侵食
カジが死んでしまって、一ヶ月が過ぎた。
今月も新人は一人も入ってこなかった。
赤の振る舞いは相当に酷くなってきていた。
安全地帯といわれるブルーゾーンも日に日に緊張の度合いを増していっていた。
そんな中、アモンはカジの死を受け入れることができずに、苦しんでいた。
人目につかない場所で時を過ごす毎日。
住みかであったテントにも戻らず、宛もなく、さ迷う様な生活を送っていた。
「アモン君。ずいぶんと探したよ。」
瓦礫の山の頂上で夜更けに座りこんでいたアモンに声をかけてきのは、タヌキであった。
「……タヌキさん。俺。カジを救えなかった。」
「アモン君。あの状況のカジ君を救える人間なんて、誰もいなかったよ。」
アモンは俯きながら、
「でもカジは、カジの目は、助けてくれって言ってたんだよ。」と涙をこぼしながら言った。
タヌキはアモンの背中を擦ってやった。
「俺、絶対に許せません。レッドドリンク――鬼頭が。ハッチが。」
「鬼頭隼人。レッドドリンクのリーダーだね。通称、赤鬼。あんな凶暴な人間を私は見たことがないよ。確かに許せない……だが、それ以上に恐ろしい。」
タヌキの言葉にはアモンも激しく同意するしかない。
いくら、この場で強がっていても、何も出来ない自分に腹が立つだけであった。
「アモン君。どうだろう、三津谷先生の所に来ないか?もはやブルーゾーンに安全な場所はないかもしれない。だが三津谷先生の所なら隠れれる場所もある。実を言うと先生には、もう了承を得ているんだ。だから、アモン君お願いだ一緒に来てくれ。」
もう自分自身どうしたらいいのか、分からなくなっていた。
そんな折りでのタヌキの親切心は心からありがたかった。
「――はい。お願いします。タヌキさん。」
アモンはタヌキと共にサイダー先生のもとで世話になることを選んだ。
率直なところ一人では不安で仕方がなかった。
いつも赤に怯え、そして憎んで……疲れきっていた。
「おお、よくきたね。ここならまだ外にいるよりは安全だ。……カジ君は残念だったね。」
サイダー先生の言葉に、またしても涙が溢れそうになったが、アモンはグッと堪えた。
その夜は食事を……といってもカップラーメンだが、三人で食べながら会話を少し、した。
そんなに多くを語ったわけではないが、気持ちが少し楽になった。
人と話すことの大事さを、アモンは痛感させられたのだ。
あの一件以来、まともに人と喋った記憶がない。
そのお陰なのか、この夜は本当によく眠れた。
数日経った昼下がりに、サイダー先生が部屋へ飛び込んできた。
「二人共、早く隠れるんだ!」
アモンは何事かと、訳が分からず硬直したまま動けない。
すると、タヌキは慣れた様子で部屋にある机を動かして、床の一部を開いた――隠し扉だ。
「さあアモン君、ここに。」
タヌキとアモンは一畳分ほどのスペースのある床下へ身を潜めた。
その直後だった。
サイダー先生の診療所の扉が激しく開かれ、数名の人の気配がした。
「こんちは、先生。」
「や、やあ。ブルさん。」
その声に聞き覚えがあった。
あの日の記憶が甦り、体中の血が熱くなっていくのが分かった。
「今日は何の用ですかな?」
「まあ、別に用ってわけじゃないが。最近さあ、青いのが全然見当たらないんだよ。奴ら用心深くなってるみたいで――ああ、先生も一応青だったね、こりゃ失礼。つまり、先生の所に別の青いのが潜んでないかパトロールしに来たってわけだ。」
床下に隠れたアモンは、手の震えが収まらない。
恐怖と怒りが入り混じった混沌とした感情だ。
「そうかい。だけどご覧の通りここには誰もいないよ。」
若干サイダー先生の声が上ずったのをブルは聞き逃さない。
「ふーん。それならいいんだが。あんたは貴重な医者だ。赤鬼さんから殺すなって命令がでてる。――だけど、あんまりコソコソと、なんかやってると、どうなっても知らねえぞ。」
「あ、ああ。肝に命じておこう。」
ブルたちがサイダー先生の元を去って、およそ三十分。
それからようやく、アモンとタヌキは地下の暗闇から解き放たれた。
用心に越したことはないって、ところだろ。
「ふーっ。寿命が縮んだよ。」
サイダー先生は汗を拭いながら、言った。
実際のところ、一番危険な役割を担ってくれたサイダー先生にアモンは尊敬の念を抱いていた。
「そういえば、あいつら赤は黒に宣戦布告したんではなかったですか?」
タヌキも汗だくだ。その汗をサイダー先生と同じく拭いながら言った。
「確かに言ってました。黒は皆殺しだって。でも最近は黒も全く見かけなくなりました。」
アモンは、その異変に早くから気づいていた。
ずっと外で暮らしていたからである。
「そうか。おそらく黒にも厳戒体制が敷かれているんだろう。不用意な外出を避け、なるだけ衝突しないように守りに入っているのかもしれんな。」
アモンはサイダー先生の発言に違和感を覚えだ。
これまでに聞いてきた情報では、赤も黒も似たようなものだ、ということ。
しかし、どうも黒は赤とは違い、戦闘を好むような集団ではないようだ。
よくよく考えてみると、アモンは――いや、誰もがよく黒のことを知らないんじゃないか、そんな疑問が頭に浮かんだ。
「しかし、これじゃあ気が抜けませんな。」
タヌキの言ったことはもっともだった。
しかし何もせずに、ずっと隠れながら生活するのにも限界がある。
アモンは、ずっと考えていたことを口にした。
「あの、俺。カジのお兄さんを探してみようかと思っているんですけど、何かいい方法はありませんか?」
「アモン君!やめときなさい君もカジ君みたいになってしまうかもしれないんだぞ。」
タヌキの心配はもっともだった。
だがアモンにも譲れない何かが、確かに存在している。
「自分でも何故そう思ったのか分かりません。だけど……やらなきゃいけない気がします。カジの為にってだけではなくて、自分のためにも絶対にやり遂げたいんです。」
タヌキにはアモンの、その気持ちが痛いほど伝わってきた。
こんな夢も希望もないような場所で生きていくには、何かしらの糧がなければ灰になったも同然だ。
幸いタヌキやサイダーには医療という糧があった。
カジには兄を探しだすという糧が。
だがアモンには取り分けて、それが無かった。
ただでさえ他人の身代わりになって、ここに来ているのだ。
自らもがき苦しみ、友人の死を乗り越えて、アモンは今、動き出そうとしている。
「三津谷先生。私からもお願いします。アモン君にできる限りの支援をしたい。何かよい知恵をお貸しください。」
タヌキの熱意にサイダー先生も何かを感じたのか、
「分かった。二人共、少しここで待っていなさい。」と、言い残し家を出ていった。
「あのタヌキさん……ありがとうございます。」
アモンは照れたように礼を言った。
「ワハハハ。アモン君、気にしなくていい。私たちは仲間じゃないか。」
「仲間」という響きがアモンの脳を刺激した――ような気がした。




