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第四章 洞窟 上


 翼の生えた女性が突っ込んでいった滝の向こう側にある洞窟の入り口に向かって杖を担いで錬太郎は歩いて行った。

 まったく、錬太郎の姿というのは恐ろしいものだった。今までとあまりにも違うものばかりである。一目見ておかしいとわかるのは、錬太郎の頭部である。今までの錬太郎の頭部もおかしかったのだが、今はもっとおかしい。錬太郎の身に着けていた銀色の奇妙な鳥のお面。これが今は銀色の奇妙な鳥のフルフェイスヘルメットという恰好へと変化している。

 まったくこれは意味が分からない。そして、この銀色の鳥のフルフェイスヘルメットは微妙な振動を繰り返しているのだ。まるで呼吸をしているように見えて、気持ちが悪い。

 そして錬太郎の服装がまずい。血まみれなのだ。体中場擦り傷でいっぱいになっているのに加えて、無理な移動を繰り返したことで身に着けていた法被もシャツもズボンも靴もいたるところにひっかき傷ができて、ぼろぼろだった。

 これは錬太郎が木々の間、元気よく生い茂っている柴の障害物を一切踏み潰して突破してきた証拠である。この奇妙な錬太郎の頭部と錬太郎のぼろぼろの服装、しかも少し血がにじんでいるのを加えて、肩に杖を担いで水面を歩いているのはどこからどう見てもおかしかった。

 しかしまったく錬太郎はためらわずに滝の裏側にあるという道を目指していた。目指さなければならないだろう。なぜなら鬼島笹百合が連れ去られているのだから、行かなくてはならない。

 確かに翼の生えた女性の存在、そしてことごとく邪魔をしてくる不審者は危険である。普通ならば、警察に電話をして対応してもらうべきだ。また、翼の生えた人間というおかしな存在、超能力を使ってくる正体不明の人間がいるというのならば、余計に気を付けておくべきである。

 冷静に頭を働かせて行動するのが得策であるはずだ。

 しかしそのいろいろな問題点は錬太郎にとってどうでもいいことだった。そういう邪魔者がいるのはわかっている。しかし、それは追跡をやめる理由にはならない。暴力をふるう存在と正体不明の存在がいるというのなら迎え撃てばいいだけのこと。それだけなのだ。

 錬太郎はそれだけだと信じている。だから全く自分の体からあふれてくる謎の力も、また銀色のフクロウのお面が徐々に変化していくのも、どうでもよく、考えることさえしないのだ。大切なのはただ一つである。

 奪われたものを奪い返す。だから錬太郎は取り戻しに行く。全く自分など省みずに、滝の裏側の道へと向かうのだった。


 ぼろぼろになり銀色のお面が変化したというのに気にもせず錬太郎が水面を歩き、滝に突っ込もうとした時である。葉波根みなとと丙花白そして、車川貞幸が追い付いてきた。

 三人とも肩で息をしている。また、とても汗をかいていた。しかし、まだまだ元気が余っていそうだった。この三人は錬太郎が作った道を通り滝までたどり着いたのである。波根の道というのが島の中心に向けて遠回りするための道であるから、錬太郎のように直線を通るように進めば、あっという間に中心部にたどり着くことができるのだった。

 少なくとも普通に波根の道を歩くよりもずっとすばやく快適にたどり着ける。ただ、錬太郎の作った道というのはそれこそ力づくで切り開いた道であるから、それほど快適ではなかった。三人がかなり急いで到着した三人の思うところはいろいろとある。

 鬼島笹百合を心配しているからというのももちろんあるのだ。それは確かに三人ともある。しかし丙花白と車川貞幸の頭の中に大きくあるのは、翼の生えた女性についての興味だった。

 二人は翼の生えた女性にいろいろと質問をしてみたいと思うようになっていた。たとえば、どうやって空を飛んでいるのかとか、どういう力を持っているのかとかである。

 葉波根みなとはどうであるかというと、彼女の心には二つの大きな問題があった。

 一つはもちろん鬼島笹百合の安否。幼馴染が翼の生えた女性にさらわれたのだ。何が起きるかわからない状況は不安でしょうがなかった。やはりすぐに結末が知りたかった。これは錬太郎の後を杖を持って追いかけた時の気持ちである。

 しかしこの気持だけしかないというのは違うのだ。葉波根みなとは錬太郎の後を追いかけているときに、気づいたことがあった。それは、錬太郎の切り開いた道のところどころに血がついていることである。

 彼女は錬太郎がどういう状態にあるのかすぐに理解した。波根の道を囲っている植物たちはやわらかい植物ではない。とげをもち、固い樹皮で覆われた者たちばかりである。道を作るためには刃物が必要なのだ。

 しかしそれを錬太郎は力づくで倒し、押しのけていった。自然豊かな島で育ったからこそ、恐ろしさがわかるのだ。

 鬼島笹百合も心配だったが、錬太郎がどうなっているのかということも彼女は心配だったのだ。みなが鬼島笹百合を心配しているわけではない。だが問題はない。理由の統一は行われていないが、錬太郎に追いついた。


 滝の前に到着して錬太郎の異様な姿を認めた葉波根みなとは錬太郎に聞いた。

「笹百合は!?」

 鬼島笹百合の安否を尋ねる葉波根みなとの声は上ずっていた。そして、彼女の目は悲しみでいっぱいになっている。彼女は錬太郎の異様な姿について、特殊な力について全く触れなかった。錬太郎の様子から鬼島笹百合が取り戻せなかったことを察したのである。

 そして、錬太郎のぼろぼろになった服装から錬太郎の肉体にどのような苦痛が訪れているのか察っしていた。

 理解できない現象が起きているのは間違いないのだ。錬太郎のお面が変化するという異常現象も、錬太郎が水面にあたりまえのように立っているのもおかしなことである。しかし今、たずねるべきではないことだった。まったく理解できないけれど、錬太郎がどのような目にあい、何をしようとしているのかを察すれば、それは後回しでよかった。


 葉波根みなとに鬼島笹百合はどこかと問われて滝を錬太郎は指差した。そしてこういった。

「翼の生えた女に連れて行かれた。今から連れ戻しに行く」

 葉波根みなとに応えながら、錬太郎は歩き始めていた。まったく、あとからついてきた者たちへの配慮はない。会話を面倒くさがっているところもある。連れ戻しに行くといいながらすでに歩きだしているのだから、よほど急いでいるとわかる。

 また、今まであったような丁寧な口調はなくなり、温かみのあった声は完全に冷え切っていた。錬太郎の頭の中にあるのは鬼島笹百合を取り戻すことができるのかどうかだけである。

 ほかの一切の問題は全く頭の中にない。今までの錬太郎が葉波根みなとや鬼島笹百合に対して割いていた先輩を敬うようなしぐさを行う余力はない。

 この余力のなさがが口調と身振り手振りに現れてしまっていた。あまりにも厳しい口調、冷たいやり取りであった。

 さらわれた鬼島笹百合を取り戻すべく錬太郎が一人で滝を目指して動き出すと、葉波根みなとが錬太郎を止めた。

「ちょっと待って、一人で行く気? もう少し人を集めたほうがいい。あんな翼の生えた怪物相手にたった一人で挑むのは無謀だよ。

 笹百合のことは心配だけど、あんたまでさらわれるようなことになったら目も当てられない」

 錬太郎に話しかける葉波根みなとは池を迂回するようにして滝を目指して歩き出した。錬太郎のように池の水面を歩くなどという真似は葉波根港にはできないからである。

 錬太郎が足を止めて話を聞いてくれるのならば、このようなまねをしなくてもいいのだ。しかし錬太郎は葉波根みなとのことなど全く気にせずに、話しかけられているというのに滝に向けて歩き続けている。

 一応普通の速度で歩いているので、池を迂回する葉波根みなとが急いで歩けば何とか追いつけるスピードだった。

 彼女が錬太郎を止めているのは、翼の生えた女性の正体に思い当たるところがあったのと、単純に錬太郎一人が滝の裏側にある道を行くというのが無謀であろうという考えがあったからである。 はっきりと正体を知っているというわけではないのでうかつなことは言えないけれども、おそらくそうだろうという予想は立てられていた。この彼女の予想が正しければ、たった一人で錬太郎が挑むというのは危険だった。

 ただ、予想が正しければ鬼島笹百合に危険はないだろうとも思うのだ。しかし予想はあくまで予想であるから、何ともできない。まったく別の何かわからない存在という可能性もありうるのだ。伝説と神話を判断材料にするのはいくらなんでも無謀に思えたのだ。

 そして正体についてという問題以前に、光の届きにくい滝の裏側の道を錬太郎一人で歩いていくというのは危険である。滝の裏側の道というのは洞窟なのだ。電気が通っているということはない。ろうそくが所々に立っているけれども、それも弱い光であるから頼れるものとは言えない。

 そして相手が攻撃を仕掛けてくるというのなら薄暗い洞窟の中というのはあまりにも危険である。待ち伏せの可能性は高く、攻め落とすのは難しい。このような理由から、錬太郎を葉波根みなとは止めるのだった。そして、自分も錬太郎と一緒に葉波根港を助けるために動き出したのは、幼馴染が心配だったからだ。


 葉波根みなとの話を聞いた錬太郎はいったん足を止めた。池の水面にあたりまえのように立ち、あと少しで滝にぶつかるというところで動かない。普通ならば水浸しになるはずである。しかし錬太郎に滝の水しぶきは届いていなかった。錬太郎の周りに透明な球体が出現していたからである。

 錬太郎が立ち止っているのは葉波根みなとの意見がもっともなものだったからだ。錬太郎は怒りにまかせて道を進もうとした。しかし冷静に考えると錬太郎は滝の裏側にある洞窟の道の形を知らない。そして、洞窟の奥へと進んだところで見つけられるのかという話にもなる。

 錬太郎には土地勘がないのだ。隠れられたとしたら人の手を借りなければ見つけるのは難しいだろう。しかも空を飛べるというのなら、空まで逃走経路になるのだから一人だけで追いかけるのは非常に難しい。誰かに協力してもらえという葉波根みなとの提案は実に理にかななっていた。

 池の水面に立ったままで錬太郎は深呼吸をした。できるだけ深くゆっくりと行った。頭を冷やすためだ。怒り狂って追いかけてみても奪われたものを奪い返せるわけではないのだ。葉波根みなとの提案で頭が冷えてきたのだ。ただ、怒りは消えていない。胸の奥で燃えていた。

 錬太郎が呼吸を整えていると、葉波根みなとがこういった。

「おちついた? 私たちが錬太郎を追いかけてきた理由もわかる?」

 錬太郎に声をかけながら葉波根みなとは滝の裏側まで回り込んできていた。一生懸命歩いてきたので、随分汗をかいていた。特に、錬太郎がほうり捨ててきた杖を持って歩いてきたのが歩きにくくしていて、体力を使うことになっていた。

 葉波根みなとは錬太郎が自分の話を聞いてくれるのを見て、錬太郎が理性を失っていないのを理解したのであった。

 そして、今の錬太郎ならば、自分が助力すれば幼馴染を見つけ怪物を退かせてくれるのではないかとも考えていた。

 ご神体めぐりの本番ともいえる滝の裏側にある洞窟を行くというのは恐ろしいことであるけれど、そんな恐ろしさは幼馴染の鬼島笹百合を思えば、ふっとんでいく。また、正体不明の力をふるう錬太郎も味方でいてくれるのならば、心強かった。

 葉波根みなとが「自分たちがなぜ錬太郎を追いかけてきたかわかるか」と問うのに、錬太郎は首を横に振ってこたえた。わからないというジェスチャーをしながら錬太郎は葉波根みなとのそばに近寄っていった。

 落ちてくる滝をかすめるように歩いてきたけれども、全く体がぬれることはなかった。透明の球体が、水の流れを曲げていた。錬太郎はずいぶんおとなしくなっている。頭の中は奪われてしまったものをどうやって取り戻すのかということでいっぱいになっているためである。今までの怒り狂った状態では取り戻せないと答えを出せている錬太郎は、目的を果たすために自分の感情をコントロールしていた。

 錬太郎が池の水面を歩いてきて、自分の目の前に立つのを見てから葉波根みなとはこういった。

「追いかけてきた理由は二つ。

 錬太郎を一人にさせないのが一つ。あんたはこの島の地理を知らない。だから無茶をして迷ったりしたら探さなくちゃならない人間が二人に増える。だから追いかけてきた。

 もう一つはすでに役員の人たちが鬼島のおばあちゃんたちに連絡をとっているだろうということ。つまり、すぐに笹百合を見つけるために島の人たちが動き出すってことよ。

 今、錬太郎が下手に動いて迷子になったりしたら困るの。だって、人手を二つに分ける必要が生まれるから。わかるでしょ?」

 追いかけてきた理由を身振り手振りを加えて葉波根みなとは説明をしていた。葉波根みなとの顔色は非常に悪かったが、声の威勢はよかった。

 葉波根みなとは、錬太郎が恐ろしく見えていた。葉波根みなとは自分の目の前に立っている錬太郎が今までの錬太郎ではないような気がしていたのだ。

 自分よりもはるかに身長の高い錬太郎が見下ろしているのは非常に圧力を感じる。しかも、尋常ではない怒りを全く隠しもしていない。

 今までの優しげな錬太郎しか知らない葉波根みなとにしてみれば、完全な初対面の人間に接するような気持ちがする。

 錬太郎の前に立っている彼女の頭の中には嫌な予感しかないのだ。激怒している錬太郎は全く手加減しないだろう。今までの理性的で理屈を持って行動していた錬太郎というのはもういないのだ。

 自分の感情に任せて、邪魔するものを徹底してつぶしにかかるのではないか。ただの暴力をふるうだけの乱暴者になったのではないかと。

 錬太郎の怒りに身を任せた波根の道の正面突破。肉体に傷を負うのも気にせずに行動する精神力の高さ。これを見てしまったからこそ錬太郎が自分を攻撃してくるのではないかと不安を覚えるのだった。

 この不安が、大げさな身振り手振りでの説明、相手を飲み込むような威勢のいい声に変わるのだ。ただ、表情を見れば、彼女の心理を読むのは簡単だった。泣きそうなのだからすぐにわかる。



 葉波根みなとが状況を話して聞かせている間に、遅れて車川貞幸と丙花白が到着した。二人とも呼吸が荒かった。また、ところどころに擦り傷ができている。この二人は錬太郎を追いかけてきたのはいいけれども、なかなかうまく錬太郎の作った道をなぞれなかったのだ。

 そのため、後ろから杖を持って追いかけてきた葉波根みなとに追い抜かれ、彼女の背中を見て走る羽目になっていた。しかしそれでも追い付いてきたのは、翼の生えた女性に興味があったからである。

 また、この二人は錬太郎のお面がさらに変化しているのを見て、目を丸くして口を半開きにしていた。全く錬太郎のお面の変化というのが信じられなかったのだ。そして錬太郎の傷だらけの格好を確かめて、引きつった笑みを浮かべた。

 車川貞幸と丙花白が葉波根みなとの少し後ろに立った時、錬太郎が洞窟の入り口に顔を向けた。

そしてすぐに体も洞窟の入り口に向けた。葉波根みなとの説明を聞いて、少しだけ余裕を取り戻していた錬太郎の気配が、一気にとがった。

 まったく葉波根みなとも車川貞幸も、丙花白も錬太郎に話しかけられなくなった。

 それほど錬太郎の雰囲気の変化はすさまじかった。錬太郎が、洞窟の入り口に体を向けたのは、洞窟の中から誰かが自分たちを見ているのに気付いたからである。そして、翼の生えた女性が入っていった場所に潜んでいるのならば、きっと翼の生えた女性のお友達なのだろうと考え翼の生えた女性に接するように対応しようとしていた。



 錬太郎の突然の行動に葉波根みなとたちが驚いていると、洞窟から二人組が現れた。山田と田中である。この二人は役場から派遣された公務員である。ご神体めぐりの始まりには、一番に駈け出して行った元気のある二人組だった。

 この二人が滝の裏側にある洞窟の奥から歩いてきたのだった。彼らはスーツの上に法被を着ていた。お面はつけていない。洞窟の奥から出てきた山田と田中の顔色は優れない。汗もひどかった。しかし戦う気持ちはあるらしく金属の杖を錬太郎に向けていた。

 葉波根みなとはこの二人を見たとき、声をかけようとした。少し安心していた。この二人組が役場で働いている人たちであることを知っているのだ。

 そして、祭りがさみしくならないように、賑やかしとして頑張ってくれているのも知っている。そのため、葉波根みなとは助けに来てくれたのだと考えていた。

 これは、翼の生えた女性が現れたという連絡を受けて、鬼島山百合たちが動き、捜索を始めているのだという考えである。電話をかけてほんの数分しかたっていないのに、錬太郎たちよりも素早く洞窟を見て回ったのかというとかなりおかしな話である。

 しかし、なくはないというのが葉波根みなとの思うところなのだ。なぜなら波根の道をバカ正直にたどらなければ、簡単に滝の裏側にたどり着けるからである。これは波根の道のらせん状の形というのを思い出すといいのだが、海波根島の道というのはバカ正直にまっすぐに結ばれているわけではないのだ。

 それこそご神体めぐりも目的地にまっすぐに進めば、だれでも簡単にご神体までたどり着けるのだ。錬太郎が正面突破を試みたように、生活で使うための道というのは当たり前のようにあるのだ。今回は祭りだからということで波根の道を活用しているだけだ。

 そういう正式ではない道というのを葉波根みなとは知っているので、きっとこの公務員二人組もそうだろうと思ったのであった。

 しかし葉波根みなとは声をかけられなかった。錬太郎が一歩前に出て彼女をかばう動きをしたからである。錬太郎は葉波根みなとを自分の背中に隠すように立ち位置を変えた。

 まったく、錬太郎の行動というのは明らかに向かい合う人間を警戒しているときにしかしない行動だった。普通ならば公務員であるというのだから、少しは警戒を緩めるべきであろう。顔も知っているのだから警戒を緩めるべきだ。

 ただ、錬太郎には相手が怪しく見えていた。奇妙としか言いようのない錬太郎が怪しいと思うというのも変な話である。

 しかし、これは錬太郎でなくともすぐにおかしいとわかる話である。そもそも味方であるというのならば、錬太郎たちに杖を構える理由がない。洞窟から出てきたのだから、警戒を続けているというのならまだおかしくない。

 ただ、錬太郎たちだとはっきりと理解したところでも警戒を続けているのはおかしい。そして、なぜ声をかけないのか。大丈夫ですかとか、襲われていませんかとか、その不思議な銀色の仮面はなんだとか。そんな反応が一切ない。

 この一切ないというのもおかしなことだった。もしかすると理由があるのかもしれない。しかし、警戒しない理由はない。

 葉波根みなとが錬太郎の行動に困っていると、山田と田中が杖を構えて突っ込んできた。その勢いはすさまじく、獲物を狙う虎のようだった。二人とも普通の公務員と呼ぶのに抵抗があるしなやかさだった。

 地面すれすれを体を低くして飛び込んできて、一気に錬太郎を杖で突こうとするのだ。まったく、手加減はなかった。

 山田と田中が身を低くして突っ込んでくるのに合わせて、錬太郎が拳を固めた。思い切り右こぶしを握りこんだ。錬太郎はこの二人と闘う決意を固めたのである。

 錬太郎が拳を固めるのと同時に、山田と田中が杖の射程圏内に入った。

 そしてためらわずに二人同時に突きを放った。山田が錬太郎の足首を狙い、田中が錬太郎の喉を狙った。杖の射程距離と、錬太郎の背後に葉波根みなとがいることを考えると、必ず攻撃は成功する。

 なぜなら、錬太郎が飛びのけば、背後にいる葉波根みなとに杖の攻撃が及ぶ。錬太郎の体で視界が制限されている以上は、対応は不可能であるから、間違いないだろう。二人は錬太郎のかばうような動きから、錬太郎は葉波根みなとを見捨てないと予想していた。

 足首とのどを狙ったのは、この二つを同時に裁くのが非常に難しいからである。山田と田中は錬太郎を仕留めに来ていた。そうしなければならなかったのだ。

 杖での突きを放った山田と田中に対して錬太郎がカウンターを行った。思い切り固めた右こぶしを、思い切り振りぬいた。

 錬太郎が拳を振りぬいた時、山田と田中は目を見開いて突きの姿勢のまま動きを止めた。錬太郎の振りぬいた右こぶしが、喉を狙っていた田中の杖をとらえたのだ。もう一つの攻撃、足首狙いの山田の攻撃は完全に無視していた。攻撃を一つに絞って、カウンターを打ったのだ。

 結果、杖の先端と錬太郎の右こぶしがぶち当たったのである。これは錬太郎が狙って行ったことであった。そしてぶつかり合った時、田中は杖を落としてしまった。あまりの衝撃に杖をつかみきれなくなったのだ。

 しかし間違いなく山田の攻撃は錬太郎の左足首をとらえていた。鉄の杖で思い切り突いたせいだろう。錬太郎の左足首は真っ赤に染まっていた。幸い足首が砕けるようなことにはなっていなかった。不完全な透明な壁が勢いを殺してくれたのだ。しかし、山田と田中の二人組が優勢であるのは間違いない。田中の鉄の杖をたたき落としたはいいが、山田はまだ健在なのだから。

 さてここからもう一発と攻撃を加えようとしたが、山田は動けなくなった。攻撃の姿勢のまま動きを止めている。なぜなら、山田の目に水が入ってきたからだ。本当に少しの水だったが、ほんの少し動きを止める効果があった。

 水をかけたのは錬太郎である。回避不能と理解したところで、周囲を漂っている水滴を操り、山田の行動を制限していた。


 錬太郎にカウンターを打たれた田中は地面に落ちた杖を見て、目を見開いたのであった。まっすぐだった杖が衝撃でやや右にひしゃげていた。金属の杖が人間の拳と正面衝突をしてひしゃげたのだ。ありえない光景だった。しかし起こってしまった光景である。そしてこの光景こそ錬太郎が狙った状況だった。

 そして、金属製の杖じたいを曲げてしまうという恐ろしい腕力を見せつけた錬太郎であるが、右こぶしを固めたまま、さらなる一撃を加えようとした。杖とぶつかり合わせたために拳が切れて赤く染まっているけれども、気にしていなかった。

 そして同じように負傷している左足首を動かして、驚きで動きを鈍らせている二人に拳での一撃を加えようとした。錬太郎の攻撃は遅かった。左足に受けた突きは錬太郎の左足首に大きな痛みを与えていた。

 切れてしまった拳と同じで、左の足首の状態は悪い。金属製の杖での攻撃のせいで、肌が破けてしまっている。血が止まる気配はない。感情の高ぶりから痛みは抑えられているけれども、もしかすると骨が折れているかもしれない。それほどの威力だった。

 ただ、それでも錬太郎は戦いをやめていなかった。拳を握りこんで、左足首が痛むのを我慢して、思い切り殴りかかった。

 肝心の反撃であるが簡単にかわされた。

 錬太郎の拳での攻撃を山田と田中はひらりと飛んでかわした。猫が宙返りするような軽やかさで、山田と田中は空を舞った。足首を負傷した錬太郎の攻撃など、山田と田中にしてみるとたやすくよけられるものだった。

 しかし、余裕ではない。顔色は山田も田中も悪い。二人とも錬太郎の放っている気配と、その攻撃力を恐れていた。若しも錬太郎の渾身の攻撃を直接受けるようなことになれば、間違いなく無事ではいられないだろう。金属の杖よりも肉体が固いというのなら無事で済むだろうが、山田と田中にはそのような強靭さはなかった。

 錬太郎の身体能力の高さも恐ろしかったが精神的な高さも撤退の理由だった。二人同時の攻撃をさばけないとすぐに判断して、冷静に行動を練り上げた回転の速さ。そして同時に放たれた杖での突きをさばききれないと判断して、足首を狙った攻撃を受けるのはしょうがないと割り切る判断力などは高校生には思えなかった。

 二人は同じことを考えていた。一人で相手をしていたら、間違いなく始末されていたと。二人はこれ以上戦う気はなかった。これ以上戦いを続ければ、間違いなく錬太郎も自分たちも悲惨なことになると予想ができたのだ。

 が、この飛び上がった二人に、異変が起きた。とんだはいいが着地できなかったのだ。地面と一センチほど離れたところで、ぴたりと動きを止めていた。それ以上落ちていかない。手足はわずかに震えているのだけれども、それ以上の行動がとれない。

 山田と田中は重力に逆らって浮いていた。身動きが取れないことをさとった山田と田中の顔色が非常に悪くなった。自分たちの体が地面に着地できず、身動きが取れないというのならば錬太郎の攻撃に対して対抗する手段がないということである。

 金属の杖をひしゃげさせるほどの拳を放つ人間の攻撃を無防備にうけることとはつまり、死ぬということである。

 不思議なことがある。山田と田中の体が宙に浮いているのはどうしてなのか。おかしなことである。葉波根みなとと車川貞幸そして丙花白の三人は、目の前の現象を目を丸くして見つめていた。錬太郎は違う。

 宙に浮きあがっている二人に向けて、左足を引きずりながら錬太郎は近づいて行った。目の前の浮遊している二人組に対して不思議に思うことはなかった。浮いているとわかった瞬間に動き出し自分が捕まえている獲物に向けて錬太郎は歩いて行った。

 そして、宙に浮いている山田と田中の襟首をつかんだ。山田の襟首を右手で、田中の襟首を左手でつかんだのだ。ただ、襟首といってもほとんど喉をつかんているような状態だった。錬太郎が首に手をかけた時には、二人とも抵抗した。

 声を出そうともした暴れようともした。けれど無駄だった。問答無用で二人を滝つぼに向けて錬太郎が投げ飛ばしたからだ。野球のボールを投げるような調子で、人間が水面にたたきつけられる音というのは、なかなか聞けるものではない。

 滝の落ちてくる音が響いているのに、人間と水面がぶつかる乾いた音が聞こえるのだ。これが一つ二つと連続して聞こえてきて、山田と田中の姿は見えなくなった。

 

 滝つぼにごみを二つ投げ捨てた後、錬太郎は滝つぼの前でじっと立っていた。右手の拳から血が流れるのも気にせずに、左の足首から血が流れるのも気にせずに、じっと水面を見つめてたっていた。錬太郎は、滝つぼに捨てたごみが浮かんでくるのを待っているのだ。

 もしかしたら永遠に沈んだままかもしれないけれども、もしかしたら浮かんでくるかもしれないので、その時はもう少ししっかりと沈めようと考えていた。

 滝つぼを見つめている錬太郎を前にして、真っ青になっている者がいた。葉波根みなとである。自分の口に右手を持っていき何とか悲鳴を上げないように頑張っていた。

 ただ、膝が震えているので、強く押せば簡単に倒せるだろう。葉波根みなとは怖がっていた。怖がっている者は二つある。錬太郎の行為自体。そして、錬太郎自体である。錬太郎が目の前で行った行為が、世間一般ではどのように呼ばれているのかを彼女は知っている。殺人である。そして殺人という行為自体が社会のルールから考えると許されないとも彼女は知っていた。

 それに反したものがどういう罰を受けるのかを考えるとわが身に起きたことのように恐ろしくなる。しかしこの恐れはほとんど彼女に影響を与えていないのだ。

 一番恐ろしく感じたのは錬太郎である。殺人をためらわずに行った人間というのが恐ろしかった。彼女は殺人など犯す人間など人ではないと思っていた。結局殺人というのはテレビや新聞の中だけの話で身の回りには殺人を犯すような恐ろしい人間はいないと信じ切っていた。

 しかし今は違っている。目の前に錬太郎がいる。それを思うと恐ろしくて仕方がなかった。

 ただ、叫びださないのは葉波根みなとがわかっているからなのだ。つまり、錬太郎を一方的に攻めるのは間違いであるとわかっている。葉波根みなとは錬太郎に攻撃を仕掛けてきた山田と田中の所業を見ている。

 どこからどう見てもまともな行動ではなかった。金属の杖で錬太郎を襲い、殺そうとした。金属の杖で思い切り人間を殴ればどうなるのかなど、小さな子供でもわかるだろう。死ぬのだ。

 実際錬太郎は攻撃を受けてけがをしている。右手の拳は切れているし、左の足首は真っ赤に染まっている。錬太郎が殺さなければ、間違いなく錬太郎が殺されていただろう。そして、葉波根みなとはこのように思う。もしかしたら山田と田中に自分も殺されていたかもしれないと。

 葉波根みなとは確かに錬太郎が恐ろしかった。しかしそれ以上に錬太郎に守られているのに気づいていた。だから叫ばなかった。ただ、恐怖だけは押さえられなかった。これはしょうがないことだ。生存本能が正しく働いているというだけのことである。

 錬太郎がじっと滝つぼを見つめている間に葉波根みなとは錬太郎に近寄っていった。足が少し震えているけれども、歩けていた。顔色はやはり悪かった。葉波根みなとは近寄っていくときに、自分の荷物からタオルを取り出していた。

 葉波根みなとは錬太郎の負傷をどうにかしなければならないと考えたのだ。錬太郎の右こぶし、そして左足首からは血が流れ続けている。

 出血多量で死ぬということはないだろうけれども、血が流れていくのはよいことではない。葉波根みなとは自分の荷物の中にタオルが入っていたのを覚えていたので、タオルを使って応急処置を行おうとしていた。錬太郎のことが恐ろしいのは間違いないのだ。ただ、それ以上に心配だった。

 葉波根みなとが近づいてくると、錬太郎が手で止めた。来るなという合図だった。滝つぼに捨てたごみがまだ生きているかもしれないので、近づいてもらいたくなかった。鬼島笹百合を取り戻すことで頭がいっぱいになっている錬太郎であるけれども、葉波根みなとももちろん守らなくてはならないという気持ちがあるのだ。

 錬太郎が来るなという合図を出すのを見て、葉波根みなとがぴたりを動きを止めた。錬太郎から見えない位置から動き出していたのに見えているような動きをする錬太郎に少し驚いていた。そして錬太郎の来るなという合図がどういう考えからくるもの中を察した葉波根みなとは錬太郎が良いというまで近寄らなかった。

 錬太郎の邪魔になるということが、自分の身の安全も危うくさせるものであるとわかっているのだ。

 三分ほどまってから、錬太郎は滝つぼから目を話して葉波根みなとのほうへ近づいて行った。歩くときに左足を引きずっていた。錬太郎はそろそろ大丈夫だろうと考えたのだ。呼吸を三分以上止められるとしたら、錬太郎の失敗であるけれども、そうでないのなら十分な確認作業だった。

 戻ってきた錬太郎に葉波根みなとは応急処置をした。錬太郎の左の足首にタオルを巻いて、錬太郎の拳にはハンカチを巻いてやった。頼りない応急処置であったけれども、ないよりはましだった。

 応急処置をされている間、錬太郎は黙っておとなしくしていた。葉波根みなとに感謝しているのだけれど、何といえばいいのかいまいちわからなかったのだ。



 葉波根港が錬太郎に応急処置をしていると、車川貞幸がつぶやいた。

「神通力をここまで自在に使えるとは、いったいどこの?」

 車川貞幸のつぶやきは非常に小さなものであった。滝の流れ落ちる音が邪魔をして少し距離のあった錬太郎たちには聞こえていない。

 しかし、すぐそばにいた丙花白にはしっかりと聞こえていた。車川貞幸は錬太郎の見せた力に非常に興味を持っていた。身体能力が高いことには気が付いていたけれども、それよりも水面に立ってみせたり球体の障壁を作ってみたり、また人を浮かせてみせたりできるその力の高さに、車川貞幸の言うところの神通力の高さに興味を持ったのだ。

 そしてどうして神通力を持っているのかであるとか、どこの出身なのかということを考え始めると、没頭してしまう。そうして、気が抜けて考え事が口から洩れてしまうのである。

 錬太郎たちから距離を取っている車川貞幸の隣に丙花白が立ち、こういった。

「お父さん」

 車川貞幸に声をかける丙花白は困り顔をしていた。父親の顔を見上げて、何かを伝えようとしている。丙花白は自分の父親が考え事に熱中して失敗しそうな雰囲気を感じているのだ。

 頭を働かせるのは結構なのだけれども、現在の状況を把握することもなく考え事に熱中するのはよく思えなかった。考え事をするのなら安心安全な場所で行うのが一番で、今のようにどこから襲撃を加えられるかわからないようなところで考えるのはいくらなんでも危なかった。

 丙花白に声をかけられて車川貞幸ははっとした。そしてすぐに持ち直し、周囲を警戒し始めたのだった。


 錬太郎の応急処置が終わると、葉波根みなとがこんなことを言った。

「ねぇ、錬太郎。ここからは人が来るのを待ったほうがいいんじゃない? さっきみたいに襲われるかもしれないし……今度は怪我だけじゃすまないかも」

 鬼島笹百合の追跡を行うのは人数が増えてからでもいいのではないかと提案する葉波根みなとは、錬太郎をまっすぐに見ていた。なかなか勇気のある行動である。

 なぜなら錬太郎の頭部は銀色のフクロウが包み込んでしまっている。数十分前まではただのお面だったのに、今は羽を広げて錬太郎の頭全体を覆い尽くしてしまっている。奇怪である。

 どう見ても錬太郎の銀色のお面は生きていた。すでに錬太郎の頭部をすべて包んでいるのにもかかわらず、それでもまだ多い足りないらしい銀のフクロウは、錬太郎に羽の襟巻を作っていた。まともに露出している部分といえば、フクロウの目の空洞からのぞいている錬太郎の二つの目だけである。

 近づきたくない格好だった。しかしそれでも葉波根みなとはかろうじて見える錬太郎の目をしっかりと見つめているのだった。というのも、鬼島笹百合の事は心配であったが、その前に錬太郎が死んでしまうような気がしてしょうがなかったのだ。錬太郎のかぶっている奇妙なお面についてわからないことは多い。また、山田と田中が何を思っているのかもわからないままである。解き明かさなくてはならないことではある。

 しかし重要ではなかった。目の前で死にそうな目にあっている錬太郎を見て、これからさらに難しい道を行かなくてはならないという話になるのだから、止めるべきだろう。錬太郎一人だけでは危なっかしくて安心できなかった。

 錬太郎と見つめあった時、葉波根みなとは少し首をかしげた。錬太郎と視線を合わせたのはいいのだ。その時に錬太郎の右目が少しおかしなことに気付いた。左目はしっかりと鬼島笹百合を見ていたのだけれども、右目が葉波根港をしっかりととらえていなかった。見てはいるのだけれども焦点が合っていないのだった。錬太郎に応急処置をしていたため、非常に近いところで錬太郎と目を合わせることができたために気付いたのだった。

 葉波根みなとがよくわからないなと首をかしげていると錬太郎がこう言った。

「心配してくれるのはうれしいです。でも、ダメです。俺はいかなきゃダメなんです。

 あの鳥女は俺が追いかけていれば笹百合さんを傷つけないといいました……人さらいの言うことなんて信用するのはおかしいかもしれません。

 でももしも本当だったら、おれはいかなきゃダメなんです。ですから、行きます」

 葉波根みなとに答えながら錬太郎は動き出していた。滝の裏側にある洞窟に向けてゆっくりと歩き始めた。錬太郎の動きはぎこちない。左の足首をかばいながら歩いていた。

 それもそのはずである。攻撃を受けた左の足首はまだ血が止まっていない。右の拳も同じである。戦いの興奮が痛みをマヒさせてくれているけれども、いつまでも続くものではない。冷静になれば唸るほどの痛みが意識上に登ってくる。これは左の足首ならず右の拳も同じ状況である。

 銀色のフクロウの下にある錬太郎の額には脂汗がにじみ始めていた。しかし、それでもまだ洞窟へ、危険のひそむ道へと入ろうとする。それは、鬼島笹百合を取り戻すためである。翼の生えた女性は錬太郎を誘う文句をはいていた。錬太郎が追いかけてくるのならば鬼島笹百合は傷つけない。錬太郎が追いかけてくるのならば傷つけない、約束するといっていた。

 翼の生えた女性の呪文が錬太郎の頭をぐるぐるとまわる。明らかに危ない道なのはわかる。どう考えても危険である。罠もあるだろう。待ち伏せもあるだろう。しかも相手は地形をよく知っている。錬太郎は知らない。相手には仲間がいる。錬太郎にはいない。

 無謀にもほどがある。しかしやるのだ。そうしなければならない。そしてわずかに錬太郎の心に興味もわいていた。なぜこれほどまで翼の生えた女が自分に執着するのかという興味である。錬太郎は使命感とわずかな興味を持って真っ暗闇の中へと挑もうとしていた。



 滝の裏側にある洞窟の入り口で立ち止まった錬太郎が軽く頭を下げると、葉波根みなとはこういった。

「洞窟の中は一本道だよ。わき道にそれることはない。少し曲がっているけれど、それだけ。壁に手を付けて歩いていけば間違いなく通り抜けられる。

 この洞窟に道案内なんて必要ないんだ。でも、気を付けたほうがいいよ。明かりが全く届かないから真っ暗なんだ」

 錬太郎に洞窟の中がどうなっているのか説明する葉波根みなとは錬太郎を見つめたままだった。説明をする間、葉波根みなとは少し微笑んでいた。錬太郎が随分かわいらしく見えていたのである。まったくおかしな話である。

 錬太郎はどう見てもまともではない。背格好も頭の中身も普通ではない。体中は傷だらけ、右手と左足首は血で染まっている。ぼろぼろの服装と対照的に錬太郎の頭部だけは非常にきらびやかである。銀色のフクロウのお面はなかったはずの翼を生み出して錬太郎の頭に絡みつかせてヘルメットのようにふるまっている。そして、それだけでは足らないとばかりにさらなる翼を作り出して錬太郎の首に絡みついている。まるで襟巻のようだった。

 もともとが木彫りのお面であったなどと思えない変貌だった。しかも不思議な理屈を持って自在に自分の領土を広げていくのだから、全く理解できないお面だった。

 こんな錬太郎は間違いなく不審者であった。どこからどう見ても怪しく近寄りがたい姿形である。

 そして錬太郎の考え方も頭の中身もおかしなものである。それは、山田と田中への攻撃を見ればわかる。

 戦い方も、戦いのために使った技も、超能力しか言えない技術も、何もかもおかしかった。錬太郎こそ、恐るべき人間で退治しなければならない怪物である。かわいらしいなどとは思えないのは当然のことである。

 しかし、葉波根みなとはかわいい存在だと思ってしまった。錬太郎が何を持っているのか葉波根みなとはわかってしまったのだ。先ほどの葉波根港に対する答えを聞いて錬太郎の考えというのがよくわかった。錬太郎はただ助けたいだけなのだと。ただ、鬼島笹百合を助けたいと思っている。そして助ける力が自分にあるのがわかっているから、一生懸命なだけだ。本当にそれだけ。それだけしかないから錬太郎を葉波根みなとはかわいらしい存在なのだと思ってしまった。この複雑さのない存在がどうにもかわいくてしょうがなかった。

 そしてこんなことを思うのだ。これだけ単純な錬太郎ならばきっと目を離すと大変なことになる。だから自分が少し手を貸してやろうじゃないかと。

 葉波根みなとが洞窟の中について話をすると、錬太郎はこういった。

「そうですか、一本道……わかりました。それじゃあ行ってきます」

 葉波根みなとの話の内容を繰り返しながら錬太郎は何度もうなずいた。何度も繰り返してうなずいていた。錬太郎は一本道であるということを聞いて、翼の生えた女性の仲間が待ち伏せているに違いないと考えたのだった。

 山田と田中のような待ち伏せかそれともわなを仕掛けているのかはわからない。しかし何かしら仕掛けてくるに違いないと考えていた。羽の生えた女性の仲間だろう山田と田中が問答無用で攻撃を仕掛けてきたのだ。罠の一つや二つは間違いなくあると思っていた。


 

 洞窟の中は待ち伏せと罠でいっぱいなのだと心の準備を整えてから、田中が落とした金属の曲がった杖を拾い支えにして錬太郎は洞窟へ入っていった。まったくほかの三人を待つということがなかった。

 あとからくるかもしれない捜索隊を待つようなこともなかった。銀色のフクロウの仮面の奥、錬太郎は歯を食いしばっていた。拳と左足首の痛みに耐えているのである。錬太郎が前に進もうとしているのは、鬼島笹百合のを思うからこそである。

 翼の生えた女性を信じているわけではない。しかし、葉波根港にも話したように、もしも自分が追いかけている間は鬼島笹百合を傷つけないというのが本当であれば、追いかけなければならないと錬太郎は思ってしまう。

 相手が自分の動きを完全に把握できているわけではないと思うところもあるのだ。高性能な監視カメラなどこの海波根島には全くふさわしくない。

 しかしそれでも万が一自分の行動を察することができるのならば、また、鬼島笹百合を傷つける言い訳をさせるような遅れを出すようなことになれば、錬太郎は間違いなく耐えられないだろう。だから錬太郎は歩くのだった。

 敵から奪った杖を支えにして、痛む左足首を引きずって、鬼島笹百合奪還を誓うのだ。だから錬太郎は、待っていられない。たとえ罠が待ち構えているとしても、行かなければならないのだ。

 


 錬太郎が洞窟の中へと入っていこうとすると、車川貞幸が話しかけてきた。

「一人で行くつもりかい?」

 車川貞幸は錬太郎に話しかけている間に滝の裏の洞窟へ近づいて行った。かなり体力を消耗しているように見えるのだけれども、それでもまだ元気は残っているようだった。車川貞幸は錬太郎と一緒に翼の生えた女性を追いかけるつもりなのだ。車川貞幸が海波根島に来た目的自体は、ご神体めぐりに参加した時に配られた杖を調べることで、達成できている。

 本当ならばさっさと島から離れて安心できる自宅でくつろぎたいところである。しかし翼の生えた女性というのを見た後で、しかももしかしたら面白いものが見つかるかもしれない可能性があるのならば、仮に危険が待ち構えているとしても、飛び込んでいかなければならない気持ちになる。

 錬太郎のような明らかにおかしな存在、不審者としか言えない人間と一緒に洞窟の中へ入っていくというのも、恐怖よりも興味が勝っているからなのである。そういう車川貞幸であるから、滝の裏側の洞窟へと近づいて行って、鬼島笹百合の追跡に参加しようとするのだった。

 一人で行くのかと車川貞幸に話しかけられた錬太郎はこういった。

「そうですけど、それが? 洞窟の中が一本道で、情報に間違いがないのならば道案内はいらないでしょう」

 車川貞幸に答える錬太郎であるけれども全く車川貞幸を見ていなかった。身体も頭も洞窟の中へ向いていた。車川貞幸とは錬太郎にとって部外者なのだ。錬太郎は車川貞幸の力を頼りにしていない。

 普通に海波根島に来ていた旅行客なのだと思っている。確かに鬼島笹百合がさらわれてしまい、いきなり命を取るような攻撃を仕掛けてくる不審者に襲われている状況である。助けはほしい。

 しかし、車川貞幸に助力を求めるような理由は一つもなかった。車川貞幸はどう見ても一般人だった。これは警察官だとか、自衛隊のような頼りになる公務員ではないということである。これが例えば、警察官だとか、消防士だとか自衛隊であるというのなら助けを求めていたかもしれない。

 ただ、錬太郎は車川貞幸が普通の一般人だろうと思っているし、体力は普通の一般人レベルのものであるとわかっている。身分に関してはどうにも言えないけれども体力がないのは錬太郎はすでに把握できているのだ。

 丙花白と車川貞幸が木陰で休んでいたのも見ているのだ。確かに人の手があるのに越したことはない。ただ、体力もなければ特殊な技術も持っていない人間に手を借りるというのは足を引っ張られるだけである。洞窟の中を歩き回る可能性があるのなら余計に体力がない人間を連れて行くのはただの邪魔にしかならないのだ。

 だから錬太郎は全く車川貞幸のことを見なかった。車川貞幸との会話よりも、光の少ない洞窟の中へ進んでいく決心を固めるほうがずっと大切だった。

 錬太郎が一人で行くのだとこたえると、車川貞幸は困って黙った。錬太郎が車川貞幸に全く期待していないのがすぐにわかったのだ。人の手を借りたほうがいいといって葉波根みなとが提案して、錬太郎もそれに納得しているのにもかかわらず、錬太郎の冷たい反応というのを見れば、さすがに困ってしまう。

 何せ、人の手がいるだろうというところで話しかけているのだから手伝ってくれと言われるだろうと思っていた。しかし帰ってきたのは、一人で十分だという返答だ。これにはさすがに車川貞幸も困ってしまう。

 しかしどこかで納得してしまう心もある。何せ、錬太郎の声の調子には、足手まといだからついてくるなというわかりやすい感情が混じっていたからである。

 そしてそれに反論するだけの根拠は、車川貞幸にはない。つまり特殊な戦闘技術もなければ、特に体力で秀でているわけでもないというのがわかっているのだ。だから何とも言えなかった。実際、下手についていけば邪魔になる可能性のほうが、高いのもわかるのだった。

 翼の生えた女性に対する興味が冷静さを失わせていたけれども、客観的に判断を下せば錬太郎が自分を連れて行かないのは当然であった。車川貞幸は錬太郎のいろいろがすぐに察せられたので、やってしまったなという気持ちになり黙り込んでしまうのだった。

 しかしあきらめてもいないのだ。足手まといになるのはわかっているけれどもそれでもついていきたいという気持ちが勝り、たとえ足手まといになったとしても、錬太郎に連れて行きたいと思わせる方法を考え始めていた。なかなかしつこい男であった。

 何とか方法はないだろうかと考え込み始めた車川貞幸に、丙花白がこう言った。

「ウソじゃないみたい。本当に一人で行こうとしてる」

 いつの間にか、車川貞幸の隣に丙花白は立っていた。車川貞幸の隣に立つ丙花白は錬太郎をじっと見つめていた。目は爛々としているが口元はほほ笑んでいた。錬太郎の身振り手振り、そして呼吸の仕方を丙花白は観察しているのだった。

 丙花白はそうして錬太郎を観察することで、錬太郎が何を考えているのかというのを見抜こうとしていた。それというのも、錬太郎というのはあまりにも不思議な存在であったからである。当たり前のように超能力を使う錬太郎自体が非常に不思議であったし、錬太郎が身に着けている謎のフクロウのお面というのも不思議であった。

 緊急事態であるから、いちいち追求していないけれども錬太郎の能力も、かぶっているお面もまっとうな代物ではない。何せ超能力を使えるものなどほとんどいないのが世間一般の本当であるし、そしてそもそも無機物であるお面というのは生きているような振る舞いはしない。体を成長させて、錬太郎の体にまとわりついていくお面というのはまったく理解できないことだ。

 それもお面には銀のような金属光沢まであるのだから余計に意味が分からない。この不思議な存在たちに対して興味がわいた。錬太郎が何を考えているのか、どういう存在であるのか、丙花白は知りたかった。この気持は父親である車川貞幸の気持ちと同じである。だから深く観察していた。そしてわずかに同類かもしれないという期待もあった。



 うまく錬太郎を説得できずに車川貞幸が困っているのも気にせずに錬太郎は洞窟の中へ入っていった。滝の裏側にある洞窟は非常に薄暗いのだけれども気にする様子はない。普通の道を歩くような気楽な調子で、足を踏み入れていった。

 錬太郎は目を凝らせば何となくの洞窟の形が把握できるのに気付いたのだった。完全にものが見えているわけではなく、なんとなくどこに何があるのかわかる程度である。しかしまったく何も見えないということではない。

 壁の形はしっかりと見えているので、指先を洞窟の壁に沿わせて歩いていけば間違いなく歩ききれるだろう。少なくとも錬太郎にはその自信があった。そして安全策を取らなくとも大体は見えているのだから、問題ないだろうというような気持ちさえあった。実際に代替の形が把握できている錬太郎であるから、それほど真っ暗闇の洞窟の中へと入っていくのもそれほど恐ろしいとは感じず、頭の中にあるのは不意打ちを受けないように気を付けようという心構えっだけであった。

 錬太郎が一人で洞窟へと入っていくのに合わせて、背後から葉波根みなとが駆け寄ってきた。片手に長いつえを持ったままであった。

 そして、錬太郎のぼろぼろになったはっぴをつかんだ。葉波根みなとがはっぴをつかむとぼろぼろだったのが余計にぼろぼろになった。洞窟の中へ入っていくときの葉波根みなとはとても怖がっていたのだけれども、錬太郎を捕まえた時には怖がっていた表情はなくなり、少しお姉さんらしい表情へと変わっていた。

 錬太郎と一緒に鬼島笹百合を見つけてやろうじゃないかと葉波根みなとは心を決めているのだ。葉波根みなとは全く戦闘技術も持っていなければ、何か人探しに役立つような特殊な技術も持っていない。

 しかし錬太郎にはない土地勘がある。海波根島で生きてきたからこそ分かる海波根島の常識も知っている。錬太郎には土地勘もなければ、海波根島の常識もないのが葉波根みなとはわかっているのだ。だから自分も一緒に錬太郎と進むと決めたのだ。

 鬼島笹百合がさらわれたということが勿論彼女の行動の一番大きな理由であるけれども、この鬼島笹百合を探し出すのだという目的を支えてくれている勇気は錬太郎を信頼する気持ちから生まれていた。幼馴染への気持ちと錬太郎に対する気持ちが葉波根みなとを真っ暗な洞窟への道へ進ませたのだった。

 葉波根みなとに法被をつかまれた錬太郎が立ち止った。錬太郎が立ち止ると葉波根みなとは錬太郎にこう言った。

「私もついていくよ。この洞窟に笹百合がいるかはわからないでしょ? 洞窟を抜けた後のことも考えなくちゃ。

 それと、はいこれ、そんなぼろぼろの杖じゃなくて、こっちのを使いなよ。まがったやつよりもずっといいでしょ」

 立ち止まっている錬太郎に葉波根みなとは杖を渡した。金属製の杖ではない。木製の八角柱の長い杖である。錬太郎の足の調子が悪いことは応急処置をした葉波根みなとが一番わかっている。錬太郎は特に気にせずに前に進んでいるけれども、右の拳の怪我も左足首の怪我もひどい状態だった。

 パッと見たところ肌が切れているだけに見える。しかし、肌の下の状態というのがいまいちはっきりとしない。金属の杖で思い切り突かれたのだ。まともな状態でないのは葉波根みなとでなくとも察することはできる。



 葉波根みなとに杖を押し付けられた錬太郎はうなずいた。まがった金属の杖を放り捨てて木製の八角柱の杖を錬太郎は受け取った。葉波根みなとの言いたいことが錬太郎はすぐに理解できたのだ。錬太郎自身自分の右こぶしの状況と、左足首の状況がうすうすよくないとは思っている。普通に考えて金属と肉体とでは金属が固い。

 当たり前だが肉体のほうがずっとやわらかいのだ。どれだけ鍛えても肉体が金属並みの硬さになるということはない。錬太郎もそれはよくわかっているので、思い切り金属の杖で打たれた自分の体がどういう状態なのかを想像するのはそれほど難しくなかった。

 特に、何か武術を修めているような人間の一撃をほとんど防御することもなく左足首に受けているのだから、骨が砕けているか、それに近い状態になっているだろうななどと覚悟はしていた。

 そのため葉波根みなとがまがっていない良い杖を使えと言ってきたのも、すぐに納得できた。

 また、葉波根みなとが一緒に来ると言い出したのだが錬太郎は拒否できなかったのは、洞窟の中に鬼島笹百合と翼の生えた女性がいるとは限らないという葉波根みなとの意見がもっともであったからだ。

 錬太郎は滝の裏側にある洞窟を進めばそれで見つけられると思っていたところがある。しかし、それは勝手な思い込みで、洞窟がさらにどこかに続いているという可能性も十分どころか、葉波根みなとの意見から考えれば、別の場所に逃げている可能性のほうがずっと高いのだ。

 となれば、錬太郎は土地勘のある葉波根みなとを拒絶できなくなるのだ。できるなら安全なところにいてほしいというのが本当なのだけれど、手を貸してくれてうれしいという気持ちがわいていた。

 そうして、葉波根みなとを錬太郎が認め二人が歩き始めると、車川貞幸に声をかけられた。

「待ってほしい。私たちも一緒に行こう」

 錬太郎に話しかける車川貞幸は丙花白の手を握っていた。何か硬い意思があるらしく真剣な表情を作っていた。車川貞幸は自分たちの目的を達成するためには、錬太郎と一緒に洞窟を進んでいくのが一番であると判断していた。

 非常に恐ろしいという気持ちがあるのだ。間違いなく危険が待ち構えているだろうし、錬太郎の態度からして簡単に信用してもらえるわけがない。そして信用してもらえないということは、錬太郎が守ってくれる可能性が低いということである。

 それを考えると車川貞幸は嫌な予感でいっぱいになる。しかし、錬太郎についていけば翼の生えた女性に出会えるかもしれない。車川貞幸はこのチャンスを逃したくなかった。たとえ命の危険があるとしても。


 洞窟の入り口に立って震えている車川貞幸と、丙花白をみもせずに錬太郎はこういった。

「はっきり言って、ついてきてほしくないです。

 親切心で言ってくれているのならありがとうですけど、危ない目に合うと思いますよ?

 俺自身、それほど武術に精通しているわけではないですから、守れるのはこっちの葉波根さんと、そっちの御嬢さんがぎりぎり」

 車川貞幸を拒絶する錬太郎は洞窟の奥をにらんだままだった。まったく背後など気にしていなかった。まったく見る必要がないからである。そして手助けを必要としていなかった。

 錬太郎がやんわりと断ると、車川貞幸は言った。

「私の心配はしなくていい。これでもそれなりに覚えがある」

 錬太郎に答える車川貞幸はほほ笑んでいた。まさか自分の娘の心配どころか、自分の心配までしてくれるとは思わなかったからだ。完全に足手まといなのは車川貞幸の背格好と、体の動かし方を見ていればすぐにわかる。

 丙花白も同じである。しかしそんな自分たちでさえ来るというのなら拒まないという度量と、完全に自己責任であるだろうはずの車川貞幸たちでさえ守ってやろうという無茶な責任感は、面白かった。

 自分の身は自分で守るから心配するなという車川貞幸の答えを聞いた錬太郎は、こういった。

「そうですか、それなら一緒に行きましょう。けがをしないように気を付けて」

 車川貞幸たちを受け入れると、杖を突きながら錬太郎は洞窟の道を歩き始めた。左の足首が痛むため、左足の動きがぎこちない。しかしそれでもしっかりと前に向かって進んでいた。銀色のフクロウのお面の下、歯を食いしばっている錬太郎に気付いている者はいなかった。



 洞窟の道、試練開始。 


 滝の裏側にある洞窟の道に入ってすぐに、車川貞幸が荷物の中から懐中電灯を取り出した。懐中電灯はキャンプや登山で使えるような丈夫なタイプのものであった。

錬太郎についていくと行くことになったはいいが、洞窟の中にはまったく光がなかったのだ。滝の裏側であるということもあり、洞窟の入り口はまだかろうじて光が入っているのだけれども、少し洞窟の中を見てみると全く何も見えないというありさまだった。

これは車川貞幸も丙花白も葉波根みなとも同じであった。車川貞幸はこういうこともあろうかと懐中電灯を荷物の中に放り込んでいたことを思い出し、使うことに決めたのだった。ただ、懐中電灯を取り出す時車川貞幸は不思議そうにしていた。

というのが、車川貞幸が荷物を取り出す時に足を止めている間、錬太郎と葉波根みなとは特に問題なさそうに先に進んでいくからである。錬太郎が足を引きずっているので、それほど速くはないけれどもまったく暗闇に堪えていないのだ。これは不思議だった。

 車川貞幸が懐中電灯で洞窟の中を照らすと、葉波根みなとが錬太郎の右手首を握ってきた。葉波根みなとの顔色は暗くなっている。錬太郎についていくといったはいいのだが、思ったよりも怖くなっているのだ。

怖いというのは不審者に襲われるかもしれないということではなく、洞窟の中が思ったよりも怖かったということである。洞窟の道が恐ろしいものであるなどと葉波根みなとは思っていない。小さなころに何度か大人と一緒に歩いた思い出がある。

大人になってから好き好んでこんなところに来ることはないのでかなり久しぶりになるのだが、子供のころよりも大人になったというのに洞窟の中がこわかった。

洞窟の中のひんやりとした空気、懐中電灯の光がぼんやりとした暗闇に溶ける様子。そして微妙に反響し続ける滝の落ちる音。もともと怖がりなところがある葉波根港にとってはよくない環境だった。

不審者ではなく幽霊的な存在が出てきそうなのは最悪である。そして、そんな怖がっている彼女が頼れる存在となればこれはもう錬太郎しかいなかった。右手首を握ったのは、左手を握ると杖を持てなくなるからである。

 洞窟の中をゆっくりと道なりに錬太郎たちは進んでいった。そうして十分ほどすると、壁に行き当たった。行き止まりだった。どこからどう見ても行き止まりで、どうやっても先に進めそうになかった。

 洞窟の行き止まりにぶつかると葉波根みなとがこんなことを言った。

「え? なんで? 波根の道に行き止まりなんてないはず」

 行き止まりなんて存在しないはずだといって葉波根みなとは行き止まりの壁を撫でた。行き止まりの壁を撫でている葉波根みなとの手にはしっかりと感触がかえってきている。間違いなく壁があった。しかしまったく納得していないのだ。なぜなら彼女は波根の道、ご神体めぐりの道が一本道になっているのを知っている。

 そして子供のころには洞窟の道を通り古びた神社に向けて歩いて行った記憶もある。だから彼女はまったく納得いかないのだ。

 困っている葉波根みなとに錬太郎がきいた。

「確かにおかしいですね……ここが行き止まりであれば、鳥女を追いつめていなければならないはず……抜け道があるとか?」

 葉波根みなとを疑いもせずに錬太郎は杖で壁をつついていた。葉波根みなとが一本道であると自分に教えてくれたというのが間違いではないのかという考えももちろんある。

 しかしそれを悪意ある考えから生まれたものとは考えていなかった。というのがこんな辺鄙な場所に毎日来るようなことはまずありえないからである。

 記憶というのは劣化する。どうやっても勘違いすることはあるのだ。間違えるときには間違えると錬太郎は思っている。それに翼の生えた女性が滝の裏の洞窟に突っ込んでいくのは錬太郎がしっかりと確認しているので、むしろほかに道があるのではないかと考えるほうがより自然だった。

 というのが行き止まりだったというのならそれはそれでいいのだ。別にご神体めぐりがしたいわけではないのだから。ただ、行き止まりだったとしたら翼の生えた女性と錬太郎はすれ違っていなければならないはずである。

 なぜならば洞窟の入り口からはいっても出口がないのだから、絶対に洞窟の入り口でぶつかることになる。錬太郎はずっと出入り口で待ち構えていたのだから、見つからなかったというのは別の道があると考えるのが自然である。

 そうして錬太郎は壁のどこかにもしくは見落としている場所に抜け道があるのではないかと考えたのだった。錬太郎は体が大きいので抜け道の類を通るのは難しいが、翼の生えた女性も鬼島笹百合も華奢であったから、どこか狭い通路でもあればぬけられるだろうと考え杖でいろいろな場所をつついて調べていた。

 葉波根みなとと錬太郎が行き止まりを調べていると、丙花白がこんなことを言った。

「もしかしたら、神通力を試されているのかも……でしょ、先生?」

 神通力を試されているのかもしれないと仮説を話しながら丙花白は壁に向かって歩き出した。そして、葉波根みなとが困っているのをわきに見て、壁に手を触れて見せた。

 壁に手を触れている間、丙花白は目をしっかりと閉じていた。丙花白は壁の向こう側を透かせて見ようとしているのだ。彼女はこのような仕掛けを何度か見たことがある。普通の人間にはどうやっても解き明かすことのできない不思議な仕掛けである。

 彼女がすぐに気付いたのは葉波根みなとが道の形を覚えていたからである。いつもと違った地形が生まれているのならば、もしかしたら誰かが仕掛けを作動させ道を変化させたのではないかと推測できた。

 そして思い当たった彼女は自分の持つ力を使い、壁の中、壁の向こう側を見てやろうとしていた。

 丙花白が壁に手を触れて神経を集中させている間に、錬太郎はこんなことを言った。

「神通力? 仏教の特殊能力の呼び方だったか?……夢みたいな話だな」

 錬太郎はつぶやきながら、壁に手を伸ばしていた。夢のような話であるなどといいながら、錬太郎はまったくバカにするようなところがない。

 それどころかそういう風に呼ばれているのだなと勝手に納得していた。錬太郎自身がよくわからない能力を身に着けてしまったということもあり、すんなりと信じられたのだった。

 錬太郎のつぶやきを聞いた葉波根みなとと、車川貞幸、そして丙花白は同じ顔をしていた。完全にあきれていた。

 三人からしてみれば錬太郎の力というのはどう見ても超能力、神通力と呼ばれる力そのものであったからだ。水面を歩くとか、球体の透明な壁を作るとか、銀色のお面が生きているかのごとく変化し続けるという具体的な現象がその証拠である。

 これで神通力が夢物語であるなどといわれたら、それこそ頭の具合を疑わなければならないだろう。

 三人が同時にあきれたすぐ後のことだった。壁に手を触れていた錬太郎がこんなことを言った。

「見えた。壁の中にスイッチがある。二人とも少し離れてもらえます?」

 葉波根みなとと丙花白に壁から離れるように言いながら錬太郎は壁の中心に向かって歩き出した。

 そして、壁の中心にたどり着くと、杖で軽く壁をたたいた。錬太郎の行動というのはまったくわからない行動だった。しかし錬太郎には意味のある行動だったのだ。

 というのが錬太郎は壁の中に、壁を動かすスイッチがあるのが見えていたからである。どういう理屈なのか錬太郎自身はさっぱりわからないが、しっかりと壁の中に埋め込まれた壁を動かすスイッチが見えていた。そして、壁のスイッチが手の届かないところにあるとわかった錬太郎は念力を使いスイッチを動かした。

 壁を杖でたたくとすぐに、壁が音を立てて動き出した。真ん中から壁が左右に分かれて、そのまま洞窟の壁に吸い込まれていったのだ。

 ただこれは尋常ならざる技術で行われていた。というのが、壁の出し入れが自然すぎてまったくどこに何があったのかもわからない具合だったのだ。

 まったく壁など存在しないような、もともとなかったかのように自然な道ができかがっていた。つなぎ目も、仕掛けがあるなどと思わせるような不具合もなかった。

 壁が消えうせると錬太郎はこんなことを言った。

「すげぇな、ハイテク!」

 奇妙な仕掛けをハイテクだという錬太郎はとても喜んでいた。銀色のフクロウのお面が邪魔をして見えないけれど、はしゃいでいるのが声の調子から分かる。いまこの瞬間だけは間違いなく完全にどこにでもいる高校生だった。

 錬太郎がはしゃいでいるのをみて、丙花白は首をかしげていた。少し腑に落ちなかったのだ。神通力を自在に錬太郎が操っているところではない。ハイテクであるとあっさりと断じて見せたところに、疑問を持ったのだ。

 丙花白が首をかしげているのと同時に、葉波根みなとが呆然と立ち尽くしていた。目を丸くして口を半開きにして、立ち尽くしている。神通力が使える人間に出会ったこと、そして銀色のお面が生きているような振る舞いをしていることまでは何とか受け入れられた葉波根みなとなのだが、自分の生まれ育ってきた島にどこのものともしれない不思議な仕掛けがあったことが受け入れられないのだ。

 普通の田舎の島だと思っていたら、宇宙人の超技術なのか、それとも妖怪の技術なのかわからないようなものがあるのだから、精神的にうける衝撃はとんでもなかった。


 道をふさいでいた壁がなくなると、錬太郎がゆっくりと歩き始めた。やはり左足首が痛むらしく歩くスピードは遅かった。しかし、葉波根みなと、丙花白、そして車川貞幸たちにしてみるとちょうどいいスピードだった。

 行き止まりだった壁がなくなってからさらに五分ほど錬太郎たちは洞窟の中を道なりに進んでいった。洞窟を進んでいる間、やはり葉波根みなとは錬太郎の右手首をつかんだままだった。頭の中が非常に混乱していたが、恐怖もまた同じように感じていたのだ。

 そしてまたもや行き止まりに行き当たった。洞窟の左右の通路と同じ材質でできた壁が行く手をふさいでいる。

 行き止まりに行き当たると、すぐに錬太郎が動き出した。杖を突きながら壁に近づいて、壁に手を触れた。そして、一度目の壁と同じようにスイッチを探した。同じような仕掛けなのだから、同じような時方に違いないと考えたのだった。

 しかしこれは間違いだった。いくら錬太郎がスイッチを探してみても全く見当たらなかったのだ。

 スイッチが見つけられない錬太郎が困っていると懐中電灯で道を照らしていた車川貞幸が近づいてきてこう言った。

 「全体を見てくれないか、いきどまりの壁じゃなくてこの周り全部を。できるかい?」

 錬太郎に行き止まり全体を透かして見てくれと言いながら、車川貞幸は懐中電灯をまわして見せた。懐中電灯の光が、洞窟の天井、左の通路の壁、足元、右側の通路の壁を照らした。

 車川貞幸は、どこかに行き止まりの壁を操作するスイッチがあると踏んでいた。しかし、錬太郎のようにスイッチが同じ場所にあるとは考えていなかった。神通力を使うのが当たり前の仕掛けなのだから、どこに隠していてもいいはずだからだ。

 つまり手が届かないところにあろうと神通力で作動させるのだから、どこにでもスイッチがあるという発想である。

 車川貞幸の助言を受けた錬太郎はうなずいた。そして、言われたとおりにやってみた。一つの方向を透かして見るのではなく、自分自身を中心にして全体を透かして見るように努めてみた。そうすると不思議なことに錬太郎は周りにあるものが手に取るように理解できた。

 そして、スイッチの位置も見つけられた。錬太郎たちの足元、一メートルほど下に埋められていた。

 スイッチを見つた錬太郎は速やかにスイッチを押した。杖を地面にこつんとやって、力を響かせたのだ。そうすると今まで道をふさいでいた壁がするすると地面に吸い込まれていった。

 当然のように壁を吸い込んだ地面に仕掛けはなかった。きれいなものだった。ここに壁が吸い込まれたのだなどといっても誰も信じないだろう。どう見ても普通の地面があるだけだからだ。

 壁が消えると錬太郎が先に進み始めた。やはり左の足首が痛むらしく左足を引きずっていた。しかしそれでもしっかりと前を見て歩いていた。錬太郎が歩き出すと葉波根みなとも一緒に動き出した。そして二人の後から、車川貞幸と丙花白がついて行った。

 二つ目の壁を軽々と攻略してさらに五分ほど洞窟の中の道を錬太郎たちは歩いた。そうするとまたもや壁が道をふさいでいた。

 三枚目の壁を見つけた時には錬太郎が大きなため息を吐いた。それはそのはずで、また同じような仕掛けを解かなくてはならないのかという気持ちになっていた。簡単な仕掛けなのだから全く気にならないといえば、確かにそのとおりである。

 しかし錬太郎の目的はハイテクな仕掛けを解くことにあるのではないのだ。錬太郎は鬼島笹百合を助けたいだけなのだ。だからむしろこのような足を引っ張るような障害物は邪魔なだけだった。

 しかし解かないわけにはいかないので、錬太郎は全体を透かして見た。自分自身を中心にして、三百六十を透かして見るのだ。

 そうすると錬太郎はしっかりと天井にスイッチが仕込まれているのを見つけられた。錬太郎の感覚からすると天井の奥、二メートルほどのところにスイッチは隠されていた。

 スイッチを見つけた錬太郎は速やかにスイッチを作動させた。杖を天井に当てて、力を響かせた。そうすると行く手をふさいでいた壁が天井に吸い込まれて消えた。一枚目、二枚目の壁と同じく吸い込まれたところはまったくきれいなままであった。


 三枚目の壁が消えうせたのを見て、錬太郎がこんなことを言った。

「邪魔くさいな本当……何がしたいんだよあの鳥女」

 ため息をつきながら悪態をつく錬太郎のつぶやきに答えたのは、車川貞幸だった。車川貞幸は目を輝かせながらこんな話をした。

「きっと、力試しだ。母なる神というのは時々人の前に現れて、自分の子供たちがしっかりと成長しているかを確かめることがある。

 きっとこの仕掛けは子供たちの成長を確かめるもの」

 錬太郎の独り言に答えている車川貞幸は実に早口だった。一応聞き取れるものの、完全に聞き取れている者はいないだろう。また、興奮しているのか懐中電灯が微妙に震えていた。真っ暗闇を照らしている光が小刻みに揺れている。

 しかししょうがないのだ。このような奇妙な仕掛けの数々を実際に見るのは初めてだったからだ。今まで見てみたい見てみたいと思っていたものが、思いもよらずに目の前に現れたのだ。こんなに気持ちが昂ることはない。

 ただ、車川貞幸の意見を聞いた錬太郎は一歩引いていた。車川貞幸から距離を取るような調子で、後ずさりしたのだった。あまりにも勢いよく飛んできた答えに、押されてしまったのだ。

 しかし悪い感情はなかった。気持ち悪いとか、いやな奴だということは思わなかった。むしろ逆だ。いいなと思っていた。うらやましいとさえ思っていた。錬太郎を引かせるほどの勢い、情熱を持っていればきっと道に迷うことなどないのだろうと思ったからである。それは錬太郎の表情にも出ていたが、銀色のフクロウのお面が隠してくれているので気づかれなかった。

 内心複雑だが、客観的には引いている錬太郎の様子を見て、葉波根みなとと丙花白が苦笑いを浮かべていた。


 三枚目の壁を突破した錬太郎たちはさらに道を進んでいった。洞窟の中を歩いている間、錬太郎が心配していたようなことは起きなかった。まったく待ち伏せなどはなかったし、罠の類も発見できなかった。

 歩いている間錬太郎が常に周囲を透かして見ていたのだけれども、全く何も見つけられなかったうえ、攻撃を仕掛けてくるようなものはなかったのだ。

 三枚目の壁を越えて、洞窟の道を歩いている間、丙花白と錬太郎が会話をしていた。丙花白が錬太郎に話しかけてきて、錬太郎がそれに答えていたのである。

 この会話は特にこれといって特筆するようなことはない。どこにでもあるような会話だった。それも初対面の人間がするような当たり障りのない会話をしていた。趣味はなんだとか、好きな芸能人は誰だとか、そういう当たり障りのない会話である。

 丙花白が錬太郎に話しかけてきたのは、錬太郎の情報を引き出すためである。特にこれといって面白いものがあるわけでもない洞窟であるから、退屈していたわけではない。

 当たり障りのない会話をすることで、錬太郎の内面を知ろうと努力していたのである。それこそ錬太郎と会話をする間に錬太郎が自分の情報を漏らしてくれないだろうかなどと期待しているところもあった。

 錬太郎が会話をしていたのは、退屈だったからである。自分の周囲に待ち伏せだとか罠の類が用意されていないのを察することができるようになっている錬太郎にとって、特に何も面白味のない道を歩くのは退屈なことだった。

 もちろん油断しきっているわけではないけれども、ほとんどこれといって何かが襲ってくるという気配がないので、ややリラックスして道を歩けた。

 そんな錬太郎であるから、丙花白が話しかけてきて会話ができるというのならちょうどいい暇つぶしになると考えたのだった。会話をしながら周りに注意祖払っていれば、痛みもいくらか忘れられるので、ちょうどよかった。

 会話の間、錬太郎の右手首を葉波根みなとは強く握ったまま歩いていた。表情もこわばっている。自分たちの背後から近づいてくる車川貞幸と丙花白を少しも信用していないらしく、錬太郎にばかり近寄っていた。

 葉波根みなとは後ろからついてくる二人組を全く信用していない。島の外から来た人間だからという以上に、神通力という不思議な力を当たり前のものととらえているのが、おかしくてしょうがなかった。

 神通力などという世間的には存在しない力を後ろからついてくる二人組は当たり前のものととらえているのだ。確かに葉波根みなとは錬太郎のことを信頼している。

 錬太郎ならば、大丈夫だろうという気持ちがある。実際に神通力を自在に扱い、翼の生えた女性と戦い、不審者を撃退した錬太郎のほうがずっと怪しいのは間違いないのだが信頼していた。

 しかしそれは錬太郎が行動して見せてくれたから信頼しているのだ。確かに錬太郎は不思議な力を持っている。しかし後ろからついてくる二人組とは違い、錬太郎は実際に鬼島笹百合を心配して行動し不審者を退かせ、山田と田中に攻撃を仕掛けられないようにと壁になって防いでくれているのだ。

 しかも今この瞬間も、鬼島笹百合を取り返すといって恐ろしい苦労を背負いこんで戦っている。十分すぎる行動の数々だった。

 車川貞幸と丙花白はそれがない。ただ、ついてきているだけだ。何を思って行動しているのかさっぱりわからない。だから全く信用できない。

 そして、客観的に信用できない理由以上に、葉波根みなとは感情的な理由から信用できそうになかった。特に丙花白は無理そうだった。というのは錬太郎に話しかけてくる丙花白の口調が、彼女には媚びているようにしか聞こえなかったからだ。耐えられないものだった。



 洞窟の中を歩きながら会話をしていた丙花白と錬太郎であったが、ぴたりと会話が止まった。三枚目の壁を越えてから十五分ほどしてのことだった。またもや、行き止まりに行き当たったのである。これがただの行き止まりであれば、特に問題はなかった。

 錬太郎が再びスイッチを探して行動すればいいだけだからだ。問題なのは今回の行き止まりには明らかに動き出しそうな石像が用意されていたのである。

 行き止まりの壁の前に、成人男性並みの大きさがある石像がドンと構えているのだ。しかもこの石像、鳥人間の石像なのだ。

 背中から羽が生えていて、頭が鳥である。翼の生えた女性に鬼島笹百合を奪われた錬太郎にしてみれば、怪しいを通り越して間違いなくこれは動き出すだろうなという調子である。

 しかしこれは、錬太郎以外の者たちも同じ反応だった。明らかに今までと同じような行き止まり。そして番人のように鎮座している石像。それも羽の生えた生えた鳥人間の石像。嫌でも身構える。

 間違いなくこれは動き出すか、それに近いトラップだろうと。露骨すぎた。


 ただ、何もしないわけにはいかなかった。錬太郎はこういった。

「それじゃあ……やりますか。ちょっと離れてもらえます?」

 離れるようにといいながら葉波根みなとを錬太郎は見た。自分の右手首をしっかりと握っている葉波根みなとが邪魔だったからだ。もしかすると目の前の石像が勝手に動き出すということもありうるのだから、葉波根みなとが近くにいるというのはよくなかった。

 錬太郎にはなれるようにといわれると、葉波根みなとは右手首から手を放した。そして、邪魔にならないところまで離れていった。

 錬太郎が何を考えているのか、葉波根港にはよくわかった。どこからどう見ても怪しい石像と、誰かが作動させている行き止まりを作る壁。今までと同じようにスイッチを押すことで壁が姿を消すというのならば、間違いなく石像がかかわってくるに違いない。

 となれば、想像できる仕掛けといえば石像が動き出すか、石像の中にスイッチがあるというくらいのものである。仮に石像が動き出すようなことになれば、間違いなく葉波根みなとは足手まといだ。少し力が強いだけで、錬太郎のサポートができるほどではないのはよくわかっている。

 だからおとなしく引き下がったのだった。ただ、引き下がってはいたけれども車川貞幸と丙花白とは距離を取っていた。

 葉波根みなとが石像から距離を取ったのを確認してから、錬太郎はスイッチを探し始めた。全体をとらえるように透かして見ていたのだけれども、なかなかスイッチは見つからなかった。しかし、一つ気づいたことがある。それは透かしてみようとして見てもなかなか見えないものがあるということである。

 その見えないものというのは、行き止まりを作っている壁の前に鎮座している石像である。この石像はなかなかうまく透かして見れなかった。周りにスイッチがないのを確認した錬太郎は、いよいよよく見えない石像に力を注ぎ始めた。目に力を込めて石像のすべてを見透かそうとした。錬太郎が目に力を込めて見つめると、今まで透けて見えなかった石像の中身が見え始めた。

 ほかのものとは違って、中身がぎっちりと詰まっている印象がある。錬太郎はこの石像の中心に、スイッチが隠れているのを見つけ出した。

 スイッチを見つけ出した錬太郎はほっと一息ついた。そして周りを透かして見るのをやめて、石像に近づいて行った。少し緊張しているのだけれども、気づいている者はいなかった。

 石像の中にスイッチがあるという状態自体に、いやな予感を感じているのだった。錬太郎が知っている限りで、こういうパターンというのはそれこそ創作物の中での話なら、間違いなくスイッチを動かした瞬間に、石像が動き出すだろう。

 錬太郎はどうしてもそんな気がしてしょうがなかった。しかしやらないわけにはいかないので、錬太郎は石像に近寄りスイッチを押すことに決めた。

 錬太郎が動き出すと見守っていた三人も身構えた。錬太郎と同じようなイメージが頭の中にあったのだ。

 石像と一メートルほど離れたところに立つと、錬太郎は杖で石像をついた。

 杖で石像をつくと気持ちのいい音が洞窟の中で響いた。杖で石像をついた時、しっかりと石像の中に力が響いていたらしく状況に変化があった。ただ、これは錬太郎たちが思っていたような変化ではなかった。

 壁が消えるどころか増えたのだ。それも、錬太郎たちを逃がさないように来た道をふさぐように現れていた。完全に錬太郎たちは閉じ込められてしまった。しかも変化はそれだけでやまなかった。錬太郎たちの足元が徐々に沈み始めたのだ。これに合わせて、上下左右すべての壁が移動を始めた。それこそちょうどエレベーターのように錬太郎たちを下に運んで行った。



 自分たちが徐々に下に落とされていると察した錬太郎は、天を仰いだ。銀色のフクロウの仮面が瞬きをはじめ、くちばしをカチカチと鳴らしていた。

 同時に、錬太郎の頭と首元を包んでいる翼が震えた。そして、銀色のフクロウの翼の下から足指が伸びてきて錬太郎の両肩をつかんだ。天を仰いでいる錬太郎の手の中にある杖が、きしんでいた。

 銀色のフクロウの仮面がさらに変化したのに葉波根港が気付いていたが、声に出すことはなかった。

 黙って、錬太郎を見つめていた。声をかけようか迷っているようだった。奇妙なフクロウの仮面の心配よりも錬太郎のことが心配だったのだ。まだ短い付き合いしかないはずの二人である。内面を知るには短すぎる時間しかなかった。

 しかし何となく錬太郎の性格を葉波根みなとは把握できていた。非常におおざっぱではある。この少年は親切で責任感の強い人間であると。

 この大雑把な把握はそれほど間違いではないという自信もあった。錬太郎の行動を見ての判断だからだ。

 そんな錬太郎であるから、今のような状況、鬼島笹百合からさらに遠ざかるような状況というのは、なかなか受け入れがたい失敗であっただろう。

 もちろんこの状況の先に翼の生えた女性が待ち構えているかもしれないので、完全な失敗であるとは言い切れない。しかし、障害物を延々と用意されていた状況からして、下に下に落とされている状況も時間稼ぎの可能性が非常に高い。

 となるとおそらく翼の生えた女性はまったく別のところにいる可能性が高いだろう。それは、錬太郎もうすうす気づいているはずだ。

 錬太郎にしてみれば一刻も早く鬼島笹百合を取り戻したい。ならばこのような時間の無駄だとしか言いようのない足止めを食らっている自分というのは錬太郎自身が自分を評価すれば、間違いなく失敗であったはずだ。

 それが葉波根みなとはなんとなくわかっている。完全に言葉にすることはできなくとも、直観として理解できる。

 だから、天を仰いでいる錬太郎の姿が、不憫だった。自分を責めているようにしか見えず、責任を取る必要もないのに責任を取らなくてはならない立場に追い込まれているようにしかみえなかった。

 徐々に下に下に沈んでいく状況よりも理不尽に追い込まれている錬太郎のほうが心配だったのだ。

 

 

 落下が止まったのは三十秒ほどしてのことである。わずかな振動とともにぴたりと動きがなくなった。

 そして少し間を開けてから、四方を囲んでいた壁の一つ、石像が背中を向けていた壁が左右に分かれて消えた。そして壁がなくなるのと同時に、スイッチが埋め込まれていた石像が解けて消えた。

 氷が解けるような調子であっという間に消えたのだ。この石像が消えうせると、四方八方を囲んでいた洞窟の壁が消えうせてしまった。しかし錬太郎たちはしっかりと立っていた。ただ、今までいたようなじめじめして真っ暗闇な洞窟の中ではない。

 彼らが立っていたのは舗装された道路の上。ただ、普通の道路の上ではなかった。アスファルトではない。コンクリートでもない金属で作られたきれいな道が広がっていた。

 おかしな道だったが、さらにおかしなことがあった。錬太郎たちの立つ道はまっすぐに大きな塔に向けて伸びていた。ただこの塔というのもまっとうな技術で作られたものではなかった。

 なぜならこの塔は、天を衝いていたのだ。ただ、この天というのは空のことではない。天井のことだ。また少し注意が必要で天井であるから大した大きさではないというのは間違いである。

 この天井見上げるほど高かった。かなり離れたところに立っている錬太郎たちが見上げるほど高い塔がやっと天井に着いているのだから、もしかするとキロ単位の高さがあるかもしれない。

 また、高さも恐るべきものがあるが、広さと塔の数も非常に多かったのだ。錬太郎たちの立つ道から伸びる道が続いている先にある一本と、その周りを囲むようにして立ち並ぶ数々の柱。それが等間隔で、四方八方に広がっているのだ。

 この広がりも大雑把に見て海波根島よりも大きいように見えるほどだった。これほど大きく広い謎の空間であるから、海波根島を丁度下から支えているように存在していると考えても少しもおかしくないどころか、そういう役割のためだろうと簡単に腑に落ちる大きさである。


 海波根島の地下にある謎の広がり、そして謎の建築物の立ち並ぶのを見て葉波根みなとが小さくつぶやいた。

「えっ? なにこれ」

 つぶやく葉波根みなとはのろのろと歩きだして、錬太郎の右手首をにぎった。目線は立ち並ぶ柱と中心にそびえる塔にむかっている。

 しかし焦点が合っていなかった。葉波根みなとがショックを受けるのも無理はないだろう。彼女の目の前にあったものが非常に理解しにくいものだった。

 壁の向こう側にあったのは、いかにも未来的な風景だった。天井には太陽ではなくたくさんのライトがピカピカと光っていて広い空間を照らしている。

 天井を支えるようにして数えきれない柱が立ち並んでいて、この柱もまた非常に太く大きかった。一本一本が高層ビルと同じか、それ以上の大きさである。どう見ても普通の技術で作られたものではないのがわかる。

 そして柱が生えている地面はきれいに舗装されていて、車が走れるような道も用意されていた。そして、ところどころに見える集合住宅のような建物の群れ。

 この集合住宅でさえもよくわからない物質で作られているのだ。さっぱり理解は追いつかない。

 このあまりにも現実離れした光景を前にして、葉波根みなとの頭は混乱してしまった。神通力を使っている人間がいるというのもショックを与える事実であったけれど、自分の生まれ育った場所に、しかも地下に謎の巨大な空間があり、しかも建築物が存在していてしかもどう見ても現代では作れないような超技術で作られているのだから、いよいよ頭が混乱してしょうがなくなる。

 しかしこれは葉波根みなとに限ったことではない。車川貞幸も丙花白も、そして葉波根みなとに右手首を握られている錬太郎も同じことである。みな同じように驚き動きを止めていた。

 みなが動きを止めている中で、一番に動き出したのは錬太郎だった。痛む左足首をかばいながら、錬太郎は杖をついて前に進み始めた。錬太郎は一生懸命歩きだそうとしているのだけれども、歩くスピードは遅かった。というのも、錬太郎の右手首を握っている葉波根みなとが体全体を錬太郎に傾けていたので歩きにくかったのだ。

 葉波根みなとと同じで錬太郎も混乱しているのは間違いない。今まで田舎の海波根島のじめじめした洞窟の中にいたというのに、いきなり未来都市の中にいるのだから混乱する。

 しかし、錬太郎にはほんの少しだけこの光景に耐性があった。錬太郎しか知らないことだけれど、錬太郎はこのような光景を見たことがある。そして旅をしたことがあった。

 だから、いきなりとんでもないことになったという気持ちは持ったけれども、超技術で作られた未来都市を目の前にして現実を受け入れられないとはならなかったのだ。

 その分だけほかの三人よりも回復は早かった。そして回復してしまえば、やることを思い出せた。やることとは鬼島笹百合を取り戻すことである。思い出せたのならば、あとは先に進むだけだ。たとえ海波根島の地下に謎の未来都市が存在していたとしても、やることは変わらない。だから錬太郎は前に進んだのだった。

 よくわからない場所に放り出されたという恐怖よりも急いで鬼島笹百合のところに行きたいという焦りの気持ちが強かった。

錬太郎が動き出すのに合わせて、葉波根みなとも動き出していた。しかし自発的な行動ではない。錬太郎が歩き始めるのに合わせて、いやいや歩いているだけだった。歩きたくないのなら歩かなければいいのだけれど、錬太郎の右手首を握り体を預けるようにしていたので、どうしても錬太郎が動くと一緒に動かなくてはならなかった。

 いっそのこと錬太郎から離れてもいいはず。怖いのなら、止まっていればいいのだがそれもできなかった。今この瞬間における一番信頼できる人間は間違いなく錬太郎ただ一人だったからである。

 少なくとも車川貞幸と丙花白ではない。そしてたった一人になって帰り道を探すなどという勇気は残念なことに葉波根みなとにはなかった。そんな彼女であるから、錬太郎が動き出すのに合わせてものすごく嫌そうにして、道を歩き始めたのだ。

 そうして錬太郎たちが動き出すのに合わせて車川貞幸と丙花白が動き出した。どこからどう見ても現代の技術では作れそうにないものばかりで作られている未来の都市を見て、茫然としていた二人である。

 しかし錬太郎が動き出したことで、このまま呆然と立ち尽くしているわけにはいかないと頭を切り替えた。

 いろいろと思うところはあるのだ。未来都市の中を探検してみたいという気持ち、そしてどういう技術が使われているのかという興味。そして、この場所から無事に戻れるのかという恐怖。いろいろと頭の中に考えはあったが、このまま立ち尽くしていたところで変化が起きるわけもないのはわかっていた。

 だから錬太郎たちの後を追いかけた。錬太郎の後を追いかければ、外に出ることもできるかもしれない。そして、もっと不思議なものも見つけられるかもしれないから。

 

 海波根島の地下に広がっている未来都市の中を錬太郎たちはどんどん進んでいった。初めはおびえていた者たちもあっという間に警戒心を失ってしまっている。

 というのが、いくら道を進んでみても特にこれといって何かが現れるということもなかったのである。まったく何もなかった。むしろ足元が舗装されているので、非常に歩きやすかった。また、いったん慣れてしまうと未来都市のなぞの建築物もなかなか風情があるので、観光気分になっていた。

 特に葉波根みなとは目をキラキラさせながら、錬太郎に話しかけていた。

「あっちにスーパーみたいなのがある」

とか

「あれはきっとマネキンだよ、もしかしたら服を売ってたのかも!」

などというのだった。

 この間も錬太郎の右手首から全く手を離さなかった。警戒心を緩めていたのは葉波根みなとだけではなく車川貞幸も丙花白も同じだった。彼らもまた、未来都市の建物を興味深そうに観察していた。ただ、足はしっかりと動かしていた。

 この中で錬太郎だけ妙に警戒心を保っていた。錬太郎も未来都市を観光してみたいという気持ちはある。興味ももちろんある。

 しかし右手の拳の痛みと左足首の痛みがそうさせてくれない。痛みがじわじわと頭に響いているので、楽しむ余裕がないのだ。できるのはせいぜい警戒しながら歩くことくらいのものである。そしてどこか休めるようなところはないだろうかなどと思いながら、長い長い一本道をゆくだけになるのだった。



 二十分ほど歩いたところで、葉波根みなとがこんなことを言った。

「ねぇ、少し休憩しよう。ずっと歩いていたら疲れちゃった」

 休憩しないかといいながら葉波根みなとは錬太郎の手を引いた。葉波根みなとの目線は少し離れたところにある公園のようなところに向かっていた。

 どうやら未来都市にも公園があるようで、ベンチのようなものが三つ四つ用意されていた。

 座って休めるように備え付けたのだろうが、なかなか前衛的なデザインで、すごかった。

 葉波根みなとの顔色は悪くない。呼吸が荒いということもない。それはそのはず、葉波根みなとはあまり疲れていない。暑苦しい波根の道を歩いたことで体力は消耗しているけれども、洞窟の涼しい空気と、未来都市の過ごしやすい空気の中で体力が回復している。

 ではなぜ葉波根みなとは休もうと言い出したのか。それは、錬太郎を気遣ってのことである。葉波根みなとは錬太郎が痛みを我慢しているのに気付いている。あまりに痛みが激しいので、脂汗をかいているのもわかっていた。

 銀色のフクロウの仮面があるために表情を読めないが、手首を握り体温を感じられる距離にいる葉波根みなとには錬太郎の鼓動がよく聞こえていた。そして錬太郎が無理をしていると察して、わざと足を引っ張るようなことを言ったのだ。そうしなければ壊れるまで動き続けるような気がした。



 葉波根みなとが休憩したいというと、車川貞幸がそれに続いた。車川貞幸の顔色は非常によかった。

 呼吸もしっかりしている。しかしそれでも休憩してみたかった。理由は二つある。

 一つは単純に休憩してゆっくりしている間に未来都市を観察したかった。いろいろと見て回り自分の研究の助けにしようと思った。特にこんな良くわからない場所に入り込めるチャンスなど生きているうちにおそらく二度とない。

 何としても目に焼き付けいろいろと持ち帰ってみたいという気持ちになっていた。これが一つ目の理由。みんなが休んでいる間に自分のライフワークを遂げようとした。

 二つ目の理由は、錬太郎である。車川貞幸は錬太郎の不調を見抜いている。むしろ錬太郎をまっすぐに見て、まともな状態であるなどと思える者はいないだろう。なぜなら錬太郎はぼろぼろである。体中ずたずたである。

 そしてどうしてそうなったのかという理由を車川貞幸ははっきりとみている。確かに錬太郎の肉体は大きくて強そうに見える。しかし限界はあるだろう。特に左足首の傷はよくない。戦いの興奮が痛みを忘れさせるのは一瞬のこと。

 戦いが終わり穏やかな時間が訪れれば痛みはぶり返す。鉄の杖で皮膚がはじけるような攻撃を食らっているのだ。まともに立っているのも不思議なくらいである。

 休みながら行くのが普通。錬太郎が一番の戦力であるのは間違いないけれど無理をさせるのは完全な間違いであると車川貞幸は判断していた。これが二つ目の理由である。車川貞幸は錬太郎のことを心配していた。

 車川貞幸と葉波根みなとが休みたいというので、錬太郎もしぶしぶうなずいた。道なりに進み、鬼島笹百合のところに向かいたいという気持ちが行動に現れていた。

 しかし、最終的にはおとなしく葉波根みなとに導かれて、ベンチに座った。錬太郎もうすうす気づいているのだ。これはつまり迷子になっていることに気付いているということである。

 今までは葉波根みなとが道案内をしてくれた。翼の生えた女性がどこにいるのかというのはわからないけれども、それでも土地勘のある人間がいてくれた。

 しかし今、この場所に土地勘のある者はいない。全員がはじめてくる場所である。当然だが、翼の生えた女性の居場所はわからない。それ以上に元の海波根島に戻る方法さえわからないのだ。

 未来都市の道なりに歩いてきたけれど、計画があってのことではないのだ。ただ、遠くに見える塔が何となくそれっぽいものだったからというだけの理由で歩いてきた。

 これは完全な迷子の状態だった。こんな状態で歩き回っても意味はない。どこにも辿りつけない可能性がずっと高いだろう。そして何より足を引っ張るものがある。それは錬太郎自身である。

 錬太郎は自分の左足首が思ったよりも悪い状態にあるのを理解している。かなりきつい一撃だったらしく、痛みが全くひかない。ずきずきと痛み、芯に響いている。杖をついて歩いているけれどそれもいつまで続けられるかわからない。

 目的地がわからない状況、そしていうことを聞いてくれない左足首。錬太郎は休むしかなくなっていた。だからきっと休もうといってくれたとき錬太郎はほっとした。



 錬太郎がベンチに腰を下ろしていると隣に葉波根みなとが腰を下ろした。車川貞幸のように散歩してくるといって一人で歩いていくようなことはなかった。また、丙花白のように公園の設備を観察して回るようなこともなかった。

 錬太郎の隣に座り、黙っていた。錬太郎と違って身長が低いので、ベンチが体に合っていなかった。錬太郎の隣に座った葉波根みなとはこういった。

「血は止まったみたいだね。痛くない?」

 痛みはないかと聞く葉波根みなとは錬太郎の左足首を見ていた。錬太郎のスニーカーが血で汚れていたけれど、血は既に乾いていた。また新しい血が流れ出てくるということもなかった。

 これは右の拳も同じである。葉波根みなとの応急処置がしっかりときいているのだ。葉波根みなとは錬太郎の体の心配をしていた。

 ただ、心配だった。何せ鉄の杖で思い切り攻撃されたのだ。普通なら骨がおかしくなっていても不思議ではない。しかも武術を使うような身のこなしをする人間からの攻撃であるから、余計に心配だ。彼女はまじかで見ていたので心配でしょうがなかった。

 葉波根みなとの問いかけに、錬太郎は答えた。

「ちょっと痛いです。ずきずきして……何やってんでしょうね、おれ」

 正直に答えながら錬太郎は体の力を抜いた。完全に力を抜いて、天井を見上げた。少し落ち着いたことで、自分がおかしな状況に追い込まれているなと客観的に見えるようになったのだ。

 考えてみれば、ただのお手伝いだったはずだ。鬼島笹百合と一緒に海波根島に向かい、祭りの手伝いをするというだけの話だったはず。

 しかしそれが今は翼の生えた女性を追いかけて、海波根島のなぞの未来都市を歩き回る羽目になっている。今までは怒りでいっぱいになっていたので、冷静になれなかったが、冷静になってみるとおかしなことばかりである。

 神通力だと、いきなり襲いかかってくる公務員だとか、まったくおかしなことばかりが起きていた。このおかしなことを思い出すとどうにも力が抜けてくる。

 怪しい女性を打倒してやるぞという頑張る気持ちよりも、なんでこんなことになったのだろうという不思議が強くなるのだ。そうすると怒りでこわばっていた体から力が抜けて、冷静さがリックス状態を作ってくれる。それが今の錬太郎の状態だった。


 錬太郎がだらけると、錬太郎の頭を守っていた銀色のフクロウのお面が震えた。今まで錬太郎の肩をつかんでいた足指を引っ込めて、錬太郎の首に巻きつけていた襟巻のような羽を折りたたんでしまった。この動きというのが実に素早くまた生きているかのような動きだった。

 この銀色のフクロウのお面の行動を見て、葉波根みなとが驚いた。目を見開いて、びくついた。目の前で銀色のフクロウが羽ばたいたように見えたからだ。錬太郎の銀色のお面が生き物のごとくふるまうのは何となく察していたところだが、はっきりと目の前で動かれると何とも言えない奇妙な感じがするのだ。そして動く物だと知っていても急に動かれると驚くものは驚くのである。



 ベンチに座って葉波根みなとと錬太郎が会話をしていると、車川貞幸がものすごくいい笑顔を浮かべて走ってきた。ものすごくキラキラした百点満点の笑顔だった。何かものすごくいいものを見つけたらしく、非常にはしゃいでいた。

 ベンチに座っている錬太郎の前まで来ると、車川貞幸がこんなことを言った。

「いいものを見つけたんだ。ここから少し歩いたところにね、展示場みたいなものがあったんだよ。そこで何を見つけたと思う?

 これがすごいんだ車だよ、車! あれはどう見ても車だった! これだけ発展した技術があるのに車があるなんて驚きだ! 車輪があったからね、空を飛んだりはしないらしい!」

 車を見つけたといってはしゃぐ車川貞幸はしきりにあさっての方向を指差していた。車川貞幸がさす方向を見てみるとほかの建物よりもすこし大きめの建物があった。

 正方形の大きな建物で、一言でいえば大きなサイコロだった。ただ、サイコロとは違って数字が刻まれていない。ただの正方形の大きな建物だった。

 車川貞幸は自分が見つけた面白いものを何としても使ってみたいという気持ちになっていた。錬太郎がいれば、もしかすると動かせるかもしれないので、何としても一緒に来てもらいたかったのだ。

 とんでもない勢いでまくし立てている車川貞幸を見つけるとすぐに錬太郎のところへ丙花白が駆け寄ってきた。

 公園の設備をいろいろな角度から観察していた丙花白だが、自分の父親が冷静さを失っているのを察してすぐに手を貸しに戻ってきた。

 普段の父親というのは非常に冷静で頭の切れる男なのだ。腕っぷしもそこそこ強いので頼れる男だと思っている。しかし頭が回転しすぎて興奮しているときは全く頼れない。

 あまたの回転が速すぎて、考えがどこまでも加速するのだ。いろいろな仮説が飛び出してきて、それが口からも飛び出してくる。普段なら、よく考えてから話をするのに、興奮するといったん口を閉じて考えるという機能がさっぱり失われるのだ。

 父親のことをよく知っている丙花白であるから、こういう状態になった父親をどう扱えばいいのかよく知っていた。少なくとも錬太郎たちのような初対面の人間よりはずっとまともに扱える自信があった。だからすぐに戻ってきて、車川貞幸と錬太郎の会話の手伝いをしようとしたのだった。

 はしゃいでいる車川貞幸に、丙花白が声をかけた。

「ねぇ、少し落ち着いてよ。言いたいことが分かんないから」

 落ち着けと言いながら、丙花白は父親のすねを軽く蹴った。

 父親のはしゃいでいる様子からして、口で諭していくよりも物理的な痛みを持って落ち着かせたほうがいいと判断したのである。

 特に葉波根みなとと錬太郎のような顔を合わせたばかりの人間に対して、猛然と話しまくるのをはたから見ていれば、冷静になれなどといっても聞いてくれないのは明らかだった。

 そして、話しかけられている葉波根みなとと錬太郎も急にはしゃぎ始めた車川貞幸に押されていて全く対応できていないのが見えている

 。フクロウのお面が錬太郎の表情を隠しているので、どういう表情をしているのかはさっぱりわからないけれどいきなり話しかけられてびくついている葉波根港がしがみついているのを全くやめさせないところを見ると、これは錬太郎も同じように対応に困っているのは間違いないだろう。そうして丙花白はややいらだちながら父親のすねをキレのいいローキックを放ったのだった。


 娘に脛を思い切りけられた車川貞幸は脂汗を流しながらうずくまった。丙花白のローキックの勢いがなかなかのものだったのだ。さすがに格闘家のようにとは言わないけれども、かなり蹴り慣れていた。

 身長も体格も貧弱としか言いようのない丙花白であるけれどもさすがに思い切り脛をけられれば、大の大人も悶絶するというものである。これが太ももだとか、背中を小突かれるようなものであれば、大したことはないのだ。

 痛みを感じるのは間違いないだろうが、大したことはない。問題なのは急所扱いされる部分を思い切りけられたということなのだ。さすがにこれには車川貞幸も耐えられなかった。頭がハイテンションになっていたけれどもあっという間に冷静になれる程度には、十分な威力があったのだ。

 脛を抑えてうずくまる車川貞幸を見ながら錬太郎が身を震わせた。目の前の光景がなかなかショッキングなものだったからだ。

 錬太郎自身はそれなりに格闘技というのを身に着けているので、ローキックというのを実際に見る機会というのはあった。常に鍛え続けているというわけではなく、幼馴染で友人の早房ツバメに付き合って練習をするくらいのものである。

 そういう練習をしているとやはりいろいろな人と出会う機会があるのだが、丙花白のローキックはどう見ても経験者の蹴りだった。

 威力の問題ではなく体の使い方が初心者のものではなかったのだ。これは足のふり方からではな全身の筋肉の唸り、しならせ方から判断が付く。

 丙花白の動きというのは実にうまくやっていて、全身をきっちりと使った丁寧なローキックだった。錬太郎は油断している間にこんなけりを食らったらどうなるかというのを思い浮かべて、恐れたのだ。

 特に丙花白というのは葉波根港よりもずっと華奢な見た目をしているので、車川貞幸のみならず錬太郎も気を抜いて脛をけられたら間違いなくうずくまるだろう。錬太郎は目の前の車川貞幸に自分の姿を重ねて震えていたのだった。



 車川貞幸がすねを抑えてうずくまっているところに、丙花白が声をかけた。

「それで、何を見つけたの? わかるように説明して」

 車川貞幸に説明を求める丙花白は、いつの間にか錬太郎たちが座っているベンチに座っていた。その表情はとても大人びていた。小学校低学年にしか見えないが、今の表情を見ていると葉波根みなとよりも年上に思える迫力があった。

 父親の車川貞幸が何か見つけたという話はしっかりと耳に入れているのだ。父親が非常にはしゃいでいるのを苦々しく思っていただけではないということである。

 しっかりとはしゃいでとんでもない勢いでまくし立てる話の内容を頭に入れていたのだ。錬太郎と葉波根みなとは車川貞幸があまりの勢いでまくし立ててきたので対応に困っていたけれども、このあたり産まれた時からの付き合いであるから慣れている。

 しっかりと聞くべきところは聞いていた。そして丙花白は特に気になったところがあったのだ。それは車という単語である。この恐ろしく広い未来都市を探索するということを考えると、やはり足が必要だろうと彼女は考えていた。

 特に錬太郎の足の調子が悪いのは一目瞭然なので使えるのなら使いたかった。これがもしもどうでもいいような会話の内容ならば、脛を思い切りけってそれで終わりだ。

 そして父親が痛みから回復するのを待たないのは、自分のローキックごときで父親が完全に動けなくなるわけがないと知っているからだった。ただ、他から見るとかなり厳しい光景にしか見えなかった。

 年上の男性のすねを思い切りけったうえ、ベンチに座ってわかりやすいように話をしろというのだからとんでもなかった。

 丙花白にわかりやすく説明しろと言われた車川貞幸は脛を抑えながら話をした。

「ここから、五分ほど歩いたところに車があった。いわゆる展示場みたいな感じだった。もしかしたら動くかもしれない。

 これから動き回ることを考えれば、使えるかどうか試してみるべきだろう。ただ、問題がある。

 入り口を開けられない。それで呼びに戻ってきたんだ。力を借りたい」

 わかりやすく自分が見てきたもの、何を求めているのかを車川貞幸は伝えながら、自分のすねをさすっていた。娘に思い切りけられたのが思いのほか後に引いているのだ。

 今はほとんど痛みを感じていないのだけれども、衝撃が全身を駆け巡っていてなかなか立ち上がれなかった。いくら回復するからといってもしびれが取れないのは問題だった。

 娘の丙花白のローキックが当たり障りのないものであれば、こうはならなかっただろう。いくら痛みがあったとしても大して問題ない。

 ただ、衝撃を余すことなく伝えていたというのがなかなか曲者だった。太鼓を思い切りたたいた時のような衝撃が全身を駆け巡り、気持ちが高ぶっていたのが一気になくなるのだから、たまらなかった。

 さすがにこれには回復に時間がかかり、立ち上がるのが少々難しくなっていた。長く正座をしていた時のようなしびれがあったのだ。

 車らしきものを見つけたからそれを使おうじゃないかと提案する車川貞幸の話を聞いた葉波根みなと、丙花白、そして錬太郎の三人はそれぞれ違った反応を起こした。葉波根みなとは本当にそんなものがあるのかといって目を細め、丙花白は錬太郎に視線を向けた。

 そして錬太郎は、黙って車川貞幸が指差していた建物を見ていた。

 少し考えてから錬太郎が答えた。

「行きましょうか。特に目的地もないですし」

 車川貞幸の提案に乗るといいながら錬太郎はベンチから立ち上がった。その時にわずかにふらついていた。しかし杖を持っていたので倒れるようなことはなかった。

 やはり左の足首の調子は悪かった。車川貞幸が見つけたものが、本当なのかどうかというのはわからない。

 しかし本当に車川貞幸が見つけたものが車であったとしたら非常に便利である。少なくとも今の状況よりはずっとましである。なぜなら錬太郎の左足首の調子は非常に悪い。いつ足が動かなくなるのかはわからない。いつかは回復するだろう。しかしすぐには回復することはない。

 かといって、鬼島笹百合をあきらめるつもりはなく未来都市から脱出することもあきらめていない。ならば、足は必要だろう。脱出のための道も鬼島笹百合を見つけるための道も錬太郎が動きにくくなっているのだから、本当に車があるというのなら、信じて探してみるのも悪くない。

 だから錬太郎は立ち上がった。足を引きずっていたけれど、ふらついているけれどもそれでも心は前を向いていた。


 錬太郎が立ち上がるのに合わせて、葉波根みなとが動き出した。すでに当り前だろうというくらいの勢いで、錬太郎の右手首をつかんで体を寄せていた。錬太郎が歩く邪魔にならないぎりぎりのところにいるのはかなり空気が読めているといっていいだろう。

 葉波根みなとは錬太郎が車川貞幸の話に乗ると言ったので、それに従ったのだ。海波根島の地理ならばまったく問題なくわかる葉波根みなとであるが、海波根島の地下にある未来都市の地理には全く何もわからないのが本当である。

 そして、どこへ向かっていいのかという目的を決めるということも全くできないのが葉波根みなとの状態だった。わからないことが多すぎて決められないのだ。

 そんな彼女であるから、この瞬間一番信頼できる錬太郎が決めたことならばそれについていけばいいだろうと自分を預けていた。

 だから錬太郎の決めたことに従って動いていた。錬太郎との距離感がやや近くなっているのは、単純に錬太郎の鼓動を聞いていると安心できるからだ。

 車川貞幸の提案を聞いて錬太郎たちが動き出すと、車川貞幸の案内で移動することになった。車川貞幸のすぐ後ろを丙花白が歩き、そのすぐ後ろを葉波根みなとと錬太郎がついて行った。車川貞幸の案内は実にスムーズに行われた。

 全く迷うことなく目的地までたどり着き、車川貞幸の言う車と対面することになった。

 ただ、少しだけ問題があった。いわゆるガラス張りのショールームの中に四台の車が止まっていたのだが、出入り口が見当たらないのだ。これは困ったことだった。



 どこからどう見ても四方がガラス張りになっているだけのショールームの前で、錬太郎たちは困っていた。

 どこからどう見ても入口らしきものがなかったのだ。あまりにも入口らしきものがないので、ショールームのまわりをぐるりと一周してきてみたのだが、これといって何か仕掛けらしいものを見つけることもできなかった。

 たとえば、自動ドアのようなものである。もしかすると人が近づくと動き出すかもしれないということで丙花白は一周とりあえず見て回ったのだが、それでもさっぱり何も起こらなかった。

 そうして丙花白が一周見て回ったところで車川貞幸がこう言った。

「もしかしたら、神通力を使ってどうにかできないかと思ってね。

 見えない扉があるとか、仕掛けの存在だとか、いざとなったら乱暴な手段をとるということもできるだろう?」

 錬太郎をここまで連れてきた理由を説明する車川貞幸は、困ったような顔をして笑っていた。というのも自分の娘が自分と同じようにぐるぐると同じような行動をとり始めていたからである。

 丙花白の行動というのは、十数分前に車川貞幸がとった行動とほとんど同じだった。今はまだぐるぐるとガラス張りになった建物の周りを回るだけで済んでいるけれども、そのうち壁をこつこつとたたき始めてみたり、壊せないだろうかといろいろと仕掛け始めるだろうと予想がついていた。

 自分の娘の自分とよ似ている行動というのを見ていると、やはり血は争えないのだななどと思ってしまう。非常に困った状況にあるので感情を素直に表に出せないけれども、不思議な気持ちだった。

 車川貞幸の説明を聞いた錬太郎はすぐに壁を透かして見た。もともとガラス張りの壁であるから、透かして見るというのはおかしい話ではある。しかしここは未来都市である。

 ありえない仕掛けがわんさか転がっている海波根島の地下にある未来都市なのだ。神通力を使えるのが当たり前の仕掛けを仕込んでいるのならば、当然ここにもあるだろうと考えるのは難しくなかった。

 そうして透明なはずの壁を錬太郎が透かして見た時であった。錬太郎は驚いて一歩引いた。

 錬太郎が急に体を動かしたので、錬太郎の右手首を握っていた葉波根みなとも一緒に驚いていた。錬太郎が驚いたのは、不思議なものを見たからなのだ。

 物を透かして見るという技術を使える錬太郎が、不思議なものを見るというのは当たり前のような気もする。いろいろなものに阻まれているのが全くないように感じて、隠されているものを見つけるのだから、これは不思議な技である。

 しかしそんな錬太郎でも、このガラス張りのショールームは不思議だった。なぜならここにはガラスなどなかったのだから。錬太郎が透かして見たところにあったのは壁である。ただの壁があったのだ。それこそ未来都市の外観を作っている奇妙な材質の壁があるだけなのだ。

 少なくともガラス張りなどではなく間違いなく内側を見られないようにしていた。しかも、錬太郎が透かして見るのが非常に難しかった石像と同じような感覚を与えてくるのだ。

 これもまたどうにも不思議だった。錬太郎が一歩引いたのは、この思ってもいなかった結果のためなのだ。まさかこんな良くわからない事実が待ち構えているとは思わなかった。


 しかし少し驚いただけである。錬太郎はしっかりと出入り口の場所を見つけていた。そして出入口らしいところにあるスイッチも見通していた。透かして見ると案外わかりやすいところに他とは違う部分があるのがわかったのだ。

 出入り口と思われる場所にはしっかりとスイッチと出入りできるようになっている仕掛けがあったのだ。何といえばいいか、左右に開くように仕掛けが作られていたのだ。これはつなぎ目のない壁を見ていればすぐにおかしいと気づく仕掛けだった。明らかに切れ目と仕掛けの跡が見えるからだ。

 そしてこれこそ出入り口の仕掛けであろうと予想するのは簡単だった。

 ショールームの出入り口を見つけた錬太郎はこういった。

「多分、これだと思うんですけど……それ!」

 自信なさげなことを言いながら杖をついて錬太郎は透明なはずの壁に向かって歩いて行った。錬太郎が歩き出すと同時に、葉波根みなとも一緒に歩きだしていた。

 錬太郎はしっかりと壁に出入り口があるのが見えている。そして、出入り口を動かすためのスイッチの存在も見つけている。まったく何も見えていない状態ではないのだ。

 それこそ葉波根みなとのようにどう見てもガラス張りのショールームにしか見えていない状態ではない。そのため少しも迷わずに、壁に近寄っていき出入り口のスイッチを押しに行けるのだった。 

 ただ問題があるのだ。それは錬太郎が見えているスイッチが出入り口のスイッチなのかどうかということである。スイッチらしいものがただ一つしかないので、これだろうと考えているのだがまったく関係のないスイッチということもありうるのだ。

 自信がないのはそのためである。しかしただのショールームにたいそうな仕掛けがあるわけがないだろうという気持ちもあり、やや自信のほうが上回っていた。


 透明に見えている壁の目の前に立つと錬太郎は杖を壁をこつんとたたいた。錬太郎が叩いたところから力が波のように広がり、壁の中に隠れていたスイッチを作動させた。壁の中に埋め込まれているスイッチを押す方法は海波根島の洞窟の中で勉強している。特に錬太郎が困るようなことはなかった。

 錬太郎が仕掛けを作動させると、透明だった壁に変化が起きた。周りに立っている建物と同じような材質に変化したのだ。そして、その変化と同時に錬太郎の目の前の壁が四分の一ほどきれいに取り払われた。それこそガレージのシャッターが上がるような調子である。

 そうして錬太郎たちはガレージの中の車と出会ったのだった。この車は大きな車だった。山や川に行くために作られたような大きな車で、車高とタイヤが大きかった。

 そして非常に頑丈にできていることがわかる。車のボディーが分厚いのだ。よくわかるのは扉である。開いた時におかしさがわかる。扉が分厚いのだ。それこそ金庫のように。

 この車を見つけた時一番喜んだのは車川貞幸だった。あまりにはしゃぎすぎて飛び跳ねていた。また、一番困っていたのは丙花白だった。

 今まで透明だったはずの壁がいきなりただの壁に変化して、しかも全く違った映像を見せられていたことに気付いたからである。

 また驚いていたのは葉波根みなとも同じであった。どこの軍用車なのかと思う威圧感たっぷりの車がいきなり現れたのだから不思議でならなかった。ただ錬太郎は微妙な顔をしていた。この車によく似た車を見たことがあったからだ。しかし映画だとか何かのプロモーションで見たのではなかった。また、友達だとかその関係者が所有していたとかいうこともない。

 錬太郎がこの車を見て思い出したのは、ここではないどこかの世界。何もかもが滅び去ってそれでも必死で戦った世界での思い出の中で、よく似た車を見たことがあったのだ。

 ただ、本当にその車なのかどうかはわからなかった。勘違いの可能性の可能性がかなり高いのだが、それでも一度よぎってしまった予感は拭い去れなかった。できるだけ考えようにしていた錬太郎の冒険のなぞ、超能力を身に着けるきかっけになった冒険、その世界のつながりを考えてしまった。それが錬太郎を妙な気持ちにさせていた。

 




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