詩歌集『敷島』
現成
たゝなはる山のはたてに
遠つ國ひろごりけると
知りながらこの現し世に
とゞまりてかたき地を踏み
涙せし人のありとふ。
「柞葉の母はいゆきて
黄泉より子をおもふとも
わが戀のせちのをらびの
とゞかぬは、何のつめたさ。」
こゝだくの罪を背負ひて
逐はれけるかなしきみこと
ちはやぶる神の子にして
人の子の初發となりし
ちゝのみの父 ——そをしのびつつ
あがみおもへば
あなをかし こはいかばかり
ゆたかなる生なるかな
祗園にて
たゝかひとうたのよさりて
しづかなる けふのみやこのせつなさは
かなたにてれる よはのつき
かなしく しろく うつくしく
いにしへの みかげさやかにとゞめたり
あはれ いま
かくばかり かはらぬものゝ
ひとつだに ほかにありせば
いと/\も たのしきものを
悔恨
ゆふやみに 秋は過ぎ
かりがねのとほく啼くきこえ
わがひとは劍の雨に濡れたりき。
そが腕に抱くは何ぞ。
生れたるくにをやらはれ
ひとり子となりぬる人が
ねんごろにみがき來らむ
うるはしの玻璃のみたまぞ。
夜の花
ゆふべながかげをあふぎつ
よもすがらわれはなみだす
たへかねてうちをいづれば
むかへをるあぢさゐのはな
やみのそこたをやかなりき
ふるさとにいつかながめし
ものゝはたかくもかなしく
ふりゆけるまなこにうかび
あはれいまみなづきなかば
かのひよりいつとせありて
なやましきをりのまたきぬ
馬
おゝ誰も愛するなかれ
かぐろなる森へゆきたし
わが胸の奥つ底べに
こともなくをる白き馬
そが眼をぱつとひらきて
幾たびもわれにかくいふ
伏見にて詠める
あまぐものたゆたふあさやさぶしとふながあからほにあきはきにけり
錦町公園にて
我れと友と
草のうへに腰をおろして
語ること何もなし
めい/\のひとみに
めい/\のかなしみをみとめつゝ
そをまるでことにはいださで
ひたぶるにわらひあへり
少年
靖國の舊き通りを
かけぬける豫科練の唄
せうねんのこゑたからかに
暢りゆく八月の空
悲しくも眞白き雲を
つらぬける荒鷲のごと
うら若き母にまもられ
せうねんはどこまでゆくか
どこまでゆくか
四谷にて
あゝ夜ふかく宿をいで
やがて大路へゆきにけり
いろとりどりのねおん管
やみにたふれし東京の
あれののうへになりしもの
古希を過ぎたるわが大人の
命ながしとおもはねば
混濁の世にひとりして
生きねばならぬ日も近し。
友を思ふ
海のある町に彼は生れた
野球をして育つたといふ
俺とはまるで反對の男だ
けれどもやけに馬が合ふのは
どうしてだらう——さうだきつと
記憶にも殘つてゐないやうな
幼い頃から、空の向こうを、
夕燒けを、あいつもまた見つめてゐたにちがひない
(いつも遠い眼をしてゐる、その遠い眼で……)
朴訥で控へめな男だ
けれども芯が強いのはこの郷の人らしい
いつも泣き言ばかり言つてゐるのは
俺はありや嘘だと思つてる
五首
みたみ我れ世になきものをこふゆゑになのめの幸を泣きつやすらふ
走りゆくものゝあはれさかへりみて遠きところに來れるを知る
我れをなす出羽のお國の山河をとほに戀ひつゝさだめ思へり
ますぐなる友のねびゆきさとくもなり今しのこるはなれひとりかも
月
まてどくらせどでぬつきを
みむねのうちにゑがきみて
しとゞにぬれしまなじりを
やがてかわかすかぜもなく
なほなきものとしりながら
いかなればそをこはざらんやと
みつれはてたるひとのこころを
あどなきものはつゆしらず
弦
薔薇の花亂れる中に
みめかたち異常なるこがね蟲一匹あらはれ
ばいおりんの固き弦を
彈けるごとくに
ぎし/\ ぎし/\と
──そいつは不快ないなゝきをはじめた
呼吸をするために生まれてきたその蟲は
まるで意味のない雜音を立てゝ
ばさ/\と震へ
耐へがたき存在の痛苦は
また惡魔のやうに增大しやむことがなかつた
その日天空に一柱の神があらはれた
琵琶湖
まくらき湖べに波は寄せ
をのこらは勢ひてうたふ
われは默して岩に座せしが
あふるゝ淚をいかにせん
あはれ さすらふ人のかなしびも
この歌のごと きよらかに /\
とほきみ空へたちのぼるかな
先輩と歌ひて一首
オクターブ 心おなじうするものゝあはひに撼ふかなしき和音
京都御苑にて詠める
みそとせをへてみそのべにゆきかへるますらをのこはことならめやも
ながちさきものゝこゝろはおほいなるかのそらへとけてかへりけるかも
すめろぎのうちなかむよにかくいきてたゞゆふやけのかなしきをもふ
濁世に淸く燃えたるたまゆらの君が命は常なるいのち
はるけきひと
うるはしのみかなるさけを
くみそめていつとせありぬ
つくるともみえざりしそこも
あらはれぬこぞのあきのひ
とこしへとみえしものにも
かぎりあることぞかなしき
はじめよりさるべかりしか
としつきのかそけきながれ
またとほくゆめとすぎつゝ
あはれはれはるけきひとよ
ながゆくへしらでありせば
さくあれとたゞにおもへり
一首
たをやめがいつか手折りし花の名を知らざるまゝに別れ來にけり
宮城にて
さゞれいしふみしめてゆく
みそのべはあまりにくらし
まつがゑのかなしきものに
そろ/\とあきはふけゆく
つぶらなるひとみをはたに
おもひなすこともしあれど
ふたりしてことばすくなに
さまよひぬそのあとどころ
ひとすぢのつきのかげにも
うちふるふいのちなりけり
試作
仰げば天上赫奕として
我ら赤子の志に照耀す
あゝ惠風戰ぐ城山に結べる
この命鴻毛にして世に捧がんと
常に無常を觀じて朋と語らひ
先蹤を偲びて不可解の眞理を思ふ
移らふ花に日日醉ひを新にし
熱腸蘊結すればまたいかでかさむるべき
いでや秋田の高校一千健兒
訣るゝ日を思ひて今共に高歌せん
斷念
かなはぬものをおしころし
まぶちぬらしついねもせで
さるべきことをこしらへて
いきこしゆめのまたゝきに
きゆるをあへてひきとめず
ほのひかるそらあふぎみて
すゞしきよふけひたぶるに
たんならざらむよのさだめ
幸福問答
「人間が幸福を求めるのは罪だ。」
「君は幸福を求めてゐないのか。」
「そんなものには興味ない。」
「はあ。でも。」
「なんだ」
「幸福を放棄することが君にとつての幸福なんだらう?」
「…………」
彼の口から、言葉が出てこなくなつた。彼は、ひたすらに默して、遠くを見つめてゐた。その瞳は水のやうに澄んでゐた。
城
かれ文明のさ中にありて彼の天城を望み、
穢れなき麗しき彼の天城を望み、
手を伸ばすも屆かざる彼の天城を望み、
哭き叫びてもなほ微動だにせぬ彼の天城を望み、
また水平の地を步み。
口惜しく水平の地を步み。
血は深底に滯り、
熱氣の中に立ち眩み、
びる風なぞにまた打たれ────
二首
おのが名をかへり見もせで人のためたゞにつくせるものゝいとしさ
ねびゆけどかはることなき快活の心のまゝに逝きたしとおもふ
虛空
そいつはいづこよりともなくやつてきて
やがて草木の死んで干からびた地面に腰を下ろした
そいつは弛んだ顏で虛空をみつめ
この世界の何物をも知り得ぬことを知つた
そいつの衣嚢にひとつの書册が入つてゐた
しかしそんなものはさつきまでなかつたのだ
そいつはそれがこの世のものでないことを見拔いた
表紙には一體何も書かれてゐなかつた
そして頁を開くとやはり何も書かれてゐなかつた
しかしそこには全てのことが書かれてゐた
そいつは泪を流してそれを貪り讀んだ
さうしてつひに最後の白紙を讀み終へたとき
氣味の惡いほどひかめいてゐた日がゆくりなく沈みをはじめた
おれは今お前の手をとつて
ああ おれは今お前の手をとつて
彈丸の雨のふりしきる中に
お前と云ふやつを連行れてゆきたい
さうしてその雨に擊たれては
瞬きもせずにたふれ去り
お前は遂に獨子となるのだ──
薊のごとき人間かな!
抑へようにも抑への效かぬ毒のみが
己の確かな意味の本體であるならば──
つらく嚴しい世界
健穩に生きてゐる人間には
在ることさへ知られざる世界
淚こぼれる世界!
─おれはたしかに疼うづしてゐる
お前は淚の色を知つてゐるか
透明でも靑でもなく それは眞黑い何かなのだ
墨汁のやうに流れ出しては何らの詩的感興をも引起こさぬ何かなのだ
それはひよつとすると音樂にさへなりえないのだ
音樂の鳴らないところで
お前はひとりしづかに哭かねばならぬ
さうして知らぬ間に死んでゐるがいい
眞理
さら/\…… おゝ、さら/\……
おれはつひにつかまへた
ある天體運動の想像のうちにつかまへた
しかし、そいつは
夜逃げして
けぶれる大氣の中へ
また
さら/\と溶けていつた…………
二首
渡さゞる文を綴りて渡さゞるまゝにかくれてゆかば涼しも
たかぞらにこゝろのありてゆかしけれどつねには見えじ道を步めば
三句
花落ちて幾千年の空を舞ふ
脫帽せよ 二千年の雪が降つてゐる
正しさをすて步みゆく雪の道
久住にて
貯水池であつた
恐ろしいほど冱えかへつた夏の日輪は
靜かなる水面にひとつの天絨毯を編んでゐた
さてやるか
彼は さう言ふと 顏つきを少し柔らかにして
ともすると 身を落としてしまひさうなくらゐ近く
池に寄つてしやがみこんだ
さうしてしばし 水上の虛空をながめたのち
衣嚢から何か紙切れのやうなものを一枚取り出して
池に浮かべた───それは千圓札だつた
そしてそいつもやがて見えなくなると
もう一枚 また一枚と 新たなそれを取り出しては浮かべ
また取り出しては浮かべた
彼はそれを支拂ひと言つたつけ
石
蛙は生き物だ——彼は死ぬ。
石は死なゝい——生きてもゐない。
僕らは生きようとしてゐる——無數の注射を打たれて。
僕らは生きてゐる?——それは僕には解らない。
街
廣がる 街は同心圓狀に
わたくしの立つ
むかしいろの丸い蓋を中心として あはれ
わたくしにはそれがまるで
果てしないもののやうに思はれた
とほく、はるかかなた、
やさしくかわいいくるみの木が
いつたい街をへりどるやうに
竝んでゐるといふ
さうして秋になれば
やつぱり彼らも實を落とすといふ
ぼろ/\しく/\ 實を落とすといふ
そこから街は見えなくなるといふ
まるで嘘のやうに見えなくなつてしまふといふ
なくなつてしまつたといふ