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【一周忌】

 白黒のあの幕のことを鯨幕というのだと、去年知った。


 葬式に関する諸々は、十七の高校生には煩雑で、でもほかにやれる人間がいないのだから、両親の手助けになれるよう能動的に動くしかない。それはこの先残された唯一の子供として当然のことだった。


 鈴森の実家のある地区は、山間の田舎だ。

 市街地からは程遠い、村と呼べるような規模の小さな地区は、住民のほとんどが親戚であり、深い交友関係にある。度重なる法事なんかには、いちいち呼んでもいられないので本当に近い親族や顔役だけで済ませるのだと、今回で知った。



 葉市の一周忌は、呉葉の十三回忌と時期がかさなり、檀家寺と相談の結果合同で、十二月に入ってすぐにおこなわれることになった。






 当日は冬の青空だった。

 雲が薄く張り乳がかった青色の、冬の空。


 雪深くなるのは例年年末ごろからで、この時期は厚い雲に覆われるか降ってもみぞれ、晴れても凍える風が強く吹き付けてくる。こんな風に晴れるのは、今年もあと何回もないだろう。

 読経が終わり、仏間から続くふすまをはずした座敷に仕出屋のお斎の膳が並べられ、住職が去り、村の顔役が去り、そんなころに葉市や呉葉の関係者や友人がやってきた。思いのほか律儀に、たくさんの人が訪れた。一様に線香をあげ、手を合わせ、両親に頭を下げ、一言二言話し、長居することなく帰っていく。


 僕は学生の礼装である制服で、来客に頭を下げ、手伝いを頼んだ何人かの村の女衆に交じりお酒を燗し、ビールを注ぎまわり、おもいおもい話し始めた思い出話をわかったふりでうなづき、具体的なことは何も言わずただ「がんばれ」と肩を叩くおっさんらに礼を返し。

 早い夕暮れの迫る、お勝手に入ってくれていたおばちゃんたちへの俎板返しのころには、涙もろい彼女たちの対応は両親に任せて台所と座敷を往復した。


 一時もじっとしていなかった。できなかった。


 そんな風に忙しなく動いていたものだから。

 だから、まさか、と。


 開け放たれた玄関で、薄暮迫る田畑を遠くに、見覚えのあるシルエットを捉えた。

 来客を見送っていた両親が上がり框に座りこみ、その人と相対する。

 僕は、とっさに声が出なかった。


 その人は、母に両手をとられ、ほんの少し困ったように、かすかに笑っていた。

 手に額づきむせび泣く母。無言で母をなだめる父。

 父が、茫然とする僕に気がつき手招く。おぼつかない足取りでそばまで行く。父が口を開く。


「万葉。ここはいいから、バス停まで送ってあげなさい」


 父の声が耳鳴りのようにうわんと響いた。






 バス停までの道のりは、無言だった。

 視界に映る黒いワンピース。黒いストッキング。ぺたんこの靴。ペラペラの黒いコート。風は震えるほど冷たい。


「……寒くないの?」


 散々逡巡したあげくの言葉がこれとは、我ながら情けない。

 でも、彼女は無言で、彼女なりに精一杯の速さでバス停までの道を歩く。

 一歩後ろから、その背中を追う。


「驚いたよ。来るとは思ってなかった」

「……」

「バスで、よくここまで来れたね。けっこう歩いたでしょう?」

「……」

「でも、ぼくの記憶が確かなら、貴女は今、病院で寝ているはずだと思ったんだけど。記憶違い?」

「……」

「なんとかいってよ」


 背中は何も語らない。

 僕は口下手な方だけど、懸命に話題を探しながら、この人の反応をうかがう。

 バス停に着くと、次が来るのは十分後で、ベンチに座らせたその人と待つことにする。当たり障りのない話題はもう尽きてしまって、あとはもう、互いを切り刻むような疑問や質問しか残っていない。

 言葉を絶えさせたくないのに、僕の咽喉は木の実を丸のまま飲み込んだように詰まってしまって、このポンコツな口は、十分間ただ呼吸をするだけだった。じきに到着したバスに内心舌打ちする。

 ステップをゆっくり上って座席に座るまでを注視して、ドアが閉まる前に。


満潮みしおさん」


 気のせいかもしれない、一瞬、目があったと思う。





 そのあと帰宅し、あの人のことを考えないよう、ひたすら動き続けた。というのに。


 あの人は。


 少し前に見た時より、髪が伸びてた。

 やっぱり痩せてた。

 ワンピースからのぞく手足が細くなってた。

 家までちゃんと帰れたのだろうか。

 今から追いかければ。

 だめだ、きっと、母さんに気を使ったのに。

 なぜあの人が、今日の法事に。

 絶対来ないものと。

 両親は知っていたのか。

 後遺症は。

 体力が戻って。


 ああ、でも、あの人、は。


 彼女、は。



 本当に、家に、帰った?



 ぐるぐる、ぐるぐる。



 気がつけば、とっぷり日も暮れて、自室にいた。

 いつの間に後片付けを終えたのか、覚えていない。


 部屋を出て、家の電話に向かう。電波の入らない村で、昨今必須の携帯電話は宝の持ち腐れなので、僕は持っていない。

 受話器をもち、ソラで覚えた番号をまわす。コール十回まで待つ。つながらない。もう一つ、番号を回す。そちらは、五回のコールで留守電に代わる。でない。

 迷って、部屋に戻り書き付けを探して、もう一軒かけた。そちらはすぐにとられて、少し安堵する。

 聞きなれた男の声にお決まりのあいさつを二言三言かわし、すぐに本題。


「あの人が部屋にいるか、確認してください」


 彼は察したのか、そこにいろ、と言うとすぐに切った。

 十分かに十分か、そんなに長い時間じゃなかったろう。でもまんじりともせず待つと、黒電話がりんと鳴る。

 存外大きな音を響かせるそれが盛大になる前にすぐさまとれば案の定彼だった。


『いたよ』


 その一言に、心底安心して、大きく息を吐いてから「そうですか」と言った声は、自分でも驚くくらいかすれていた。


「いるなら、いいんです。突然すみませんでした」

『なにがあった?今日は法事だったろう?』

「明日、そちらに行きます。その時に。この番号ということは、まだ仕事中でしょう?」

『お前、腹立つくらい気まわるな。わかったよ。絶対俺んとこにも来いよ』


 『じゃあな』とぶっきらぼうに電話を切られた。

 なるべく音がしないよう、慎重に受話器を置く。


 ふ、と暗い廊下が明るくなる。光源を探ると窓からだった。

 そばまで行ってガラス越しに見上げると、満ち足りない月に分厚い雲がかかり始めている。



 きっと明日は晴れないだろう。









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