始まりの終わり
私の肩書きは総理大臣から大統領に変わった。その間私は夫、京一郎と供にマニフェスト実現に向けての政治活動を開始していた。危惧していた抵抗は想定内に収まり、私達はなんだか肩透かしを食らった気分を味わっていた。国はみるみる変化を遂げる。国民投票によるアドバンテージがその後押しとなっていた。
大統領と呼び名が変わった日の記者会見でこんなやり取りをした事があった。
「大統領にお聞きします。総理大臣時代と比べて、どのようにお変わりに成るのでしょうか?」
「私の中身は基本的には何も変わりません。只、私にこれまで以上の権限が与えられた事によって、レスポンスが良くなっていく事と、肩に掛かるプレッシャーが大きく成る事でしょうか」
「レスポンスが良くなるとは、一体どういったシチュエーションを指すのでしょう?」
「簡略すると、国のフットワークが軽くなると言う事です。従来の国会では全然関係の無いスキャンダルで足を引っ張ったり、大臣の失言の上げ足を取って責任を追及したりと、議案一つ決めるのに時間が掛かり過ぎていました。無駄と言ってもいい時間です。
もっとも、原稿書きに悩む記者さん達にとっては、必要悪だったのかも知れませんが…っと、気を悪くしたら御免なさい」
「大丈夫です。我々はどこぞの週刊誌みたいに政治のゴシップネタでマス目を埋めている訳では有りませんので。で、今無駄とおっしゃった時間にメスを入れると言う事で宜しんですか?」
「流石にここには会社の看板を背負っているエリートさん達だけ集まっていると言う事ですね。ええ、そう言う時間は極力削り落としていかねばなりません。本末転倒になりそうな話は、大統領権限でストップをかけます。しかし、言論の自由は尊重しなければなりません。ガス抜きが必要となれば、そういうステージを用意するのもやぶさかでは有りません」
倭国新党は先人の大統領制に倣って、3人の補佐官を配属した。3人とも優秀な人材の中から厳選した若い戦力だった。
夫、京一郎は副大統領のポストに就いている。元来、フィクサー的な立場を取り、表舞台に立つのに消極的だった夫だったのだが。 ある日、心境の変化を尋ねてみると<二人三脚>と漢字4文字で答えてた。
私が推測するに、マザーの存在が見えてくる。京一郎もマザーには逆らえない。本人としてはあくまで黒幕として、裏でコントロールしていたかったに違いない。ああ見えて、シャイなところもある。でも、一度TVに顔出しした以上、そういう訳にも行かなかったのだろう。案外軽はずみな行動だったと後悔しているのかもしれない。この疑問に対しては<全然>と今度は2文字で答えてきた。なんだかな、である。
遅咲きの桜たちが、盛大にラストダンスを舞い始めだしたある日の事、京一郎が私に同席して話を聞いて欲しい人がいると言う。産休前の一仕事だそうだ。
9ヶ月を過ぎた私のお腹はだいぶ大きくなってきた。幸い悪阻も軽く、今の仕事には支障はきたしていないが、なにぶん初産である。周りの気の使いようは日に日に増している。母もじっとして居られないと電話を寄越してきたが、今はやんわりと断っている状況だ。ちなみに私が産休に入った時には京一郎が代理を務める事になっている。
「で、誰に合うの?」
「今まで空けていた外務大臣のポストに就いてもらいたい人。アポイントは明日12時、ランチを食べながらと言う事になってる」
スケジュール管理もマザーがやっている。今更、確認する必要も無い。
「だから誰なのよ。私の知ってる人?」
「勿論、君は逢った事もあるし、話した事もある。と言うか、意気投合した事もある人」
「それだけじゃ絞れないでしょ。ヒント無いの?」
「えーと、じゃヒントは年上」
「うーん、年上かぁ・・あの人かなぁ・・ってヒントが雑すぎ」
「まあまあ、そう怒りなさんな。わかったから」
「怒りなさんなって、お前は声のかすれた俳優さんか!うーんと、名前が出てこない」
「ハイハイ、それじゃスペシャルヒント。でもこれ言ちゃたら直ぐ分かるしなぁ」
いい加減じらし過ぎの京一郎に対して私も流石に切れた。
「テメーなめってとタマ取っちまうぞ」
ちなみに、タマとはその手の世界での命の事である。脅し文句の常套句の一つだった。
「おーこわ」と言いて京一郎は股間を押さえる。だからそっちじゃないんだってば。
「じゃ、スペシャルヒントです。〇〇さんはお笑いモンスターと呼ばれています」
成る程、こらなら直ぐ分かる。お笑いモンスターと言えばあの人しかいない。確かに、以前彼の冠番組に出演した事があった。
私が二足の草鞋を履いて、せっせとカリスマ性を磨いていた頃の話だ。30分番組だった為か、収録はあっという間に終わった記憶がある。彼の巧みな話術がそう感じさせた一因でもあろう。
「その〇〇さんは、イワシさんです」
「正解です。さすが、よっ大統領」
外務大臣と言えば、居並ぶ閣僚の中でも重要なポストの一つである。楽しい夫婦のおふざけタイムもここまでだ。正直言って、夫の、もとい夫とマザーの選択に疑問を感じた。
「君はなんでイワシさんって思っているよね」
私の疑問は、夫婦間の以心伝心システムを使うことなく伝わっていた。
「外交は血が流れない戦争だ、なんて言う人もいるしね。でも、しかめっ面同士で話し合いをしても、事は中々前に進まない。交渉事にはユーモアのセンスも必要だって事。その点、イワシさんは自他ともに認める日本の第一人者だ。
しかもお笑いの才能だけじゃなく、外務大臣としてのオファーを出すだけの資質も兼ね備えている事がマザーのリサーチで判明している。僕もあの人以上の適任者は居ないと思ってる」
「じゃ明日私が同席する意味は?その資質を確認してほしいと言う事?」
「それもあるね。君はイワシさんと初共演した頃に比べて格段に進歩している、充分に感じとる事が出来るんじゃないかな。
処で話は変わるけど、君はあの頃聞いていた<声>は今でも聞こえているかい?」
「そう言えばいつの間にか聞こえなくなったわね。貴方は?」
「今はもう聞こえない。でも聞こえなくても判断に迷う事は無い。僕は卑弥呼様は君と完全にシンクロしたんだと考えてる。そしてマザーともね」
「卑弥呼は私と、マザーの中にそれぞれ存在してるって事?」
「そう言う事なんだと思う。僕が最後に声から受けた指示の内容は、マザーの設計方法だった。組み上がるまでは細かい指示が飛んできたけどね。ある日、ふと振り返ってみるとマザーの完成以降、声が聞こえない事に気が付いた。だから今はそう言う事なんだろうと理解している。と言う訳」
「あっと、もしかして、もしかしてだけど私のお腹の赤ちゃんの中に入ってるという可能性は?ある?ない?・・・そっかわかんないよね。こうなったら病院に行って、男か、女かって・・・ううんやっぱりダメ。なんだかそういう気になれない。貴方は何か聞いてる?そっか、そうよね。お楽しみは後に取っとけと言う事ね」
「ほんまでっか、嘘でっしゃろ。わてが外務大臣やて!」
時間ぎりぎりになった事を詫び、「ほな、食べましょか」と彼のリードで始まったランチを一通り食べ終え、食後のコーヒーの段で夫が切り出した話に対するリアクションがこれである。
「外務大臣と言えば日本の顔でっせ。外ズラですやん。そらぁわては外ズラがええってよく言われます。別れた奥さんも、あんたの外ズラに騙されたわぁと良く言ってました。あっそれで、わてが外務大臣に適任やと、成る程ーって成りますかいな。絶対無理ですって。真白ちゃんもましろちゃんや、あっすんまへん大統領はんでした」
「いいえ、結構ですよ真白ちゃんで、最も、
イワシさんの番組に出させて貰った時には呼び捨てでしたけど」
「えーほんまですか、今そんなこと言ったらSPにしばかれますわ。ほけんの窓口に相談いこっと」
カメラが回っていなくてもコレである。裏表が無いと言う事は再確認できた。
「で、どうだった?」
「うん、貴方の人選は正解だったようね」
イワシさんとの会食を終えた私達は、次の目的地に向かう車の中にいた。そこで夫が投げかけてきた言葉に対する答えがこれだった。
最初、裏表が無いとだけ感じていたいただけだったが、もう一面の顔が有る事に気付いたのは、番組収録のようなやり取りが一段落した辺りからだった。
おふざけ顔が明らかに変わった。それから彼の話は、これまでの日本外交の弱腰さに向けられた。時には憤慨し、歴代の大臣を名指しで追及したりもした。私はその見識の深さに正直驚かされた。話の合間にギャグを入れるのは忘れなかったのは、お笑い芸人の性なのだろう。
「ほんまに私で宜しんですか?」
「ええ、貴方以上の適任者はいません」
「ファイナルアンサー?」
「はい、ファイナルアンサーです」
「・・・分かりました。只、この場で即答は出来ません。一旦待ち帰らせて下さい」
「勿論、はなから今日お返事を頂けるとは考えてもいません。日本一の売れっ子タレントさんです。沢山の人達に多大な影響力をお持ちなのは重々承知しているつもりです」
「それはちょっと買いかぶり過ぎでっせ。でも、でもですよ例えば私が引き受けたとして、言葉の壁とかはどうなりますの?」
「それは心配に及びません。貴方のシャベリのニュアンスを最大限通訳できる秘書を付けますから。美人でSPのかわりもできます。残念ながら生身の人間では有りませんけど」
「はーアンドロイドと言う事ですね。参考までに夜のお相手機能とかは?」
「お望みとあれば、お付けしますけど」
「冗談です。冗談に決まってますやろ」
「でも担当者が間違って付けてしまうって事も・・・」
「そんならそれで嬉しいわぁって、危ない、危ない。あやうくハニートラップにひっかるとこやった。まったくあんたも奥さんの前で何いってますのん」
兎にも角にも約束の2時間はあっという間に過ぎ、丈夫な赤ちゃん産んで下さい。今度知り合いに安産祈願の御札、官邸に送るように言っときます、との言葉を残してイワシさんは去って行った。私達は顔を見合わせて、お互いの口角が上がっているのを確認しあった。
「で、どこに向かっているの?富士山が見える所と言っても広うござんすよ」
「真白はJスクエアが富士山を取り囲むように、4か所工場を所有しているのは知ってるよね」
「うん、服とか、靴を作ってる工場の事でしょう、そこが目的地?」
「その中の一つに案内したいんだけど、正確に言うと上物じゃなくて、その地下にあるシークレットファクトリー。存在を知っているのは人間じゃ僕だけ」
「トップシークレットと言う訳ね。そこでは何を作っているの?」
「作っていると言うよりも、採掘していると言った方が正解かな」
「採掘って、一体何を?」
「富士山の地下に眠る超レアメタル。元素記号で表す事の出来ない、鉱物の一種ってとこかな」
「表すことが出来ないって、新発見て事?」
「そう、人類史上初って言い換える事も出来る。勿論、案内役は卑弥呼様だけどね。名前はNRMと付けた。ネオ、レア、メタルの略。ヒネリが無くて申し訳ない」
「そんな事より、NRMで何を作ったの」
「色んな物、代表的な物はDEESかな。アンドロイドの皮膚組織の中にも入ってる。兎に角、NRMは様々な物と融合ができる。この車のボデイも鉄と融合させて出来ている。従来の鉄板ボデイと比べて、遥かに軽く、想像以上に強くなっている。ロケットランチャーにも耐えれるぐらいにね」
「ボデイは耐えてもガラスは無理でしょ」
「だから色んな物と融合できると言ったでしょ。ガラスにも、プラスチックにも革や布にだって可能な優れもんだよ。おまけにスクラップ同然の錆びた車のボデイも再生融合できる、リサイクル技術の集大成と言ってもいいね。近い将来、鉄鉱石を輸入する必要も無くなるだろうね」
只、世界を欺くために当分輸入は続けなきゃいけないんだけど。と言いながら京一郎はステアリングを切った。視界の中に1000坪以上ありそうな工場の建物が飛び込んできた。