはつまり、彼女にサジを投げられた、ということだろうか。

「心配しないでください。新しい担当は、うちで最も優秀な人間です」

 ますます、サジを投げられた感が強まった。

「あ、あの……ぼくは手に負えないと……」

「い、いえ、そういうわけではありません! けっして!」

 あわてて否定しているところが、白状しているようなものだ。

「じつは、わたくし、寿退社することになりまして……」

 どこか、ばつが悪そうに彼女は言った。

 それは、結婚相談所の職員が顧客よりもさきに幸せになることを気にしてのものか、それともやはりそれは口実で、たんに自分から逃げるだけなのか……。

 そう考えると、その結婚話とやらも疑わしい。

「そ、それではしばらくお持ちください。いま新しい担当の者を呼びますので」

 彼女は、そう断って去っていった。

 数分間、ひとりぼっちで部屋に取り残された。

 それはまるで、いまの自分自身のようだった。会員の心情を察して、この相談所も、その他多くのところと同じで、完全な個室で面談をするようになっている。この狭い空間が、まるで自身の心のなかのようだ。ちっぽけで、無機質で、おもしろ味のない……。

 静寂は、すぐに破られた。

「こんにちは」

 部屋に入ってきた女性を見て、一瞬、見まちがいではないかと思った。

 いや、それは失礼だ。

「は、はじめまして……」

 その女性は、あまり美しくはなかった。

 女性の容姿についてそんなことをいうのは、とても酷いことだ。だがしかし、こういう相談所に勤める女性は、それなりに身だしなみもキチッとしていて、化粧もそつなくこなしているのが普通ではないのか?

 が、この女性は、それらがまるで、できていない。

 化粧っけはなく、髪もボサボサだ。

 なによりも、太っている。

 もちろん、太っているからといって女性を非難することは、人として失格だ。

 ……そうなのだが、職業的に彼女の無頓着さはどうなのだろう?

「如月恭平さんですね? 新しく担当になります、御子柴です」

「よろしくお願いします……」

 とは言ってみたものの、彼女にまかせていいものか……。

 サジを投げられたあげく、どう見ても優秀ではないであろう人に押しつけられたのだ。

 ダメだ。

 これで、ますます結婚が遠のいた。

 こんな人に、十九連敗中の自分を救えるはずがない。

「早速ですが、如月さん、あなたのことをおさらいしましょう」

 彼女は、手元の資料に眼を通しはじめた。

 どこか、上から目線なのが気になった。

 そうだ。いままでの担当は、「様」をつけていた。丁寧すぎるところもあったが、きっとここでは、それがスタンダードな接客なのだ。

 それなのに、この人は……。

 なんだか、バカにされているような気分にさせられた。

「年齢は、三六歳。大学は出ているようですが、三流。しかも理数系」

 ズバズバと言われた。『三流』と自分で口にすることはあるが、なかなかこういう形で指摘されることは少ない。

 さらに《しかも理数系》とは、どういう意味なのか?

「理数系の男性は、人気ありませんので。話が合わないですからねえ。もっと、一流のエンジニアとかなら、収入の面で需要はあるんですが……あなたの収入では」

 自分のすべてを否定されたようで、ショックと怒りと虚しさをおぼえた。

「趣味は、映画鑑賞と、読書……これ、嘘ですね。本当は、趣味と呼べるものはないでしょう?」

 ズバリ、言い当てられた。

 映画館には二年ほど行っていないし、たまにテレビで放送されているものを観るぐらいだ。本も、同じぐらい読んでいない。どんな本を読みましたか? と聞かれたときは、学生時代に読んだ本の感想でごまかしている。

 まさか、趣味はない、とも書けなかったので、無理やりひねりだしただけだ。

「そ、そんなことは……」

 まったくの嘘です──とも答えづらかったので、そうお茶を濁した。

「これまでの担当にも言われてるかもしれませんが、プロフィールに嘘があってはいけません」

「は、はあ……」

「学歴もイマイチ。趣味もない。容姿は、凡庸。背も普通」

 言われるたびに、心のどこかから血が噴き出していた。

 そんなにまで、あけっぴろげに人を非難できるほど、この人は立派なのだろうか。だんだんと真紅の感情がわきあがってきた。

 正直、美しくはない。

 というより、ブスだ。

 心のなかとはいえ、女性に対してこんなことを考えるのはいけないことだ。だが、考えずにはいられなかった。

「でも、大丈夫。必ずわたしが、良いお相手をさがしてあげます」


        * * *


 これが、ヴィーナスとの出会いだった。




         2


 男は、ヴィーナスをさがしている。


        * * *


 一週間後。予想に反して、新しい担当──御子柴さんの手腕に驚かされることになった。

 こちらに興味を示しているという女性と引き合わせてくれることになった。

 高級フレンチレストランに現れたのは、とても美しい女性だ。

 事前に写真を見せてもらったのだが、写真でも芸能人なみに美しく、実物を見て、さらに美しいと思った。

「こちらが、二階堂弥生さん。うちの隠し玉よ」

 御子柴さんの紹介する声も、あまり耳に入らなかった。

 ちなみに御子柴さんの格好は、いつものように髪はボサボサ、化粧っけもない。

 二階堂弥生さんとは、月とスッポン。金星とミドリガメだ。

「はじめまして、二階堂です」

 どこか照れたような表情が、いとおしかった。

《隠し玉》と言うだけのことはある。

 と──そこで、われに返った。

 隠し玉?

 なにか引っかかる。

「それじゃあ、わたしはいったん席をはずすわね」

 御子柴さんは予定調和を守って、店からはけていく。

 彼女と二人きりになった。いや、ほかの客だっているし、店員もいるはずなのに、この世界に二人しかいないのではないかと錯覚してしまう。

 運命を感じている。

 彼女の顔を見た。

 やさしく微笑んでいた。

 プロフィールによると、年齢は二八。

 短大を出ていて、現在は旅行会社に勤務している。

 趣味は、クラシック鑑賞。

 容姿は清楚で、生粋のお嬢さまを連想させる。両親は特段、裕福というわけではないようだが、それでもやはり『お嬢さま』と形容したくなる。

「あ、あの……」

「はい」

 それから、いくつか言葉を交わしたが、なにをしゃべったのかよく覚えていない。

 会話は盛り上がっていたのだろうか?

 ……盛り上がっていた。

 そう、盛り上がっていたのだ。

 が、その途中で、ある懸念に襲われた。

 彼女のような優良物件が、はたして自分にまわってくるだろうか……!?

 不安になった。そうだ。会話の中盤から、それが気になって集中できなかったのだ。

「二人とも、おつかれさま」

 頃合いを見計らっていたのか、御子柴さんが姿をあらわした。

 返事はそれぞれ後日伝えるということで、本日はおひらきとなった。こういうお見合いのような会では、定番の結果の待ち方だ。



 さらに一週間後──。

 相談所に行くと、硬い表情で御子柴さんは待っていた。

 その顔を見ただけで、結果はうかがいしれた。あたりまえだ。自分には不釣り合いなほど、きれいな女性だったのだから。

「二階堂さんは、たいへんあなたのことが気に入ったようです。如月さんは、彼女のこと、どうですか?」

「え?」

 意外すぎる言葉が降りかかってきた。それは、おかしい。

「彼女のこと、気に入ったでしょ?」

 御子柴さんは、決めつけている。

 おかしい。これは、罠だ。

「あ、あの!」

「まさか、彼女のことがイヤなんてことはないですよね?」

 御子柴さんは、こわい眼をしていた。

 あなたに、女性を選ぶ権利なんてないのよ──そう脅迫されているようだった。

「お、おかしいです! 絶対おかしい!」

 たまらずに、声をあげていた。

「なにがおかしいんですか?」

「だって、あんな女性がぼくのことを気に入るなんて、絶対におかしいです!」

 御子柴さんの表情は変わらない。あいかわらず、瞳だけがこわかった。

「そうですね、普通ならありえませんね」

「なにかありますよね、絶対。なにか隠してますよね!?」

「ええ、隠してますよ」

 平然と御子柴さんは認めた。

「なんですか!? なにを隠してるんですか!? だいたい、あんな美人をぼくに紹介するなんて、裏があるにきまってます!」

 悲しくなるほど卑屈な発言だった。

 だが、おかしな女性を紹介され、そうとは知らずに結婚してしまったら、人生が台無しになってしまうかもしれない。

 自分を守るためだ。

「そんなに興奮しないでください。ちゃんと言いますよ。二階堂さんはね、バツ4なんです」

「?」

 言っている意味がよくわからなかった。

「バツ4……!?」

 次第に、頭のなかでイメージがわいた。

 それはつまり、離婚歴が四回あるということだ。いや、そうなのか!? もっと、べつの意味があるんじゃないか!?

 混乱した。

 あの女性に……二階堂弥生さんに、そんな過去があるなんて信じられない。清楚を絵に描いたような女性なのだ。信じられるはずもない。四回の離婚歴……それ以前に、べつのだれかと結婚していた歴史があるなんて、なにかのまちがいだ。

「うそ、ですよね!?」

「あなたにそんな嘘をついて、なんになるんですか?」

 冷たく、そうあしらわれた。

「本当なんですか!?」

「初婚は十六歳のとき、十八で最初の離婚。その後──」

「もういいです!」

 怒りが噴き出していた。

「そんな話は、事前にいっさいありませんでしたよね!? 隠してたんですか!?」

「あたりまえじゃないですか。バツ4の女性だと知っていたら、会ってくれなかったでしょう?」

「御子柴さん! あなたはぼくに、プロフィールは嘘があってはいけない、と言いました! それがなんですか!? むこうには嘘をつかせたんですか!?」

「彼女は、嘘なんてついていませんよ」

「じゃあ、あなたが嘘つきです!」

「わたしも、ついていません。言っていなかっただけです」

「同じことだ!」

 思わず、叫んでいた。

 大人げないことだとわかっていた。

 が、どうにも心を抑えられなかった。

 一目惚れに近かった。あんな美人だったら、だれでもそうなる。

 どこかで感じていた不安が的中したのだ。彼女のよう女性が、自分にまわってくるなんてありえない。

「そうですよ、如月さん。いま、あなたが思ったとおりですよ」

「なんですか!?」

「もしそういう事情がなければ、二階堂さんのような女性を、あなたになんて紹介するはずはありません」

 眼光が鋭くなっているのを自覚した。

 御子柴さんの瞳も、あいかわらず迫力に満ちていたが、負けるわけにはいかない。

「いいじゃないですか、バツ4でも。二階堂さんは、断れない性格なんですよ。で、男性からのアプローチをそのまま受け入れてしまった」

「それで、四回結婚ですか?」

「そうなりますね」

「でもそれでは、四回別れた理由になっていません」

 御子柴さんは、そこで深くため息をついた。

「彼女、家事全般ができないんですよ。料理もダメ、掃除もダメ、洗濯もダメ。まあ、言ってみれば、顔と性格だけですね」

 顔と性格……そういう場合、顔だけ、なのではないだろうか?

 顔と性格がそろっていれば、まずまちがいなく《当たり》のはずだ。

「顔がよくて、性格がよくても、女性として合格ではないということかもしれませんね」

 他人事のように、御子柴さんは言った。

「でも、いいじゃありませんか。如月さんが家事全般をやれば。彼女の容姿と性格は、まったく問題ないんですから。というより、これ以上の女性はいないかもしれませんよ」

「そ、そんな……」

 はじめから欠陥があるとわかっている女性とは、つきあえない。

 それが、正直な感想だ。

「如月さんは、完全無欠なんですか?」

 脳内で結論を出したところで、ドキリとすることを言われた。

「如月さんも、欠点だらけですよね?」

 言い返せなかった。

「むこうも、かなり妥協するんですから、おたがいさまでしょ?」

「で、でも……」

「婚姻の経験はありますが、いずれの男性とも子供はもうけていません。あなたにとって、好条件じゃないですか」

「な、なに言ってるんですか!?」

「それとも如月さんは、未婚の女性じゃないと、好みに合わない……と?」

 より一層、御子柴さんの眼つきが迫力を増した。

「そ、そんなことはありませんけど……」

 それは偽りだった。

 事前に知らせてある希望ではそういうことには触れていないが、真実をのべれば、初婚の女性のほうがいい。

「だったら交際を進めてみては、どうですか?」

「……」

 言い返すことができず、無言になってしまった。

「二階堂さん、美人でしょう? あなたには、美人に生まれた人間の苦悩なんかわからないでしょうね?」

 まるで、彼女自身がそのことをよくわかっているかのような言いぐさだった。

「御子柴さんは、わかるんですか!?」

「よくわかりますよ」

 真っ赤な感情は、沸点にまで達した。

「ふざけないでください! あなたなんかにわかるわけがない! あなたは、むしろぼくの……モテない人間の気持ちのほうが理解できるでしょう!?」

「……」

 今度は、彼女が黙る番だった。

 自分でも、遠回しに「あなたは醜い」ということを言っているようで、脳裏のどこかで後悔がはしった。が、それよりも、怒りのほうが勝っていた。

「つまり御子柴さんは、厄介払いをしたかったんだ! 何回も離婚して、あつかいを持て余していた二階堂さんと、見込みのないぼくをくっつけることで!」

 やはり御子柴さんは、次の言葉を継がなかった。

「もういいです!」

 勢いにまかせて、相談所を飛び出していた。


        * * *


 ヴィーナスから逃げたのではない。

 まだ、ヴィーナスだとは知らなかったのだから。




         3


 ヴィーナスは、なぜ自らを否定したのか。


        * * *


 さすがに、自己嫌悪に襲われた。

 いい歳をして、女性にキレてしまうなんて……。だが、彼女のほうにも問題がある。

 初対面のときから、あまり好きにはなれなかった。

 こちらは客だ、と主張するつもりはないが、彼女に接客の仕事はむいていないのではないだろうか。もちろん、こちらのほうが相談にのってもらっているという立場であることも承知のうえだ。

 どうするべきか……。

 このままでは、これから顔を合わせることができない。いまさら相談所をかえるつもりもない。もどって謝ったほうがいいだろう。

 時間は、夜十時に近かった。相談所は、仕事帰りの会社員をターゲットにしているだけあって、十一時まで開いている。

 駅前ビルの三階と四階。

 自分はいつも、三階の面談室を使用していた。エレベーターを使って、もといた部屋へ行ってみた。まだ御子柴さんはそこにいるかもしれない。

 エレベーターを降りて、廊下を進む。面談室を覗いてみたが、彼女はいなかった。

 もう帰ってしまったのか、それとも職員オフィスにいるのか。オフィスは、このフロアの奥にあるはずだ。

 と──、話し声が耳に届いた。

 どこか緊迫している。

 奥へ急いだ。

 角を曲がると、そこには御子柴さんと、見知らぬ男性が話をしていた。

 見知らぬ、といっても後ろ姿だからなんともいえないが、ここに通っているほかの男性と面識はないし、ここに男性職員はいないはずだ。

「麗子! どうしてわかってくれないんだ!? おれがこれほどキミのことを愛してるっていうのに!」

「ハッキリ言って、迷惑なのよ」

 どうやら……男性が、御子柴さんを一方的に口説いている……信じられないとだが。

「なぜだ!? おれでは不服なのか!?」

 男の顔は見えない。御子柴さんに対して、こうまで熱心に求愛する男とは、いったいどんな人物なのだろう?

 好奇心がわいた。

 思い切って、二人の前に飛び出した。

 御子柴さんも、男も、だがこちらのことは眼中にないようだ。

「どうしてだ!? おれほどの男、そうはいないぞ!」

 そう言い切った男の顔を見て、心臓が止まりそうになった。

 男のことを知っていた。

 いや、知り合いとか、そういうことではない。いまや、彼のことを知らない日本人のほうが少ないのではないか……。

 俳優の小野一樹。

 映画、ドラマはもちろんのこと、二枚目俳優としてはめずらしく、バラエティにも数多く出演している。

 国民的有名人だ。

 結婚したい男性ランキングでは、つねに一位を独占している。

「お、おの……かず……」

 そう口走ってしまったところで、ようやく二人に気づいてもらえた。

「如月さん……」

「麗子! この男はだれなんだ!? まさか、きみの……」

 小野一樹から憎しみのこもった眼で睨まれたので、あわてて首を振った。

「如月さんは、わたしが担当しているお客さんです」

「そうなのか!? 本当にそうなのか!?」

 あまりの迫力に、今度は首を縦に振って肯定の意を示した。

「そうか……では、べつに男がいるのか?」

「いないわよ」

 御子柴さんは、吐き捨てるように答えた。

「とにかく、もう職場には来ないで!」

「麗子!」

 小野一樹の呼びかけにはもう振り向くことなく、御子柴さんは行ってしまった。

 乾いた廊下に、小野一樹としばらくたたずむことになった。



 どうして、こんなことになってしまったのだろう……。

 夜道を、男二人で歩いている。しかもその相手が、あの小野一樹なのだ。

「きみ、どう思う?」

 ふいに、そうたずねられた。

 繁華街からは外れに向かって歩いている。

 目的はよくわからない。なかば強引に、小野一樹につきあわされているのだ。

 人通りは少ないから、だれにも気づかれていない。変装らしい変装はしていないが、それはいつものことなのだろうか。そんなはずはない。もし白昼に道を歩けば、普通レベルの変装程度では見破られてしまうだろう。それぐらい、小野一樹の顔は知られている。

「な、なにがですか……?」

 おっかなびっくりに聞き返した。

 さきほどの剣幕をまのあたりにしたこともあるが、あの小野一樹とサシで会話をしていることが、なによりも驚くべきことなのだ。

「麗子のことだよ」

「み、御子柴さんですか? す、素敵な方だと思います……」

 とてもではないが、本音を話せる空気ではなかった。

「そうだろ、そう思うだろ」

「は、はい」

 嘘をついて、これほど心が痛まなかったことはない。

「どうやらきみも、女性の内面を見抜ける力があるようだ」

 誇らしげに、彼は言った。

 内面……それはつまり、御子柴さんは容姿はいま一つでも、中身が素晴らしい女性だと……?

 はたして、そうだろうか?

 これまでのことを考えると、そうは思えなかった。

「いまは……たしかに美人ではない。だが、むかしはスゴかったんだ!」

 興奮を抑えるように、彼は続ける。

「これを見てくれ」

 小野一樹は、一枚の写真を取り出した。

 ニッコリと微笑む女性が、そこには写っていた。

「これは?」

 暗闇のなかでもわかった。

 その女性の美しさが……。

 街灯に反射しているだけなのに、まるで写真が……そこに写る女性自らが、光を放っているかのようだった。

「面影はあるだろう?」

「え!?」

 話の流れから、それが御子柴さんだという予想はたてられる。

 が、面影はないし、信じられはしなかった。

「あそこに入ろう」

 小野一樹が顎をしゃくったそこには、さびれた居酒屋があった。

 彼はためらいもせず、暖簾をくぐる。

 らっしゃい──と、やる気のない挨拶がかかった。

 カウンターだけの狭い店だ。五、六席しかない。小野一樹には不釣り合いだった。

「なんにしやしょう」

 店主と思われるオヤジが注文を聞いてきたが、小野一樹のことは知らないようだった。

 幸い……といっていいのか、ほかに客はいなかった。いつものことなのか、たまたまなのか。どちらにしろ、彼が原因で騒ぎになることはなさそうだ。

 適当に飲み物とつまみを頼んだ。

「本当に、写真の人が……御子柴さんなんですか!?」

「ああそうだよ」

「ど、どうして……」

 あんなに変わってしまったんですか!? という言葉は、飲み込んでしまった。

「むかしはモデルだったんだ。いまほど、モデルがテレビには出ないころだった。だから知らない人間のほうが多いだろうね」

 自分の記憶をたぐりよせてみても、心当たりはなかった。あんなに美人なら、一目見ただけで眼球に焼きついているだろうに。

 くらべるのは失礼だが、二階堂さんほどのレベルでも、歯が立たない。

 というより、いままで眼にした女性で、いまの写真以上の女性を知らなかった。

「それが突然、モデルをやめて、いまの仕事に転職したんだ」

 いったい、御子柴さんになにがあったのだろう? よほどのことがなければ、あんなにまで変わることはないはずだ。

「おれはね、もちろんモデル時代からアプローチしてたさ。だが、そのころは正直、遊びだったね。彼女も、そんなおれを相手にはしなかった」

 いくら遊びでも、小野一樹の誘いを断る女性は、そういないのではないか。

「本気で好きになったのは、彼女が変わってからだ。おかしいと思うかい?」

 まるで、むかしからの知り合いに問いかけるようだった。

「い、いいえ……」

 おかしいと素直に思っていても、そうは言えない。

「あ、あの……なにか、きっかけがあったんでしょうか?」

 あそこまでの変貌をとげるには、なにかは絶対にあったはずだ。

「それなんだが……おれにもよくわからないんだ……」

 小野一樹は、宙を噛むようにそう答えた。

 御子柴さんに、どんな心境の変化が生じたのか……。

 いけない。彼女に興味をもちはじめた自分がいる。


        * * *


 ヴィーナスが、ヴィーナスでなくなった日……。

 いや、どんな姿になろうと、ヴィーナスはヴィーナスなのだ。


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