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【のこされた】

彼女と、彼と、家族と、僕。


 

 今年のこの時期、満潮さんが検査入院という名目で病院に隔離されたのは、去年のことがあってだ。


 緩やかに回復していった彼女は、冬が近づくにつれて錯乱していった。


 事故の傷は、重症だった。

 内臓を損傷していたし、左大腿骨の骨折はボルトを入れて、若干引きずるようになった。

 冷えると痛むらしくて、つらそうに腿をさすっている姿を見舞いで何度も見ている。

 それでも、葉市の葬式のころには、身体的な傷は日常生活に支障がないほどには治ってきていた。


 満潮さんが錯乱したのは、葉市の葬式の案内を見てだと、自宅で倒れていた彼女を見つけた父親は言う。


 葉市の死を、理解したくないのだ、多分。


 手術やリハビリで片隅に押しのけていた、葉市がいない毎日を、現実を、突きつけられて、混乱した。

 鬱と拒食でゆるやかな死を願うようになり、自傷行為を危惧され、その冬から春にかけて管理入院を余儀なくされた。


 それでも、春からは、不安定ではあったけど、日常を送れるようになった。

 笑顔も増え、周囲と落ち着いて話せるようになり、対外的には、恋人の死を受け入れ、前向きに立ち直っていってるように見えただろう。


 でも、僕は。


 何度もお見舞いに行ったけど、徐々に会ってもらえなくなった。言葉少なく門前払いを食らうようになった。

 理由は、わかりたくないけど、わかってしまった。

 冷たくされても、満潮さんを放置することなんかできなくて、無駄足と知りながら何度も何度でもむかう。

 記憶を、上書きできるなら、何度だって名前を呼ぶ。


 忘れることが幸せなのか、僕にはわからない。わかりたくないことだらけだ。



 でも、満潮さんの中の葉市に勝るには、何度だって呼びかけるしか、方法はないのだ。今のところ。






 ・ ・ ・ ・ ・ ・


 中庭から院内に入った廊下で、これから向かおうとした人に遭遇する。

 相手も気づいて、軽く片手をあげた。僕も立ち止まり、頭を下げる。

 彼は、永村先生は、下げた僕の頭をくしゃり一撫でして、「つきあえや」と誰もいない一階談話スペースの一角に誘った。


 据え付けられた自販機で、紙パック飲料を二本買い、片方をよこしてソファの隣にどかりと座る。

「ふぃ~」なんておっさん臭く息をつくものだから、僕はおかしくなって少し笑う。


「ごちそうさまです……、なんでフルーツ牛乳なんですか」

「ん?お前、それ好きだったろ」

「何年前の話ですか、それ。そこは同じカフェオレでよかったですよ」

「まーいいじゃん。たまには童心に帰れば。てかお前、学校は?」

「今日から期末テストです。まぁ受験勉強も並行なんで、そんな焦ることもないんですよ」

「余裕だなー。おっさん学生ん時、もっとがつがつしてたわー」


 医学部受験だったしなー、と軽口を言いながらストローのビニルをはがしてちゅうちゅう飲む隣のおっさんは、相変わらずどこか飄々として、つかみどころがない。

 しばらく二人無言で飲み物を消費した。


「昨日だったんだよな」


 ぽつりと永村先生が言う。


「すみません」

「なんで?なんか悪いことでもしたか?」

「よく考えたら僕、まだすごい線香くさいですし。こんななりで病院来るとか、非常識だったなと」

「ああ、よくできました。そこは気をつけような」

「あと、」


 満潮さん、来てました。


「……ゆうべの電話は、それでか。気がつかなかった」

「真正面から来て、線香あげて帰ってきました。母に笑いかけてすらいた。でも、なんだか、不安で。あのまま自殺でもしそうな顔をしてたから」

「そうか、うん……いつも気にかけてくれて、ありがとな」

「いえ。今日は、浜の方のあずまやにいました。先ほどここに戻ってくれましたけど」

「ああ、それで騒がしかったのね。娘が迷惑かけたね」

「迷惑なんて思ってないから、平気です。ただ、満潮さんのご機嫌は、損ねてしまったけど」

「声、か……」

「―――似て、いますか」


 隣の医師はゆるく頭を振る。


「うんにゃ。どっちかと言えば、呉葉だな」


 新たな意見に、驚きで目を瞬かせた。


「葉市は、穏やかで、ゆっくり口調の印象な。呉葉は、言葉が苛烈な分、激しかったからなぁ。その割に人を食ったような態度だったし。万葉は口調は丁寧だけど、ちと硬くて、厳しく聞こえるから、俺が似てるって思うのはどっちかと言えば呉葉だ。中身は全然違うけど」


 そういえば、この人は、実の両親よりずっと、二人の兄のそばにいたのだ。

 気づけば驚くほど家族はバラバラだった。

 身内である人間の方が、兄二人と疎遠で、理解が追い付かない。

 後ろめたさより、しょうがないという感情の方が先に立つ。

 それでも両親は彼ら二人のために必死になって稼いでいたのだし、僕は呉葉がいないのは当たり前だった。


「僕は、呉葉兄さんのことは、全然覚えてません」

「年離れてるもんなー。あいつは、葉市が産まれる前から、ココ暮らしだったし」

「……どんな、人だったんですか?写真もほとんど残っていなくて」


 永村先生は、一瞬言いよどんで、ふ、と破顔した。


「呉葉はさ、もう、すっげーわがままだった」


 お前はもうちっと自分押し出してもいいよ、と遠い日をみつめるように笑う。


「呉葉は、本当に、生きたいように生きて、死んでいったから。それこそ周りを巻き込んで、したいようにした。誰の迷惑を顧みず。だから、葉市がそうしちゃいけないって、俺には言えない」


 ひとつひとつ、思い出しながらはなしているのだろう。

 永村先生は、談話スペースの窓の外をじっと見つめる。

 音もなく降りはじめた雨が窓を濡らす。


「呉葉も、葉市も、よく似てる。悲しくて、すごい一途で、ばかなやつらだよ」


 でも、懸命に生きてた。言葉尻に付け加えなくても、そう言いたかったのはわかった。


「万葉、呉葉が生きてたら、きっとお前にも同じこと言うだろうから、言うな。呉葉からの伝言だとでも思ってくれ」


 真面目な声が耳を打つ。視線を向けると、永村先生は真剣な目でこちらを見ていた。


「好きなように生きろ」


 雨の音がささやかに主張する中、永村先生の声は力強く廊下に落ちた。


「お前の好きにしていいんだ。お前の人生なんだから、だれを巻き込むか決めるのは、お前にしかできない。人生は、思ってるより短い。わかるだろ?」


 この人は。


 呉葉が生きていたころ、同病者は多くはないがまだいたという。みんな、呉葉より年上で、でも永村先生よりずっと年下だった。

 完治する病じゃなかった。死に逝くまでを見届けるしかない彼らのためにできたのが、この病院。

 その最後の患者だった、葉市。この病院に赴任してきた永村先生。

 終焉を待つしかない子どもたちを前に、医師としてどれだけの無念を感じてきたのか。そんなこと知らない。


「あいつらが望んでかなわなかったことを手にできるのは、残されたものだけだ」


 きっと、彼らのそばに、立ちすぎたのだ。優しすぎる人だから。

 妻が娘が離れていくことに気がつきながら、彼らのそばを選んでしまった。

 職務に忠実で、公平すぎる人だから。


「……感傷ですね」

「だよなあ。でもおっさんさ、本当にちっちぇえころから、あいつらの生きざまを見せつけられてさ、そんなに簡単に投げ出せるもんじゃなくなっちまったんだよな」


 くしゃりと泣き出しそうに笑って、そんなことを言う。

 看送るしかない立場で、どんな思いで彼らをみていたのか。


「あいつらほど、人の命と生を重く、軽く、考えてたやつらもいないと思うんだよな。俺の考えすぎかもしれないけど」






 もう行きますと言えば、玄関ロビーまでおくってくれた。いつまでも変わらない子ども扱いに苦笑する。

 自動ドアのこちらと向こうで腰を折り、あげかけた頭を押し付けるように両手でくしゃくしゃに撫でられた。

 唐突な行動に驚いて目を見張る。いつのまにか視線が下になった永村先生は、むずかしそうにへの字に結んだ口を開く。


「お前を無理矢理大人にしちまったのは、俺ら大人だけど。お前はもう少し、子どもでいてもいいと思う」


 それに何も答えずもう一度頭を下げて、紺色の傘を広げ雨の中に踏み出した。






 ・ ・ ・ ・ ・ ・



 両親が僕に頭を下げたのは、ゆうべの電話の後だった。

 窓辺にぼんやり立ってたら、仏間に呼ばれた。


 そして今まで兄らにかまけて僕に構ってやれなかったと、ほとんど土下座で謝られた。


 僕は、理解していた。

 母は、この病院の経営者の一族出身で。

 兄たちの病気は、その母方の家系特有の遺伝病だった。

 そのようなことを、中学に上がるころには理解していた。


 だから、母が兄たちに対して異常なほど負い目を感じているのも、嫁ぎ先の村に身の置き所を見つけられなかったのも、そのせいか休む間もなく働きづめだったのも、何となく感じていた。村は父の故郷だったし、実際闘病は金がかかった。

 父も、祖母も、何も言わない。母を責める言葉も、慰めも。

 ただ、母に寄り添った。母の気の済むようにした。


 多分母は、一度壊れたのだ。


 僕がまだ幼かったころ、母が泣き叫んだ夜を覚えている。

 あれは多分、葉市の病気が確定した日。

 おそらく、長男だけなら耐えられた。

 壊れたように泣きながら「ごめんなさい」を繰り返す母を、細く開いたふすま越しにのぞいて、背中に寒気が走ったのを覚えている。

 なだめる父の震えた声も、うずくまる母の背を撫でながら、一緒に泣いていた祖母も。

 しばらくして、葉市が入院やら検査やらで家を空けるようになり、母ががむしゃらに働くことで自分を保つようになってからは、祖母が村に残った幼い僕の面倒をみ、父は母と一緒になって懸命に仕事に努めた。

 そういう分担ができてしまえば、大人はもうゆらがなかった。

 わけのわからなかった僕をのこして。



 僕は理解していた。でも納得はしていなかった。

 理解と納得がまったくの別物であると、それを理解するまでが苦しかった。



 子どもとは、大人とはなんなのだろうか。

 あんな風に謝られなくたって、僕は両親を恨んでいない。ただ、距離があった。


 あの人たちはあの人たちにできる精一杯を尽くしただけで、そういう生き方を選んだだけだ。

 これが理解。

 そこにひがむ要素を見出す幼さはとっくに過ぎた。


 寂しさを感じなかったとは言えない。もちろん寂しかった。ないがしろにされる身が悲しかった。自分が可哀相だった。

 でもそうやって自分を堕としていく方が惨めだった。

 これが、いつまでも納得いかなかった部分。


 でもこのうえ惨めを重ねるくらいなら、何もかも押し込んで、たとえそれが偽善でも、意地でも前を向いている方がマシだった。



 こうして物わかりのよさで武装して、プライドに凝り固まった僕ができた。



 僕は、人が言うように、自分が大人なのか、子どもなのか、わからない。


 家族を許せる程度に大人の分別は育ったけど、葉市にこだわる意地の悪さはまだ子どもだろう。


 分別の部分で、両親の、祖母の、僕に傾ける愛情というものを信じていた。

 彼らが兄たちに傾けるそれの何十分、何百分の一しかなくても、同じものを注がれていると、日常の些細な積み重ねで信用していた。


 だから、呉葉の記憶も愛着もなくても。

 葉市が目ざわりでしょうがなくても。


 さびしくて、悲しくて、冷たい孤独を抱えてしまっても。

 家族の寄り添い方を忘れてしまっても。

 いなくなってしまっても。





 彼らは、僕の家族なのだ。









この病気に関しては、「鈴森呉葉にまつわる話」のほうが詳細書いてあるとも思われます。よろしければ、あわせてどうぞ。


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