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第三章 波根の道 下


 錬太郎が戦いの覚悟を決めて一人先を行くのに合わせて、波根の道を戻ってくるものがいた。それは錬太郎たちから十五メートルほど離れたところで、陣取っていた怪人物である。波根の道をふさぐように仁王立ちして、後ろからくるものをにらみながら錬太郎に向かって近づいてきていた。

 身長は錬太郎よりもやや高く二メートルかそれを少し超えるというところ。怪人物の正確な大きさはわからない。なぜならコートを着ていたからである。このコートというのは手の指先から、足の先まできっちりと覆い隠していた。また見た目が非常に暴力的だった。夏の暑い日に分厚い冬用のコートなのだ。見ているだけで、気分を悪くする。

 また、異様に豪華だった。少なくとも森の中に着てくるようなものではない。非常に高価に見えた。特にコート全体に施されている刺繍は目を引く。

 鳥の羽と、百合をイメージした刺繍が深い紺色のコートの全体、特に背中から右肩を通り、右手の先に向けて伸びているのは見事としか言いようのない技であった。ただ、こんなものを波根の道に着てくるというのはあまりにも無駄遣いであるし、何よりこのコートの暑苦しさは視覚的な暴力であった。

 しかし間違いなく、身元をはっきりとさせない効果があった。このコートは全身を覆い隠すもので、足首の少し上の部分までをカバーできていた。そのため不審者の何となくの身長と体格しか錬太郎は把握できなかった。

 また残念ながら男なのか女なのかもわからない。なぜならば、錬太郎と同じような銀色の鳥のお面をかぶっていたからである。デザインは猛禽類に近く勇ましい印象がある。錬太郎の銀色のお面はフクロウが目を見開いているように言見えるが、不審者のお面はタカが獲物をにらみつけているように見えた。

 波根の道で出会った二人は、どちらも不審者であった。どちらも海波根島以外ではまともに出歩けない格好である。ただ、よく似た格好の二人であった。しかしこの二人でも違っているところがあった。

 それは、杖を持っていることだ。不審者は杖を持っていたのだ。この杖は錬太郎が倉庫から運んでき八角形の杖である。これを道をふさいでいる不審者は片手に持っていた。

 この明らかに怪しい邪魔ものが、錬太郎が波根の道を歩いてくるのに合わせて、道を戻ってきたのだった。どう見ても、友好的な存在ではないだろう。何せ道を戻りながら杖を肩に担いで、攻撃の準備を始めているのだから。十五メートル離れた二人の距離も、あれよあれよと縮まっていった。

 


 波根の道を戻ってきたものを見て鬼島笹百合と葉波根みなとが軽い悲鳴を上げた。道を駆け戻ってくる不審者が恐ろしかった。恐れる理由はありすぎる。まず見た目が恐ろしい。いかにも仮装といった格好である。

 それだけでも恐れるものがあるが、それに加えて迫力がありすぎた。悪ふざけをしているような空気ではないのだ。本気で襲いにかかっているのが、動作から察せられた。

 肩に担いでいる杖で何をしようとしているのかを予想して、それが錬太郎や自分たちを打ち据えたらどうなるかを考えたら震えが起きる。そこから考えられる最悪の事態も想像できて、二人は恐ろしくなった。

 鬼島笹百合と葉波根みなとの悲鳴を聞きながら、杖を担いで駆けてくる不審者に向けて錬太郎は話しかけていた。すでに、不審者との距離はあと五メートルといったところである。

「そこ、どいてもらえませんか? ご神体めぐりの途中なんですけど」

 のんきに話しかけながら、錬太郎は攻撃のために姿勢を作り始めていた。また、口調だけが明るいけれど、全く会話をするつもりがないのはにじみ出る迫力からわかる。錬太郎は一応の言い訳を作っているのだ。言い訳とは相手が先に手を出してきたので、自分が対応しましたという言い訳である。

「一応声をかけたのだけれども、全く相手は対応せずに攻撃してきたのだから、しょうがないだろう」

と警察の厄介になるようになった時の言い訳にしようとしていた。ただそれだけである。

 言っていることとやっていることはまったく逆。錬太郎は攻撃に合わせて、相手の叩きのめすつもりであった。丁度つかみやすい格好をしているので、杖での攻撃に合わせて、技をかけて地面にたたきつけてやろうと考えていた。

 錬太郎が話し終わるのと同時に奇妙な装束を着た不審者が、一気に襲いかかってきた。身長二メートル近い巨体であるのにもかかわらず、実に素早い動きである。波根の道の不安定な道を全く気にせずに飛び込んできた。

 錬太郎との距離、三メートル近くを一息でつめたのだ。なかなかの技術と脚力があった。また、距離を縮めるのと同じタイミングで杖で突きを繰り出していた。担いでいた杖を手首のスナップだけで発射したのだ。この杖での突きの軌道は錬太郎の喉を狙った一撃である。

 ありえない攻撃方法、普通ならまともに操れるわけもないはずの手首の動きだけでの攻撃である。しかし、その勢いはすさまじくまともにのどに食らえば、悶絶は間違いなかった。不審者もまた本気で襲いかかっていた。

 杖での攻撃を読んでいた錬太郎は奇妙な手法で打ち込まれた杖の突きを回避した。杖の突きに合わせて不審者の懐に潜り込むような形で一歩前に出ている。

 そして回避と同時に錬太郎の両手は、不審者のコートの襟をつかんでいた。錬太郎と不審者の距離が一気に縮まった。奇妙な銀色の仮面をかぶった者たちが顔を突き合わせることになった。

 しかし不思議がある。なぜ初めて出会う相手に対して、完璧な対応ができたのか。

 それは行動の予想が的中していたからである。この行動の予想が的中していたことで、自分の得意な距離まで錬太郎は近づけたのだ。

 予想するために使った判断材料は二つ。一番大きいのは不審者の格好である。

 たとえば、杖。不審者は杖をわざわざ肩に担いでやってきたのだから杖で攻撃するのだろうと予想がついた。これでほかの攻撃手段を持ち出してくるのなら、非常に器用であるが、思い切り突っ込んできたことからそれはないと判断した。

 そして細かい攻撃の方法については体全体の動きから予想を立てていた。つまり筋肉の動かし方から、突きに入るための動きであると推理できたのだった。百メートルのタイムを計る時に、走り出すためのポーズというのがあるが、そのポーズに近いものを体の動かし方、重心のずれ、筋肉のきしみ具合から判断したのだ。

 しかし、奇妙な方法で打ち込まれるという予想は立てていなかった。完全に予想できていたわけではないのだ。さすがに手首のスナップだけで攻撃を行える筋力を持つ者はいないだろうと決めてかかっていた。

 だが、錬太郎は突きを回避できた。判断材料の二つ目。

 肉体の動きからの予想ではなく、周りの状況からも予想を立てていたからである。つまり、波根の道で戦うという状況が、杖の使い方を制限していたのである。

 波根の道が杖を振り回すのに適していない狭い道だ。人が二人並ぶとぶつかってしまうほど狭い道。百八十センチほどの杖を振りまわすのは無理だろう。頑張って振り回すこともできなくはない。しかし突っ込みながら振り回すのは無理やりすぎるし、非効率的だ。振り回せば、周りの木にぶつかって引っかかる。ならば突きを繰り出す可能性は非常に高い。

 この、見た目の動きと状況の把握から予想を立てていたのである。これがぴったりとはまった。

 となれば、迎撃はたやすい。そして読み通りに動いた不審者に対して錬太郎は迎撃を速やかに行い、無力化に入ったのだ。ただ、錬太郎が叩き落とそうとしている場所にやわらかい地面はない。むき出しの岩に向けて叩き落とそうとしていた。

 錬太郎の迎撃に対して不審者は見事に対応して見せた。突きを放った杖を一気に手首の力だけで手繰り直したのだ。一瞬の出来事である。錬太郎がコートをつかんだときには、すでに杖のほとんどを引き戻していた。

 そのまま、ためらうことなく手首の角度を変えて、懐に入り込んでいる錬太郎の頭頂部に杖の先端を合わせた。長い杖が冗談のような勢いで地面と垂直になる。しかしまったく杖は震えない。ぴたりと錬太郎の頭頂部を狙って動かない。当たれば大けがは免れないだろう攻撃になるだろう。しかし不審者はためらわなかった。

 コートをつかんで技をかけようとしている錬太郎めがけて、腕と手首のスナップを聞かせて、杖を撃ち込んだ。無理な格好からの攻撃であったが、異様な勢いがついていた。

 まるで杖が生きているかのような自在さである。

 しかし攻撃は失敗した。錬太郎と不審者の間を杖は通り抜けて行った。そして地面に突き刺ささった。杖は地面に十センチほどめり込んでしまった。嫌な予感を感じた錬太郎が、不審者を突き放したからである。そのため錬太郎の頭のあったところを杖は猛烈な勢いで通り過ぎて、右手と左手の間にある空間を通り抜けて行ったのだ。



 錬太郎の拘束がなくなると不審者は一気に距離を開けた。後ろに向けてふわりと飛んだのだ。天狗というのがいれば、こういうもののことをいうのだろう。腹が立つほど身軽だった。

 錬太郎から距離を開けてすぐに、不審者は両手を錬太郎に向けた。両方の手のひらを錬太郎に見せている。防御の姿勢にも見える。しかしまったく違った。

 これは攻撃である。不審者は錬太郎に近寄りたくない。近寄れば問答無用で地面にたたき伏せられる未来がありありと見える。

 しかも手加減なしで行われるのがわかる。だから近寄りたくない。杖での攻撃も二度は使えない。錬太郎の警戒している様子から察するに、投げ技を仕掛ける前に腕を折りに来る。不審者は錬太郎の技の速度に追いつける気がしなかった。

 そのため、安全な方法を選んだ。近くに行けば反射反応速度で勝る錬太郎に及ばない。しかし遠くならどうだろう。試してみる価値はあった。だからやってみることにしたのだ。

 しかし両手を向けるだけの行動、どう見ても攻撃には見えなかった。少なくとも錬太郎には攻撃だとは思えなかった。

 しかし、間を開けることなく錬太郎は間違いであったと知る。錬太郎の体が、後方に吹き飛んだのだ。身長百九十センチ筋骨隆々の錬太郎が内野ゴロのような勢いで地面を転がっていった。まったく理解できないことだが、空間が錬太郎を押したのだ。

 全く錬太郎は何もできなかった。押されたと思った時にはふっとばされていた。これが、不審者の狙いなのだと錬太郎はさとった。地面を転がっていく錬太郎に混乱はない。超能力を使ってくる敵と出会うのは初めてではなかったからだ。

 五メートルほど吹っ飛ばされた錬太郎は木の幹にぶつかり止まった。錬太郎が木の幹にぶつかると、木が大きく揺れた。吹っ飛ばされた錬太郎であるが、体に問題はなかった。木にぶつかった後すぐに立ち上がり、戦いを始めようとしていた。

 ここにきて完全に相手を始末することに頭を働かせ始めている。相手が説明できない何かを持っているというのなら、そうだと思い戦えばいいだけのことである。そして戦いをやめる気はなかった。危険だと思った。だから始末しておくべきと錬太郎は判断した。

 もしかしたら超能力を持つ者同士、仲良くなれるかもしれない。かもしれないが、タイミングが悪かった。錬太郎の背後には葉波根みなとと鬼島笹百合がいる。妥協はできなかった。二人に危険が及ぶ可能性があるのなら、始末しておきたかった。

 相手を始末すると決めたのと同時に銀色の仮面の奥にある錬太郎の目の奥の光が強くなっていった。銀色のお面をかぶっていても奇妙な夕焼けのような光が見えていた。

 明らかにおかしい様子の錬太郎が戦いを続けようとすると、やっと鬼島笹百合と葉波根みなとが動き出した。二人とも錬太郎の後ろをついてきていたのだけれども、全く動けていなかったのだ。不審者と錬太郎のやり取りがあまりにも恐ろしく見えたのだ。

 しかしやっとのことで、二人は動き出したのだった。錬太郎が吹っ飛ばされて、やっと頭が追い付いてきたのだ。だが、動けるようになっただけである。急に始まった暴力の応酬を前にして固まっていないというだけである。

 まともに考えて動けてはいない。二人とも全くあわてるばかりである。攻撃するのか防御に移るのか、それとも逃げるのか全く頭が回っていない。二人とも全力での殺し合いなど見たことがなく、そもそも血を見るような喧嘩自体したこととがない。

 そのため、このような修羅場でどう行動すればいいのかという発想自体がないのだ。だからあわてて、困ってどうしようもなくなってしまうのだった。

 あわてている鬼島笹百合と葉波根みなとに、不審者は興味を示さなかった。五メートルほど距離を保ったまま、じっと錬太郎を見つめている。錬太郎を観察しているのだ。じっくりと錬太郎の目を見つめていた。不審者は錬太郎の目の光に心奪われたのだ。そして、知りたいと思った。

 三秒ほど不審者と錬太郎は見つめあった。奇妙な空白があった。その次の瞬間である。不審者は大きく飛びのいた。二メートルをこえる巨体が高く飛びあがり、波根の道を囲む木々の枝に飛び移った。

 驚くべき身のこなしである。木の枝は不審者の体重を感じていないようだった。錬太郎は目を丸くして驚いた。錬太郎が驚いていると、風に乗るようにしてあっという間に波根の道の奥へと飛んでいった。地面に突き刺さったままの杖はそのままだった。



 身軽にもほどがある不審者が道の奥へと消え去った後、錬太郎は膝をついた。吹き飛ばされた時の衝撃というのもなかなかであったが、超能力を使っての戦いというのが思いのほか体力を消耗させたのだ。

 膝をついた錬太郎はお面を外した。そして右手で右目を抑えた。右目の視界が一気にぼやけ始めたのである。

 左目はしっかりと焦点を結んでいるのだが、右目はまったくだめだった。まったく焦点が合わず目を細めても全くはっきりとものが見えなかった。自分の視力が急激に落ち他のに、錬太郎は気が付いたのだ。この時、錬太郎の顔色は悪かった。右目の視力が異様に落ちるという現象があまりにも恐ろしかったからである。

 両方が同時に落ちていくのなら、これほど恐ろしいとは思わない。徐々に右目も左目も落ちていくのならそういうものだと思えるのだ。勉強をし過ぎたのだとか、テレビゲームをし過ぎたとか、理由も当たり障りのないものを思い浮かべられる。ただ、片方だけが急激に落ちるのは何か悪い病気にでもかかったのではないかという気持ちにさせる。

 正直に錬太郎が告白できるのならば、これは間違いなく副作用だろう。思い当たるところはいくつもあるのだ。超能力を使い始めたことの副作用。確信はないが思い当るところが多すぎる。それが不安を呼んだのだ。

 膝をついて右目を抑えて震えている錬太郎に、鬼島笹百合が話しかけた。

「大丈夫?」

 錬太郎に大丈夫かと聞きながら、鬼島笹百合は錬太郎の肩に手を置いた。右目を抑えて震えている錬太郎よりもずっと鬼島笹百合のほうが顔色が悪かった。真っ青だった。嫌な予感が彼女の頭をよぎっているのだ。

 この悪い予感とは恐ろしい暴力の応酬が錬太郎の肉体を傷つけたのではないかという予感である。先ほどの錬太郎と不審者のやり取りは、あまりにも恐ろしいものであった。

 不審者も、錬太郎も全く手加減がなかった。風を引き裂く杖の攻撃。杖の攻撃に乗る殺意をものともせずに懐に入り込む錬太郎の切り替えの早さ。

 どれもがまったく鬼島笹百合の今まで見てきた何ものよりも生々しい殺意がこもっていた。錬太郎と不審者のぶつかり合いで、錬太郎はふっとばされてしまったのを鬼島笹百合はしっかりとみている。理屈はさっぱりわからないが、空気全体が錬太郎に攻撃を仕掛けてきていた。

 この攻撃が、錬太郎にどのような効果を及ぼしたのか、それが鬼島笹百合にはわからない。お互いが本気で命を狙っていたのだ。右目を抑えて震えている廉太郎を見れば、いやな予感がどんどんわいてきてしょうがなくなる。

 そうなると傷ついたかもしれない錬太郎よりも、恐ろしさが胸の内側から湧いてくる。錬太郎の痛みがわからないからこそ、余計に痛みを想像してつらくなる。肩に手を置いたのは、せめてもの慰めのつもりである。人のぬくもりには心を癒す力があると彼女は知っているのだ。

 鬼島笹百合が錬太郎を見ている間、葉波根みなとは周りを見張った。非常に警戒していた。両手をきつく握りしめて、グーの形にしている。何か恐ろしいものが現れたとしたら、このきつく握った両手のグーで対応しようと心に決めていた。そのような決意が葉波根みなとの表情からうかがえる。

 しかし全く頼りにならない表情である。戦う気持ちを持っていたが泣きそうだった。頑張って立ち向かうと決めてはいた。しかしそれだけだ。奮い立たせているだけだった。足は完全に震えていた。 それでも立ち向かわんとしているのは不審者の姿は消えたけれども、危険が去ったとは思っていないためである。葉波根みなとは不審者が戻ってくるのではないかと考えていた。もしくは、不審者の仲間がいるのではないかと。

 不審者が何者であるか葉波根みなとはわからない。服装からして海波根島の人間なのはわかる。特別な銀のお面をかぶっていたことと、ごく一部の人間しか着れないコートを着ていたことからして間違いないと予想を立てていた。

 そうなると、海波根島の身内なのだから警戒する必要はないとなるはず。なぜなら顔見知りである可能性が非常に高いのだ。悪さをすれば、どういう目に合うのかはよく知っているはずである。

 しかし葉波根みなとは安心できない。同じ場所に住んでいる人間だからといって、信頼できるものばかりではないと彼女は知っている。性格が合わない人間はどこにでもいるのだと知っている。葉波根みなとは島の外から来た人間だからといって、危害を加える気はない。仲良くできるのなら仲良くしたいと思っている。

 しかし、邪魔だと思っている人間も少なからずいると推測できるし確信できる。海波根島のご神体めぐりは自分たちだけでやりたい、神様の恩恵は自分たちだけがあずかるものだと思っている者たちもいるのだ。

 ならば、そういう一派に錬太郎が狙われたのではないかと思ってしまう。鬼島山百合に気に入られている錬太郎を羨んで、嫉妬して襲ったのではないかと。特に、鬼島笹百合と葉波根みなとを狙わなかったことが彼女の予想を正しく見せていた。彼女は思うのだ。なぜ錬太郎は狙われたのか。なぜ、自分たちは見逃されたのか。錬太郎は部外者で、自分たちは鬼島山百合の孫で、葉波根の一族だからではないかと。

 錬太郎を見捨てる選択肢はなかった。葉波根みなとにとって島の外から来たとか、内側の人間だとかいうのはどうでもいいことだった。確かに自分自身が正式な巫女になるというのは夢であったが、現実の暴力を手段として達成するのはおかしいと信じている。

 自分の力で成し遂げるからこそ意味があるのであって、暴力で達成するのは全くおかしいと思っているのだ。だから錬太郎に攻撃を仕掛けてくるようなものは、誰が何と言おうと悪であると断ずることができた。

 そして信じている気持に従って両手を握りしめて戦う姿勢を作るのは、正しい行いであると信じられた。だから彼女は恐ろしい気持ちを抑えて、来るかもしれない不審者たちに対して戦う姿勢を作ったのだった。

 しかし彼女はまったく戦う技術を持っていなかった。立ち姿と泣きそうな顔を見ていればわかる。腕力だけが強いだけの女性だった。そして、相手を叩きのめす、始末するという強い気持ちも作れそうになかった。



 一分ほど波根の道に膝をついていた錬太郎はこういった。

「大したことはないです。大丈夫、大丈夫です。

 でも、なんですかあれ? あれも祭りの一種とか? だったら、先に説明しておいてほしかったんですけど」

 軽い冗談を飛ばしながら、錬太郎は立ち上がった。立ち上がった時錬太郎は外していたお面を急いでかぶった。急いでお面をかぶったため、お面が銀色の金属光沢をもつようになったのに気付かなかった。

 普通なら、いやでも気づく変化である。しかし錬太郎の意識はお面に全く向いていなかったのだ。錬太郎の意識が向いていたのは二つ。一つは自分のそばにいる鬼島笹百合と、小さな握り拳を作って、周りを警戒している葉波根みなとの二人。

 そして、二つ目は自分を襲った超能力を持つ不審者である。この二つに意識が向いていたために、錬太郎はまったくお面の異変に気付かなかった。

 錬太郎の心は単純だった。少なくとも難しいことは考えていない。錬太郎は二人を心配させたくなかった。だから、冗談を飛ばして、大丈夫だと立ち上がった。

 自分が震えていたらきっと二人は心配するだろうと思った。錬太郎は二人を心配させたいわけではないので、恐ろしい気持ちを抑えて立ち上がったのだ。そうすればきっと安心してくれると思った。

 そしてお面をかぶったのは、自分の右目の異変を隠すためだ。これもまた二人を安心させるため。錬太郎は急激に右目の視力が失われているのに気付いている。左目ははっきりと焦点を合わせられるけれど、右目はすりガラスを通して景色を見ている状態だ。

 錬太郎はこの異変を二人に気取らせたくなかった。これもまた、立ち上がった理由と同じなのだ。心配させたくなかった。お面を急いでかぶったのは気づかれないようにするためである。右目の異変は間違いなく表情に出る。

 焦点が合わなくなりつつある右目を補うために目を細めようとしているのが自分でもわかっていた。だからそれを隠そうとした。お面をかぶればばれないと思ったのだ。自分の状況を隠したいという気持ちで頭がいっぱいになっていて、お面の変化に目が向かなかった。

 ただ、鬼島笹百合と葉波根みなとは錬太郎の変化にもお面の異常現象も把握していた。二人とも銀色に変化したお面と様子のおかしい錬太郎を見て、口を少し開いたが、すぐに抑え込んだ。何も言わなかった。錬太郎の気持ちをくみ取ったのだ。ただ、なんとかしようという気持ちが芽生えていた。



 ご神体めぐりの一環なのかといって冗談を言う錬太郎に鬼島笹百合が答えた。首を横に振りこういうのだ。

「知らないよ。あんなのは知らない」

 錬太郎に答えながら、鬼島笹百合は錬太郎の目をしっかりと見つめていた。鬼島笹百合の目はまったく揺れずに錬太郎の目を見つめていたのだった。真剣そのものである。鬼島笹百合は少しも茶化さなかった。これから提案しようとしていることに、説得力を持たせるためである。

 鬼島笹百合の頭の中に悪い考えばかりが浮かんでいた。まったく事情は把握できていないけれど、悪意を持って行動している者がいるのは間違いない。そして悪意を持って行動している者は、手加減をしていない。そのうえ、奇妙な技まで使っている。

 錬太郎のように冗談を飛ばせるような余裕は鬼島笹百合にはなかった。悪い考え、何が起きるのかわからない状況になったのだから、鬼島笹百合は錬太郎にもそれを理解してもらおうとしていた。

 鬼島笹百合が提案する内容とは、試練のリタイアである。今までは葉波根みなとに付き合う形でダラダラと歩いてきたが、それをやめようと提案するのである。そして、提案する理由はこれから起きるかもしれない不審者からの攻撃を避けるためであった。




 ご神体めぐりをリタイアするという鬼島笹百合の提案から数分後、三人はリタイアを決定した。まったく、異論はでなかった。明らかに不審者。明らかに武術を身に着けた何者かが一般人を襲撃してきたのだ。放っておいたらほかにも被害が出るかもしれない。

 今回はたまたま錬太郎が狙われた。しかし、全くの無差別の可能性も否定できないのだ。錬太郎だけが狙われているなどと思い込んで、この事件をほかの人たちと共有しないのはまずいだろう。できるだけ急いで事件を知らせて注意喚起を行わなければならない。

 波根の道から離脱するという話になったのだが、三人は波根の道を進んでいた。不審者が残した杖を錬太郎が持ち、二人を守るように先頭を切って歩いていた。鬼島笹百合と葉波根みなとは錬太郎の背中に隠れるように道を進んでいた。

 できるだけ素早く道から離れるべきである。しかし離脱するためには道を進む必要があったのだ。というのも、この波根の道をさらに進んだところに分かれ道があり、そこから民家が立ち並ぶ方面と滝に向かう道とに分かれるのだ。後に戻り緑青々としている芝を突っ切って歩くよりも前に向かったほうがずっと無駄がなかった。



 気を張りながら三十分ほど三人は歩いた。時間こそかかっていたが、進んだ距離は短い。なぜなら、誰かが襲撃してくるかもしれないという考えと、悪意を持った存在が何か道に仕掛けをしているのではないかと思いながら進んでいるからである。

 考えすぎということはある。しかし、初対面の人間に対して、問答無用で命がなくなるような攻撃を仕掛けてくるような不審者を見た後では、注意しすぎであるとは言えなかった。そうして三人は周りに注意しながら先を進むので、非常にゆっくりと歩くことになったのだった。

 そうして三人が進んでいると、後ろから足音が聞こえてきた。鬼島笹百合と葉波根みなとが振り返ってみると、くたびれた男性の姿と元気な少女の姿が見えた。男性は杖を重たそうに持ち、少女は男性を励ましながら歩いていた。

 このくたびれた男性と元気な少女が波根の道を歩いているのは、彼らもそろそろ波根の道から離脱するためである。暑苦しい日差しと波根の道のまったく空気の動かない過酷な環境で、いよいよ限界を迎えたのだった。

 道を進んできているのは錬太郎たちと同じ理由である。下手に道を戻るよりも道を進んで波根の道から離れるほうがずっと早いのを知っているのだ。これは、彼らが止まっている民宿が波根の道から別れた道のすぐそばにあるのを知っているからできた判断であった。

 ピリピリしながら道を進んでいる錬太郎たちをみつけて元気そうな少女がこう言った。

「あれ、追いついちゃった」

 くたびれた男性の一歩前に出ながら少女はつぶやいていた。一歩前に出たのは錬太郎たちから、父親を守るためである。

 元気そうな少女は錬太郎たちの雰囲気から何か良くないものを察していた。これは元気そうな少女でなくとも錬太郎たちの姿を見ればすぐに了解できるはずだ。これは錬太郎の姿を見ることでわかるというよりは、錬太郎の後ろをついてきている鬼島笹百合と、葉波根みなとのおびえようを見ていればよくわかる。

 それこそ元気そうな少女は自分と自分の父親の印象というのをよく承知していた。つまり非常に小さくかわいらしい自分と、細身でいかにもインテリな父親は暴力をふるう危険な存在ではなく、守られるべき弱者として映ると知っているのだ。

 そのため、仮に島の外から来たよそ者であるからといって、自分たちの姿を見て鬼島笹百合と葉波根みなとがおびえるのはおかしかった。そして、杖を構えている錬太郎は少女にとってあまりにもよくなかった。

 全く自分たちに対して警戒心を緩めずに戦いの気配をにおわせている。元気そうに見える少女が父親の一歩前に出たのは錬太郎を警戒してのことだった。何が起きているのかはさっぱりわからない。しかし、若しも攻撃してきたとしたら父親ではなく自分が対応しなければならない。暑さでほとんどやられている父親よりもまだ自分のほうが可能性があると信じていた。それが彼女の一歩前への行動だった。



 元気そうに見える少女と疲労困憊の男性の二人組が現れお互いの姿を認め合った数秒後、鬼島笹百合が二人に話しかけた。

「あの、お二人はこれから波根の道を行くんですよね。だったら気を付けたほうがいいと思います」

 元気そうに見える少女と疲労困憊の男性に話しかける鬼島笹百合は、錬太郎の法被の袖を握っていた。きつく法被の袖を握りしめている。

 鬼島笹百合は錬太郎を止めているのだ。鬼島笹百合は背後から足音が聞こえ始めた時に、錬太郎の気配が変わったのに気付いていた。そして、背後から進んでくる二人の姿がはっきり見えた時には、完全に不審者に対応するような行動をとろうとした。

 これはつまり、戦いを始めようとしていたのだった。鬼島笹百合はそんな錬太郎を止めていた。なぜなら鬼島笹百合には後ろから来た二人組はまったく無害のように見えていたからである。くたびれた男性と、少女の二人組だ。どう見ても不審者ではない。特に少女など非常にかわいらしく悪意などどこにも隠れていないように見える。ここで錬太郎が攻撃すれば、ただの暴力である。だから錬太郎の法被の裾を強く握って止めたのだ。

 鬼島笹百合が話しかけるとくたびれた男性と少女が聞く姿勢に入った。鬼島笹百合と葉波根みなとのただならぬ様子から、聞き逃してはならない情報であると判断したのだった。また、錬太郎の殺気立った様子からして暴力的な何かがあったと予想するのは簡単だった。

 くたびれた男性と少女が話を聞く姿勢になると鬼島笹百合は話を聞かせた。鬼島笹百合は要点だけを話した。銀色のお面をかぶった分厚いコートを着た不審者が錬太郎を襲ったこと。今も波根の道のどこかに潜んでいるかもしれないこと。

 そして不審者は錬太郎に対して本気で攻撃を仕掛けていたこと。鬼島笹百合は不審者の大体の大きさを覚えていたので、その話もしていた。

 特にこれといって自分の感想を述べることはなかった。できるだけ情報を正確に伝えたかったのだ。自分の恐怖や、恐れについて話をするのは別の場所でいい。家族にでも聞いてもらえばいいことである。今必要なのは情報を共有して不審者に対抗することだった。

 そのため鬼島笹百合はできるだけ必要なところだけを必要なだけ伝えたのだった。錬太郎のお面が銀へと変化したきっかけなどはまったく伝えていない。

 錬太郎が不審者に襲撃された話を聞いたくたびれた男性と少女は頭を抱えた。どちらも非常に顔色が悪かった。熱中症になっているのか、それとも不審者を恐れているのかはっきりとしない顔色であったが、よくない顔色なのは間違いなかった。

 話をよく呑み込んでから、くたびれた男性がこんなことを言った。

「申し訳ないんですが、私たちも一緒に動いていいですか?」

 錬太郎たちと一緒に道を歩いてもいいかといいながら、くたびれた男性は少女の頭に手を置いた。疲れ果ててはいたけれども目にしっかりと力が残っていた。くたびれた男性は自分の心配よりも自分の娘の心配をしていた。

 味方が全くいないこの海波根島で不審者に襲われるような状況になるのはまったくよくないことである。自分はどうなってもいいが、娘だけは守りたかった。

 くたびれた男性のお願いに、少し間を開けてから錬太郎がうなずいた。そしてこういった。

「もちろんです。どうぞ、一緒に行きましょう」

 一緒に行こうという錬太郎の口調はとても優しかった。今の今まで疑ってかかっていたとは思えない。錬太郎はくたびれた男性の目をしっかりと見ていたのだ。錬太郎はくたびれた男性の目が自分の父親、そしてライオンのような男の目と重なって見えたのだった。

 錬太郎の中に警戒心は残っている。完全に心を許しているわけではない。しかし、一緒に歩いてもいいと思える目をしていた。だから錬太郎はくたびれた男性のお願いを聞き入れたのだった。

 錬太郎たち三人はくたびれた男性と少女の二人組と合流することになった。合流が決まると、少女が自己紹介をした。

丙花へいはな しろです。よろしくお姉さんたち」

 自己紹介をしながら丙花白は握手を求めてきた。鬼島笹百合と葉波根みなとそして錬太郎の順番で、握手をした。錬太郎たちは特に断る理由がなかったので握手を受けた。錬太郎たちはその時に同じ気持ちになっていた。この気持とは、丙花白の手が非常にひんやりとしているなということである。

 丙花白が自己紹介をして握手をして回っている間に、くたびれた男性が自己紹介をした。

「車川 貞幸さだゆきです、よろしく」

 自己紹介をすると車川貞幸は額の汗をタオルで拭いた。随分汗をかいたらしくシャツが透けていた。

 丙花白と車川貞幸が自己紹介をしたので、錬太郎たちも自己紹介をした。自己紹介をしあった五人は波根の道を先に先に進むのだった。




 それからさらに二十分ほど歩いた。しかし非常にゆっくりとした歩みだった。警戒しながらと体力を消耗しないようにゆっくりと歩いたためである。

 道を進んでいる間に、女性陣がよく話をしていた。丙花白は見た目こそ幼いけれども非常によくものを知っていて鬼島笹百合と葉波根みなとを圧倒する話術を備えていたのだ。そのため初対面で人見知りをするタイプの鬼島笹百合と葉波根みなとでも苦労することなく、コミュニケーションがとれていた。

 錬太郎と車川貞幸は周りを警戒していた。錬太郎が先頭を歩き、車川貞幸が一番後ろを歩いた。錬太郎は気を張り続けていたけれど、車川貞幸はかろうじて背後に意識を向けるだけであった。これは若さと体力の差であった。

 そうしていよいよ分かれ道に差し掛かった。分かれ道には祭りの装束を着た島人が待ち構えていた。おじさんが三人とおばさんが二人である。この島人たちは祭りの役員をしている人たちで、波根の道を見回っている人たちであった。

 そして、分かれ道で待ち構えていたのはこの分かれ道がご神体めぐりの最後になると知っていたからである。最後というのはつまりどれだけ頑張ってみてもこの分かれ道の先に行けるほどの人間というのは現れないと長い経験則から知っていたのである。

 実際彼らもご神体めぐりを経験したことがあるので、これ以上先に進めるほどのスタミナを持っている人間などいないだろうと思い判断はたやすかった。ちなみに、今回のご神体めぐりでここまで来れたのは錬太郎たちと役場から派遣されてきた二人組だけである。

 分かれ道で待ち構えている島人の姿が見えると、五人はほっとした。どう見ても不審者ではなく、また、雰囲気からして攻撃してくる類のものではないのがわかった。特に安心しているのは鬼島笹百合と葉波根みなとである。彼女らは分かれ道で待ち構えていた人たちの顔と名前を知っているのだ。だからとても安心した。

 よそ者である三人は二人の安心した様子に安心を得ていた。

 五人の島人のところまで歩いていくと、鬼島笹百合がこう言った。

「さっきそこで、よくわからない人に襲われたの。おばあちゃんに伝えてもらえます?

 不思議な鳥のお面と、御子服を着ていたって。

 身長は二メートルを越えていて、たぶん男だと思う。錬太郎くんのことじゃないから、そこはしっかり伝えておいてください」

 鬼島笹百合が波根の道でであった奇妙な人物について話をすると、島人たちが騒ぎ出した。そしてすぐに携帯電話を取り出して鬼島山百合に連絡を取った。この時携帯電話をかけるために波根の道から外れる道に島人は駆けていった。



 さて、しっかりと不審者の話をしてやることをやった五人が波根の道から抜けようとしたところであった。

 錬太郎は空を見上げた。急に影が視界を覆ったからだ。海波根島の天気は快晴。気持ちがよすぎる快晴である。

 雲のないきれいすぎる青空だ。そんなところに、急に影である。おかしいことだ。そこからすぐに、錬太郎は何か頭の上にいるのではないかと考え、上を見た。

 そうして空を見上げた錬太郎は目を見開いた。というのも空から羽の生えた人間が飛び込んできたからである。太陽を背にしているせいではっきりとした姿はわからない。しかし人間の体に大きな翼が生えているのが見えた。

 シルエットからしていわゆる天使のような状態だった。

 全く頭の追いつかない状況であったが、それよりも錬太郎が気になったのは空から降ってくる翼の生えた人間の動きである。空から降ってくる天使の動きは獲物を狙う猛禽類の動きだった。

 空から襲いかかってくる天使に対して錬太郎は即座に迎撃の準備を行った。会話の気配も敬う気持ちもない。相手が襲いかかってくるというのならば迎撃しなければならない。何一つ奪われてたまるかという気持ち一色になり、錬太郎は片手に持っていた杖を肩に担いで、いつでも振りかぶれるようにした。

 しかし空から襲いかかる天使に対しての迎撃は失敗に終わる。錬太郎の攻撃を天使は簡単にかわしてしまったのである。そして、地面すれすれを飛び、鬼島笹百合をさらって、波根の道を飛び去って行った。

 錬太郎はこの時、空から襲撃した天使の姿をはっきりととらえた。天使は女性だった。きゃしゃな体の若い女性である。雑な切り方をしたおかっぱ頭が印象的である。身長体格は鬼島笹百合、葉波根みなとと同じである。大きな違いがあるとすれば、背中に大きな羽が生えているということ。背中の大きく開いたシャツと短いズボンをはいていたのが見えた。

 鬼島笹百合を天使が捕まえた時に錬太郎は天使と目が合っていた。鬼島笹百合を捕まえながら錬太郎を天使が見詰めていたのだ。

 錬太郎は天使をどこかで見た気がした。ただなかなか思い出せなかった。

 確かなことは鬼島笹百合が天使にさらわれたということだけである。

 空からの襲撃と、あっという間に行われた鬼島笹百合の誘拐に葉波根みなと、丙花白、そして車川貞幸と島人は驚いて全く動けなくなっていた。空から襲いかかってきた存在について全く理解が及ばなかったからである。

 空から襲いかかってきたどう見ても神話上の生命体。しかも人間をさらってどこかに飛んで行った。理由がわからない。そもそもどうしてそんな存在がいるのかもわからない。襲撃されたというショック、文明にケンカを売るような存在の衝撃。それらが彼らの頭を止めていた。ただ一人を除いて。

 空からの襲撃から一秒後、すさまじい勢いで錬太郎が波根の道をかけぬけて行った。銀色のお面の下の錬太郎の表情は激怒であった。目に光が宿り爛々と輝いている。錬太郎の目の輝きに合わせたかのように、銀色の鳥のお面が脈動を始めた。動かないはずの鳥のお面は瞬きをはじめ、くちばしを鳴らし始める。しかしそんなことは錬太郎にとってどうでもいいことだった。

 錬太郎はただ、襲撃してきた天使が飛び去った方向に向けて、道があるかどうかも気にせずに一気に駆け抜けていった。完全にけもの道を行くことになるので、錬太郎は杖を捨てた。邪魔だった。

 そして錬太郎は走った。藪があるのなら藪をこえ、木々が邪魔をするのならよけて一気に駆け抜けていった。今までのような緩やかな勢いではなく、全身全霊を持った追跡であった。錬太郎の中に恐れはない。今はただ、さらわれた鬼島笹百合を取り戻すことだけが大切だった。

 錬太郎が風のごとく藪をかき分け木々をすり抜けてかけていった後、やっとのことで取り残された者たちが動き出した。彼らはそれぞれに行動し始めていた。

 島人たちはあわてて鬼島山百合に連絡を取るために動き出し、丙花白と車川貞幸は錬太郎が踏み潰して作った道を進み始めた。そして最後に残された葉波根みなとはおびえながら錬太郎の後を追いかけるのだった。

 せめてもの自衛の手段として錬太郎の残した長いつえを持って追いかけた。恐ろしいのなら、怖いのならば歩くのはバカなこと。しかし自分の幼馴染が連れ去られたのだ。鬼島笹百合を葉波根みなとは助けたかった。それは間違いない気持ちだった。


 


 波根の道の奥へ、島の中心部に向けて飛んでいく翼の生えた女性は非常に苦労していた。背中に生えた自分よりもはるかに大きな翼を必死で動かして風を捕まえている。

 というのも、襲撃でさらった鬼島笹百合が暴れまわり、うまくバランスを取らせてくれないのだ。波根の道を飛びながら女性が思うところは、どうにか自分が捕まえた鬼島笹百合を傷つけずにご神体めぐりの最深部まで連れて行くことである。

 少なくとも悪いようにするつもりはないのだ。そのため、腕の中でもがかれると非常に面倒だった。

 鬼島笹百合をさらって三分ほどは波根の道を見下ろす高さで飛んでいたのだけれどもついに、波根の道の中を翼の生えた女性は飛んでいた。鬼島笹百合をしっかりと抱きしめて、苦笑いを浮かべている。

 できるならば、高さを保って風をとらえて進みたかった。そうするのが一番速く移動する方法だからである。

 しかし、どうにも鬼島笹百合の抵抗が強かった。おとなしくすることなど全くないのだ。息切れするまで暴れて、少しも落ち着かない。鬼島笹百合大暴れである。鬼島笹百合はそれはもう必死である。いきなり正体不明の存在に拉致されたのだ。

 まったく生きた心地はしない。どうにか逃れたいと思う。誰が大人しくしているものか。追い詰められている状況であるから、全く手加減はなかった。

 手当たり次第に手足を振り回すので、波根の生えた女性の身に着けていた背中が大きく開いたシャツはもみくちゃになっていた。少し破れているところもあった。

 服だけならまだいいが、女性の顔面や腹に鬼島笹百合の拳と足が何度もぶつかっている。しかし女性に変化はなかった。鼻から血を出すようなこともないし、歯が欠けるようなこともない。内出血も起こしていないのは、おかしなことだった。

 抵抗されても波根の道を鬼島笹百合を抱えて飛ぶ女性であるけれど、いよいよあと少しで鬼島笹百合の足が付くというところまで高さを落としていた。

 鬼島笹百合が腕の中でもがくのがどうにも激しいのにくわえて、鬼島笹百合が随分汗をかいているせいでうまくつかめないのだ。

 

 鬼島笹百合が息を切らしながら自分の腕の中で暴れるので、翼の生えた女性はこんなことを言った。

「怖がらなくてもいいのよ 食べたりしないから心配しないで、笹百合ちゃん」

 悪いようにはしないと話しかけながら、女性は翼を大きくはばたかせていた。翼の生えた女性はできるだけ急いでご神体のある最深部まで行きたいと考えている。女性はあまり外に出ていてはいけない立場にいるからである。

 特に、鬼島笹百合を連れてくるような真似をしたのは間違いなく叱られるだろう。事情を説明すれば納得してくれるはずだという気持ちは頭にあるのだが、延々と時間をかけて問題を膨らませるようなことをしないようにと、頑張っているのだった。

 問題一つを起こしたこと自体が、すでに問題なのだけれども、それは後で必死で謝って許してもらおうと考えていた。

 翼の生えた女性がおとなしくしてほしいというような話をすると、鬼島笹百合はこういった。

「信用できるか!」

 お前の言うことなど本当かどうかわからないだろうという鬼島笹百合であるけれども、暴れるのはやめていた。しかし、これは納得したから動きを止めたのではない。

 鬼島笹百合が動きを止めたのは、体力の限界を迎えたからである。暑い波根の道を延々と歩いてきたことと、もともと筋力などないのにもかかわらず、本気で暴れ真つづけたのが原因である。本気で体を動かし続けるというのは非常に体力を使う。

 スタミナもそうだけれど、筋力が恐ろしい勢いでなくなっていく。鬼島笹百合は特別鍛えているわけではないので、いよいよ腕が震え始め、太ももが痙攣し始めていた。これ以上の抵抗は肉体的な能力の限界との兼ね合いで不可能である。

 鬼島笹百合が信じられるかともっともなことを言うと、翼の生えた女性はほほ笑んだ。それはそうだろうという気になったのであった。そして微笑むのと同時に、女性は羽ばたいた。鬼島笹百合の体力の限界を察して、いよいよ勢いを出すことに決めたのだ。そして勢いをつけて、ご神体めぐりの最深部に招待するつもりである。

 鬼島笹百合が体力の限界を迎えておとなしくなっている間に、翼の生えた女性はそのままどんどんと波根の道を先に進んでいった。空を飛んでいるため、非常に気持ちのいい風が鬼島笹百合のほほを撫でていた。

 そして、特にこれといった問題も起こらず三分ほどして、翼の生えた女性と鬼島笹百合は滝の前に到着していた。海波根島の中心部分にそびえる母山から流れ落ちてくる滝は雄大だった。滝から流れ落ちる水は滝つぼに落ちて、半径二十メートルほどの池にたまる。

 そして池たまった水は海に向かって進むために川の流れを作っていた。四方を青々とした木々が囲んでいるのは波根の道と変わらないのだけれど、落ちてくる滝の水が水しぶきとなって飛び散っているので非常に涼しかった。翼の生えた女性はここからご神体めぐりの最深部に向かうつもりである。ここから入れば、ほかの人間に目撃されることはない。

 滝の前に到着するや否や鬼島笹百合を捕まえたまま、翼の生えた女性は池の上を飛んで、滝を目指して飛びこんでいった。滝の裏側にご神体めぐりの道があるのだから、滝に突っ込まなければならないのは当たり前である。もともとそういうつもりで動いているのだから、ためらう理由はない。できるだけ素早く鬼島笹百合を連れて行くほうが問題は少なくて済むのだから、手加減はなかった。

 滝に向かって飛び始めた女性に向けて鬼島笹百合がこう言った。

「ちょっと! 何考えてんの! やめて!」

 鬼島笹百合は必死になって手足を動かしていた。そうしなければならないだろう。滝から落ちてくる水量は半端ではない。近くによるだけでとんでもない水しぶきがかかるのに、突っ込むようなことをすれば間違いなくびしょ濡れになる。そして大量の水の圧力に押しつぶされるような状態になるではないか。

 それは鬼島笹百合にとっては避けたいことであった。翼の生えた女性が人知の越えた力を持っているのははっきりとしたけれど、大量の水の壁を突破できるわけがないという気持ちがあったのだ。

 翼の生えた女性がこう言った。

「ちょっと濡れるだけよ? 乾かせばいいじゃない。もしかしてお化粧がとれるのいやかしら?」

 鬼島笹百合に話しかける翼の生えた女性は笑っていた。まったく緊張感がなかった。鬼島笹百合はおびえているけれども、翼の生えた女性は滝を突っ切って外に出てきているのだ。いちいちおびえる理由がない。玄関の扉を開けて家の外に出ていくのをどうしていちいちおびえなくてはならないのか。

 何を言っているのかと鬼島笹百合が呆けていると、翼の生えた女性が目を見開いた。今まで余裕たっぷりだった目が急に真剣なものになっている。そして、滝への突撃をやめて、池の丁度中心部分で浮遊し始めたのだ。というのも、波根の道の奥から息を切らしながら追いついたものがいたからである。追いついたのは、銀色のフクロウのお面をかぶり、ズタボロになった法被を身に着けた、花飾錬太郎である。



 ズタボロになりながら追いついてきた錬太郎を確認した翼の生えた女性は、こういった。

「あら、ずいぶん早かったわね。ほかの子たちは置いておいて、ここまで駆けつけたんだ?

 結構本気で飛んだんだけど、遅かったかしら? 笹百合ちゃんはもう少しダイエットしたほうがいいんじゃない?」

 翼の生えた女性は鬼島笹百合をしっかりと捕まえたままで、じっくりと錬太郎を見つめていた。錬太郎がどうしてここまで素早く自分に追いついてこれたのかがわからなかったのだ。

 確かに錬太郎の身体能力には目を見張るものがある。すぐれた体格と身に着けた技術がその根拠になっている。しかし、空を飛んできた自分に追いつけるわけがないと思っていた。さすがにそこまで素早いわけがないというのが翼の生えた女性の思うところである。

 特に波根の道は走りやすい道ではない。そしていちいち距離を取るようにらせんを描いている。簡単に追いついてこれるわけがないのだ。しかし錬太郎はやって見せた。それが興味を持たせたのだった。

 錬太郎に話しかけてから数秒後に、翼の生えた女性は笑った。なぜなら追いつかれた理由がわかったからだ。錬太郎の姿をよく確認すればわかることだった。簡単なことである。錬太郎は波根の道をまっすぐに突っ切ってきたのだ。

 そのままの意味で、らせんを描いている波根の道を通らずに、ターゲットが目指している場所に向けて一気に駆け抜けてきた。

 理屈としては非常に簡単なことであった。急いでいるのなら、無駄なく動けばいいというだけのことである。しかし難しい道であると女性は知っている。なぜなら波根の道は木々と柴で通りにくくできている。

 まっすぐに突っ込むようなことをしたら、すぐに通れなくなるはずだからだ。普通は通れないとあきらめるはずである。ふつうならば。

 女性が笑ったのは、錬太郎が力任せに突っ込んできたのがわかったからだ。錬太郎のぼろぼろの服を見れば、それがわかる。はっぴがちぎれ、シャツもズボンもボロボロである。思い切り障害物にぶつかってできたのだろう擦り傷もひどかった。怪我をするくらいわかるだろうに、しかしそれでもここまで突っ込んできたのだから、これはとんでもないバカである。そして女性にとっては楽しいことだった。

 翼の生えた女性が笑うと、錬太郎が近寄ってきた。無事なのは銀色のお面だけといった状態であるが、錬太郎の足取りはしっかりしていた。まったく問題なかった。両手の皮が擦り切れているけれども、足回りが血で汚れているけれども全く問題ない。体力と気力は充ち満ちている。錬太郎の頭にあるのは鬼島笹百合の奪還だけである。それ以外に考える問題はなかったのだ。

 両手両足を血でにじませながら向かってくる錬太郎に翼の生えた女性がこう言った。

「あら、ここまで来れる? この池は結構深いのよ? でも心配しないでいいわ。おぼれてもしっかり助けてあげるわ」

 翼の生えた女性は羽ばたいて少し高い位置で浮びなおした。余裕ぶっていた表情がわずかに曇っていた。無言で近づいてくる両手両足を血で染めた錬太郎が恐ろしかったのだ。確かに全く説明もせずに鬼島笹百合を捕まえたのだから激怒されるのはしょうがないことである。

 しかし錬太郎がここまで鬼島笹百合に執着しているとは思わなかった。特に、自分の身を省みることもなく、悪路を突破してくるほどの精神力を発揮して、今も自分を狙うなどというのはまったく思いもしなかった。

 ただの高校生だと思っていたのだからこの異様な姿は恐るべきものだった。

 翼の生えた女性の腕の中で鬼島笹百合がもがいていた。そしてこういった。

「錬太郎くん! 無茶したらダメ!」

 錬太郎が駆けつけてきたときにはほっとしていた鬼島笹百合であるが、今はもうそのような気持ちはない。ただ叫んでいた。自分を追いかけてきた錬太郎の姿があまりにも痛々しかった。まったく見ていられなくなるような姿である。

 今まで来ていた服はぼろぼろだ。法被などただの布きれである。

 そして服だけではなく肉体も傷ついている。両手両足が血で染まっていた。特に血が流れているのが両手と両足であるというだけで、全身くまなく擦り傷が出来上がっていた。

 錬太郎が自分を助けに来てくれた気持ちは非常にうれしいけれど、これ以上の行動は錬太郎の命を失うような気がして彼女にはためらわれたのだ。つまり自分がひどい目に合うのは耐えられるけれど、錬太郎が自分のせいでひどい目に合うのは耐えられそうになかった。心配だったのだ。自分よりも錬太郎を心配していた。

 鬼島笹百合が叫ぶのもきかず迷うことなく翼の生えた女性のところに向かって歩き出した。そして、迷うことなく水面に錬太郎は足を踏み出した。このとき錬太郎の二つの目が輝いた。夕焼けのような光が仮面の奥から漏れた。錬太郎のかぶっている銀色のフクロウの仮面が、瞬きをしてくちばしを鳴らした。錬太郎は水面を歩いていた。錬太郎が踏んだ水面に激しい波紋が生まれていた。

 水面に立っていられるとわかった錬太郎は一気に池の上を走った。翼の生えた女性を捕まえて、叩き落とし、鬼島笹百合を取り返すためである。全く迷いはなかった。

 あと少しで錬太郎の手が届くところで、翼の生えた女性は空に飛びあがった。余裕はない。錬太郎から離れたい一心で飛び上がっていた。あまりのも錬太郎の放つ気配が恐ろしかった。恐怖の遺伝子が体に刻み込まれていたのではないかと思うほど心の底から錬太郎に近づかれたくなかった。

 恐怖でいっぱいになっての行動は、あまりにも格好の悪い飛行だった。しかし、錬太郎の魔の手から逃げ出せたのは間違いなく恐怖のおかげだった。あっという間に距離を詰めて、つかみかかってきたのを余裕ぶってみていたら簡単に水面に落とされていただろう。

 翼の生えた女性に攻撃をよけられた錬太郎は池の水面に着地した。錬太郎が着地すると水が大きくはねた。

 水面に着地した錬太郎はすぐに、空を見上げた。獲物が空に逃げたからだ。銀色のフクロウのお面が大きく目を見開いているので、錬太郎の目がよく見える。錬太郎の目の奥で夕焼けのような光が爛々と輝いていた。


 錬太郎から距離を取った翼の生えた女性はこういった。

「あらあらあら? 笹百合ちゃんとは何でもなかったはずでしょ?

 もしかしてちょっといいっとか思ってたりしたの、錬太郎ちゃん。

 そういうつもりなら大歓迎よ。大歓迎。山百合ちゃんもひ孫が生まれれば、きっと喜ぶわ」

 挑発するようなことを言いながら余裕ぶって見せる翼の生えた女性。しかしまったく油断などしていなかった。翼の生えた女性は錬太郎をしっかり睨んだままだった。本気で自分を倒しに来ている錬太郎をどうやって煙に巻いてやろうかと翼の生えた女性は必死になって考えているのだ。

 ここで錬太郎と戦う気はまったくないのだ。もしも戦いになったとしても自分が勝利するという自信はある。しかしここで錬太郎と戦うとご神体の最深部まで行けなくなる可能性がある。それは翼の生えた女性の思うところからするとよくないことであった。そのため倒すよりも難しい方法を考える羽目になったのだった。

 空で羽ばたく女性から目を離さずに、池の中心で、錬太郎は膝を曲げた。そして、右手で水を掬い上げた。錬太郎には空を飛ぶ技がない。翼も生えていない。しかし鬼島笹百合をさらった翼の生えた女性は空を飛んで自分を見下ろしている。ならば、どうにかしなければならないだろう。どうにかするために錬太郎が考えたのが足元に広がっている池の水を使うという攻撃だった。

 自分が空を飛べないのならば、空を飛べるものに攻撃を任せようとしたのであった。普通なら、足元の水を使うなどということはできない。しかし、不思議な能力、超能力といわれる力を使える錬太郎ならば、水を固めて打ち込むくらいはたやすいことだった。まだ自在に使える状態ではないが、ぶつけるくらいならできそうだった。


 錬太郎が無視を決め込み攻撃の準備を行っていると翼の生えた女性がこう言った。

「もしかして笹百合ちゃんを連れてきたことを怒ってる?

 笹百合ちゃんのことなら心配しなくていいわよ。傷つけるつもりはないの」

 翼の生えた女性がさらに言葉を続けようとした次の瞬間だった。錬太郎は右手を振りぬいた。そうすると、右手に掬い上げられていた水が、恐るべき勢いで空をかけた。羽の生えた女性の顔面に向かう軌道を水の弾丸は描いていた。早さも固さもまだまだといった具合の水の塊での攻撃である。

 しかし十分気をそらせる一撃であった。水の弾丸は女性に直撃しなかった。しかしその勢い、こめられた一念は女性をひるませるには十分だった。

 翼の生えた女性が空中でひるんだところで、錬太郎が左手を振りぬいて、水の弾丸を撃ち込んだ。ひるんだところに直撃を見舞えば落ちるだろうと考えたのだった。

 錬太郎の考えは正しかったが、弾丸は当たらなかった。

 防がれたのだ。羽の生えた女性はひるんでいた。どうやっても逃れられるわけがなかった。防ぐのも鬼島笹百合を捕まえているので無理であるはず。これは邪魔が入ったのである。

 邪魔とは錬太郎に攻撃を仕掛けてきた不審者の邪魔である。この不審者は周りの木を足場にして一気に翼の生えた女性に近づき、錬太郎の攻撃を防いで見せた。その時に水の塊は散らばり、不審者の作り出した透明な球体上をすべり散った。

 この透明な球体が不審者の力の表れであると錬太郎は見破った。そしてあの形ならば、まねできるとも思った。

 自分の攻撃を防いだ不審者を確認して、錬太郎が舌打ちをした。邪魔がなければ、撃ち落とせた可能性が非常に高かったからだ。そして失敗するということは、鬼島笹百合を取り戻せないということにつながる。まったくよくないことばかりである。 

 錬太郎が強い怒りを覚えるのと同時に、錬太郎のかぶる銀色のフクロウのお面が鳴き声を上げた。

 


 錬太郎の攻撃から数秒後、翼の生えた女性がこう言った。

「すさまじいわね。今のはとても怖かったわよ錬太郎ちゃん。でも、そうね、私はあなたをおとなしくさせることができるわ。

 呪文を唱えるの。

『もしもあなたが私を追いかけてくるのなら、笹百合ちゃんに傷一つつけない』

 いい呪文でしょ。

『約束するわ』

と付け加えたらさらにいい呪文になると思うの。

 これであなたは私の言いなりになるでしょう? 違うかしら、ねぇ錬太郎ちゃん?」

 空中で浮遊しながら錬太郎に語りかける翼の生えた女性であるが何度も深呼吸を繰り返していた。錬太郎の攻撃は横から防いでもらわなければ間違いなく女性にぶつかる軌跡を描いていた。そしてただでさえ鬼島笹百合を抱えて飛ぶのが難しいところで、衝撃など受けた時には間違いなく落下していただろう。

 そうなれば翼の生えた女性に待ち受けるのは問答無用で攻撃を仕掛けてくる錬太郎である。しかも足元は池なのだ。間違いなく沈められるだろう。深呼吸でもしなければ心乱れて落ちそうだった。

 翼の生えた女性の腕の中で、鬼島笹百合が青ざめていた。口はきけない。当然である。自分が完全に錬太郎の弱点になっていると悟ったのだ。



 錬太郎が大人しくなった。いまだに池の水面の上に立ち、じっと翼の生えた女性を見つめたままであった。

 錬太郎の水の塊での攻撃を防いだ不審者が近づいてくるのも気にせずに、錬太郎はこういった。

「何が目的だ? 俺に用事があるというのなら、おとなしく従おう。ただ、笹百合さんは離せ」

 翼の生えた女性の話す内容から女性は自分に用事があるのだと推理した錬太郎が交渉を始めると、銀色のフクロウのお面がカタカタと震えだした。瞬きをはじめ、くちばしを激しく打ち鳴らしている。

 そして徐々に形を変え始めた。今までは顔の正面部分だけをカバーしていたお面が徐々にだが、顔の側面にまで侵食し始めたのだ。鳥の羽が広がるような調子で、錬太郎の耳元まで銀色のお面が広がっている。

 自分に起きている異常現象に全く気が付かない錬太郎を見て、翼の生えた女性がこう言った。

「ねぇ、錬太郎ちゃん……あなたなんなの? 

 どういうことなのかさっぱりわからないわ、どういう理屈でそんな変化が起きるのかしら……あぁ、ごめんなさいね。無視しちゃって。

 答えるわね、ダメよ。笹百合ちゃんは連れて行く。今の錬太郎ちゃんの対応でよくわかった。こうするのが一番効果的なのね、あなたには」

 翼の生えた女性は錬太郎と会話をすることもなく、滝に突っ込んでいった。錬太郎を横目に見ていたけれどずいぶん複雑な顔をしていた。

 錬太郎に対して興味を持っているのだけれども、近づくのが非常にためらっている。翼の生えた女性は錬太郎のかぶっているお面に使われている銀に見える物質が姿形を自発的に変えるという話など聞いたことがなかった。その謎について女性は非常に気になったが、それ以上に変化するお面が形作る姿がどうしても恐ろしく見えてならなかったのだ。

 まるで獲物を狙うフクロウが、飛び立とうとしているようでそしてその飛び立とうとしているフクロウが狙う先にいる獲物は間違いなく自分であるというのが予想できてそれが恐ろしかった。戦えば勝つという自信はあるが、命を取られるかもしれない恐怖が高まっていた。

 滝の裏にあるご神体への道へと進むのは、今この場所では錬太郎に対応できないとはっきりと理解できたからである。奥へと進んだところには戦いやすい場所がある。そして錬太郎を抑える方法もある。ならばそこでやるべきだろう。だから翼の生えた女性は、鬼島笹百合を連れたままで滝に突っ込んでいった。

 翼の生えた女性が滝に向かって突撃していった後、錬太郎は動かなかった。じっと見送るしかなかった。錬太郎の前に不審者が立ちふさがったからだ。銀色のタカのお面をかぶり、分厚いコートを着ている不審者である。この不審者が杖の先端を錬太郎に向けて、錬太郎を威嚇していたのである。

 錬太郎はこの不審者をどうにかしなければならなかった。どうやっても道を譲る気配がなかったからだ。ただ、錬太郎は敗北するとは思っていない。錬太郎は自分のお面が姿を変えているのに気が付いていない。

 しかしお面が変化するに従い徐々に体に力が満ちてくるのを感じていた。力が外に出しやすくなっているのだ。これはとても素晴らしいことだった。邪魔を省くのにはちょうど良かった。



 滝の奥に進もうとする錬太郎に巨大な怪人が攻撃を仕掛けてきた。杖を振り錬太郎をたたき伏せようとしたのだ。手首を使った攻撃ではなかった。当たり障りのない普通の攻撃だった。特に驚くところはない。非常に美しい攻撃であったけれどもそれだけだった。

 素早く鋭い美しい一撃であったが、錬太郎に届かなかった。錬太郎は足元の水面を思い切り踏み込んで、距離を取ったのだ。この時、錬太郎が踏み込んだ水面は勢いよく跳ね上がり、不審者に水しぶきがかかった。

 一発目の攻撃が失敗にわかると速やかに二発目の攻撃攻撃を不審者が仕掛けようとした。実に素早かった。

 この時、錬太郎は思い切り右腕を振り上げた。水を掬い上げるようにして、右腕を動かしたのだ。すると、川の水面が一気に持ち上がった。丁度、不審者の足元の水面が、トランポリンのように弾力を持ったのである。これは錬太郎の仕業である。

 この異変に不審者がぐらついた。上半身と下半身のバランスがこれ以上ないほど崩れていた。誰の目から見ても、上下の連携が付かなくなっている。

 このチャンスを錬太郎は見逃さなかった。一気に距離を詰めて、力任せに投げ飛ばした。不審者は水平に投げ飛ばされ、そのまま森に突っ込んで姿を消した。プロ野球の投手がキャッチャーに投げるボールといい勝負ができる勢があった。

 不審者の姿がなくなって、数秒後であった。杖が池の近くに突き刺さった。どうやら金属でできているらしく、鈍い輝きを放っている。不審者を吹っ飛ばしたときに、杖が空に打ちあがっていたのだ。それが落ちてきて、池の近くの地面に突き刺さったのだった。



 不審者が姿を消してあとのことである。自分の勝利を確信した錬太郎は水面を当たり前のように歩き、地面に突き刺さった杖を引き抜いた。

 そしてちょうどいい武器を手に入れると、錬太郎は滝に向かって歩き出した。いくらか心は落ち着いていて、錬太郎の目の輝きはおさまっていた。

 しかし格好は悪かった。非常に怪しい姿だった。無理をして突き進んできた結果、体中ぼろぼろというのもある。血が流れているということもある。しかしそれ以上に銀色のお面がまずかった。

 錬太郎のかぶる銀色のお面は錬太郎の頭頂部と、側頭部を完全に囲うように広がっていた。銀色の羽毛が、錬太郎の頭を包み込もうとしていた。明らかにはじめのお面の形ではなく、すでにフルフェイスのヘルメットに近い格好である。

 錬太郎も変化を感じていたけれども、難しく考えなかった。ただ、力が使いやすくなるのだけで十分で、鬼島笹百合を連れて飛び去った翼の生えた女性を撃ち落とすことだけで頭はいっぱいになっていた。

 


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