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【夜】

久しぶりの更新です。

前半、万葉の一人称。後半永村先生の三人称となります。



 彼女を本当に意識したのは、葉市が死にかけた何度目かの夜だった。


 山を越えるまでの一夜を、満潮さんちの子ども部屋で過ごした。

 僕が小三、満潮さんが小五、葉市が小六のとき。


「『好き』の反対はなんだと思う?」


 嵐の夜だった。

 真っ黒な雲。家を揺らす強風。ざんざん吹きつける雨。

 学習机の椅子に座って僕を見下ろす満潮さん。床に置いたローテーブルで、宿題をする僕。


 変な質問をする人だな、って思った。ニコニコ笑って、なんでそんなことを訊くのかわからない。

 だからそのまま伝えた。


「……わけわかんない。どうだっていいよ、そんなこと」

「いいからいいから。ね、なんだと思う?」


 質問を重ねて笑う顔は、答えるまで繰り返すのがわかりきってて。


「……『嫌い』なんじゃないの? もしくは『憎い』」

「ブブー! はっずれー!」


 うんざりしながら適当にそれらしい答えをしたんだ。そしたら、フザケタ返しをされて、ムッとして見上げたら。


「『好き』の反対はね、『無関心』なんだよ」


 静かに見かえされて、そんなこと、言われて。

 ガタガタ震える窓。ガラスに叩きつけられる雨粒。風に揺れる家。


「ねえ、君は本当に、葉市さんが『嫌い』なの? それとも『興味ない』の?」



 満潮さんのあの問いに、僕はなんて答えたのか、どうしても思い出せない。





 ・ ・ ・ ・ ・ ・



 忙しなく永村邸の戸締りを終え、病院までの坂道をころがるように駆け戻る。


 夜間診療の出入り口にある赤いランプが、暗闇にいつになくびかびかと主張しているように見えて、切迫感をあおる。

 荒れる息を整えながら、受付の警備員に永村先生の所在をきく。

 内線で呼ばれた先生は、あらかじめ家の電話を借りて連絡していた通りすぐに来た。

 永村先生は、僕の報告で素早く状況を把握すると、伸びかけの髪をかいて「くそ」と小さく悪態を吐いた。


「いつからいない、なんて万葉にわかるはずないよな。なんてこった」

「道ですれ違わなかったし、少なくとも、八時半の時点では、もう家には」

「俺が家を出た五時には、まだ家にいた。部屋で横になってるのを確認した」


 約五時間。

 ざぁ、と血の気が下がる音を聞いた。

 それは、絶望的な時間に感じた。


「警察に連絡する」


 は、と見返す。険しい顔と声で、先生はテキパキ話す。


「こういう時、大掛かりに捜索は、してもらえんのだ。精々、哨戒を増やすか、気を付けてもらえるくらいで。前、うちにかかっている警察関係の人に相談したときに、教えてもらった。その人には事情を話してあるから、すぐに動いてくれるだろう。これから連絡を入れる。何もしないより、マシだろう」


 警察は、基本的に後手なのだ。よほど確証や根拠や証拠がない限り、表立って動けない。

 満潮さんの不安定さをいくら身内が確信していても、警察は目の前で飛び降りるマネでもされない限り、自殺志願者というだけで拘束できない。


 携帯電話で警察と話す永村先生の言葉にじっと耳を澄ます。

 身元不明の搬送者、保護されている人は今のところいないらしい。発見次第保護、というところでまとまって、先生は電話を切る。

 外に飛び出そうとした僕の腕を捕まえて、永村先生は険しい顔のまま叱りはじめた。


「万葉、お前は家に帰れ」

「は?」

「早くしないと、終電がもう出る。茉莉花さんも葉介さんも心配する。お前もう、あの人たちのたった一人の子どもなんだぞ」


 両親の名前を出されて、ぐっと息がつまる。

 帰宅時間はすでにいつもより遅い。きっと、心配しているに違いない。二人とも、今日ばかりは有給をとって家にいた。

 不安げな顔をして、心配を表に出して、朝、僕を見送ってくれた。


「イヤだ」

「万葉」

「父と母には、朝、満潮さんのところに行くと、言って出てきています。あの人たちは、心配していました。僕だけじゃない、満潮さんも。だから、僕には、両親のためにも、満潮さんの安否を確認する必要がある」

「お前がそこまでしてくれることはない。今の知らせだけで十分だよ」

「イヤだ」

「どうした万葉。お前らしくない」

「僕らしいってなんですか」


 ああ、しまった。面倒くさい物言いをしてしまった。

 でも、ここでこの人を形だけでも説得しなければ、この腕を放してもらえない。


「このまま家に帰って、暢気にしてられると思うんですか? 無理です。なら、僕は、満潮さんを捜しに行きたい。

 もう何もしないまま、後悔は、したくないんです」


 僕は、僕のために、今動きだしたい。


 もう、葉市に、満潮さんをとられたくない。



 しばらくにらみ合って、折れたのは永村先生の方だった。

 深々とため息をつき、白衣の下から取り出した黒い携帯電話を、ぽいとよこす。


「そっちはプラベート用の携帯だ。連絡用に持ってけ」

「先生」

「いいか、一時間に一回は、こっちに連絡入れろ。お前は高校生だ。受験生だ。こんな夜にうろついてりゃ、お前の方が警察のお世話になる。それを忘れるな。家の方には、俺から連絡しとく」


 行け、と言われる前に僕はもう、駆けだしていた。






 足が向かったのは海だった。

 パッと頭に浮かんだルート。

 海岸線沿いに走り、県道に出て、……葉市の車が、落ちた場所まで。


 満潮さんと葉市がよく散歩していた海岸。

 湿った砂にとられて、走りにくい。街灯も少なくて、とぼしい明りでは人影も判別しにくい。

 真っ黒な冬の海。あらあらしい波音が不安を煽る。

 ひょうひょうと耳に響く海鳴り。肌を突き刺す冷気。吐息が白く凝る。


 絶対薄着だ。

 あのひとは、自分のことなどどうでもいいようになってしまって、だから、ろくに食べもしないし、寝もしない。当然着るものにも頓着しない。その辺にあるものを適当に着る。季節感など皆無だ。

 食も睡眠も放棄して、自分を投げ出して。

 それはゆるやかな自殺とどう違うのか。


 満潮さんに生きていてほしい。


 それは僕や周りの願いで、満潮さんの望みではないのかもしれない。

 嫌がることはしたくない、それでも、ここで「探さない」という選択肢などない。

 引き戻したい。どうにかして、こちらへ。

 その気持ちがどこから湧いてくるのか、そんなこと今は見ないふりをして、僕は。


 ざぶり。黒い、黒い海。ひきこむような波音。潮の生臭さが、生き物の腐敗を思わせて、その不吉さを振り払うように。

 ただ、彼女の無事を願って、僕は走っていた。





 約一時間後、満潮さんは見つかったと連絡が入る。

 県道をふらふらと歩いているところを、警察に保護された。

 その道は、葉市が死んだ崖まで続く、一本道だった。






 ・ ・ ・ ・ ・ ・



 走り去っていく黒い背中が宵闇に溶けて消えたのを確認して、永村は携帯の電話帳から、すでに暗記した番号を引っ張り出す。

 「鈴森です」三コールの内にとられた声は、よく聴いた彼女の声だった。


「こんばんは、茉莉花さん。永村です。夜分すみません」

「こんばんは、永村先生。お久しぶり。いいえ。きっとかかってくると、思ってたわ」


 万葉の母親の声は冷静だった。穏やかですらあった。

 永村が、内心少しばかりびくつきながら、端的に経緯を説明する。

 満潮が行方不明なこと。万葉が捜索にあたっていること。そのため万葉は今夜帰らないかもしれないこと。プライベートの携帯を持たせたので、彼の安否を知るにはそちらに連絡されたし。

 余計な口は挟まず、短い相づちで返す彼女は、やはり落ち着いていた。

 「申し訳ありません」と謝罪すれば、「なぁぜ?」と返ってくる。その柔らかな声に、永村はふ、と冷静になった。


「満潮が、うちの娘が、よりによってこんな日に、馬鹿な真似をして。万葉まで巻き込んでしまって。これで万葉に何かあったら、俺はあなた達に詫びようがない」


 そうなると決まったわけではない。だが、彼らの最後の子どもを、危険にさらす真似をさせてしまった。

 罪悪感は、不思議なほどない。厚顔な自覚はある。

 受話器の向こうでくすりと一つ笑って、彼女は、鈴森茉莉花は、母親らしい強さをもった声で真実を当てた。


「どうせ、万葉がきかなかったんでしょう?」


 「私物の携帯なんて持たせてもらって、かえって悪かったわ」なんていうから、恐れ入る。

 茉莉花は申し訳なさそうな声で続けた。


「むしろ、本当に謝るべきは、私たちの方。満潮ちゃんを、巻き込んでしまった。あの子には普通の生き方があったはずなのに、葉市が、選んでしまった。こんな風にひきずるように、させてしまった。ずっとずっと、申し訳なかった。あなたにも、満潮ちゃんにも」


 悔やむ声に、反射的に「違う」と反応していた。そう思わせてしまっていた、という苦味がじわりと心中にひろがった。


「茉莉花さん、そんな風に思って欲しくない。助けられたのは、俺の方だ。娘とまともに向き合えなくて、葉市を利用した。よくない方向に依存が向かってるってわかってて、放置した」

「でも、おかげで葉市は、しあわせな時間を過ごせたのよ」


 素っ気ない病室で、子どもたちが笑い合う。

 孤独の子ども。次々減っていく。手も甲斐もなく、消えていく命。

 永村は見続けていた。目をそらさずに。自身の家庭も省みず。気づけば、自分の娘もさびしい子どもになっていた。


 葉市は、永村の後悔だった。


 自身の家庭の問題である,娘との関係修復に利用したこともあるが、それだけじゃない。

 それまでの子どもと違い、事故で亡くなった。

 鈴森葉市は、永村の力が及ばないところで亡くなった、初めての子どもだった。


 悔しかった。

 心の底から湧き上がる、それは怒りだった。


 事故だ。

 自殺だったのか、いまだわからない。娘は口を閉ざし、真実を語らない。正直、永村にはどちらでもいい。

 葉市の死に立ち会えなかった。

 いまだ腹の底に燻ぶる怒りも悔しさも、それは永村が自分自身に対する憤りだ。


「永村先生」


 携帯電話から聞こえる声に、ハッと我に返る。


「私はね、永村先生。久弥君。寒河江の家が嫌いだった。憎かった。私から二人の子どもを奪った、この血が忌まわしかった」


 耳に届く声は平坦だった。無感情に響く声音は、疲れて聞こえもした。


 寒河江の血筋に、時代を置いて定期的に現れるこの病は、宗家本流に近いものほど多く発現していた。

 茉莉花は、本流から逸れた分家のそのまた分家ほどの遠い血だ。なのに、彼女の三人の息子のうち、二人も発症している。これは、寒河江の長い歴史の中でも、極めて珍しい。

 彼女はどれほど、自分を責めただろう。推して知るべくもなく、彼女は一医療従事者として、母として、対外的には毅然とした姿を崩さなかった。


「私も現場に立つ医療従事者だけど。いつまでも患者さんの死には慣れないわ。夫は、慣れてはいけないと言ってくれた。私もそう思う。だから、寒河江の血を憎んでも、寒河江の在り方を否定はできないの」

「葉介さんも?」

「あの人だって、医者のはしくれよ。たとえ専門が滅多に死に目に会うようなものじゃなくてもね。寒河江があの子たちにしてくれたことが、どんなに破格だったか、私たちもわかっている」


 寒河江は血族の遺伝病から、ターミナルケアをいち早く重要視し、とりいれてきた。

 時事現れる極少数の遺伝病発現患者のために、あらゆる便宜と融通、厚遇をあつらえてきたことが記録からも知れる。


 いっそ、生き神でもあがめるように。

 短い命を燃やしきる子どもたちに対して、過保護であった。


 永村自身、若い時分その過剰な囲いこみとも盲愛ともとれる一族のありように、疑問を持ったクチだ。

 それが結局、こうして一番近い場所まできてしまった。本末転倒もいいところである。


「だからこそ、俺は悔しいんだよ、茉莉花さん」


 思わず吐露した内情に、電波の向こうでくすりと空気の震える音がした。


「そんなあなただから、私たちは子どもをあずけられたのよ。ねえ、久弥君。人は、いつか死ぬわ。これは絶対変えられない。でも、どんなふうに生きるかは、その人の自由なのよ。例えその自由が、限定的なモノでも、人は好きなように生きるべきなのよ」


 途中、泣きそうに震えた声に、それが呉葉と葉市の生き方だったのだ、と彼女が言っているのが嫌でも伝わった。

 好きに生きる。

 その道を遮らない。それが、茉莉花さんたち夫婦の、精一杯の親としての愛情の示し方だったのなら、それは成功している。

 永村は、呉葉や葉市ほど、自由に生きた人間を知らない。そしてそれは、他の子どもたちも。


「子どもは、いつまでも子どもでいてくれないのよ。あっという間に、大人を置いて、いってしまうんだわ」


 短い挨拶をして、電話を切った。仕事は待っちゃくれない。携帯電話を胸ポケットにしまい、通話スペースから出て薄暗い廊下を戻った。

 そして、それこそあっという間に親の手をすり抜けていってしまった娘を思った。


 いまだとらわれている、かわいそうな娘。

 親に頼れず、誰よりも先に大人にならざるをえなかった。あの子に背を向けてしまったことを、悔やまない日はない。

 しかし、何度同じ日が繰り返されようと、永村は、自分が同じ行動をすると確信している。彼は、変わりようもなく、医師だった。


 満潮とかろうじて親子として繋がっていられたのは、葉市のおかげだった。

 三角形ともいえない、固く繋がれた二者のいびつな結び目を、見つめることを許されただけの存在。傍観者。目付役。永村は娘と葉市と自分の関係を客観的にこう考える。それは正解で、葉市がいなくなれば、娘との距離感はあっという間に遠くなった。

 死んだように生きている様子に、胸が痛んだ。

 葉市の隣で、ほころぶように笑う姿を覚えているだけに、中身だけごっそりなくなったような今が痛ましい。

 永村の言葉は、満潮に届かない。心配も叱咤も、言葉はただの音となって、満潮には響かない。


 それでも、永村は、娘を諦めたくなかった。


 だから、万葉を止めなかった。


 万葉は、自分の声を聞いてもらえない、耳を塞がれるというが、そうじゃない。

 今は万葉が、万葉だけが、満潮に届く声を持っている。

 言われたことに対し無視か、諾々と従うではなく。ちゃんと『満潮の』言葉でもって返事をされているのは、この一年、万葉だけなのだ。拒否されることにとらわれて、自分では気がついてはいないようだが

 万葉には酷なことをしていると、わかっている。

 万葉の良心、優しさ、それに下心だとか、そういった原理の行動にのっかって。

 永村は、また、自分の問題を他人任せにしていることを自覚している。


 茉莉花たちが子に示した親としての愛情。

 永村が満潮に示した精一杯の愛情表現、甘やかしは、『葉市の望みを叶える』だった。

 彼らの結び目に、ほんの少しだけ介入できる瞬間。しかしそれももう、できない。


 親として、子どもにしてやれることが思いつけない情けなさを、万葉に託す。

 なんて無様な。なんてずるい大人だろう。


 少年は、そんな大人の姑息な算段など知らずに、ただ思いのまま駆ける。



 それは、永村が失った衝動だった。






* * *

 永村 久弥ひさや 満潮の父。葉市・呉葉の主治医。ひょうひょうしたおっさん。妻とは離婚。

 鈴森 茉莉香まりか 呉葉・葉市・万葉の母。寒河江の分家の出身。看護師。

 鈴森 葉介 呉葉・葉市・万葉の父。医者。整形外科医。





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