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第四章 洞窟 下



 ガレージの中にあった車にはすんなりと乗りこめた。運転席に車川貞幸が座り、助手席に錬太郎が座った。後部座席には葉波根みなとと丙花白が乗り込んだ。背の低い二人が乗り込むとき、錬太郎が手伝っていた。

 未来都市にあった車を運転できるのかという問題があったのだが、それは特に問題なかった。この車の前の持ち主は非常に不用心だったらしくカギを見えるところにおいてくれていたのだ。そしてどういうことなのかエネルギーが満タンのままだった。助手席に座っていた錬太郎はこれが実に不思議で首をかしげていた。

 錬太郎が助手席で首をかしげていると、車川貞幸がこんなことを言った。

「わからないって感じだね……たぶん、この車のことが大好きだったんだよ。

ものすごく好きで、最後の最後まできれいなままにしておきたかったんだと思う。

 たとえ自分がここに戻ってこれなくとも、それでも最後までって感じ。微妙すぎる感覚だからいまいちわからないかもしれないけどね」

 錬太郎の疑問に答えながら車川貞幸はエンジンをかけていた。車のエンジンをかける車川貞幸は何とも言えない悲しげな顔をしていた。

 車川貞幸がエンジンのかかるのを確認して、間違いなくアクセルとブレーキが動くのを確認している間に錬太郎がこう言った。

「なんとなくわかる気がします、なんとなくですけど」

 助手席に座っている錬太郎は、遠いところを見ていた。車川貞幸の言葉が錬太郎には理解できたからである。

 錬太郎自身が結末を見ることができなくともそれでも一生懸命になる気分というのを知っていたのだ。錬太郎はそれを思い出していた。

 そして、自分の結末の先に、自分が置いてきた賢い少年と女優らしくない女性がどういう結末を迎えたのかを思うのだった。


 車川貞幸と錬太郎が話をしているのを後部座席で聞いていた葉波根みなとと丙花白は面白くなさそうに黙っていた。葉波根みなとと丙花白の間には微妙な空気が流れていた。これは車川貞幸と錬太郎の間にも流れている空気ではある。

 しかし少し性質が違う。車川貞幸と錬太郎は歩み寄ろうとしているのだけれども、急に踏み込むと変なことになるから踏み込めないという微妙な空気なのだ。

 この微妙な空気は初対面の人間との距離感をはかるために必要な時間が経過することでなくなっていくのだけれど、後部座席の二人はおそらく時間が経過することで改善することはない。

 なぜならば、お互いにお互いが気に入らないというのが後部座席の空気である。この空気が生まれている原因はお互いが微妙にお互いのことを敵視しているところにある。

 葉波根みなとはもともとよそ者のことをよく思っていない。また、もともと積極的に話しかけていくような社交性がないので改善の余地が非常に少ない。そしてどうしても表情と行動に悪感情が現れてしまう。それは嫌でも相手に伝わってしまう。

 一方で彼女と丙花白は仲良くする気がない。錬太郎に対して興味は持っているけれども、葉波根みなとに丙花白は興味がない。

 特に、波根の道ですれ違った時の葉波根みなとと鬼島笹百合の対応で丙花白の二人に対する対応は決まっていたのだ。このお互いがお互いを微妙に敵視している状態が後部座席のよどんだ空気を作っていた。


 そんな後部座席の空気を察したのか車が正常に動くことを確認した車川貞幸が号令を出した。

「それじゃあ、行ってみようか。とりあえずあの一番目立つ塔に行ってみよう。

 さらわれた御嬢さんと、上に戻る手掛かりが見つかるかもしれない。それにもしかしたら治療に使えるものが見つかるかも」

 車川貞幸は号令をかけながら車を動かし始めた。初めはゆっくりと動き出して、徐々にスピードを上げていった。非常に丁寧な運転で、全く車が走っていないのに安全運転を心掛けていた。

 車川貞幸は自分たちの状況がそれほど悪くないと思っている。帰り道がわからないのは困ることだが、ものすごくあわてて動き回らなくてはならない状況ではないと判断していた。

 車川貞幸の荷物の中には食料も水もある。娘の荷物の中にも食料と水がある。

 錬太郎たちの状況を考えるとあまり長くはいられないだろうけれども、いざとなれば錬太郎に建物の中に侵入して使えるものを借りてきてもらえばいいと思っている。確かに帰り道がわからない状況で、しかも何か邪魔をする者がいるのはわかる。

 しかし車を手に入れられたことと、錬太郎という武力がそばにいてくれていることが、安心する理由になっていた。そうして今心配するべきなのは、無理な行動をして運転を失敗して事故を起こすことくらいだった。

 ただ、余計なことはしないようにと気を付けている。できるなら早めに帰り道を見つけて、そして準備万端整えて再びこの未来都市に来たいと思っているのが本当だった。思うところはいろいろとあるが、安全運転だった。


 号令をかけて運転を始めた車川貞幸に合わせて、錬太郎がこんなことを言った。

「そうですね、さっさと鬼島先輩を見つけて、みんなで帰りましょう」

 車川貞幸の号令に答える錬太郎は元気な答え方をしていた。錬太郎が答えるのと同時に錬太郎の頭を包んでいた銀色のフクロウが動き出して、錬太郎の頭を包むのをやめてしまった。するすると翼を引っ込めて、あっという間に普通のお面に変化していった。

 いまやただの銀色のフクロウのお面であった。ただそれでも瞬きをしてみたりくちばしをカチカチと鳴らしていた。

 錬太郎なのだが、やはり後部座席の空気の悪さには気づいている。だから少し元気めに声を出していた。

 別に仲が悪い人間がいるというのはしょうがないことであるとは思うのだ。好き嫌いはだれにでもある。

 しかし助手席に座っていると背後から妙にピリピリした空気が流れ込んでくるのはあまりいい気持ちはしない。仲良くなって騒いでほしいとは言わないけれども、できればフラットな状態でいてほしかった。それで錬太郎は何とか何とか自分の気持ちを察してほしいと少し声に力を込めて頑張っていた。

 錬太郎のみんなで目的を果たして帰ろうじゃないかという答えを聞いて、運転をしながら車川貞幸がうなずいていた。運転する車川貞幸はしっかりと天井に続いている塔を見据えている。車川貞幸は錬太郎の言葉に隠されている気持を読み取っていた。車川貞幸も後部座席から感じる嫌な空気を感じていたのだ。


 しかし残念なことに、後部座席の雰囲気が改善されることはなかった。塔へ続く道を進む間、会話をしていたのは車川貞幸と錬太郎の二人ばかりだった。



 車川貞幸の運転する車はまったく問題なく道を進んでいった。そして三十分ほどまっすぐな道を走ったところであった。

 錬太郎たちが目指している塔から大きな鳥のようなものが飛んでくるのが見えた。その大きな鳥というのはよく見てみると銀色の体をしているのがわかる。

 錬太郎が被っているお面と非常によく似た素材でできていた。銀色の体をした鳥が飛んでいるというのもなんとも不思議なものであったが、問題は色ではないのだ。問題なのは鳥の大きさが非常に大きなところである。

 どう見ても錬太郎たちが乗っている車と同じか、それ以上の大きさがあった。大体錬太郎たちの乗る車が全長六メートルあたりであるから、それを軽く超えている大きさの銀色の鳥は八メートル、もしかすると十メートルの大きさになるかもしれない。

 ここまで大きな体になると空を自力で飛ぶのは不可能だろうが、それでも銀色の鳥は空を飛んで錬太郎たちに向かってきていた。

 巨大な銀色の鳥が飛んでくるのを発見した錬太郎は葉波根みなとにこう言った。

「杖を取ってもらえます?」

 葉波根みなとに杖を持って来いという錬太郎はまっすぐ銀色の巨大な鳥をにらんでいた。まったく油断するところはない。錬太郎が気合いを入れているのに合わせて、錬太郎の銀色のお面が変化を始めた。

 徐々に翼を伸ばし始め、錬太郎の頭全体を包み込んだ。そしてそれだけでは足りないとして、錬太郎の首まで翼を伸ばして襟巻を作っていた。

 巨大な鳥を見た時、錬太郎は翼の生えた女性の姿を重ねてみていた。まったく巨大な鳥は鬼島笹百合をさらった羽の生えた女性とは似ても似つかない荒々しい姿をしているのだけれども、どうしても重なって見えてしまっていた。

 そしてどうにもたまらない気持ちになる。自分の知り合いを奪った存在と重なる存在。それもおそらく邪魔をするために動いているのだろうと想像するのも難しくない今の状況では、いやでも気合が入る。

 それこそ、滝の裏側の洞窟に入る時に戦った山田と田中達を前にした時のような気持ちである。だから錬太郎は巨大な銀色の鳥をにらむのだ。きっと始末してやると、そんな心で動いていた。

 錬太郎が杖を渡してくれとお願いをするとすぐに、葉波根みなとは動き出した。今まで後部座席で小さくなっていたのが嘘のように、手際よく錬太郎に杖を渡していた。

 なぜかだ少しだけ誇らしげだった。錬太郎にお願いされたというのが彼女のやる気になっていた。お願いされるということ自体に意味があるのではなく、錬太郎に頼りにされているというのがうれしかったのだ。

 これが車川貞幸だとか、後部座席に座っているほんの少し気に食わない丙花白からお願いされたとしても、あまりやる気は出てこなかっただろう。

 やはり、自分が頼りにしている人物に頼られるというのは、何とも言えない感情が湧いてくるのだった。これは愛情というよりは固い信頼関係を結べているという感覚から湧き出てくる気持ちのいい感情である。

 自分の信頼が相手の行動によって証明され、自分たちの関係が完成しているという実感が葉波根みなとの原動力なのだ。

 そんな原動力でもって錬太郎の手の中に贈られる杖である。まったくイラつかせるような遅さはなく。待ってましたとばかりに錬太郎に送り届けられることになった。


 そうして、葉波根みなとから杖を受け取った錬太郎はおかしな行動をとり始めた。杖を受け取るとあっという間に助手席の扉を開けて、逆上がりをするような調子で車の上に登ってしまったのだ。長いつえを持っているというのに、非常に器用にやってのけた。体の大きさをものともしない筋肉と、バランス感覚はめったにいないといっていいレベルだった。

 錬太郎は相手をよく見ていた。これから錬太郎たちが相手にしなければならないのは、巨大な鳥である。翼の大きさを含めると十メートルを超えるような怪物だ。

 この怪物が地上に降りて戦ってくれるなどということがあるだろうか。おそらくない。普通に考えれば、空を飛びながら攻撃を仕掛けてくるだろう。猛禽類が地上の獲物を狙うようにやってくるはずだ。

 ならば迎撃する立場である錬太郎は、獲物を狙って襲い掛かってくるに違いないと信じて戦うしかない。

 車の中で黙って座っていれば好きなようにやられるのは間違いないのだ。

 多少無理をしても迎撃を選ぶしかない。もちろん攻撃してこない可能性もあるけれど、今までのことを思い出せばなかなかありえない話である。であるから、錬太郎は空を飛ぶ相手とやりあうために、車の上、屋根に陣取り迎撃を決めた。

 ただ、車の屋根の上に陣取る錬太郎は片膝をついていた。左足だ。左足は膝立ちになっている。結構な勢いで走っている車の屋根で二本足で立つのは傷ついた左足では無理だったのだ。それは超能力を使っても無理だった。痛みが邪魔をするのだ。

 錬太郎が車の屋根の上で片膝をついて迎撃の姿勢を作っていると、運転席から車川貞幸が顔を少し出してこういった。

「危ないぞ! どうするつもりだ!」

 声を張り上げる車川貞幸であるけれど、視線はしっかりと前を向いていた。ただ、顔色は非常に悪い。

 車川貞幸もはるかかなたの天井に届いている塔から飛んでくる巨大な銀色の鳥の姿を見ている。

 この銀色の鳥の大きさ、どう見ても戦う気満々の面構えを見て仲良くできる相手であるなどとは思えない。

 鋭い爪も、くちばしも、人間を軽く切り裂ける鋭さがある。それどころか車のフレームあたりをつかみあげて、落とすなどということもできるかもしれない。

 小さな鳥には無理だが、大きな、十メートルを超えるような鳥ならば、できるかもしれない。

 猛禽類が自分の体よりも大きな山羊を空にさらっていくという話を車川貞幸は知っているので、余計に嫌な気持ちしかしなかった。

 向かってくる巨大な鳥をどう対応するのか、車川貞幸の運転技術でどうにかできるのかいろいろと考えてもいい答えは出てこなかった。できるとしたら精々しっかり前を見て運転するくらいの子だけだった。

 どうするのかと声を張り上げる車川貞幸に、錬太郎は大きな声で答えた。

「近づいてきたところを撃ち落とす! 運転は任せます!」

 大きな声で自分の作戦を話す錬太郎は集中を高めていった。いつでも動き出せるように杖を肩に担いだ。

 錬太郎たちに向かって飛んでくる巨大な鳥がはっきりと見え始める。今まで豆粒のような大きさだったのが、尋常ならざる存在と一瞬でわかる距離まで近づいてきた。

 あと十秒足らずでぶつかり合うだろう。

 錬太郎は全くひく気がない。相手も引く様子はない。ならばやるしかないだろう。相手が近づいてくるのなら、襲ってくるのならば思い切りその時をたたくだけ。

 錬太郎の攻撃が届く距離は腕の長さに杖の長さを足した長さ、精々二メートル半。この距離に近づいてきたら思い切りやるだけであった。

 たとえ大きな爪が襲いかかってこようと、くちばしが襲って来ようと、思い切り振りぬくだけである。それだけの気持ちを込めて、その時のため、迎撃の姿勢を完全なものにしていた。

 錬太郎の作戦といえない作戦を聞いて、車川貞幸は黙ってハンドルを握った。ハンドルを握っている車川貞幸は何とも言えない笑顔を浮かべていた。

 錬太郎の作戦を聞いてしまったからだ。どう考えてもまともではなかった。巨大な鳥に対して戦いを挑むとか、攻撃の回避を自分にすべて任せるとか。

 車川貞幸は錬太郎とは違うのだ。それほど体力があるわけではない。それほど腕力が強いわけでもない。普通なのだ。免許はゴールドだけれども、それだけだ。無茶を言ってくれるという気がしてくる。そんな車川貞幸である。何とも言えない顔で笑うしかなくなる。

 ただ、やけっぱちではなかった。やる気はあった。娘をこんなところで死なせるわけにはいかないからだ。そして自分自身も死ぬつもりはなかった。


 車川貞幸と錬太郎の会話を後部座席で聞いていた葉波根みなとと丙花白はさっぱり何が起きているのかわかっていなかった。困ったような顔で首をかしげていた。錬太郎が急に杖をほしがったのも、いまいち理由はわかっていないのだ。

 というのも後部座席からは角度の問題で巨大な鳥の姿が見えないからである。葉波根みなとは杖を錬太郎に渡していたので、見えていそうなものだが、錬太郎が対応しようとしている問題に対して理解が当たったわけではない。

 錬太郎が求めたから答えたというだけのことである。そして、錬太郎の行動、車川貞幸の行動から何かとんでもないことが起きたということだけを察していたのだった。これは丙花白も同じである。

 後部座席で困っている二人が完全に事態を把握するのは、巨大な銀の鳥が車に掴みかかってきたその瞬間だった。巨大な銀色の翼が視界を遮り、子供ほどある鋭い爪がきらめくのが残像として視界に残っていた。

 この時やっと二人は理解したのだ。この巨大な何者かを運転席と助手席に座っていた二人の奇妙な行動をとらせていた原因なのだと。

 後部座席で一瞬の間に凍りついた二人であったが、今度は悲鳴を上げることになった。二人とも非常に短いけれどもかなり響く悲鳴を上げた。

 というのも葉波根みなとと丙花白は、ドゴンという音と同時に、何かがへし折れる音が聞こえてきて、同時に、車の左側の道へ巨大な銀色の鳥が落ちるのを見たからである。

 何とも言えない恐ろしい光景だった。丙花白とほとんど同じ大きさの頭を持つ銀色の猛禽類が、泡を吹いて道に落ちてくるのだ。

 この巨大さ、あまりの恐ろしさは悲鳴を上げるのに十分だった。

 この二人が悲鳴を上げた一秒後、車が急停止した。車川貞幸が止めたのだ。車川貞幸はバックミラーを見ていた。バックミラーには道に転がっている錬太郎がいた。

 バックミラーに映る錬太郎はへし折れた杖を握ったまま地面に転がり、うずくまっていた。かすかに震えているので、生きているのは間違い。

 錬太郎が見事巨大な銀色の猛禽類を迎撃してのけたのを、音から推測できた。そして巨大な銀色の鳥が、地面に落ちてきたのを見て迎撃の成功を確信する。

 しかし同時に錬太郎の心配もしていた。あの巨大な鳥を迎撃してのけるほどの腕力が、足場の不安定な場所で発揮されたというのならば、力の反作用を持って、吹き飛ぶのではないだろうか。

 それに思い当った車川貞幸である。すぐにバックミラーを確認して、錬太郎の姿を見つけ出せた。そして錬太郎を助けるために車を止めた。


 運転席から車川貞幸が急いで降りてきている間に、車の屋根から転がり落ちた錬太郎は何とか立ち上がろうともがいていた。さすがの錬太郎であってもかなりの勢いがついている車の屋根から、転がり落ちて平気ではいられなかった。

 体を強く打ったのか、全身が微妙にしびれている。また、落ち方が悪かったのか、右の肩がうまく動かせなかった。錬太郎は見事銀色の巨大な鳥を撃ち落として見せた。道路に転がっている巨大な鳥の様子からして二度と起き上がってこない雰囲気である。

 しかし錬太郎はもがいて立ち上がろうとする。錬太郎は見てしまったのだ。銀色の巨大な鳥の中身が、錬太郎には透けて見えていた。

 透かして見た時に錬太郎は銀色の鳥の正体を見抜いた。この銀色の巨大な鳥には内臓がない。また、骨もない。怪物であるとは思っていたが、生命体ですらなかった。

 錬太郎はこの巨大な鳥とよく似た物体について思い当たるものがあった。石像である。羽の生えた鳥人間の石像。それとそっくりな構造をしているのだ。

 だから錬太郎は立ち上がろうとしている。確かにうまく迎撃して見せた。しかし相手は生命体ではなく物体である。機械に近い存在なのだ。

 ならばうまく撃ち落とせたとして安心できるわけがない。いまはどうにか動きを止めているけれどそれもいつ動き出すのかわからない。ならば完全に機能を止めなければならない。だから錬太郎は体がひどく傷むのも我慢して立ち上がろうとするのだった。

 立ち上がろうともがいている錬太郎に車川貞幸が近寄ってきた。車川貞幸はひどい顔をしていた。錬太郎のぼろぼろになった様子を見てのこともあるが、十メートル近い巨大な鳥の迫力がすさまじかった。

 何せ銀色の巨大な鳥は異常なほど大きい。顔の部分だけでも人間一人分の大きさがある。くちばしの鋭さや、爪の恐ろしさなどは言うまでもない。触れるだけで切り裂かれてしまいそうだった。ただでさえ恐ろしい猛禽類が人間よりもはるかに大きくなり襲い掛かってきているのだ。

 こんなのは恐ろしくてたまらない。たとえ動きを止めていたとしても近寄るのは恐ろしかった。それこそ動かないとわかっているはく製を前にして震えるような気分であった。小さなころならば近寄ることもできなかっただろう。

 しかし車川貞幸は大人で、恐怖を抑え込む理性を持った男だった。まったく恐怖はなくならないけれどもしっかりと錬太郎に近づいて助けようとしていた。

 車川貞幸が近寄ってくると錬太郎がこう言った。

「肩を貸してください。まだ、動く可能性がある!」

 車川貞幸に肩を貸してくれという錬太郎は、へし折れた杖を放り捨てた。この間にも錬太郎は何とか体を動かして立ち上がろうとしていた。銀色のフクロウの仮面の下にある錬太郎の顔が痛みでゆがんでいる。脂汗もにじんでいる。しかしまったく動くのをやめない。

 巨大な銀色の鳥がわずかに震えたのが見えたからである。この震えがたまたま偶然に起きたものなのか、自発的に動き出したものなのかの判断はできない。

 たとえば偶然に風が吹いて、銀色の体毛が揺らいだという可能性もあるだろう。それはありうる。しかし若しも錬太郎の攻撃から回復してきて、動き出そうとしているのならば、それは錬太郎たちの終わりを意味する。

 少なくとも錬太郎はまともに動ける状態ではない。車の中の葉波根みなとも丙花白も戦える力はなく、車川貞幸も同じだろう。逃げ回るのもかなり難しい。

 戦うのも難しく逃げ切るのも難しい相手が目の前の怪物なのだ。もしも逃げ回ってどうにかできるのならば、ここまで必死にはならない。たとえば熊とか虎のような車の中に入って我慢していればいいような存在ならば、無理をする必要はないのだ。

 錬太郎たちの乗っている車の分厚い装甲ならば、たやすく防ぎきれる。ただ、目の前の巨大な銀色の鳥には無駄だろう。

 数トンの重さがある車であろうとたやすく持ち上げられて、あっという間に壊されるかもしれない。ならば、今この瞬間がチャンスなのだ。逃げるのも戦うのも難しい相手が動けない状態なら、ここでやるのが一番安全なのだ。だから錬太郎はやる。こんなところで死ぬつもりはまったくなかった。


 錬太郎の叫びに車川貞幸があわてて動き出した。車川貞幸の動きは素早かった。錬太郎の体を抱き起して、錬太郎に肩を貸した。見た目に似合わず車川貞幸はなかなかの腕力の持ち主だった。錬太郎の体をいともたやすく抱き起して、あっという間に肩を貸せるのだから。

 しかし車川貞幸の顔色は真っ青だった。錬太郎の言葉が耳に残っている。銀色の巨大な鳥が生きているかもしれないのだ。

 それは非常に恐ろしいことだ。目の前の鳥は小さな鳥ではないのだ。また、穏やかな性格でもない。こんなものがまだ生きていて動き出すかもしれないというのなら、それは非常に恐ろしい。

 錬太郎の考えが間違いであるということも考えられるけれども、完全な止めが必要であるというのなら全く手加減を加える必要はないというのは車川貞幸もうなずけた。そしてすぐに自分たちの命を安全にするために錬太郎を抱きかかえて肩を貸したのである。

 車川貞幸に肩を貸してもらった錬太郎は、できる限り急いで巨大な銀色の鳥に近づいて行った。左足の調子が非常に悪く、右肩の調子も悪いが、それでも全く自分の体をいたわっていない。

 早く早く動こうとして必死になっていた。錬太郎は見えているのだ。道路に横たわる巨大な銀色の鳥が呼吸をし始めているのが。そして呼吸に合わせて全身の銀色の体毛が震え始めているのが。

 そして、錬太郎が近づくにつれてぎょろぎょろと二つの大きな目が恐怖で震えている様子が。

 仕留めきれていなかった。

 錬太郎はこの巨大な鳥を生かして返すつもりはない。なぜならば、銀色の巨大な鳥は自分たちを襲った存在だからである。

 屋根の上で巨大な銀色の鳥のきらめく爪が問答無用の攻撃を仕掛けてきたのを覚えている。命を狙うものの命を許せるほど錬太郎はおろかではない。

 たとえ恐れおののいていようと、全く関係ないのだ。そしていよいよ巨大な銀色の鳥がまだ動いているのならば、完全に停止させるのが筋というものだろう。だから錬太郎は急ぐのだ。何としても始末するために。

 錬太郎があと一歩というところまで来た時だった。道路に転がっていた銀色の巨大な鳥が体を起こした。しかし非常に不格好なものである。体を震わせて、翼でもがいてやっと体を起こしたのだった。巨大な銀色の鳥の目は非常に印象的だった。

 起き上がる間も起き上がってからも錬太郎を見つめたままだったのだ。何を思っているのかはすぐにわかる。怖がっていた。自分に向かって歩いてくる、小さな錬太郎の存在を感じ取っていた。ほかの者たちはまったく恐ろしくない。

 車の中に隠れている小さな存在も、錬太郎に肩を貸している存在も怖くない。何せ非常に小さくて、か弱いのだ。自分が本気になって戦えばあっという間に消しさせる存在である。まったく何も恐ろしいことはない。

 しかし、目の前の足を引きずって近づいてくる錬太郎だけは例外だ。自分を傷つけることができるうえに、本当に自分の命を奪うことさえできる。

 正真正銘の格上だ。今まで自分よりも強い存在など見たこともなかった巨大な銀色の鳥は戦士ではなかったのだ。

 命をかけて戦う経験などしたことがなく、必死になって戦う経験などもなかった。完全に格下を相手にして戦うことばかりだったのだ。子供が虫けらを殺すようなことしかやっていなかったのだ。そんなところに現れたのが、完全な格上。

 そして自分の命を本気で奪う覚悟のある怪物。こんな錬太郎と一緒にいるのは恐ろしかった。どうやっても逃げたかった。戦うなどとは考えもしなかった。ただただ、安全な場所に逃げたかった。それが巨大な銀色の鳥のすべての考えだった。

 頭の中は逃げることだけでいっぱいだった。命令のことなどすっぱり忘れていた。



 巨大な銀色の鳥がもがいているのを見て、錬太郎がさらに勢いを上げた。左足首の痛みも肩の痛みも、全身の痺れもほんの少しだけ忘れられた。仮面の下の錬太郎の表情が険しくなっていたが、銀色のフクロウの仮面が覆い隠していた。

 同時に銀色のフクロウの仮面がさらなる変化を起こしていた。襟巻の下から足指を伸ばしてきて、錬太郎の両肩へつかみかかった。

 錬太郎が足を速めたのは巨大な銀色の鳥が羽ばたき始めているからである。巨大な銀色の鳥が羽ばたく理由を錬太郎は知らない。しかし飛ばれるとまずいことだけははっきりとしている。

 これが羽を持たない存在であれば、好きなようにもがいてくれたらいいのだ。人間でもライオンでもクマでももがくだけなら問題ない。

 しかし、翼をもったものが羽ばたいて空を飛ぼうとするのはどうしてもだめなのだ。逃げるのか攻撃してくるのか、どちらにしても非常に不利になるからである。

 なぜなら、空を飛ばれると手が届かない。人間の手の長さをかんがえると届く距離はせいぜい二メートルと少し。道具を使わなければどうにもならないのが本当である。

 そうなると錬太郎はどうやっても巨大な銀色の鳥を空に逃がすわけにはいかないのだ。だから錬太郎は何が何でも始末しようと足を速めるのだった。あまりにも必死になっているために全身の痛みを忘れるほどだった。

 ただ、錬太郎が必死になればなるほど巨大な銀色の鳥も必死になってもがいた。あまりに激しくもがくので強い風が吹いて、車川貞幸と錬太郎の体が浮き上がりそうになった。巨大な銀色の鳥は錬太郎の迫力に完全に押されていた。

 完全に格下の存在としか戦ったことのない巨大な銀色の鳥である。完全に格上の存在が全身全霊を込めて命を奪いに来るのは初めての体験だった。そして同時に涙が出るほど恐ろしい体験になっていた。

 それこそ巨大な銀色の鳥が今まで襲いかかっていた小さな存在たちが感じるような気持ちである。車の中で震えあがっている葉波根みなとや、丙花白の気持ちなのだ。

 その気持ちを巨大な銀色の鳥は感じていた。そしてその恐怖から逃げ出そうと必死になっていた。

 わずかに巨大な銀色の鳥が浮かび上がった。錬太郎が近づくよりも早く、銀色の鳥が姿勢を整えて、飛び上がったのだ。巨大な銀色の鳥がほっとする。しかし、ほんの一瞬のことだった。

 錬太郎が全身のバネを使って巨大な銀色の鳥に飛び掛かったのだ。肉食獣が獲物に飛び掛かるのに似ていた。

 丁度銀色の巨大な鳥の首にしがみついて、振り落とされないように背中側にするりと滑り込んで、両手両足でしっかりと首を絞めていた。痛みは興奮が押さえ込んでいる。 

 巨大な銀色の鳥にしがみついた錬太郎の動きは尋常ならざる素早さだった。今までの痛みに耐えて動いていたのが嘘のようだった。

 錬太郎は銀色の巨大な鳥がわずかに浮かび上がったのを見て、完全に痛みを無視した。これがもしも何もない状態であれば、激痛を無視するようなまねはしなかっただろう。錬太郎には車の中に隠れている葉波根みなとと丙花列の姿が見えている。

 そして、自分に肩を貸してくれた車川貞幸の姿が見えているのだ。錬太郎は、錬太郎の背中にたくさんのものを背負っているのがわかっている。

 だから痛みを無視した。頑張らなければならない。ここで頑張らなければまた奪われて、激痛よりももっとひどい後悔を感じることになると自分を激励した。そしてその激励が錬太郎の強い覚悟となり、自分の肉体を無視した行動につながったのだ。


 錬太郎が飛びついて首を絞め始めたことで、銀色の巨大な鳥は完全に取り乱した。翼を大きくはばたかせて、空に飛びあがった。そして錬太郎たちが乗っていた車から離れて、自分の巣へ帰ろうとした。巨大な銀色の鳥は恐れおののいていた。

 完全に心折れていた。自分の首にしがみついている錬太郎の存在を感じて、どうしようもなくなっていた。完全に命を奪われるかもしれない状況である。

 今までこんな目にあったことがなかった巨大な銀色の鳥である。心の準備などできていなかった。傷つけられるのも撃ち落とされるのも初めてで、ましてや首を絞められて殺されるかもしれないという状況は想像したこともなかった。

 今は考えもしなかった死が目の前どころか、自分を締め上げている。戦士でもなければ覚悟を決めていたわけでもない巨大な銀色の鳥は、ただ恐れおののいた。

 ただの獣であればこれほど恐れることもなかっただろう。しかしなまじ考えることができるだけに自分が体験することになった理不尽な絶対者と死が恐ろしくてしょうがなかった。

 そして覚悟も何もなかった巨大な銀色の鳥はただ自分の仲間がいる自分の巣へ戻ろうとした。安全な場所は自分の巣だけだと信じて、それ以外は考えられなかったのだ。


 巨大な銀色の鳥が飛び去った後、車川貞幸が急いで運転席に戻り、あとを追いかけた。まったく澱まずに動いている。エンジンをすぐにスタートさせて、巨大な銀色の鳥が塔に向けて逃げ戻るのをにらんでいた。運転の勢いは今までとは違い激しかった。

 車川貞幸が車を走らせている間、葉波根みなとの背中を丙花白がさすっていた。二人の間に流れていた不穏な空気はなくなっていた。

 ただ、空気自体はより悪いもの変化していた。というのが、葉波根みなとの顔色が真っ青になっていたのである。そして丙花白の顔色も悪い。どちらも巨大な銀色の鳥を見て、その恐怖が衝撃になっている。

 そしてそれに加えて、錬太郎が無茶なまねをしたことで、葉波根みなとは完全に心理的な衝撃が許容量を超えて、吐き気を覚えていた。丙花白が葉波根みなとをいたわっているのは、吐きそうになる衝撃というのがよくわかったからだ。丙花白も同じ気持ちだったからである。



 

 巨大な銀色の鳥の首根っこにしがみついたまま五分間ほど錬太郎は空を飛んだ。まったく不愉快極まる体験だった。

 乗り心地は最悪。錬太郎を振り落としたいらしくぶんぶんと巨大な鳥が首を振る。そして銀色の体毛は非常につるつるとしていてつかみにくい。飛行機のようにまっすぐに飛んでいるわけではなく、羽ばたくたびに上下するのも錬太郎の気分を悪くした。

 しかし錬太郎はしっかりと巨大な銀色の鳥の首を絞め続けた。思ったよりも巨大な鳥の感触が柔らかかったので、首をへし折ることもできたがしなかった。状況を冷静に分析するとできなかったのだ。

 地上からはるかに高い場所に自分たちがいると錬太郎は気付いている。巨大な銀色の鳥に掴みかかり、そのまま空を飛んでいるのだから当たり前のことであるけれども、その事実に気づいていた。

 錬太郎は体は頑丈なほうだ。筋肉も骨格も人並み以上であると自負している。不思議な能力もあるので、よほどのことがなければ死ぬことはないだろう。

 しかし、いくらなんでも鳥が楽々飛ぶような高度から落ちるようなことになった時、生きていられるかといわれると非常に怪しかった。もしかしたら、落ちても無事に済むかもしれない。可能性の話であるが、超能力で落下の勢いを殺せるのなら生き残れるかもしれない。

 しかしできない可能性のほうがずっと高いうえ、そんな危険なまねができるほど錬太郎はバカではなかった。錬太郎はまだ死ぬつもりはないのだ。こんなところで死ぬわけにはいかないと思っている。

 だが、いつまでも続くものではなかった。錬太郎がしがみついている間に巨大な銀色の鳥は自分の巣へ帰還した。

 巨大な銀色の鳥の巣は、錬太郎たちが目指していた塔の、ちょうど中間地点にあった。塔のワンフロアを丸々巣に使っていた。しかし生命体の巣とは到底言えない物ばかりが並んでいた。やわらかそうなものが一切ない。まったく物が置かれていないワンフロアがあるばかりなのだ。少し観察してみると、ところどころに傷がついているのだけれどもその程度だった。

 しかし間違いなくこの塔のワンフロアが、巨大な銀色の鳥のすみかだった。住処に戻ってこれた巨大な鳥の大きな目玉に涙が浮かんでいた。そして、着地と同時に大きな声で鳴いた。自分の安心できる住処に戻ってこれたからである。

 それはそうである。何せ巨大な銀色の首には今も錬太郎がしがみついているのだ。銀色のフクロウの仮面が生きているかのように動き、全く殺気を隠すこともしない錬太郎がじわじわと首をへし折ろうとしている。

 ただでさえ、実力で後れを取ったこともない巨大な銀色の鳥である。命を本当に奪われるような可能性さえなかった。それが今になって、常に命を取られる状況が続いている。耐えられるわけがない。

 自分のすみかに戻るまでの十分間はまったく生きた心地がしなかった。それが今やっとどうにか解放された。

 不安だった心が、見知った自分の家に戻ってこれてやっと安心できた。まったく状況は変わっていないうえに、むしろ命の危険は増大しているのだけれども、いつものすみかにいられることが安心を生んでいた。そうして、やっと帰ってこれた、これで助かったと思って泣いたのだった。


 巨大な銀色の鳥が着地したのと同時だった。巨大な銀色の鳥の首にしがみついていた錬太郎が、地面に転がり落ちた。腕の力がなくなったから落ちたというようには見えなかった。

 自分から巨大な鳥の首から離れて、離れたはいいけれども足の調子が悪くうまく着地できなかったというのが正しい表現だろう。

 本当ならば、巨大な銀色の鳥の首を全身の筋肉を使いへし折ってしまうのがよかったのだ。それができるだけの腕力と筋力が錬太郎にはあるし、超能力のサポートは怪物じみた腕力を錬太郎に発揮させる。

 へし折れたのだ。ただ、できなかった。錬太郎はしっかりと自分を狙って構えている外敵の姿を見つけていた。この巨大な鳥の巣の中にあって外敵は錬太郎であるけれども。

 この塔の中にいる敵対者は錬太郎のことをじっと見つめていた。戦う気満々だった。かなり殺気立っていた。錬太郎はその殺気に感づいてあわてて回避を行ったのだ。ただ、あまり自分の状態がよくないことを忘れていたようで、着地は失敗して、落下したようにしか見えなかった。


 地面に落下した錬太郎の前に声をかけるものがあった。錬太郎が地面に落下して、忘れていた痛みを思い出して呻いているときのことだった。

 話しかけてきたのは、翼の生えた女性。鬼島笹百合をさらい、錬太郎が追いかける女性だった。翼の生えた女性は深い紺色のローブを着て、銀色の杖を右手に持っていた。鬼島笹百合と葉波根みなととほとんど同じ背格好なのだが、威厳があった。

 塔の中にある巨大な銀色の鳥の巣の床の上で呻いている錬太郎に彼女はこういうのだった。

「本当にすごいわ! まさかジャズを打倒してここに来るなんて! やるじゃない錬太郎ちゃん!」

 巨大な銀色の鳥をジャズと気安く呼びながら翼の生えた女性は錬太郎に近寄ってきた。銀色の長いつえを突きながら、全く緊張していない。

 錬太郎が怒りに震えているのを知っているはずなのに、柔らかい笑みを浮かべたままだった。雑なおかっぱ頭のせいで、何とも言えない雰囲気が漂っているのが奇妙だった。

 翼の生えた女性は錬太郎の今までを見ていた。今までとはこの未来都市に錬太郎たちが降りてきて、巨大な銀色の鳥ジャズをあっという間に返り討ちにして、この場所まで来たすべてである。

 そのすべてを見て、翼の生えた女性はよいものが来たと心の底から喜んでいる。

 これはつまり錬太郎ならばまったく問題ないだろうという判断である。だから気安く錬太郎に近寄っていけるのだ。それこそ葉波根みなとが錬太郎に自分の安全を任せるような行動をとるのと同じ理由である。

 翼の生えた女性は今までの戦いを見て間違いないと判断できた。

 だからとくに緊張することもなく、自分自身が錬太郎に憎まれる行為を取った存在であるというのにもかかわらず、気軽に話しかけ、気軽に近寄っていけた。この少年ならば、攻撃を仕掛けず丁寧に対応すれば大丈夫だからと。

 翼の生えた女性が現れた瞬間に、銀色のフクロウの仮面が恐るべきスピードで変化し始めた。今までは錬太郎の頭と肩にかけて領土を広げていたのが、今は一気に肩甲骨から腰に掛けてまで翼を広げていた。また、ヘルメットのように頭を包んでいた頭部は、ターバンを巻いたような状態へと変わっていた。

 本当にあっという間のことで、銀色のローブとターバン身にまとっているような怪しい姿に錬太郎は変わっていた。錬太郎の姿を銀色の翼で隠したフクロウであるが、それだけでは飽き足らないようであった。というのが恐ろしい勢いでくちばしを鳴らし、何度も瞬きを繰り返していた。

 その顔を見ていると、怒っているよりも焦っているように見えた。そしてその瞬きとくちばしの動きは錬太郎にというよりも、近寄ってこようとする翼の生えた女性に向けての警告に見えた。

 銀色のフクロウが翼を広げて錬太郎の体すべてを覆い隠したところで、翼の生えた女性がこう言った。

「あらあら……ものすごく嫌われちゃったわね。私は錬太郎ちゃんのこと大好きなんだけどな。

 困ったわ。どうしたら好きになってもらえるかしら……そうだ、いいことを思いついたわ。

 ねぇ錬太郎ちゃん。笹百合ちゃんの居場所、教えてあげましょうか。

 大丈夫よ、心配しないでいいの。本当に傷一つつけていないわ。むしろ私が引っかかれて困ったくらいよ。約束はしっかり守ってる。

 それで、錬太郎ちゃん、笹百合ちゃんだけどね、この塔の一番上、ご神体めぐりの最深部で休んでいるわ。少し熱中症気味だったみたいだから、ちょうどいいでしょ?

 カギは全部あけておいてあげたから、錬太郎ちゃんは頑張って上に上に登ってきてくれたらいいの。

 それだけで私は満足よ。絶対に笹百合ちゃんを傷つけたりしないと誓うわ」

 翼の生えた女性は錬太郎から三メートルほど離れたところで立ち止まって話をしていた。話をしている間、何度か翼の生えた女性の顔色が悪くなった。

 しかしすぐに威厳のある表情に立て戻して話をしていた。翼の生えた女性は錬太郎の仮面の尋常ならざる様子を見て一歩引いたのだ。

 翼の生えた女性はこのような現象を全く見たことがなかった。お面の材料になっている素材が、不思議な変化を起こすことは知っているのだけれども、いったん形を作った後に生きているかのような動きを起こすというのは初耳だった。

 少なくともただの飾りのために使った素材が生きているかのごとく動くのは初めて見た。

 そして、その初めて見る現象が、自分に向けて警告を発し続けているのがどうにも気になった。警告にもいろいろと種類がある。

 翼の生えた女性が受けたことのある警告は大きく分けて二つである。一つは見た目が怪物じみているので近寄ってくるなといわれる警告。

 いわゆる敵対しているのだから近寄ったらとんでもないことをしてやるぞという攻撃の予告のための警告。威嚇射撃のようなものだ。

 二つ目は賞味期限のような警告。急に話の内容が小さくなったが、これは相手のことを思いやる警告である。賞味期限を超えてしまったらあまり良いことになりませんよという警告は、敵対しているから起こされるものではなくむしろ相手のことを大切に思っているから起こされる警告である。

 父親や母親、友人などが自分のことを思いやってやめておけといって止めている状態である。翼の生えた女性は銀色のフクロウの仮面の警告は、自分のことを思いやってのものであると察した。

 そして、察したからこそ近づかなかったのだ。錬太郎の体を覆い隠した銀色のフクロウの翼は、錬太郎を守っているものではなく、錬太郎を縛り上げている鎖。

 もしも銀色の翼がなければ、錬太郎は問答無用で飛びかかってきて攻撃をしけてきたかもしれない。それも命を捨てる覚悟で。

 警告に気付いたからこそ、足を止められたのだ。これ以上近づけば銀色のフクロウの仮面で錬太郎を抑えきれないと予想したのだった。

 翼の生えた女性の話を錬太郎は黙って聞いていた。黙って聞いている間も銀色のフクロウのお面の翼がどんどん伸びて、今や床に翼が流れ落ちるほどであった。

 錬太郎が黙っている間に、翼の生えた女性は立ち去った。立ち去る時に、翼の生えた女性がこんなことを言った。

「あと、みなとちゃんたちだけど一緒に連れて行ってあげてね。

 この船の中で迷うと大変だから。もう少ししたらここに来ると思うから、そうしたら一緒に上がってきてね。

 それじゃあ、頑張って」

 葉波根みなとたちも一緒に連れて行ってほしいとお願いをして、翼の生えた女性は姿を消した。エレベーターのようなものに乗ってあっという間にどこかへと消えていったのだった。まったく夢でも見ているような光景だった。

 巨大な銀色の鳥ジャズの巣に置き去りにされた錬太郎は床の上に膝立ちになったまま、床をにらんでいた。

 銀色のフクロウの仮面の下の錬太郎は、複雑な表情を浮かべている。

 一つは怒り。鬼島笹百合をさらった翼の生えた女性に対する激しい怒りである。

 もう一つは不思議である。どうして自分にこれほどまでに執着するのかという疑問がわきあがっていた。

 確かに錬太郎は超能力を身に着けている。確かに身に着けているけれどもせいぜいそれだけだ。世界各地を探し回れば、おそらく錬太郎以外にもそれらしい力を持っている者がいるだろう。

 それこそ錬太郎と戦った山田と田中というのはおそらく神通力を持っていた。となると錬太郎だけが特別というわけではないのだから、執着する理由がわからない。

 それこそ好きだといっていたから、かまってほしいだけという可能性もあるが、それだと順番がおかしくなる。

 錬太郎は激しい怒りも感じていたが、どうしてもこのなぞが解けずに、妙な冷静さを手に入れることになっていた。単純な怒りだけならいいのだ。怒りにまかせて暴れまわればいい。

 しかし妙な好奇心と謎が、錬太郎を単純にさせない。怒りに震えていて、殺意が生まれるほどなのに、翼の生えた女性のなぞに対して冷静さを加えて一本道を作らせてくれない。

 それが錬太郎を何とも言えない気分にさせる。この二つの気分、鬼島笹百合を奪い返すという願いと翼の生えた女性への執着がどうしても錬太郎の中で矛盾していて何とも言えない表情を浮かべるようになったのだった。


 そんな錬太郎を心配そうに巨大な銀色の鳥が見詰めていた。今まで大きな翼を広げて威張り散らしていたのが嘘のように小さくなって、大きな巣の中で困り果てていた。



 

 巨大な銀色の鳥の巣の中で錬太郎が考え込んでいると、巨大な銀色の鳥が錬太郎に近寄ってきた。巨大な銀色の鳥ジャズは翼を広げずとも、立ち上がるだけで非常に大きく恐ろしい。

 立ち上がった姿だけ見れば、三メートルの高さがあり、横幅は大体二メートルほどである。大型トラックが動き回っているようにさえ見える。

 しかし錬太郎に近寄る動きというのは非常に警戒していて、すぐに逃げられるようにしているのが明らかであった。大きな目をみていると間違いなく悪者は錬太郎だろうなと誰もが思うくらいに悲しげな表情になっていた。

 巨大な銀色の鳥ジャズは錬太郎と翼の生えた女性、自分の主との会話をしっかりと聞いていた。普通の鳥ならば人間の会話を聞いたところで、さっぱり理解できないだろう。

 頭のいい一部の鳥は人間の言いたいことを理解することもできるけれども、さすがに完全に会話を理解して、これから人間がどういう行動を起こすのかを理解することはできない。

 しかしこの巨大な銀色の鳥ジャズは違うのだ。もともと形が鳥だというだけで、頭の性能は人間よりもずっといい。行ってみれば、大きな鳥の形をした人間、知的な生命体なのだ。

 もちろん、人間の言葉も理解できるし、頑張れば自分の気持ちを表現することもできる。相手にもよるけれども、できるのだ。

 そうなってくると、錬太郎が今自分の巣の中にいるというのはジャズから考えるとおかしなことである。なぜなら錬太郎はこれから塔のエレベーターを使い、上層部の試練に挑むということなのだ。

 翼の生えた女性がそういう話をしていたのだから、錬太郎が何を思うとも、そうすることになるだろうとジャズはわかっている。なのに錬太郎はまだ、居座ったままだ。

 よくわからない銀色のフクロウの仮面から伸びる翼が床に流れているのなど、生きているように脈動していて、タコの足のように見えて恐ろしかった。

 これ以上この場所にいてほしくない存在が、どういう理屈なのか、ずっと居座ったままなのだ。いつになっても帰らない強く出ることもできない客。最悪の状況だった。

 だがジャズもいつまでも錬太郎と一緒にいたくないので、さっさと先に進んでくれと、意思を表明するために動き出していた。

 しかしどうしても格上の相手に殺されかけたという経験が忘れられないために、怯えが全身の行動に現れてしまっていた。尋常ならざる体の大きさのため威圧感がものすごいジャズであるが、何とも言えない悲しさがあった。

 巨大な体で非常に小さなお願いを体全体で表現する銀色の鳥ジャズが近寄ってくるのも気にせずに、錬太郎は床に座り込んでしまった。先ほどまでは膝立ちですぐに動けるような姿勢を取っていたのだが、今はもう完全に胡坐をかいていた。

 すぐに動き出す雰囲気ではない。どうにも錬太郎は翼の生えた女性の言葉が、忘れられないのだ。初対面のはずなのに、もっと言えば会話さえまともにしたことがないのに、どうして興味を持ったなどといえるのか。

 これもさっぱり錬太郎にはわからないのだ。これがもしも知り合いが自分に対して好きだといってきたのなら、特に不思議に思うことはないのだ。

 なぜなら、それなりに相手と自分のことを知りあう時間があったからである。まったく知らない間柄ではないので相手と自分のいろいろなことをわかりあい好きだといわれるのならこれはよくある話だ。

 友人知人、親友から恋人まで口に出さなくとも相手に対しての判断はできる。

 付き合った時間の長さが、判断のための材料をくれる。しかし錬太郎と翼の生えた女性は違うのだ。まったくそういう時間がない。相手がどういう人間なのかも知らないし、どういう趣味を持っているのかも知らない。

 そもそも錬太郎は相手の名前さえ知らないのだ。そんな状況でいったいどうして興味をもたれるのか錬太郎にはさっぱり理解が付かない。

 そしてどうして自分にこれだけかまってくるのかというのもわからないのだ。はっきり言って鬼島笹百合をさらうことさえ必要なかったはずだ。錬太郎を試したいというのなら、問答無用で巨大な鳥を差し向けてこの地下都市に放り込んでしまえばいい。油断している時の錬太郎ならできたはず。

 今回はたまたま杖を持っていたから迎撃できたが、素手なら無理だった。それができたはずなのに、あえて鬼島笹百合を連れ去り自分に自発的に歩かせようとするのだからこれもわからない。わからことばかりだった。

 そうして錬太郎はわからないことばかりになり、考え込んでしまう。激しい怒りはもちろんある。くだらないことに巻き込んでくれたという怒りもある。しかし意味不明な行動をとられるという謎が、妙な冷静さを錬太郎に与え、そして単純な怒りだけで動く復讐者で居られなくなっていた。

 錬太郎はこのままでは前に進めないと思い、どうにか折り合いをつけようとしていた。翼の生えた女性がいうにはまだ何かが待ち構えているのだ。いちいち頭を混乱させたまま突入すれば間違いなく悲惨な目にあうだろう。巨大な鳥のようなものもいるかもしれない。ならば整理しておくべきだろう。だから錬太郎は黙って考えた。

 巨大な銀色の鳥ジャズが何とも言えない悲しい顔をして、さっさと出て行ってくれというジェスチャーをしているけれども気にせずにジャズの巣の中で座り込んだのだった。


 錬太郎が考え込んで三十分ほどした時だった。巨大な銀色の鳥ジャズの巣の中に葉波根みなとたちが現れた。彼女たちは翼の生えた女性が使ったのと同じエレベーターを使ってジャズの巣のフロアまで上がってきたのだった。

 エレベーターの中にいる葉波根みなとは随分顔色が悪く、丙花白が心配そうに手を握っていた。また、二人を守ってここまで来たのだろう車川貞幸はエレベーターの扉の前に立って拳を固く握りしめて、何が来ても対応できるようにしていた。

 巨大な塔の中のワンフロアがすべて巣になっているのを見て、エレベーターから降りてきた彼女たちは非常に驚いていた。また、それと同時にジャズの巣の中を見渡して言葉を失った。

 巨大な銀色の鳥ジャズの巣の中で座り込んでいる錬太郎の姿と、居座っている錬太郎をどかそうとして頭で押しているジャズの姿を見たからである。

 ただ、巣の中で座り込んでいる錬太郎というのはほとんど、元の姿をしていなかった。というのが錬太郎が身に着けている銀色のフクロウのお面が、前に見た時よりもずっと変化していたからである。前に見たときは錬太郎の肩あたりまでしか翼を広げていなかったのが、今では錬太郎の体全体を包み隠し、それどころか床にまで翼が流れ出している。

 前の姿しか見ていない三人にとってどれが錬太郎なのかをすぐに判断するのか難しかった。そして、錬太郎をどかそうとしている巨大な銀色の鳥ジャズというのがどうにもよくわからなかった。

 ものすごく大きな鳥であるから、錬太郎など簡単にどかせそうなものだがまったく上手にできていなかったのだ。頑張って頭で押しているのだけれど少しも錬太郎が動いていない。小さな子犬が頑張っているように見えるほどだった。


 葉波根みなとたちは錬太郎が巨大な鳥に連れ去られるのを見ていた。実際のところは錬太郎が巨大な銀色の鳥を始末しようとしていたのだけれども、連れ去られたと三人は見ていた。

 しかしここに来てみると巨大な銀色の鳥が錬太郎にじゃれついているようにしか見えず、むしろ錬太郎が困らせているようにさえ見えた。こんな光景をまさか見ることになるとは思ってもいなかったのだ。

 それこそ凄惨な現場が待ち構えているのではないかと嫌な予感で心はいっぱいになっていたのである。なぜなら、怪物としか言えないような巨大な銀色の鳥と一緒にどこかへ飛んで行ってしまったのを見ていたからだ。

 どう考えても人間が勝てるような相手ではなかった。直接戦っていない三人が死を覚悟してしまうほどだった。当然錬太郎はなすすべなくやられているとそう思っていた。そんなことを思っていた三人であるから目の前の光景を見て目を見開いて、固まってしまうのであった。

 エレベーターから三人が降りてくると、錬太郎をどかそうとしていたジャズが大きく鳴いた。ジャズの巣に鳴き声がよく響いた。

 あまり大きな声で鳴くのだからエレベーターから降りてきた三人が、腰を抜かしそうになっていた。銀色の鳥ジャズはしっかりと自分の巣に侵入してきた三人の姿を発見していた。錬太郎よりも、自分よりもはるかに弱い人間の姿を見ていたのだ。

 ジャズはこの三人が錬太郎の知り合いであるというのに気付いている。錬太郎たちが乗っていた車を襲った時にしっかり姿を確認していた。これで全く違う誰かがここに来たとしたら、それこそがっかりしていただろうが、錬太郎の知り合いであるというのがよかったのだ。

 ジャズは錬太郎を引き取ってもらおうと考えているのだった。自分が一生懸命になって巣から追い出そうとしても全く錬太郎は動かない。動いてくれない。

 ならばどうすればいいかとなれば、動かせるものに動かしてもらえばいいというように考えるのだった。そしてその動かせる誰かというのは、ジャズが思いつくところでは車に乗っていた三人だけだった。

 だからエレベーターの中から、三人が現れたのを見て、やったと思った。そして、さっさと錬太郎を連れて行けと言って催促するのだった。大きな鳴き声はやっと邪魔者が消えてくれるという気持ちと、さっさと先に進めよという気持ちが合わさった鳴き声だったのだ。


 巨大な銀色の鳥ジャズが鳴き声を上げると、錬太郎が顔を上げた。銀色のフクロウのお面が、とんでもないことになっているのも気にせずに座り込んで考え込んでいた錬太郎がついにエレベーターのほうを向いたのだ。

 銀色の鳥ジャズの鳴き声が耳元で炸裂したのがきいていた。鼓膜が破れるようなことはなかったのだが、かなりうるさかった。

 それも結構甲高い声で鳴くので、結構なストレスがあった。ただ、この巨大な銀色の鳥ジャズは今の今まで特にこれといったアクションを取っていなかったのを錬太郎は知っている。頭を押し付けてきているのはわかっていたけれどもせいぜいそれくらいのもので、攻撃してくるようなことはなかった。

 だから急に大きな声を出したのが不思議だったのだ。そして鳥がいきなり鳴き声を上げるような状況の変化が起きたのではないかと考えたのである。それこそ犬が外敵を見つけて鳴き出すようなそういう変化を想像した。そうして必死に考え込んでいた錬太郎は顔を上げて、エレベーターのほうを見たのだった。


 そうしてエレベーターのほうを見た錬太郎はこんなことを言った。

「あれ、葉波根さん……どうやってここまで?」

 気の抜けた声で、葉波根みなとたちに声をかけていた。立ち上がろうとしてふらついて、近くにいたジャズの頭を支えにした。巨大な鳥の頭を右手で思い切りつかんでいた。ふらついた時にちょうどいい支えになるのがジャズの頭しかなかったのだ。

 今までは杖を使って体を支えていたのだが、それは残念ながらへし折れているし手元にない。左足首の調子が良ければ、全く問題ないのだが痛みはまだ引いていない。倒れてしまってもよかったのだが、つい反射的に丁度近くにあったジャズの頭で体を支えたのだった。それこそちょうどよかったからつかんだだけなのだ。

 ただ、いきなり頭をつかまれた巨大な銀色の鳥ジャズは非常に困っていた。振り払うわけにもいかず、か細い鳴き声を上げてやめてくれと訴えるだけだった。

 巨大な銀色の鳥ジャズの頭を支えにして錬太郎が立ち上がり、五秒ほど間が空いた。そうしていよいよ、車川貞幸が答えた。

「えっと……銀色の鳥を追いかけてきたら、ここまでこれたんだ。塔の中に入ってこれたのは、門も、扉も全部開いていたから。ここまで直通だったよ。

 道案内まであったしね、天使……鳥女さんの声が進む方向を教えてくれた……というか、大丈夫なの?

 その、何というかものすごく嫌がってるけどその、でかい鳥が」

 ここまでの道のりを説明する車川貞幸は、エレベーターの出入り口から離れようとしなかった。まったく、油断していない。

 それは当たり前のことである。何せ錬太郎が体を支えるために使っている巨大な銀色の鳥はあまりにも巨大すぎる。娘の身長よりもずっと大きな頭、胴体も軽自動車くらいある。足の爪など鉄を切り裂くこともできそうな鋭さだ。しかもどう見ても猛禽類のごとき面構えである。

 普通に空を飛んでいる一般的な猛禽類であっても恐ろしいのに、こんなに大きくてしかも攻撃してきた猛禽類など絶対に近づきたくなかった。

 柵のない動物園に放り込まれたような気分である。遠くから見るのはいいが、絶対に近づきたくない。だからいつでも逃げられるようにエレベーターの出入り口で構えていた。娘を絶対にこんなところで死なせたくないのだ。

 車川貞幸の話を聞いた錬太郎はうなずいた。しかし錬太郎がうなずいたのだとすぐにわかる人はいないだろう。なぜなら錬太郎の体というのは銀色のフクロウの仮面が翼を広げすぎていて、何がどうなっているのかさっぱりわからなくなっている。

 仮面の本体がある頭の部分はとっくの昔に羽で覆い隠されている。頭の後ろも首の後ろも、うなじから肩にかけても、そして足首に至るまですっかり翼が伸びてきて隠されている。今の錬太郎の格好というのは地面に流れ出すほど長い銀色のローブを着た怪人である。こんな状態であるから、うなずいてみてもうなずいたのかどうかがさっぱりわからないのだった。


 巨大な銀色の鳥ジャズの頭をつかんで体を支えてうなずいている錬太郎に、葉波根みなとが駆け寄っていった。自分の手を握ってくれていた丙花白にお礼を言って、震えながらも錬太郎に駆け寄っていった。

 葉波根みなとにとって錬太郎が立って、動いて口をきいているというのはとても素晴らしい光景だった。葉波根みなとの頭の中にあったのは、錬太郎が全く人の形をとどめておらず、そして口もきけなくなっているという光景であった。

 どう考えてもそうなる状況であったと、彼女は思っているし、普通に考えてまともな結末は望めない行動を錬太郎はとっていた。

 だから、今のように錬太郎が目の前にいて、少し恰好が変わっているけれども生きていてくれることが何よりもうれしかったのだ。そして、その現実を受け入れるのに少しだけ時間がかかった。葉波根みなとが駆け寄っていったのは、錬太郎を連れていくためである。

 ほっとして、これで錬太郎も一緒に帰れるのだと思ったのだ。そして自分が錬太郎にできることは何かと考えて、杖の代わりに支えなければと考えて動いたのだった。これは巨大な銀色の鳥の頭を錬太郎が支えにして立っているのを見れば、すぐに思いつくことだった。

 錬太郎に近づいて行った葉波根みなとは何も言わずに錬太郎に手を差し出した。巨大な銀色の鳥ジャズが目の前にいるためだろう、非常におびえている。

 目が錬太郎と巨大な鳥との間を交互に行き来していた。しかしそれでもやることはやっていた。

 葉波根みなとが差し出してくれた手を錬太郎はしっかり握った。今まで巨大な銀色の鳥ジャズの頭を握っていた右手である。この時錬太郎は礼を言った。

 目の前にいる葉波根みなとが、何を言わんとしているのか、錬太郎にはしっかりわかったのだ。これが、車川貞幸だとか丙花白ならばなかなか難しかっただろうが、葉波根みなとなら、なんとなくわかる。今まで錬太郎のすぐそばにいて、錬太郎がどういう状態なのかを知っている葉波根みなとである。

 足を負傷しているというのに杖も失って、何をやっているのかということであろう。錬太郎も自分が支えてもらわなければどうにもならないのはわかっているのだ。だから、礼を言った。助けてもらえるのならうれしいことだった。

 錬太郎から解放された巨大な銀色の鳥ジャズは嬉しそうに鳴き声を上げた。本当にうれしそうな声だった。大きな犬がはしゃいでいるようにも見えた。

 


 葉波根みなとと錬太郎がかなり不器用な二人三脚をしていると、巨大な銀色の鳥ジャズがおかしな行動をとり始めた。巨大な銀色の鳥の目は非常に身長差のある二人のへたくそな二人三脚をじっと見つめていた。

 そして、自分の右側の翼を広げて、毛づくろいを始めたのだった。自分のくちばしで自分の右の翼をつついていた。急に毛づくろいを始めたジャズであるが、身だしなみを整えたいという気持ちから行ったものではない。

 この毛づくろいというのは目の前でへたくそな二人三脚をしている葉波根みなとと錬太郎を助けてやろうと思って行っているのだ。

 というのが、二人はまったくまともに移動できていない。錬太郎の身長が高いため、まともに杖の役割を葉波根みなとができていない。これはしょうがないことだ。そこでジャズは考えたのだ。ならば、自分が一つ杖でも作ってやろうかと。

 錬太郎にひどい目に合わされたジャズであるけれども、それほど錬太郎を嫌いだとは思っていないのだ。恐ろしいという気持ちはあるけれども、自分の主がやったことを考えるとそれほどおかしくもないなという気もしている。

 それに、若しも錬太郎がうまく歩けないままでいれば、自分の頭を杖の代わりに使われるような嫌な予感もあったので、ジャズは自分の大きな羽の一つを使って、杖でも作ってやろうかと気を使ってくれたのだ。


 銀色の巨大な鳥ジャズが不思議な動きをし始めると、葉波根みなとと錬太郎が動きを止めた。錬太郎が背後で動いているジャズの気配を感じ取ったのだ。

 翼の生えた女性が巨大な銀色の鳥の飼い主であるのは何となく察している錬太郎である。もしかしてもう一度自分のことを邪魔するつもりなのではないだろうかと考えて、戦う姿勢を取ろうとしている。

 錬太郎は翼の生えた女性のことを全く信用していない。何を考えているのかさっぱりわからないのも理由の一つだが、やはり鬼島笹百合を連れ去ったということで、悪いようにしか思えない。

 そんな錬太郎であるから、関係者に対しても同じような印象を持ってしまって、特に一度ぶつかり合った巨大な銀色の鳥が動き出したとなれば、もう一度戦わなければならないかと考えるのもまた自然なことだった。

 しかし、左の足首を負傷しているうえに、全身に結構なダメージを受けている錬太郎であるから、動きは非常に鈍かった。そして、杖の代わりをしてくれている葉波根みなととの連携がうまくできていないのもぎこちない動きの原因になっていた。

 錬太郎たちが振り返ろうとしている間に、巨大な銀色の鳥ジャズは細長い銀色の棒をくわえていた。銀色の棒は二メートルほどの大きさで、棒の先端には鳥の羽のような飾りがついていた。この棒を咥えているジャズは胸を張っているように見えた。

 心なしか目がきらきらと輝いている。ジャズは自分の羽を材料にして作った杖がなかなかの出来栄えであることに喜んでいるのだ。

 特に杖の先端に作ってみた自分の翼をイメージした飾りはなかなかうまく出来上がっている。もともと力の使い方がうまいほうではないジャズであるから、ここまできれいに出来上がることはまれだったのだ。

 だから、錬太郎のために作ってみた杖の出来栄えを見て、なかなかできるものではないかと喜んでいるのだった。そしてこの上手にできた杖をお前にやろうという上から目線の気持ちがわいてきて、胸を張るような気持ちになっていたのだ。

 自分の羽を材料にして作った杖を誇らしげに加えているジャズを前にした錬太郎は困っていた。錬太郎の杖の代わりをしている葉波根みなとも同じである。どちらも目の前で胸を張っている巨大な銀色の鳥ジャズを前にして困っていた。

 なぜ胸を張っているのかもわからないし、なぜ、自信満々なのかもわからないのだ。攻撃してくるわけでもないのは目というか、雰囲気から分かる。それが二人を困らせるのだった。

 二人が困っていると、錬太郎にジャズが杖を渡した。ジャズが杖を話すとふわりと杖が浮き上がり、錬太郎の目の前に飛んで行ったのだ。

 そしてぴたりと錬太郎の目の前で動きを止めて、手に取られるの待っていた。しかし、目の前にいきなり杖が飛んできたのを見て、錬太郎は困り果ててしまった。意味がさっぱり分からないからだ。なぜ杖が飛んでくるのかというのもわからないし、なぜ杖を渡されるのかもわからない。

 そうしているとジャズがさっさと手に取れと鳴くので、錬太郎はいよいよわからないまま杖を受け取った。


 錬太郎が特製の杖を受け取るのを見て、ジャズは大きく頭を振って、羽ばたいた。そして鳴いた。この様子を見たものは、すぐに言いたいことを理解した。さっさと出ていけである。


 よくわからないまま杖を受け取った錬太郎は、謎を抱えたままエレベーターに乗り込んだ。葉波根みなとも車川貞幸も丙花白も一緒である。

 まったくわからないことばかりであるが、巨大な銀色の鳥ジャズを見ていると、あまり歓迎されていないことはよくわかる。

 どう見てもさっさと出て行ってほしいという様子だった。さすがにこれを見て、いつまでも居座るわけにはいかなかった。

 特に、ジャズが作った杖を錬太郎は受け取っているので、余計に居座れるような空気ではなかったのだ。そうして、錬太郎たちはわからないことは多いけれども、エレベーターに乗り込んで、翼の生えた女性のお願い通り、上に上に登っていった。



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